大門編開始です。
九月のシルバーウィークでの駆け落ち旅行から数日後、表面上はいつも通りの日常が戻っていたものの、麗美の目には学校の空気が少しずつ変わっていくのが見えていた。
教員の勅使川原が冬月先生に対して、業務を装った不自然な接近を続けている。
前の世界でも同じことが起きていたと知っている麗美は、その件で鬼塚がピストルで撃たれる等の重傷を負い、それが後の植物状態に繋がることを思い出し、すぐに鬼塚に軽く情報を流した。
結果として、冬月が一時的に姿を消す騒ぎは起きたものの、鬼塚の動きと麗美の事前の情報提供、そして冬月の妹のまことの推理が功を奏し、様々な準備を終える前の勅使川原を捕獲し、彼は長時間の問答の末に改心、冬月も解放され、事は比較的早期に解決した。
ただ、大ごとになるのを未然に防いだとはいえ、教員が同僚を拉致したというその一件は教育委員会の過激派にとって恰好の口実となった。
麗美が秘密裏に調べると、ザビエル校長は責任を問われる形で左遷され、代わりに大門が新校長として吉祥学苑に送り込まれることが決まっていた。
(……結局、この流れは変わらなかったわね。でも、あたしが居るから前の世界よりは少しだけ早く動けるはず)
麗美はそう内心で呟きながら、次に来るであろう「大門美鈴」の名を胸の中で確認していた。
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そして迎えた十月……
秋の気配が日増しに深まる吉祥学苑に、前触れもなく冷酷な激震が走る。
「……は? ザビエル校長が、学校を去った……!? 定年間近で辞職かよあのザビエル!? 何考えてんだ、退職金ガッポガッポだったろうに勿体ねー」
十月初日の放課後、中等部職員室で出席簿を片手にしていた鬼塚は、冬月から告げられた信じられない言葉に、思わず目を丸くした。
何かとキイキイとヒステリックに騒ぎながらも、定年が近いこともあり、どこかのんきにハゲ頭を光らせて生徒たちの緩やかな日常を守ってきたザビエル校長。
この世界では、麗美の完璧な先回りと鬼塚のおかげで、一学期から現在にかけて学苑はこれといった不祥事も問題も一切起こしていなかったはずだった。
この間の勅使川原の件以外は……
「鬼塚先生……辞職なんかじゃないんですよ……聞いたところによると、教育委員会のクーデターグループの陰謀みたいなんです。丸山校長はこの間の件以外、特に何の問題もなかったのに、それに加えて何かと理不尽な理由と言い訳を後付けで並べ立てられて、島流し同然の形で左遷させられたらしいの。……北海道の最果てにある姉妹校、『ムカチャッパ学園』っていうところに……」
冬月先生は、学苑の背後で動き出した巨大な権力の影に、怯えるように肩を震わせた。
教育委員会の過激派の目的は明確だった。
吉祥学苑を自分たちが掲げる冷徹な「最適化・管理教育」の実験場にするため、邪魔な旧体制のトップを強引に排除し、完全な独裁体制を敷くための布石。
ザビエル校長の更迭は、その冷酷な宣戦布告に他ならなかった。
「ちっ……あのザビエル……よりによってムカチャッパに飛ばされやがったか……こりゃ当分は戻ってこれねえな……んで、新しい校長は誰がなるんだよ? 内山田のハゲじゃねえんだろ?」
「ええ……確か……」
「大門美鈴(だいもん みすず)っていうキャリアウーマンらしいわよ?」
不意に麗美が二人の元に現れ、新校長の名を言う。
「!? う、……神崎、なんで知ってんだよ!?」
「なんでって調べたから。 あたしもこの学苑の不穏な雰囲気が気になってたから色々調べてたのよ……はい、これ」
麗美はハッキングしたらしい大門の情報が映ったノートパソコンを二人に見せる。
「こ、これって……」
「……成る程な……こりゃ厄介なことになりそうだ……」
「あたしも裏で色々動いてはみるけど……相手が相手だから、先手を打たれたりすると思う……でも、絶対に負けないし、なんとかしてみせるから」
そう告げた麗美の目は未だかつてない程にマジな目をしていた。
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翌日、吉祥学苑に一台のスポーツカー……フェラーリ・テスタロッサが止まる。
そこから現れた人物はゆっくりと、着実に学苑に入ってくる。
そして、遂に職員室の重厚な扉が、静かに、しかし威圧的な音を立てて開け放たれた。
カツカツ、カツカツと、一切の無駄を削ぎ落とした冷酷なヒールの音が室内に響き渡る。
入ってきたのは、きっちりと隙なくまとめられた髪に、理知的ながらも感情を一切廃した眼鏡を光らせた一人の女性――彼女こそが、教育委員会から送り込まれ、直接学苑を支配しにやってきた新たなる支配者、大門美鈴校長だった。
「本日より、当学苑の校長に就任した大門美鈴です。これより、この学校の規律を乱す一切の『ゴミ』を排除し、完全なる管理システムによって全体を最適化します。反論は認めません」
彼女が教壇から職員たちを見下ろした瞬間、学苑の空気は一変した。
大門校長は赴任と同時に、手先である秘密の生徒組織「天使部隊」を裏で暗躍させ、学苑内の不穏分子のあぶり出しを開始する。
そして、その冷徹な爪牙が真っ先に向かったのは、規律の破壊者である破天荒金髪教師・鬼塚英吉、そして彼の生命線である「屋上のプレハブ小屋」だった。
「おいおいおい、何だぁこれは!?」
翌日の放課後、学校の屋上に上がった鬼塚は、目の前の凄惨な光景に絶叫した。
大門校長の指示を受けた工作員たちと解体業者が、鬼塚の荷物を容赦なく外へ放り出し、バールや重機を使って「屋上のプレハブ小屋」を無残に叩き壊していたのだ。
このプレハブ小屋は、四月に麗美と「本当の恋人」になる約束を交わし、一緒に過ごし、何度も濃厚な口づけを交わした、二人の始まりの聖地。
それが今、大門の独善的な方針によってガラクタへと変えられていく。
「すいませんねぇ鬼塚先生。大門新校長の方針で、校内の『不法占拠物』はすべて即時撤去・処分することになりましてねぇ」
大門校長の工作員と雇われ業者が、下劣な薄笑いを浮かべながら書類を突きつける。
学校側の規律という大義名分の前には、いくら鬼塚であってもそう簡単に物理的に拳を振るうわけにはいけない。
大切な彼女との思い出の場所が無惨に破壊されていく光景に、鬼塚が怒りで青筋を立て、拳を血が出るほど強く握りしめ、歯噛みしたその時だった。
「そこまでにしなさい。人の財産を勝手にゴミ扱いするなんて、ずいぶんと育ちの悪い教育方針ね、大門校長」
カツカツと、もう一つの圧倒的なセレブのヒール音を響かせて屋上のドアを開けたのは、神崎麗美の母親だった。
背後には、事前に大門校長の動きをハッキングで完全掌握し、母親に連絡を入れておいた麗美が、オッドアイの瞳に冷徹な勝利の計算を宿して佇んでいる。
だが、見るも無惨な姿となったプレハブ小屋を目の当たりにし、麗美は表情を歪め、目元に涙を溜める。
そんな愛娘の内情を察し、麗美の母親は、内心、怒りで煮えくり返るが、今は必死に抑える。
「な、何ですかあなたは……!? 関係ない部外者は立ち入り禁止だ!」
工作員は慌てて怒鳴るが、麗美の母親はそれを一瞥すらせず、手元に控えていたお抱えの弁護士から書類を取り出すと、屋上に現れた大門校長の目の前へ突きつけた。
「部外者? 本当に貧相な脳細胞ね。 大門新校長、あなた文部省の元キャリアのくせに、この吉祥学苑の経営母体の『筆頭株主(大口ドナー)』が今、誰になっているのかも調べずに乗り込んできたのかしら?」
「何ですって……っ!?」
大門校長の眼鏡の奥の瞳が、初めて驚愕に揺れた。
前の世界では株の暴落で一度は破産へ向かった麗美の母親だったが、この世界では、麗美の未来知識による完璧なサポートを受け、株による経営も順調そのもの。それどころか、麗美が会社が立ち上がって最初から協力した影響で神崎家の資産は凄まじいことになっており、つい先日、吉祥学苑の株を大量に買い占めて「彼女抜きでは学苑の経営が1秒も成り立たないレベル」の圧倒的な筆頭株主へと登り詰めていたのだ。
あまりに最近の出来事であったため、文部省の元キャリアである大門校長の情報網を以てしても、完全に把握できていなかった計算外の致命的なデータエラーだった。
「今現在、このプレハブ小屋の資材および備品一式は、我が神崎家が学苑への寄付として『私有リース』しているものよ。それを正当な手続きもなしに器物破損するのなら、明日からこの学苑の運営資金、数億~数十億円の出資をすべて凍結させてあげるわ。実質的な経営権を握る私を怒らせてどうなるか、キャリアウーマンのあなたなら『計算』できるわよね?」
大門校長を冷徹に射すくめる母親の眼光には、いつになく激しい、烈火のごとき怒りが込められていた。
なぜならこのプレハブ小屋は、かつて冷え切っていた自分自身が、愛する実娘である麗美と本当の意味で和解することのできたきっかけの恩人――鬼塚英吉の住居なのだ。
それだけではない。
ここは娘の彼氏の家であり、二人が正式に付き合う場所にもなった、いわば「二人の始まりの聖地であり、愛の巣」でもある場所なのだ。
母親にとって、どんな美術品よりも価値のある大切な場所を、無残にもゴミのように破壊してくれた大門たちへの怒りが、その全身からドバドバと溢れ出ていた。
しかも目の前では愛娘がその悲しみに涙を堪えている……最早彼女の怒りは最高潮に達していた……
麗美の母親は、粉々に壊されたプレハブの残骸を一瞥すると、大門校長の顔をキッと睨みつけて、低く、凄みのある声で言い放った。
「――しかも、これだけ派手に破壊してくれちゃって……。覚悟は出来てるのよね? 私の財力の全てを使って……あの手この手であんた達を亡き者にしてやっても良いんだけど!!?」
「っ……!」
愛娘を傷つけられたことと、自分達二人の恩人に対する暴挙によるその圧倒的なマダムの気迫と、背後にある巨万の富の圧力に、あの冷酷な大門美鈴校長が、初めて本能的な恐怖で一歩後退りした。
「くっ……!(神崎麗美の母親……まさかこの学苑を牛耳る程の財力を持っているなんて……)」
資本主義の圧倒的な力と、愛娘とその恩人の心を傷つけられた母親としての容赦のない怒りで、大門校長の管理教育の足元を物理的にへし折る麗美の母親。
大門校長は女性特有の冷徹な笑みを完全に崩し、屈辱に歯噛みしながらも、なおも鋭い眼光を光らせて食い下がった。
「……財力に物を言わせて規律を歪める気ですか? ですが、プレハブ小屋がこうなってしまった以上、鬼塚先生の『宿』はどうするんです? 教師が行き場をなくして校内に野宿でもする気ですか、それこそ教育者のモラル欠如ですよ?」
大門校長が鬼塚を路頭に迷わせ、失脚させるための最後の嫌がらせとして言い放った、その瞬間。
麗美の母親はフッと、大人の、超一流のセレブとしての冷徹な微笑を浮かべて言い放った。
「それなら簡単なことよ……先生にはしばらくうちに住んでもらうから」
「なっ!!? 教師と生徒が同じ屋根の下で暮らすなんて!?」
「娘の恩人がうちに住んで何が悪いのかしら? 私も居るのに、二人が男女の関係になる訳ないじゃない?」
「ぶふぉっぅゥぅお!!?」
一番盛大に吹き飛んだのは、背後にいた鬼塚だった。
顔面が破裂しそうなほど真っ赤になり、ガタガタと震え出す。
(う、うわああああ! お、お母様ー!? 超強烈なハッタリかましてるけど、俺たち沖縄でも、この間のシルバーウィークの札幌でも宮崎でも、とっくに一線越えちゃってますよぉぉぉ!! バレたら校長に潰される前に、この母親に物理的に消されるんじゃねえか俺ええええ!?)
そんな鬼塚のパニックをよそに、母親のハッタリは完璧なリアリティを持って大門校長を追い詰める。
「うちのマンションの間取りをご存知ないのかしら? 以前に前オーナーから買い取ってね、部屋なんて余るほどあるのよ。厳格な私の管理の元、完全に部屋を分けて生活しているの。それをお下劣な妄想で邪推して、あろうことか生徒のプライバシーを侵害するなんて……。これ以上、恩人を不当に貶めるなら、名誉毀損で徹底的に法廷で争ってあげるわ」
「な……、しかし、世間がそんな言い訳を……!」
大門校長が冷や汗を流しながら反論しようとした、まさにその時。
彼女の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。画面には、本庁の警察上層部からの着信。
麗美から龍二を通じて冴島が裏から手を回し、冴島を信頼するキャリアの上司ルートを使って、「大門校長が裏で動かしている『天使部隊』という組織が、裏で不審な生徒監視を行っているというタレコミがあり、現在警察が内偵を進めている」という、任意確認という名の事実上の警告の連絡だった。
「くっ………(此処はとりあえず引くしかないわね……でも私はまだ諦めないわ……あの子達【天使部隊】を裏で動かせばまだまだ逆転できる……精々束の間の勝利を喜びなさい……)」
表では麗美の母親の凄まじい財力と怒り、裏では冴島が手回しした警察権力、そして麗美が菊地に協力を要請し、彼と麗美のダブルハッキング。
菊地は麗美に鬼塚が巻き込まれている聞かされると、特に渋る様子もなく「分かった」と即座に手を貸していた。
二人は短時間で、大門側が裏で動かしている監視系の通信と、天使部隊関連の連絡網の一部を特定・妨害する作業を並行して進めていた。
大門が麗美の母親が学苑の筆頭株主と事前に知ることが出来なかったのもそれが原因だったのだ。
前の世界とは違い、完全に「要塞化」されたこの世界の三年四組を起点とする汚い大人たちに対する包囲網の前に、大門校長は自らの切り札を一枚も使うことができないまま、敗北を喫して一時撤退を余儀なくされた。
しかし、彼女はまだ諦めてはいない……
確実に裏で【天使部隊】を使って暗躍を始めるだろう……
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こうして、大門校長の排除工作を完璧に逆流させた結果、誰も予想していなかった「麗美のマンションでの、鬼塚と麗美(+たまに帰ってくる母親)の禁断の同居生活」が、母親公認(ハッタリだけど)の形でスタートすることとなった。
その日の夜、神崎家の広いリビング。
大門校長を社会的に完全圧殺し、最高の状態で鬼塚を自分のテリトリー(家)へ連れ込むことに成功した麗美は、エプロン姿でキッチンに立ち、鼻歌を歌いながら夕食を準備していた。
「ふふ、ママナイス。龍二さん経由で冴島さんに裏で警察へ手回しもしてもらったし、あたしと菊地で様々なハッキングもした。 これで大門自身はしばらく表立って動けないわ。……あたし達の始まりの場所のプレハブ小屋は壊されちゃったけどね……」
麗美の脳内でプレハブ小屋での鬼塚との思い出がフラッシュバックする。
共に過ごした日々、みやびや杏子達の相談を受けたこともあった……そして……鬼塚から告白され、それを受け入れ、【真の恋人】になった始まりの場所。
それは脆くも破壊されてしまったが、その記憶はしっかりと残っている。
それに、愛する彼氏とわざわざ学苑に行かずとも、こうして自分の自宅で過ごせるようになったのだから麗美にとって、寧ろ好都合とも言えた。
脳内で勝利の計算式をパチパチと弾きながら、鬼塚が自宅に居るという幸せを噛み締め、機嫌良さげに小悪魔のようにペロッと小さく舌を出す麗美。
一方、リビングのソファーで小さくなっている鬼塚は、いつ帰ってくるか分からない母親へのリアルな恐怖と、ツヤツヤした顔でちょくちょくダイレクトに迫り「沖縄や札幌、宮崎の続き、ここでもいっぱい愛し合いましょ? ダーリン❤」と囁いてくる最愛の彼女の猛攻に挟まれ、凄まじい冷や汗を流しながらガタガタと震え続けるのだった。