GTO〜もし過去に戻れたら〜   作:死徒

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第五話〜二日目〜

 

雨上がりの夜風が吉祥寺の街を洗い流した翌朝。

 

春の爽やかな青空が広がる通学路を、神崎麗美は吉祥学苑の制服に身を包んで歩いていた。

 

昨夜、仕事が長引いて現地のホテルに泊まると言っていた母親は朝になってもまだ帰ってきていない。

 

昨日散らかった泥も登校前に綺麗に掃除してきた為、中学生が一人で過ごすには広すぎる高級マンションのベランダに残されていたのは、浴室の物干し竿に干された、麗美自身の湯上がりのバスタオルだけ。

 

麗美は歩きながら、ふと自分の胸元に手を当て、形の良い唇を小さく割り、色っぽい笑みを浮かべる。

 

(ふふっ――絶対に英吉を本気にさせて見せるから、覚悟してね――)

 

真深夜のコインランドリー。

 

乾燥機のオレンジ色の光を背に、あの男へ突きつけた宣戦布告。

 

そのド直球な威力に、完全に言葉を詰まらせて顔を真っ赤にしていた鬼塚のあの「超絶ハズレ顔」を思い出すだけで、胸の奥がキュンと甘く疼いた。

 

今頃あの狭くて小汚い宿直室で、自分が貸してあげたサイズぴったりの紺色の男物ジャージを着て、マぬけな顔で寝ているに違いない。

 

そんな幸福な余韻に浸り、ほくそ笑みながら学苑の校門へと差し掛かった時、「あ、麗美ちゃん! おはよう!」と、おっとりとした聞き馴染みのある声が響いた。

 

声の主は、野村朋子だった。

 

このループした世界においてすでに再会を果たしていた小学校からの幼馴染で大親友(愛称・トロ子)だ。

 

過去の麗美が登校拒否をしていた間、しばらく疎遠となっていた二人だったが、この世界に逆行してきた麗美がその未来の知識も交えながら親しく接しているおかげで、二人の距離は初日から早くも急速に縮まり、二日目にしてこうして朝の登校を共にするくらいには距離が戻っていた。

 

「おはよう、朋子。早いわね」

 

「うん! 麗美ちゃんと一緒に登校できると思うと、嬉しくてちょっと早く着いちゃった。あ、これ、昨日言ってたアニメの新作キーホルダー!」

 

カバンに付けたデフォルメされたキャラクターのフィギュアを、嬉そうに差し出してくる朋子。

 

そんな彼女の頭を麗美は愛おしそうに優しく撫でて微笑みかける。

 

前の世界で、誰よりも自分を信じてくれた、たった一人の純粋な大親友。

 

この世界では、みやび達に最初からどんな傷もつけさせない。

 

そんな決意を胸に秘めながら、麗美は朋子と肩を並べて校門をくぐった。

 

ー

ー

ー

 

二人が並んで校舎の入り口へと差し掛かった時、前方から大きなゴミ袋を両手に抱え、首の後ろをだるそうに回している中学教師――鬼塚英吉の姿が視界に飛び込んできた。

 

その格好は、誰が見てもチグハグの極みだった。

 

麗美に借りた男物ジャージの上から学苑の貸与ジャケットを羽織り、下はコインランドリーでホカホカに乾かしたGパン。

 

「ふわぁあ……眠ぃ…。 朝からゴミ出しかよ、ったく宿直教師っつーのはパシリじゃねえんだぞ……」

 

ぶつぶつ文句を垂れる鬼塚の姿を見つけ、麗美の瞳がいたずらっぽくきらりと輝いた。

 

彼女は一歩前に出ると、わざとらしく弾んだ声を張り上げた。

 

「おはよ、鬼塚先生。昨日は楽しかったね?」

 

「げぇっっ!?」

 

鬼塚はゴミ袋を落としそうになりながら、その場で派手にずっこけた。

 

顔のパーツがすべて中心に寄るような、お馴染みの変顔である。

 

「昨日?」と、隣の朋子が不思議そうに小首を傾げる。

 

「ばっ!? か、神崎!?」

 

顔面を瞬時に真っ赤にしてパニックになる鬼塚。

 

昨日あれほど自分を振り回し、生き埋め狂言を武器に「仮の恋人」の座を奪い取った小悪魔が、新任二日目の朝からとんでもない爆弾を投下してきたのだから無理もない。

 

教師生命が新任早々に消し飛ぶ幻覚を見た鬼塚は、目を血走らせて麗美を睨みつける。

 

しかし、麗美はそんな鬼塚の狼狽ぶりを大いに楽しみながら、彼にしかわからないように視線でサッと合図を送った。

 

《そんなに焦んなくても大丈夫だよ》

 

鬼塚が「え?」と毒気を抜かれた瞬間、麗美は朋子の方を振り返り、ごく自然なトーンで嘘と真実を混ぜ合わせた言い訳を口にした。

 

「昨日の夜散歩してた時にたまたま先生と会ってね、お互いご飯食べてなかったから近くの屋台のラーメンを一緒に食べたのよ。ねっ! 先生?」

 

麗美はそう言うと、鬼塚に向けてパチンと片目を瞑り、最高にキュートで小悪魔な表情を浮かべてみせた。

 

ヤクザに追われたことも、ビルから飛び降りたことも、挙句の果てに生き埋めにされかけたことも、すべてを綺麗に隠蔽した完璧な大人の嘘。

 

「そ、そうだな! いやー、美味いラーメンだったぜ、ハハハハ……!」

 

鬼塚は麗美の完璧なフォローに冷や汗を流しながら、目を泳がせて不自然に笑った。完全に麗美の手のひらの上で転がされている。

 

「へー、そうなんだー。だから麗美ちゃん、先生に敬語じゃなくて普通に話してるんだね」

 

朋子は疑うことを一切知らない純粋な笑顔で、感心したように手をポンと叩いた。

 

「そう。話してるうちに仲良くなったから」

 

麗美はクスッと笑うと、一歩近づいて、鬼塚の着ている自分のジャージの胸元をちょんと指差した。

 

「こんな見た目してるけど、この先生、案外弄りがいがあって楽しいわよ? ……それに」

 

麗美は一度言葉を区切ると、校舎へ入ろうとする鬼塚の背中を見つめ、どこか温かい、慈しむような声音で静かに付け加えた。

 

「――あたし達生徒のこと、真剣に良く見てくれるから」

 

「え?」

 

朋子は驚いたように麗美の横顔を見つめた。

 

あの天才で、他者を信じず、大人の教師たちを冷徹に見下ろしていたはずの麗美が、出会ってまだ二日目の、こんな破天荒な新任教師を誰よりも正当に評価している。

 

「……んだよ、ガキのくせに偉そうに分析しやがって」

 

前を歩く鬼塚は、麗美の最後の言葉が背中に届いた瞬間、照れ隠しにぶっきらぼうに頭を掻きむしった。

 

しかし、ジャージの襟に顔を埋めた彼の耳が、ほんのりと赤くなっているのを麗美は見逃さなかった。

 

鬼塚は階段の上でくるりと振り返ると、大声を張り上げて自分の動揺を誤魔化す。

 

「馬鹿なこと言ってねえで早く入れ。時間やべえぞ」

 

「あっ、ほんとだ」

 

麗美は手首の時計に目を落とし、再び鬼塚に向けてとびきりの笑顔を咲かせた。

 

「じゃあ先生、また後でね」

 

「おう、遅刻すんなよ」

 

ぶっきらぼうに返す鬼塚の横をすり抜け、麗美は朋子の手を引いてトントンと軽い足取りで校舎の中へと入っていく。

 

その後ろ姿を見送りながら、鬼塚は抱えたゴミ袋をぎゅっと持ち直し、フッと小さく笑った。

 

「……ったく、朝から調子狂うガキだぜ、まったくよぉ」

 

春の朝風が、二日目を迎えた武蔵野聖林学苑に静かに吹き抜けていった。

 

ー

ー

ー

 

教室のトビラを開けた瞬間、神崎麗美の肌をピリピリとした不快な空気が刺した。

 

挨拶の声すら、誰一人として上がらない。

 

表面上の取り繕いすら放棄された教室内には、昨日と変わらず徹底的に冷え切った、排他的で歪んだ沈黙が満ちていた。

 

教壇の近くでは、昨日、鬼塚によって白いチョークまみれの黒板消しを顔面に叩き込まれ、ちょんまげの無いバカ殿様にされた村井国男が、草野忠明や藤吉晃二たちとヒソヒソと額を突き合わせていた。

 

今日こそ新任のヤンキー教師をハメてやろうと、次なる陰湿な罠の相談でもしているのだろう。

 

(相変わらず退屈で、下らない空間……)

 

麗美が内心で冷ややかに毒づきながら自分の席へと向かおうとした。

 

その時、少し離れた席に座り、そんな村井たちの短絡的な動きを意に介さず静かに頬杖をついていた菊地善人と、ふいに視線がぶつかった。

 

菊地はIQ200の麗美ほどではないにしろ、IQ180という某事件簿少年並の桁外れの頭脳の持ち主だ。

 

クラスのいじめや子供じみた教師イジメからも一歩引いた位置で、ただ冷徹に周囲を観察している。

 

二人の天才の目が合う。

 

お互いに無表情のまま、しかしその瞳の奥では、明確なメッセージが交わされていた。

 

《本当に、下らない連中ばかりね》

 

《全くだ。お互い、退屈で仕方がないな》

 

言葉など一言も交わしていないし、特段親しい訳でもない。

 

しかし、天才同士だからこそ瞬時に理解できる、絶対的な「退屈」への共感。

 

菊地は小さく息を吐いて視線を落とし、麗美もまたフンと鼻を鳴らして前を向いた。

 

だが、今の麗美は前の世界(ループ前)の記憶を持っている。

 

この下らない、退屈な教室のルールを、間もなくあの男が根こそぎグチャグチャに破壊し尽くすことを知っている。

 

だからこそ、彼女の心には菊地とは違う「愉悦」があった。

 

麗美の視線は、ある一人の男子生徒の席でピタリと止まる。

 

吉川のぼる――。

 

大人しくて気弱な彼は、今も机の上に教科書を広げたまま、小刻みに身体を震わせて俯いている。

 

その制服の背中やカバンには、よく見なければ気づかないほどの巧妙さで、落書きや泥の汚れが擦り付けられていた。

 

そして教室の奥からは、相沢みやびを中心とした女子グループが、怯える吉川の姿を薄笑いを浮かべながら見下している。

 

一時間目のホームルームが始まり、鬼塚が少し不機嫌そうな顔で入ってきて出席をとり始めた。

 

鬼塚もまた、前日と変わらずクラスに漂うこの小馬鹿にしたような、静かだが不穏な空気を感じ取って、気に食わないのか「ちっ」と舌打ちしている。

 

その鬼塚と視線が交わった瞬間、麗美は彼に向けて、全幅の信頼を込めた小悪魔な笑みをこれみよがしに送ってやった。

 

(――そうだわ。前の世界では、村井たちの次は吉川くんがターゲットだった。さあ、どうやって英吉を動かそうかしら?)

 

国が指定するレベルの天才脳が、超高速で「吉川救済のシミュレーション」を開始する。

 

まともに告言するようなつまらない真似はしない。

 

あの男は、理屈ではなく、目の前で生徒が泣いている姿を見た時にこそ、世界を敵に回してでも机をブン投げる本物のヒーローになる。

 

ホームルームが終わり、教師の目がなくなった瞬間、教室内には女子生徒たちの、低く、ねっとりとした笑い声が響き始めた。

 

「ねえ、のぼるクン。今日の放課後、いつもの場所、分かってるよね?」

 

「あ、の……。うん、分かってる、から……」

 

吉川は消え入りそうな声で答えながら、ガタガタと震える手でノートをカバンに押し込んでいた。

 

その顔は完全に血の気が引き、精神的に破綻する寸前の、崖っぷちの形相だった。

 

麗美は席を立つと、クラスの誰の目にも留まらないような、ごく自然な足取りで吉川の机へと近づいた。

 

「ねえ、吉川くん」

 

「ひゃ、ひゃうっ!?」

 

突然、昨日復学してきたばかりの天才美少女から声をかけられ、吉川は弾かれたようにビクッと肩を震わせた。

 

《彼女にも何かされるのか?……》

 

と、怯えきった目で麗美を見上げ、身を縮める。

 

「か、神崎、さん……? な、何、かな……」

 

「別に、大した用じゃないわよ。これ、落としたわよ?」

 

麗美は床に落ちていた吉川のシャープペンシルを拾い上げ、彼の机の上に置いた。

 

その際、彼の机の端に、油性マジックで小さく『しね』『むし』と書かれた無数の落書きがあるのを見逃さなかった。

 

「あ、ありがとう……」

 

吉川は落書きを隠すように慌ててノートを広げる。

 

麗美はその様子を内面では憐れみながらも、表面上は冷徹に見つめながら、彼にしか聞こえない極小の声で、それとなく核心に触れた。

 

「……ねえ。ずいぶんと、重そうな荷物を背負わされてるのね」

 

「え……っ?」

 

吉川がハッとして息を呑む。

 

麗美の双眸は、すべてを見透かしているかのように深く、そしてどこか哀れむような光を宿していた。

 

「みやびたちのオモチャにされて、世界中が敵に見えるでしょ? 誰も助けてくれない、言っても無駄、大人なんてみんな保身ばかり……。今、そんな風に思って、一人で消えちゃいたいって考えてるんじゃない?」

 

「な、んで……それを……っ」

 

吉川の瞳から、恐怖と驚愕、そして図星を突かれた絶望の涙がボボロと溢れそうになる。彼はもう、極限状態だった。

 

――と、その時。

 

教室の奥、最後尾の席で、女子グループの中心に座る相沢みやびの視線が、吉川の机に寄り添う麗美の背中へと突き刺さった。

 

他の有象無象の生徒たちとは明らかに違う、神崎麗美という異質な存在。

 

それが、他者に聞こえないほどの小声で吉川と何かを密やかに囁き合っている。

 

昨日、新任のヤンキー教師をバカにする輪にも加わらなかったあの傲慢な天才が、なぜ今になってクラスのゴミ捨て場のような男に接触しているのか。

 

(神崎麗美……。あいつ、一体吉川に何を吹き込んでるの……?)

 

みやびは美形な顔を歪め、その双眸を蛇のように細めて麗美を鋭く睨みつけ、明確な警戒の火花を散らした。

 

自分たちの絶対的な支配領域である「吉川のいじめ」に、自身の手札から外れた予測不可能な怪物が首を突っ込んできたことへの本能的な嫌悪と不気味さ。

 

だが、麗美はそんなみやびの背後からの刺すような視線を、天才の五感で完全に察知しながらも、一ミリも動じることはなかった。

 

むしろ、前の世界で自分たちをさんざん引っかき回してくれた元凶の、その浅はかな警戒心が懐かしく、愛おしくてたまらない。

 

というのも、麗美は前の世界でみやびと最終的に和解し、小学校時代同様、朋子も踏まえて幼馴染兼親友…互いに名前で呼び合い、遊びへ行く仲へと戻っていたのだ。

 

そんな彼女の警戒心を真っ向から受けたところで、今の麗美は彼女を憎むことも警戒することもなく、その内情はただ穏やかに、逆にどうすれば早くにみやびを呪縛から解放出来るのかと考察するのみであった。

 

麗美はフッと形の良い唇を歪め、みやびに背を向けたまま、不敵に、しかしこれ以上なく心強い笑みを吉川に向けた。

 

「安心しなさい。このクラスには一人だけ……そういう下らないルールを、根こそぎグチャグチャにブチ壊してくれる『大バカ者』がいるから」

 

「大バカ、者……?」

 

「そう。私の、とっても頼りになるヒーロー」

 

麗美はそう言い残すと、驚きで呆然とする吉川の前から、何事もなかったかのように去っていった。

 

すれ違いざま、麗美はみやびのグループに向けて、冷淡で完璧な「関心のない天才」の視線を一瞬だけくれてやる。

 

吉川にはまだ、麗美の言葉の意味が分からなかった。

 

だが、その胸の奥に、ほんの少しだけ「生への執着」の火種が灯ったのを、麗美は天才の観察眼で確かに感じ取っていた。

 

廊下の方を見れば、内山田教頭にまた何やら問い詰められているのか、「ちげえよハゲ!」と怒鳴り散らしている鬼塚のバカな声が微かに聞こえてくる。

 

それに対し「ハゲとは何だねハゲとは!」と返す内山田教頭の怒声。

 

麗美は自分の席に戻り、楽しそうにクスッと笑った。

 

私のヒーローが、あの可哀想なガキのヒーローになる瞬間をプロデュースする。

 

神崎麗美の、二日目の裏の特別授業が、静かに始まろうとしていた。





という訳で、麗美が裏から鬼塚を誘導していく形にしていく感じになりました。

とりあえずは、のぼる君から救済されていくのでよろしくお願いします。

次回もよろしくお願いします。
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