始まりは、重い鉄扉の向こうで起きた惨殺劇だ。
レッド・クイーンの中枢制御室に繋がる、白く明るく点灯した通路。
左右のガラス張りの壁が目を引く。
ガラスの品質はその透明度にも表れている。
透過され向こう側に並ぶ照明
最初は、清潔で、空気さえも濾過されているように感じていた。
一筋の曇りもない
それが、どれほど不気味で異様だったのか理解するべきだった。
特殊部隊・隊長のワンが最初に通路に入った。
中枢制御室の扉に送信機を取り付けるためだ。
遠隔操作で解除するのは、IT担当のチャド・カプラン。
彼は慣れた手つきでキーボードを叩いていた。
アリスはカプランの後ろからその様子を見ていた。
スペンスも同様に机に腰かけそれを眺めている。
画面を食い入るように見つめ、キーを叩いていた指が止まる。
「チェックメイト」
口元を綻ばせたカプランが、静かに呟いた。
その瞬間、中枢制御室の扉が低い駆動音を立てて徐々に開いていく。
扉前で待機していたワンは扉を盾にしながら素早く横に移動。
銃を構え室内を流れるようにクリアリングして
アルフォンソ・ワーナー。ヴァンス・ドリュー。オルガ・ダニロワ。
三名の隊員たちが通路に入っていった。
アルフォンソとヴァンスの二人がEMP装置の土台を運ぶ。
オルガはその部品の入ったバッグを担ぎ直して、慎重に進んだ。
アリスはその後ろ姿をじっと見ていた。
白い通路に四人の黒ずくめの姿が並ぶ。
そのとき、突然、空気が変わった。
通路の鉄扉が両方、ほぼ同時に動き出す。
隊員が中にいるのに通路が閉ざされたのだ。
カプランの耳に、ワンの声が無線越しに響いた。
「カプラン!」
ワンが叫び、中枢制御室の扉から離れて後方へ移動した。
他の三名も足を止め、それぞれ武器を構える。
カプランはキーボードを叩きながら応答する。
「防御システムが作動したようです。すぐに解除します」
カプランは無言でキーを叩き始める。額には汗が浮かんでいた。
通路の中。アルフォンソが声を上げた。
「───。何だ?」
彼の視線の先。
ガラス張りの壁から向き合うように青白い光が灯り始めた。
異常な事態に、鉄扉の小窓の前に移動していたアリスも叫ぶ。
「カプラン、何か来るわ、早くして!」
甲高い発振音が、その出力の高まりを告げている。
壁から壁へと伸び、結びつく。青白い光は横一文字に走り出した。
自分の目線と同じぐらいの高さ。ワンが反射的に叫んだ。
「伏せろ!」
ワンは隣のヴァンスの肩を掴み、自分の体ごと床へ引き倒した。
三人が床に伏せる。
ワン。ヴァンス。アルフォンソ。
オルガだけが後方を警戒していたため、反応が一瞬遅れた。
「ヴァンス、気をしっかり持て!」
ワンの声が通路に響く。
ヴァンスは自分の手を目の前に掲げ、震えていた。
自分の手を見つめたまま、荒い呼吸を繰り返している。
右手は、親指を除いた四本の指が床に転がっていた。
切断面からは血が滲み、かすかに煙が上がっている。
「衛生兵!」
ワンが叫びオルガの方を振り返った。
「衛生兵、来てくれ! オルガ!」
オルガは時が止まったように無反応だった。
それから首のうなじから喉にかけて、赤い線がなぞるように走る。
何が起こったのか分からない彼女の表情から生気が失われていく。
ゆっくりと離れた頭部が、床に落ちた。
アリスは自分の手が震えているのを感じた。
唐突すぎる。目の前で人が死んだ。
「隊長!」
アルフォンソの声だ。
普段と違って余裕のないその声色に、ワンは彼を見た。
「また来ます!」
通路の奥のガラスが再び青白く発光し始めていた。
立ち上がるワンとアルフォンソの二人。
通路の奥から、再び青白い光が走り出した。
先ほどよりも低い。足元ほどの高さだ。
アルフォンソは咄嗟に跳んだ。
だが、レーザーは彼の跳躍に合わせて直角に軌道を変えた。
青白い線が、彼の胴を素通りする。
着地したアルフォンソの体は、そのまま二つに分かれた。
上半身がずれ、下半身と共に床に崩れ落ちる。
アルフォンソ! ワンはその光景を見ていた。
だがレーザーは止まらない。
アルフォンソの後方にいた彼へ真っ直ぐ迫ってくる。
ワンは跳び上がり、咄嗟に天井の梁を掴んだ。
指を食い込ませるように握り、腕と肩の力で全身を持ち上げる。
脚をまっすぐ伸ばし、体を地面と水平に保った。
器械体操の技のように、筋肉が張り詰めたまま静止する。
青白い光が、その真下を通過する。
垂れたシースナイフが刀身半ばで切断されて落下していった。
ワンは天井の梁を離して降りると、すぐさま通路の奥へ向き直った。
額から汗を一筋流しながら、すでに次の攻撃に備えている。
青白い光が三度、ガラスの向こうに灯る。
「ドアを開けて! 早く!」
びくともしない鉄扉を叩き、アリスは声を張り上げるしかなった。
「急げ、あいつが死んじまう!」
スペンスも机を叩きながら叫んだ。
「待ってくれ、あと少しなんだ・・・!」
懸命にキーボードを叩くカプラン。
だが、どうする事もできない。
三人を嘲笑うかのように、また通路の奥で青白い線が走り出す。
ワンは来るべきレーザーを見切ろうとしていた。
だが、その光は彼の予測を裏切った。
横一文字だったレーザーが、迫る直前で急激に広がり始めた。
光の線が壁から壁へ、上下に広がり分岐していく。
交差し、網目状の格子を形作りながら迫ってきたのだ。
「―――クソ・・・」
ワンは目を見開いて呟く。
カプランが叫んだのは同時だった。
「解除しました!」
レーザーは、ワンの背後で停止していた。
青白い格子が、まるで凍りついたように静止している。
やがて、その光はゆっくりと出力を落としていき、消滅した。
静寂。
アリスは息を殺し、通路を見つめた。
ワンは立っていた。微動だにしない。
だが次の瞬間、ワンの頭頂部からぷつりと赤い線が走った。
糸がほつれるように、彼の体が細かく分割されていく。
頭部が崩れ、胸が崩れ、腕が崩れ、腰が崩れ、脚が崩れた。
サイコロ状に切り分けられた肉体が、床の上に転がり落ちる。
アリスは両手で口元を押さえた。
胃の奥からせり上がってくるものを必死に堪える。
さっきまで生命だったものがあたり一面に転がっている。
指の隙間から漏れる呼吸が震えている。
喉の奥で、息を呑む音がした。
だが、声は出なかった。
◇
「・・・やろう」
カプランの呟きを聞いて、アリスは振り返った。
彼は額に大量の汗を浮かべながら、いそいそと準備を始めている。
手の震えが見て取れる程で、恐怖で怯えているのは明らかだ。
無理もない。
たった扉一枚を隔てた先で、隊長含む隊員が四名も死亡したのだ。
それでも任務を遂行しようとする胆力にアリスは心を揺さぶられた。
「本当に解除できたのか? また襲われたら?」
水を差すように、スペンスは否定的な意見を述べていた。
カプランは一瞬言葉に詰まったが、それでも足を止めなかった。
足音を殺すような慎重さで通路を進む。
カプランは、比較的肉体の損傷が少ないヴァンスを見た。
もしかしたらという希望も虚しく、残念ながら、彼も死んでいた。
指を切断された激痛や精神的な恐怖、ストレスによるショック死。
目を見開いたままの顔が、こちらを睨んでるようで頭から離れない。
足元に転がるEMP装置の入ったバッグに震える手を伸ばす。
その時、誰かに肩を掴まれた。
身体が、電流が走ったようにびくりと跳ね上がる。
荒かった呼吸が止まり、出かかった短い悲鳴が喉の奥で固まった。
定まらない視線の先にいたのは、静かに自分を見つめる青い瞳。
アリスがカプランを手伝うために来たのだ。
そのことに、息をするのを忘れていたことに気づくほど安堵した。
カプランは部品の入ったバッグを担ぐ肩に力を込める。
EMP装置の本体が入ったバッグは、重量があるのでアリスと運ぶ。
不謹慎だが、装置が無事だったことだけが唯一の救いだった。
再度解除した中央制御室の扉が開いていく。
ひんやりとした、凍るような冷気が二人の顔を撫でた。
部屋の中は、先ほどの白い通路とは対照的に薄暗い。
二人が重い装置を抱えてその中へと足を踏み入れる。
その瞬間だった。
背後で、ガツンと重苦しい金属音が響く。
開いたばかりの鉄扉が二人を閉じ込めるように容赦なく閉ざされる。
完全に退路を断たれたのだ。
「っ、・・・!」
カプランは息を詰めた。
だが、彼の瞳に浮かぶのは先ほどまでの怯えではなかった。
すでに四人の仲間を失い、逃げ道もないのだ。
これ以上取り乱しても無意味だと、彼は恐怖を飲み干していた。
アリスも扉を一瞥しただけで、すぐに視線を前方へと向けた。
ここで立ち止まっても、あの凄惨な通路に戻っても、未来はない。
その姿は微塵も揺るがず部屋の空気を跳ね返すように凛としていた。
「行きましょう」
驚くほど静かで、芯の通った声だった。
カプランは小さく深呼吸をすると、強く頷いて前を向いた。
生き残ろうとする人間の確かな覚悟が宿っていた。
二人は迷いのない足取りで、部屋の中央へと進んでいく。
四つの巨大なサーバーラックが
四方を囲むその床下に、メインフレームがあった。
無機質な筐体には青や緑のインジケーターが規則的に明滅していた。
これほど静かで、冷徹なテクノロジーの塊が鎮座している。
アリスは肌が粟立つような不気味さを覚えながらバッグを下ろした。
「・・・メインフレームを出す」
カプランが左腕に装着したウェアラブルコンピューターを操作する。
汗の滲む指先だが、そのキーを叩く動きには一切の迷いがなかった。
的確に、かつ迅速にシステムへ潜り込んでいく。
耳の奥を圧迫するような高トルクモーターの音が部屋を満たす。
床の保護プレートが上下に割れてゆっくりと開いていく。
それから、巨大な円筒形のメインフレームが床上にせり上がった。
これこそ、アンブレラ社が誇る人工知能『レッド・クイーン』だ。
「さあ、手を貸してくれ」
カプランが床に置いたバッグのジッパーを開く。
中には、鈍い銀色の金属光沢を放つ、重厚な装置が収まっていた。
太い金属製のシリンダーのような形状。
中央部には横に並んだ緑と赤の表示灯が据えられている。
今はまだ起動前のため、そのカバーの奥は暗いままだ。
二人はシリンダーを持ち上げる。
見た目通りの、ずっしりとした重みが腕に伝わってくる。
それをメインフレームの差し込み口に差し込んで時計回りに締める。
もう一つのバッグから板状の部品を出した。コンデンサユニットだ。
それをシリンダーの三つの窪みに嵌め込んで、上から見下ろした時。
放射線マークのような不吉で美しい三方対称のフォルムが完成する。
その作業中、二人が最後のコンデンサユニットを運んでいる時だ。
背後の空間が、にわかに歪んだ。
サーバーラック上部に備え付けた機器から赤い光条が噴き出した。
光の線は空中で交差し、一人の少女の立体映像を形作っていく。
ドレスを着た、人形のように端正な顔立ちの少女。
『出ていって。ここにいちゃダメ。』
二人は思わず手を止め、その少女を見つめた。
―――少女?
アリスは、その歪なギャップに強い戸惑いを覚えた。
こんな事件を引き起こした『レッド・クイーン』というシステム。
それが、なぜこんなにも無垢な子供の姿を模しているのか。
部屋のどこかにあるスピーカー。
幼く、どこか哀願するような合成音声が響く。
アリスは無言で、カプランに視線を送る。
しかし、カプランはホログラムを一瞥して、すぐ視線を戻した。
「無視しろ。クイーンのホログラフ・イメージだ」
カプランは低く、険しい声で言った。
まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
脂汗を流しながら、最後のコンデンサユニットを押し込んでいく。
『出てって。』
その間にもレッド・クイーンは中止を求めるが、カプランは遮る。
「プログラマーの娘がモデルだ。混乱させようとしているんだ」
シリンダーを半回転させると固定が完了し、表示灯の赤が点灯する。
『私が停止したら、主電源が落ちて大変なことになってしまうわ。』
「シャットダウンされたくなくて言ってるんだ!」
その
──今さら、そんな子供の姿で、何を命乞いしている。
ワン隊長たちが殺された。自分はどうすることも出来なかった。
その無力感と恐怖が、いま、純然たる『怒り』へと変貌していく。
沸々と、煮えくり返るような怒りがカプランを支配した。
なぜ、今までお前は姿を現さなかった。
警告する機会なら、いくらでもあったはずだ。
このハイブに足を踏み入れた瞬間でも。
あの白い通路に隊長たちが立ち入る前でも。
このAIがその気になれば、
それをせず。
まるで罠に掛るのを愉しむかの様に泳がせ四人の命を無残に奪った。
そして、いよいよ自分の心臓部に刃が突きつけられた途端。
子供の姿を借りて語りかけてきている。
機械の分際で命を弄ぶような悪意がカプランの怒りに拍車をかけた。
手が怒りでガタガタと震える。
『お願い。お願い。お願い。』
「黙れ」
カプランの声は地を這うようだった。
彼は腰のポーチから手の平に収まる起動スイッチを取り出す。
アリスの腕を軽く引き、重厚なサーバーラックの物陰へ身を隠した。
遮蔽物に身を潜め、カプランは起動スイッチを一度押した。
コンデンサユニットの出力が、一気に最大へと引き上がる。
駆動音が高まり、空間の空気がさらに張り詰めていく。
メインフレームに嵌め込まれたシリンダーの中央。
それまで警告色を放っていた表示灯の赤が、緑色へ切り替わった。
過電流のチャージが完了した合図だ。
佇んでいたホログラフ・イメージが二人の方へ首を動かした。
その人形のような瞳が、まっすぐに二人を射抜く。
『これで、みんな死ぬことになるわ。』
幼い声音に、ぞっとするような冷たい確信が籠もっていた。
それは命乞いではなく、未来を確定させる呪詛のようだった。
だが、カプランの瞳には憎悪の炎は宿っていた。
彼はレッド・クイーンを、その冷酷なシステムを、強く睨みつけた。
カプランは無言で起動スイッチを親指で強く押し込んだ。
───瞬間。
メインフレームの差し込み口から爆発的な銀色の閃光が弾け飛んだ。
高電圧のスパークが走り、少女の姿は、掻き消えるように四散した。
同時に、部屋を満たしていた全ての動力がぷつりと息絶えた。
光を失ったのは中枢制御室だけではなかった。
扉の向こう、あの白い通路の照明が一気に死んでいく。
さらに地下研究所「ハイブ」の全区画を巡る電力が一斉に喪失した。
この狭い地下世界から、一切の光が剥ぎ取られた。
全てを飲み込む暗黒は、ハイブを深く包み込んでいった。
一文、在る無しの違いです。
ただネタに見られるかもしれないと思ったので没にしました。