MCU:Fullmetal Alchemist 作:ゴミ収集者
金曜の夜、エドは作業台の隅で便箋を広げた。
師匠へ。三文字のあと、三週間、インクが乗らなかった紙だった。
〈書けた?〉
〈まだ〉
〈ペンを持って、もう四十分だよ〉
〈数えんな〉
エドは息を吐いて、次の行を書いた。生きてます。アルもいます。脚と腕は、ばあさんに直してもらってます。街灯の鉄で一回、勝手に直しました。すみません。
その下で、ペン先が止まった。
怒られに行きます。ちゃんと顔を見せに行きます。
〈ちゃんと、って何〉
〈うるせえ〉
消そうとして、やめた。封をして、宛名を書いた。日本の住所を書くのに、一番時間がかかった。
切手は、ウィンリィが引き出しから出してくれた。海を渡る分は、貼る枚数が多い。「航空便」の印も、ウィンリィが押した。
翌朝、道の端の郵便受けにそれを入れた。赤い旗を立てると、金属がかたんと鳴った。
〈出したね〉
〈……ああ〉
出発は延ばした。脚の慣らしに要るだろう、とピナコが言ったことになっている。
***
日曜の朝、エドは台所の壁の電話を取って、番号を押した。
一回目の呼び出し音の途中で、相手が出た。
『私だ』
「早えな」
『起きていた』ロイは言った。『決めたのか』
「まだ。……あんたが先に話すって、言ったろ」
受話器の向こうで、椅子の軋む音がした。
『S.H.I.E.L.D.(シールド)という機関だそうだ。国土の安全に関わる仕事をしている、としか言わなかった。細かい中身は、私も知らん』
「それ、怪しいじゃねえか」
『怪しい。私の元部下が、今はそこで働いている。そいつは、信用していい』
「元部下がいいやつでも、上が腹黒かったらどうすんだよ」
『そのとおりだ』ロイは否定しなかった。『だが、私が聞いたことに、嘘は答えなかった』
「根拠は」
『ない。勘だ』
エドは受話器を持ち替えた。
「あんた、勘で人を勧めんの」
『勧めてはいない。聞かせただけだ』ロイは言った。『お前を兵器として扱うな、とは言ってある。口約束だ。だから、紙に書かせろ。お前が自分の目で読め。一人で聞くな。お前の義肢を診ている人にも、聞かせろ。アルにもだ』
「ウィンリィは関係ねえだろ」
『孫の方は知らん。だが、お前の脚を診る人間なら、お前がどこへ行くか、聞く権利がある』
エドは返事に困って、電話線のコードを指に巻いた。
『おい』
「何だよ」
『断っても、いい。お前が断ったからといって、私は何も困らん』
「あんた、いつもそう言うな」
『本当のことだからだ』
電話が切れた。エドは受話器を戻して、廊下の暗がりに突っ立っていた。
〈大佐、優しくなったね〉
〈気持ち悪い言い方すんな〉
続けて、エドは名刺の番号を押した。
「エルリックだ。話は聞く。今日の午後、ばあさんの工房に来てくれ。住所は、調べてんだろ」
『はい。三時に伺います』柔らかい声が、短く答えた。
***
午後、舗装の切れた道の向こうから、黒い車が一台だけ来た。
運転席から降りたのは、スーツの男一人だった。ネクタイを直して、門の前で足を止めた。庭に出ていたピナコが、パイプを口から離して、男の顔を見た。
「ピナコ・ロックベルさんですね。コールソンと申します」男は柔らかく頭を下げた。「お名前は存じています。昔、スターク・インダストリーズの設計課にいらした」
「調べたのかい」
「はい。申し訳ありません」
ピナコはパイプを咥え直した。
「正直な男だね。入んな」
作業部屋の机に、椅子が四つ並べてあった。ウィンリィが、わざと一番遠い椅子に座った。ピナコは、コールソンの正面に腰を下ろした。エドは、その横に座った。左脚の金具が、一度だけ鳴った。
コールソンは鞄を開けなかった。両手を机の上で組んだ。
「エルリックさん。マスタングさんから、お話は伺っています。財団とは、もう縁が切れていると」
「マスタングから聞いたんだろ。俺は切られたんだよ」
「ええ。切られたことは、私どもでも確認しました」
「あんたたちは、何なんだ」
「S.H.I.E.L.D.。国土の安全に関わる機関です。名前以外は、今日は伏せさせてください」
「政府の調査員、ってのは嘘かよ」
「全部が嘘ではありません。半分は、本当です」
「何でも伏せんだな」
「伏せないと、この場で嘘になることがありますので。嘘はつきたくありません。言えないものは、言えないと、先に言います」
ウィンリィが、鼻を鳴らした。ピナコは何も言わなかった。
「お願いが二つあります」コールソンは言った。「一つは、あなたの身の安全を、こちらで預かること。財団がまた動いても、あなたが一人にならないように。もう一つは、あなたの力を、時々お借りすること」
「力、って」
「物の形を、素手で組み替える力です」コールソンは、エドの手に目をやった。「映像で見ました。見せていただくことは、できますか」
エドは、すぐには答えなかった。ウィンリィの視線が、横顔に刺さった。
〈師匠に怒られるぞ〉
〈……もう、怒られに行く〉
見せないと、信じねえだろ。エドは自分にそう言い聞かせた。
「……ここは、ばあさんの工房だ。一回だけな」
コールソンは上着のポケットから、鍵を一つ出した。軸が曲がって、歯が欠けていた。
「古い倉庫の鍵です。もう使えません」
エドは鍵を机の上に置いて、両手を合わせた。光が一度走った。机の上の鍵は、元の形に戻っていた。歯の欠けも、軸の曲がりも、跡形がなかった。
コールソンは鍵を手に取って、しばらく黙って見ていた。
「素材は、同じものですね」
「同じだ」
「では、必要な素材さえあれば、何でも作れる」
「ちげえ」
エドの声が、少しだけ尖った。
「何もないところからは、作れねえ。ある物を、別の形にするだけだ。足りない分は、余ってる所から回す。その鍵を直すのに、机の角が少し削れてる」
コールソンは机の縁を見た。鉄板を張った角が、小さく欠けていた。
「何かを描いたり、置いたりもしないんですね。映像でもそうでした」
「要らねえ。……理由は、あんたに言う気はねえ」
「分かりました。ファイルには、書きません」
コールソンは、あっさり引いた。ウィンリィが、わずかに目を細めた。
「条件を、伺います」
エドは机の上の鍵を見ていた。それから、ピナコを見た。ピナコはパイプを指で押さえて、黙っていた。
「弟の体を作る研究に、設備と資料と、調べる時間を寄越せ」
「弟さん」コールソンは言った。「ご家族ですか。ファイルには、ご兄弟の記載がありません」
「書類には、いねえことになってる。いるのに」
エドは、自分の胸に手を当てた。
「弟は、俺の内側にいる」
作業部屋が静かになった。ウィンリィは膝の上で手を握っていた。ピナコは顔色を変えなかった。コールソンは、笑わなかった。驚いた顔も、疑う顔もしなかった。
「声は、聞こえるんですか」
「俺には。あんたには聞こえねえ」
「内側にいる、というのは、体を共有しているということでしょうか」
「違う。体はねえ。あいつは、いるだけだ。考えて、聞いて、喋る。それだけで、他は何も」
エドは言葉を切った。口の中が乾いていた。
「作ってくれとは言わねえ。作るのは、俺たちだ。ただ、俺と、ばあさんと、ウィンリィだけじゃ、足りねえ。工学も、材料も、設備も」
「その研究に、弟さんの意思は?」
「ある」
「確認させていただけますか」
エドは眉を寄せた。
「あいつは、いつも俺に任せる」
〈兄さん〉
アルの声が、内側から聞こえた。
〈僕に、言わせて〉
〈……お前に、危ねえ話なんだぞ〉
〈だから、僕に言わせて。兄さんが決めたら、僕、断るよ〉
エドは息を詰めた。ウィンリィが、息を吐く音が聞こえた。
〈……分かった。そのまま、言う〉
エドは少しだけ目を閉じて、それから、口を開いた。
「弟が、自分で言うってさ。言葉は、そのまま言う」
コールソンが頷いた。
「アルフォンスです。僕は、兄さんの内側にいます。体はありません。でも、聞こえるし、考えられます。調べてくれる人が増えるのは、嬉しいです。でも、僕の体のことは、僕が決めます。兄さんが決めても、聞きません」
エドの声が、途中で一度だけ震えた。
コールソンは、椅子から立ち上がらなかった。ただ、エドの胸に向かって、頭を下げた。
「アルフォンスさん。承知しました。あなたの同意がないことは、何もしません」
〈……言えた〉
〈ああ。ちゃんと言えてた〉
エドは、アルの声を飲み込んで、顔を上げた。
「あと、もう一つ。紙に書け」
「もちろん」
コールソンは、鞄から書類を出した。二枚だった。
ピナコが先に手を伸ばした。老眼鏡を鼻にかけて、一行ずつ指で追った。エドとウィンリィが、その手元を覗き込んだ。
「ここ」ピナコが三行目を指した。「兵器開発への従事を求めない、とあるが、求めない、じゃ足りない。従事させない、と書きな」
「承知しました」
「ここも。いつでも辞められる、の後に、辞める時の保護は変わらない、と足しな。辞めたら放り出すんじゃ、保護にならない」
「はい」
「それと、肝心の、設備と資料と時間の一文が抜けてる。弟の研究のために、と、はっきり書きな」
「はい」
「最後に、身元引受人への連絡は、本人が行う。その一文も入れとくれ。あの子が自分の手で、書いて出す」
コールソンは万年筆で、四か所を直した。書き込みの文字は、きれいだった。
ピナコは書類を最後まで読み終えて、机に置いた。
「あんた、これを一人で作ったのかい」
「叩き台は、私が」
「悪くない。ただ、役所の紙は、役所に都合よくできてる。これからも、直させてもらうよ」
「お願いします」
ウィンリィが、椅子から身を乗り出した。
「危ないことは?」
コールソンは、ウィンリィの方を向いた。
「危ない場所には出しません、と言えば、嘘になります。出さないようにします、と言います」
「それ、ちゃんと守る?」
「守るつもりです。守れなかった時は、あなたに謝りに来ます」
「謝られても、足りない」
「はい」
コールソンは、否定しなかった。ウィンリィは、しばらく黙って彼の顔を見ていた。それから、エドの方に向き直った。
「あんたが決めるんでしょ」
「ああ」
「決めたなら、行ってきて。ただし、半年したら、ソケットの調整に来ること。次は私が組むから。壊す前に、電話すること」
「……分かってる」
エドは書類の下に、自分の名前を書いた。ペン先が、一度紙に引っかかった。
エドワード・エルリック。
その下の余白に、書き足した。
アルフォンス・エルリック。
〈……兄さん、僕の名前まで〉
〈お前の同意だろ〉
コールソンは書類を鞄に仕舞った。立ち上がって、ピナコとウィンリィに頭を下げた。
「ありがとうございました。また、連絡します」
「連絡するなら、先に電話をしな」ピナコが言った。「あの子は、師匠のところへ先に行く。邪魔しないでおくれ」
「はい。お送りする必要は?」
「ねえ」エドは言った。「自分で行く」
***
窓のない会議室に、紙の擦れる音がした。
コールソンは、ファイルの最後に、署名のある書類の写しを挟んだ。フューリーは、立ったまま、それを読んだ。
「条件は」
「設備と、資料と、時間です。弟の体を作るための研究を、本人が自分でやります。我々は、場所を貸すだけです」
「弟」フューリーは眉を上げた。「ファイルに、弟の記載はなかったな」
「はい。今日、本人から初めて聞きました。内側にいる、と言っています」
「内側」
「詳細は、不明です。それ以上は、本人も言いません」
「信じるのか」
「保留です。ただ、嘘をつく顔ではありませんでした。嘘が下手な子供です」
「下手なのと、本当なのは、別だ」
「はい。ですから、保留です」
フューリーは、紙の下の方に目を止めた。四か所の書き込みがあった。
「この直しは、誰の字だ」
「私です。直させたのは、ピナコ・ロックベル。元スターク社の設計課です」
「うちの法務より、強いな」
「そう思います」
フューリーは紙を戻した。コートの袖口を直した。
「名目は」
「外部コンサルタント。報酬は、設備の利用と、衣食住の保証で相殺しています」
「ケチな契約だ」
「本人が望んだ条件です。新しい予算は、要りません」
フューリーは鼻を鳴らした。それから、ファイルを閉じて、コールソンの顔を見た。
「気に入られるなと言ったはずだ」
「善処します」
コールソンは、そう言って、少しだけ目を伏せた。