MCU:Fullmetal Alchemist 作:ゴミ収集者
最初の仕事は、継手だった。
砂漠の端にある窓のない整備棟で、台の上に鈍い銀色の継手が一つ置かれていた。試作の輸送機の脚の付け根に使う部品で、X線にも超音波にも、異常は出なかったという。
「問題ない、と数字は言っています」整備主任の老技師が言った。「ですが、現場の人間が、嫌な音がすると言う。それだけです」
「触らせてください」エドは言った。
老技師は黙って頷いた。エドは左の手袋を外した。右は義肢で、読めるのは生身の左だけだ。素手の指先を、継手の根元に当てた。右手は後ろに回したままだった。両手は合わせない。
金属の目の細かさが、指先から入ってくる。構造を理解する段だ。そこで止める。分解にも、再構築にも、進まない。
継手の内側の、見えない一点で、粒が荒れていた。
「ここ」エドは指を滑らせて、止めた。「三ミリ奥。荷重がかかったら、ここから割れる」
老技師は何も言わなかった。台の上の継手を取り上げて、荷重試験機にかけるよう、若い整備員に指示した。待つ間、エドは手袋をはめ直した。
試験機が唸って、継手は規定の半分の荷重で、三ミリ奥から割れた。
整備棟が、一瞬静かになった。老技師は割れた断面を長いこと見ていた。それから、入口の壁にもたれていたコールソンの方を向いた。
「あの子供は、何者です」
「顧問です」コールソンは言った。「外部の、ですが」
「子供扱いすんな」エドは言った。
「してません」老技師が言った。「失礼しました、顧問」
その呼ばれ方は、背中がむず痒かった。エドは壁際のコールソンを横目で睨んだ。コールソンは、いつもの顔で、少しだけ笑っていた。
***
それから、何十回も、同じことをした。
継手の次は、冷却管の溶接部。その次は、倉庫に積まれた押収品の合金。出所の分からない金属の成分と構造を、エドは触れただけで言い当てた。分析室が機械を回して半日かける結果を、五分で出した。
押収品の棚には、銀の指輪も一つあった。台座に、灰色の小さな鉱石が一つ、埋め込まれている。
「財団の現場から押収した物です」老技師が言った。「これを着けた連中は、床に円を描いて、この石で何かを動かしていたそうです」
エドは指輪に目をやって、触れずに言った。
「触媒だ。財団が、俺みたいな力を使う連中に配ってる。指輪にはめて、持ち歩くんだ」
「石の出所は」コールソンが聞いた。
「配ってる側も言わねえ。割れるか、取り上げられりゃ、力は使えなくなる。引き出せる量も、人によって違う」
「床の円は、何のために」
「陣は、何をどう変えるかを決める図。触媒は、それを動かす力だ。どっちが欠けても、何も起きねえ」
「随分と、教えてくださるんですね」
「切られた相手に、義理はねえ。ちょっとした仕返しだ」
「では、もう一つ。あなたは、円も触媒も使っていませんね」コールソンが言った。
「探ってんだろ」
「はい。教えていただければ、助かります」
エドは鼻を鳴らした。
「別に、隠すほどのことじゃねえ。円も触媒も、俺は要らねえ。理由は、話さねえ」
「構いません。ありがとうございます」
「礼なんか言うな」
老技師は、指輪を棚に戻した。
読むだけではなかった。
崩れた搬入路の支柱を、その場で組み直した。砂嵐で割れた機体の外板を、手持ちの廃材で継いだ。壊れた発電機の部品は、基地の倉庫の屑鉄から作り直した。どれも、円も触媒も使わなかった。足りない分は、屑鉄の山から回した。
武器の部品だけは、断った。コールソンは、それを一度も咎めなかった。契約書に、そう書いてあるからだ。
数か月で、基地の整備員たちは、エドを「顧問」と呼ぶのをやめた。呼ぶ時は、名前だった。エドはそれが気に入らなくて、少しだけ気に入っていた。
夜は、基地の資料室にいた。閲覧を許可された棚だけが、エドの札で開く。
医学と生物学の棚の前に、折りたたみ椅子を持ち込んだ。エドが開いた頁を、内側でアルが読んだ。エドの目が開いている間だけ、アルにも文字が見えた。
〈兄さん。ページ、めくるの速い〉
〈お前が遅いんだ〉
〈読んでるんだよ。ちゃんと〉
〈……分かったよ〉
エドは頁を戻した。細胞の再生、神経の接続、拒絶反応。単語が、頭の中で、いくつも宙に浮いていた。神経の接続は、ウィンリィに電話で聞けば教えてもらえる。細胞の再生と拒絶反応は、誰に聞いても、答えがなかった。
契約の翌週に、先に日本へ行っていた。
師匠は、三発殴って、四発目を構えて、やめた。借りは作るな。作ったら返せ。それだけ言って、飯を食わせた。エドは、その夜、久しぶりに一度も魘されなかった。
仕事の合間に、半年ごとにピナコの家へ帰った。ソケットは、その度に削り直された。
***
秋の初めに、コールソンが薄い紙の束を持って資料室に来た。
「見ていただきたい論文があります」
エドは束を受け取った。表紙に、著者の名前が一つだけあった。B・バナー。
「放射線の下での、細胞の再生についてです。六年前の論文です。著者は、その後、公の場から姿を消しています」
〈兄さん〉
〈ああ。あの名前だ〉
エドは最初の頁を読んだ。二頁目で、手が止まった。
〈この人、石を使ってないよ〉
エドは紙の端を、指で押さえた。石に頼らずに、体が元に戻る道筋が、数式の形で書かれていた。まだ、粗い。完全でもない。それでも、確かにそこにあった。
「この人は」エドは言った。「今、どこにいる」
「お答えできません。本人の安全に関わります」
「知ってんのかよ」
「はい。言えないだけです」コールソンは言った。「本人が許したら、最初にあなたに伝えます。今、お渡しできるのは、この論文だけです」
「十分だ」
コールソンは頷いて、帰ろうとして、一度だけ足を止めた。上着の内ポケットから、折り畳んだ紙を一枚出した。
「もう一つ。下水道で見つかった腕輪の件です」
エドは顔を上げた。
「マスタングさんから番号をお預かりして、調べました。一番から三番までの持ち主の名前が、分かりました。四番と五番は、まだです」
差し出された紙には、名前が三つ並んでいた。住所のない、名前だけの紙だった。エドは、一つずつ読んだ。それから、紙を折り畳んで、コールソンに返した。
「覚えた」
「そうしてください。この紙は、焼きます」
「……ありがとな」
「どういたしまして」
コールソンは扉を閉めた。アルは、しばらく何も言わなかった。
〈約束、してたんだよね。名前を探すって〉
〈ああ〉
〈大佐、守ってくれたんだね〉
〈大佐と、コールソンと。どっちか一人じゃ、見つけられなかった〉
エドは論文を胸に抱えて、頁をめくり直した。
***
二年目の春、ウィンリィから電話があった。
『受かった』
「何に」
『MIT。この秋から、早期入学。推薦状は、ペッパーねえさんが書いてくれた。夏休みは、スターク社の見習いに来なさいって。……ねえ、聞いてる?』
「聞いてる。……すげえな」
『それだけ?』
「それだけじゃねえけど、すぐに言葉が出ねえんだよ」
受話器の向こうで、ウィンリィが笑った。それから、少し声を落とした。
『ちゃんと食べてる? 脚は? 痛くない?』
「食ってる。痛くねえ。ソケットも、この前削ってもらった。まだ合ってる」
『嘘だったら、次に来た時に分かるからね』
「分かってるよ」
その週の金曜に、コールソンが基地の廊下で、エドを呼び止めた。
「お話があります。車に乗っていただけますか」
助手席に座るのは、初めてだった。コールソンは黒い車を、基地の門から出した。ハンドルを握る手は、いつもと同じだった。ダッシュボードの小物入れの口が、少し開いていた。古い紙のカードが、数枚、輪ゴムで留められている。
「それ、何」
「趣味です」
「何の」
「古いカードです」コールソンは前を向いたまま言った。「ある人の。今度、会えたら、サインをもらおうと思っています」
「そんな人、いんの」
「ええ、います。ただ、今は話せません」
エドは追及しなかった。窓の外を、砂の色が流れていく。
「要請が来ました」コールソンが言った。「エネルギー源の調査です。私どもが長く保管している物質が、最近になって、挙動を変え始めました。放射線を扱う案件です。物質の構造を読める人間が、必要です」
「また伏せるのか」
「現場までは、詳細は言えません。ただ、一つだけ、お伝えしておきます」
コールソンは車を路肩に寄せた。エンジンを切って、エドの方を向いた。
「あの日の約束を、覚えていますか」
「覚えてる」
「今回は、危ないかもしれません。出さないという約束は、守れないかもしれない。だから、行くかどうかは、あなたに決めてもらいます。マスタングさんにも、先にお話しする機会を」
「大佐には、俺から電話する」
エドは、助手席の窓から、遠くの砂丘を見ていた。
「断ったら?」
「別の人を探します。あなたとの契約は、何も変わりません」
「嘘だったら、ウィンリィに怒られるのはあんただぞ」
「承知しています」
アルの声が、内側から聞こえた。
〈兄さん〉
〈分かってる〉
エドは窓から目を離して、コールソンを見た。
「行く」
「理由を、伺っても」
「借りがある。あんたに」エドは言った。「それと、見ておけば、何か手がかりが掴めそうな気がする。俺とアルの、ためになる」
「関係があるかは、まだ言えません」
「いい。見るだけだ」
コールソンは、エンジンをかけた。基地へ引き返す道を、二人とも、黙って走った。
***
その夜、エドはコールソンが用意した回線で、先にロイにかけた。
『行くのか』
「あんたに言っとけって、言われた」
『言われなくても、聞くつもりだった』ロイは言った。『お前が選んだなら、止めはしない。ただし、帰ってきたら電話しろ』
「みんな、同じこと言うな」
『それだけ、帰ってこない人間を見てきたからだ』
電話は、それで切れた。エドは、そのまま続けて、ウィンリィの番号を押した。
『もしもし?』
「俺。……壊す前に、電話した」
『何を壊すの』
「まだ、壊してねえ。壊す前だ」
ウィンリィが黙った。電話の向こうで、金属を置く音がした。
『どこ行くの』
「言えねえ。でも、危ないかもしれねえって、言われた。それで、行くって決めた」
『……自分で、決めたの』
「ああ」
『アルは?』
〈僕も、行くよ〉
「行くってさ」
ウィンリィは、長いこと黙っていた。それから、静かに言った。
『帰ってきて。ソケット、組むから。次は、私が全部やるから』
「帰る」
『約束』
「約束する」
電話が切れた。エドは受話器を戻して、廊下の壁に額を押し当てた。
〈兄さん、約束するの、早かったね〉
〈うるせえ〉
***
その夜遅く、窓のない会議室の机に、ファイルが一冊、置かれていた。表紙の端が擦り切れている。
フューリーは、コートの襟を正して、ファイルを開いた。最初の頁は、リオールの記録だった。最後の頁は、継手の割れた断面の写真だった。
「あの継手の件から、もう一年以上か」
「はい」
「技術部が、あの子供を褒めていた。三機分の事故が防げた、とな」
「彼の目と手の成果です」
「使えるのか、使えないのか」
「使えます」コールソンは言った。「ただし、本人に選ばせる、と約束しています。今日、彼は選びました」
「で」
「行く、と」
フューリーは、ファイルを閉じた。しばらく黙って、机の表面を見ていた。
「あれを、あの子供に見せることになる」
「はい」
「その子供との約束は、お前が自分の名前でしたものだ。組織は、後ろ盾にならんぞ」
「承知しています」
フューリーは、わずかに口の端を持ち上げた。それから、いつもの声に戻った。
「連れてこい」
「はい」
「ヒルが先に現地に入っている。着いたら、ヒルに預けろ」
「承知しました」
コールソンは、一礼して扉に向かった。扉の前で、一度だけ足を止めた。
「長官」
「何だ」
「彼は、子供です」
「知っている」フューリーは言った。「だから、ヒルに言っておく」
扉が閉まった。窓のない部屋に、フューリーが一人、残っていた。