MCU:Fullmetal Alchemist 作:ゴミ収集者
ロキを乗せた機体が艦に降りたのは、夜が更けてからだった。
エドはそれを、艦橋の画面越しに見ていた。
「到着が遅れていますね」ヒルが言った。
「雷が鳴ったそうです」オペレーターが答えた。「途中で、何かあったと」
それ以上は、誰も説明しなかった。画面の中で、機体の扉が開く。エドは、思わず一歩出た。
「エルリック」
フューリーが、こっちを見ていた。
「顔は見せん。ラボへ戻れ」
「バートンの手がかりは」
「出たら呼ぶ。それまでは、やることがあるだろう」
言い返す言葉は、いくつも浮かんだ。エドは、どれも口にしないで、艦橋を出た。
バナーは、少し前に会議室へ呼ばれて、ロキの尋問を映像で見てきたらしい。ラボに戻ってきた時は、疲れた顔をしていた。誰かと握手をしたあとのように、右手を握ったり開いたりしていた。
槍は、押収されて、ケースごとラボに運び込まれていた。シュトゥットガルトの広場から数時間で、あの男の手を離れた物が、目の前の作業台に乗っている。
30秒、と決めたのはバナーだった。
作業台の中央に、細長い黒いケースが置かれている。蓋は開いていて、中に槍が横たわっていた。先端の青い玉は、艦内の照明の下でも、自分で光っているように見えた。
エドは左の手袋を外して、手首を回した。右の義肢は上着の袖の中だ。肩の継ぎ目が、艦の振動に合わせて小さく鳴った。
「秒を数える」バナーが、ストップウォッチを手に言った。「この槍は、キューブと同じ種類の波を出している。君はキューブに触れ続けて、手が離れなくなったと、報告書にあった」
「手が冷たくなる。読んでると、熱が抜ける」
「理由は」
「でかすぎるんだ。中身の量が桁違いで、読もうとしても受けきれねえ。受けきれない分が、手に溜まる」エドは、左手を握って開いた。「施設のキューブで、嫌ってほど分かった」
「過負荷か」バナーは、うなずいた。「なら、容量を超える前に切る。30で離す。30より前でも、おかしいと思ったら言ってくれ。その場で離す」
「30秒で何が読めるんだよ」
「読めた分だけ、で足りる。足りなければ、間を置いてもう一度だ」バナーは眼鏡の位置を直した。「君の手は、機械じゃない。壊れたら、替えがきかない」
替えならきく、と言いかけて、エドは口を閉じた。右腕と左脚のことを言えば、この人はまた、診る目になる。
〈兄さん、30秒だからね〉
〈分かってる〉
エドは、槍の柄に、指先を置いた。
冷たい。施設のキューブよりは浅かった。ただ、浅いぶん、輪郭がはっきりしている。熱が指から抜けていく。その抜けていく道筋が、手の中で絵になった。
「10」バナーが言った。
槍の中を、流れが走っている。一本の線ではなかった。先端の青い玉へ向かって集まる束と、青い玉から外へ広がっていく細い糸がある。糸のほうは、何かを探すように、ゆっくり左右に揺れていた。
「20」
耳の奥で、何かが囁いた。内容は、やはり聞き取れない。ただ、施設で胸に当てられた時と違って、今は誰にも向けられていなかった。宛先のない呼びかけが、空の部屋で鳴っているようだった。
「25」
冷たさが、手首の骨に触れた。エドは、息を止めた。あと少し。糸の揺れの、拍が分かりかけている。
〈兄さん〉
「30」
エドは、手を離した。指が、すぐには開かなかった。右手で左の手首を掴んで、引き剥がすようにして腕を引いた。
「温度を見せてくれ」バナーが、すでに体温計を持っていた。
「大げさだろ」
「大げさにしないと、君は黙って我慢する」
腕を出した。バナーは、指先と手首の温度を測って、紙に書いた。手首のあたりまで、肌が白かった。血の気が戻るまで、エドは左手を右脇に挟んで、ぼんやり槍を睨んでいた。
「で」バナーが促した。「何が見えた」
「押してねえ」
「押していない」
「あの槍、人を引っ張ってるんじゃねえんだ。探してる。先っぽから細いのが出て、触れた奴の中で、一番開いてる所を探してる」エドは、頭の中の絵を、順番に言葉に直した。「見つけたら、そこにその人間が欲しがってる形で入る。だから、やられた奴は、無理やりやられたと思わない」
バナーの手が止まった。
「バートンは、目を開けたと言った」ナターシャが、あとで教えてくれた通りに。エドは続けた。「セルヴィグもだ。あいつ、笑ってたろ」
「施設で、僕は見ていない。報告で読んだだけだ」バナーは、紙の端を指で叩いた。「ただ、数字には出ている。この槍には、ゆっくりした揺れが乗っている。人の頭の中の波に近い帯域だ。キューブの出力とは、別の層で」
「それだ。その揺れが、糸の拍だ」
「君が指で拾ったものと、機械が拾ったものが、同じ場所を指している」バナーは小さく息を吐いた。「面白い」
面白い、と言われて、エドは頬のあたりが緩みそうになった。慌てて顔をしかめた。
その時、壁の向こうを、足音の列が通り過ぎた。重い靴が、揃って歩いている。誰も口を利かない。足音の中に、一つだけ、揃っていない歩き方が混じっている気がした。
エドは、扉のほうへ首を向けた。
「見に行かない」バナーが言った。
「分かってる」
「君が行きたいのは、顔に書いてある」
「書いてねえ!」
「書いてあった」
エドは、舌打ちして、机に向き直った。足音は、通路の先で消えた。ロキが艦に入ったのだ、と、誰も言わなくても分かった。フューリーが、「その男の前に、お前を出す理由がない」と言った声が、頭の隅に残っていた。
***
バナーが二度目の測定の準備をしている時、扉が開いた。
「ここです」
コールソンが、先に入ってきた。後ろから、男が一人ついてくる。
〈兄さん、あの光……〉
〈見てる〉
黒い髪を撫でつけて、顎に短い髭を整えた男だった。着ているものは、軍人にも技術者にも見えない。胸の真ん中が、薄いシャツ越しに青白く光っていた。丸い光だ。呼吸に合わせて、揺れてはいない。資料の写真と同じ顔だった。実物のほうが、目つきが悪かった。
「こちらが、エルリックさんです」コールソンが言った。「顧問で、槍の解析を担当しています」
「顧問」男は、口の端を上げた。「その歳で」
「文句あんのか」
「ない。意外なだけだ。ドギー・ハウザーかと思った」
「誰だ、それ」
「昔のテレビの、天才少年医者だ」バナーが、小声で教えた。
「俺は医者じゃねえ」
「そこじゃないだろう」男は、部屋の機械を端から順に眺めて、最後に槍を見て、それからエドを見た。「トニー・スタークだ。『わたしがアイアンマンだ』の人」
「知ってる。資料に書いてあった」
「何て?」
「傲慢」
「それだけか」
「天才、とも書いてあった」
「それは褒め言葉だ。受け取っておく」
コールソンは、バナーに会釈をして、「あとは、お任せします」と言って出ていった。
「博士」スタークは、バナーに向き直った。「さっきは、人の多い所で失礼した。改めて。博士の論文は、前から読んでる」
「光栄です」バナーは、小さく笑った。「さっきも、そう言われました」
「大事なことは、二度言う主義だ」
スタークは、エドの返事を待たずに、作業台に積まれた紙の束を引き寄せた。エドとバナーが書き殴った式で、裏表とも埋まっている。スタークは、立ったまま、ぱらぱらとめくった。一枚ごとに止まる時間が、短かった。
エドは、その横顔を睨んだ。見られている式は、自分で書いたものだ。三つの山の間隔を、数字だけで追いかけたバナーの式と、手で掴んだ癖を線にした自分の式が、交互に並んでいる。ここまでの二時間は、悪くなかった。それをこの男が、ほんの数十秒で採点している。
「ここ」スタークが、一枚を指で弾いた。「掛ける位置が逆だ」
「どこが」
「この項。係数を内側に入れてる。外に出せば、後ろの二行が丸ごと要らなくなる」
「そんなわけ——」
エドは、紙を引ったくった。目で追った。係数を外に出す。展開する。後ろの二行が、勝手にほどけて、一つの式になった。
30分は、かかっていた計算だった。
エドは、紙を持ったまま、固まった。腹の底が、一度だけ、すっと冷えた。悔しい、より先に、体が反応していた。この人は、技術で負けたくない相手じゃない、と頭のどこかが言った。技術で負けたくない、と思う前に、勝負が終わっている。
〈兄さん〉
〈……黙ってろ〉
〈今の、本当に——〉
〈黙ってろって言ってんだ!〉
「何が見えたか、聞かせてくれ」スタークが言った。「博士の数字は、きれいだが遅い。君の見方は?」
「この槍は、押さずに探してる」エドは、ぶすっとした声で言った。紙は離さなかった。「先っぽの細い流れが、触れた人間の中の、一番開いてる所を探す。見つけたら、その人間が欲しがる形に合わせて入る」
「鍵の方が、錠前に合わせて形を変える」スタークは、顎に指を当てた。「錠前屋が泣く話だな。博士、揺れの帯域はどこだ」
「人の脳波に近い。ゆっくりしたほうの」
「それなら、鍵の形は、錠前の形を先に知ってないと作れない。つまり、入る前に、一度見てる」
「見る?」
「触れる前に、相手を読んでる。読んで、形を決めて、入る。二段階だ」スタークは、紙の裏に、さらさらと図を描き始めた。エドが一時間かけて詰めたことを、三本の線で表した。「読む段階の波は、入る段階の波と、形が違うはずだ。そこを分けて見れば、洗脳された奴の出す波から、入った時の形が逆算できる」
エドは、紙を見ていた。自分の言葉が、図になって返ってくる。それも、自分が思っていたより先まで、伸びて。
「……どうやって、そこまで」
「何が」
「俺が言ったのは、探してる、だけだ。段階なんて、言ってねえ」
「言ったろう。見つけたら、そこに入る、と。見つけるのと入るのは、別の動作だ。別の動作なら、別の波が出る」スタークは、当たり前のことを言う顔で言った。「君は、手で拾った。私は、順番に並べただけだ」
褒められたのか、馬鹿にされたのか、エドには判断がつかなかった。ただ、頭の中の回転が、一段上がった気がした。この男の隣にいると、考える速さを、引きずり上げられる。
〈兄さん、今、ちょっと嬉しいでしょ〉
〈嬉しくねえ!〉
スタークは、エドの右肩に目を向けた。
「その腕」
「何だよ」
「関節の組み方が、おかしい。市販品の流用じゃない。誰が作った」
「言わねえ」
「ほう」
「言ったら、あんた調べるだろ」
「調べる」
「だから言わねえ」
スタークは、肩をすくめた。ただ、目の中の興味は、消えていなかった。エドは、その目を見て、これは、あとで蒸し返されると思った。ばっちゃんの顔が浮かんだ。勝手にいじらせない。
***
「ところで、博士」スタークは、紙を机に戻して、小さな機械を手に取った。細い棒の先に、金属の端子が付いている。「ちょっと確かめたいことがある」
「何を」
「動じるかどうか」
バナーが、「待て」と言う前に、スタークは棒の先を、バナーの脇腹に押し当てた。小さな火花が散った。
「痛っ」
「何も起きない」
「おい!」
エドは、スタークの手首を掴んでいた。考えるより先に、体が動いた。左手が、スタークの腕に絡みついている。手袋を外したままだった。
「何やってんだ、てめえ!」
「落ち着け、少年。実験だ」
「実験で、人に電気を当てるな!」
「博士は、同意してる」
「してない」バナーが言った。
「してないって言ってるぞ!」
「エド」バナーが、穏やかな声で言った。「大丈夫だ。放していい」
「大丈夫じゃねえだろ。この人は、そういう——」エドは、言葉を探した。この人の中にいる、とは言えなかった。「怒らせたら、困る人じゃねえか」
「困るのは、僕じゃない」バナーは、小さく笑った。「周りが困る。そうならないように、気をつけてる」
エドは、手を放した。スタークは、掴まれた手首をさすりながら、感心した顔をしていた。
「反射がいい。いい子だ」
「子供扱いすんな」
「事実だろ」
その時、扉が開いた。
入ってきたのは、ロジャースだった。顔が、険しかった。作業台の三人と、スタークの手にある棒を、順番に見た。
「何をしているんだ」
「やあ、大尉。ちょうどいいところに」
「君は、正気か」ロジャースは、まっすぐスタークを睨んだ。「ここは、遊び場じゃない」
「遊んでない。検査だ」
「人に電気を当てて、検査か」
「当てたのは一回だ」
「エルリック君も、巻き込まれたのか」
「止めた」エドが言った。「ちゃんと止めた」
ロジャースは、エドの顔を見た。それから、少しだけ、表情を緩めた。
「そうか。……すまない。君を疑ったわけじゃない」
「疑ってたろ」
「してた」ロジャースは、また、困った顔で笑った。「どうも、癖だ」
スタークは、手首をさすりながら、二人を見比べた。
「いつの間にそんなに仲良くなった」
「君には関係ない」ロジャースは、スタークに向き直った。「問題に集中してくれ。ここに来たのは、キューブを見つけるためだ」
「ごもっとも」スタークは言った。「だが、その問題を解くのに、変数が足りない。フューリーは、なぜ今になって、私を呼んだ?」
「それは——」
「あの男は、何かを隠してる。それも、隠してることを隠してる類いのだ」スタークは、バナーのほうを見た。「博士も気にならないか」
バナーは、少し間を置いた。「気にはなる。ただ、僕は、疑うほど、ここにいない」
「あの」エドは、口を開いた。
三人が、こっちを見た。
「ちゃんとした話かどうかは知らねえ。ただ、あの人は、何か言えないことがある時は、先に言うって言った。俺には」エドは、コールソンの名前を出さずに言った。「全部は言わねえけど、言えないってことは言う」
スタークが、片眉を上げた。
「それが、ここの流儀か」
「そういう大人もいる、ってだけだ」
ロジャースが、エドを見ていた。何か言いかけて、やめた。代わりに、スタークに言った。
「命令に従うのが、僕らの仕事だ」
「私の流儀じゃない」
「君は、いつもそれだ。流儀、流儀と」
「で、ここにいる中で、一番派手な服を着てる奴は、何の役に立ってる?」
「なんだと」
「二人とも、そこまでだ」バナーが割って入った。「口が過ぎる」
ロジャースは、唇を結んで、扉へ向かった。出る前に、一度だけ振り返って、エドに短く言った。
「無理は、するな」
「してねえ」
扉が閉まった。スタークは、扉に向かって、肩をすくめた。
「あの男は、父が、よく話してた」
「ハワード・スタークが?」エドは訊いた。
「そうだ。資料で見たか」
「写真だけ」嘘ではなかった。ばっちゃんの机の引き出しに、古い写真が入っていた。
スタークは、それ以上は何も言わなかった。作業台に寄りかかって、胸の青い光を、親指で二度、叩いた。
***
槍の前に戻ると、バナーが、二度目の測定を始めた。スタークは、近くの椅子を引いて、座りもせずにもたれかかっていた。
「触る時間を区切るのは、いい判断だ」スタークは言った。「ただ、それだと、読み取りが飛び飛びになる。データを連続で取りたい」
「手が先に壊れる」
「君の手が、だろ」スタークは、エドを顎で示した。「腕のいい技師が、自分の道具を粗末に扱うのは、見ていて痛い」
「道具じゃねえ。俺の手だ」
「同じことだ」
「違う」
スタークは、少しだけ、笑った。それから、自分の胸を、指で軽く叩いた。
「ここに、金属の破片が入ってる。爆発でできた。心臓に向かって、一ミリずつ動く。この光る輪っかが、磁石の代わりに、それを止めてる」
エドは、息を止めた。
「止めなければ、死ぬ。止めてる間は、生きてる。だから、外せない」スタークは、淡々と言った。「便利な体だ。ひどい特権でもある」
「……痛むのか」
「慣れた」スタークは、肩をすくめた。「……と、僕は言うことにしてる」
エドは、自分の右肩と左脚を、意識した。体に金属を入れて、生きている人間が、もう一人いる。同じことを、この男も、毎日している。それを、冗談の包みで、さらりと出す。
〈兄さん〉
〈……ああ〉
エドは、何も言わなかった。言うべきことが、見つからなかった。ただ、さっきまで、この人を敵のように見ていたのが、少しだけ、恥ずかしくなった。
「それで」スタークが、話を戻した。「その、連続で読めない問題だ」
「俺の手を使わなきゃ、読めない部分がある」
「だから、手を使わずに読む方法を作る」
「は?」
「君が30秒で拾った拍と、博士の機械が拾った揺れ。この二つを重ねれば、どの帯域を見ればいいかが分かる。あとは機械を、君の手の代わりに調整すればいい」スタークは、バナーの端末を覗き込んだ。「ジャーヴィスに演算を回す。艦の機械は遅い」
「ジャーヴィス?」
「うちの執事だ」
『お呼びでしょうか』
どこからか、落ち着いた声がした。エドは、周りを見回した。どこにも、人はいない。
「声だけの、人か」
「いや。機械だ。見たいか」
「見たい!」
答えた声が、思ったより大きかった。バナーが、横を向いて肩を震わせている。スタークは、唇の端を上げた。
「さっきまで、私を睨んでたのに」
「それとこれは別だ!」
「いい答えだ」
エドは、拳を握った。拳の中が、まだ冷たかった。ただ、その冷たさの上に、新しい熱が乗っていた。この男は、嫌な奴だ。嫌な奴だが、頭の中に、見たことのない部屋をいくつも持っている。
***
道具を作る段になって、問題が一つ出た。
「槍の柄に、センサーを三つ当てたい」スタークが、作業台の上を眺めて言った。「ただ、固定する金具がない。艦の備品を取り寄せると、半日かかる。博士、そこの工具箱には何がある」
「ドライバーが数本と、結束バンドだ」
「素晴らしい。宇宙最強の兵器を、結束バンドで挟む」
「俺が作る」
エドが言った。二人が、振り向いた。
「作る?」
「金具だ。形と寸法を教えろ」
スタークは、指で空中に図を描いた。コの字の枠に、支えの腕が三本。柄の太さに合わせて、径は28ミリ。エドは一度うなずいて、作業台の脚に目をやった。鋼の角材だった。四本のうち、壁際の一本だけ、少し余っている。
〈兄さん、この机、倒れない?〉
〈残り三本で持つ。紙でも噛ませとく〉
エドは手袋をはめ直し、両の掌を打ち合わせた。そのまま、脚の根元に押し当てる。
青白い光が、一瞬だけ弾けた。
作業台が、ほんの少し傾いて、すぐに戻った。エドの手の中に、鈍く光る金具が三つ、乗っていた。コの字の枠と、三本の支え。径は、28ミリ。
「……脚が、短くなった」バナーが言った。
「紙を噛ませときゃ、倒れねえよ」
「待て」
スタークは、金具を一つ、エドの手から取った。裏返し、表に返し、親指で縁をなぞった。それから、ひとり言のように言った。
「質量が合ってる。継ぎ目がない。溶接でも鋳造でもない。無から出したんじゃなくて、脚が、これになった」
「そうだ」
「博士、今の、測ったか」
「測った。何も出ていない。熱も、電磁波も」
「出ていない?」スタークは、金具を高く掲げて、見上げた。声が、少し跳ねた。「エネルギーの出入りが、見えない。出さずに、組み替えてるのか」
「使ってないわけじゃねえ。釣り合いが取れてるだけだ。脚の分だけ、金具になる」
「釣り合い」スタークは、その言葉を舌の上で転がした。「帳簿の話か。それとも、原理の話か」
エドは、答えに詰まった。説明すれば、力の出どころに触れる。ここは、境目だった。
「手品じゃねえ。それだけは言っとく」
「手品とは思ってない」スタークは、金具をエドに返した。「手品なら、種が分かる。これは、種が見えないだけで、筋は通ってる。質問がある」
「一つか」
「十個ある。まず、脚が減った分と、金具が増えた分。重さは」
「同じだ。同じにしかならねえ」
「じゃあ、材料の量は保存されてる。足りない分は」
「作れねえ。鉄で金を作るとか、無から出すとか、そういうのは無理だ」
「できる範囲は、どう決まる」
「理解してる範囲だ。構造が分かってるものしか、組み替えられない」スタークの目が、一段、鋭くなった。エドは、聞かれるままに答えている自分に気づいた。「だから、触って読む。読まなきゃ、組み替えられねえ」
「読むのと、作るのは、同じ手順の前半と後半か」
「……そうだ」
「面白い」スタークは、金具を指でなぞった。「継ぎ目がないのは、原子の並びごと変えてるからだ。ただ、それなら、結晶の向きは? 冷却の過程が要るはずだ。熱は出ていない。つまり、変えてるんじゃなくて、変えた状態を直接、置いてる」
「知らねえ。そこまで考えたこと、ねえ」
「考えてなかったのか」スタークは、驚いたように眉を上げた。「それで、ここまで精密に作れる?」
「手が、分かるんだ」
「質量は? 一度に動かせる量の上限は。大きいものほど、疲れるのか」
「疲れねえ。いや、疲れるのは、本気で大きいのを出した時だけだ」
「どれくらい本気」
「教えねえ」
「だろうな」スタークは、口を挟ませずに続けた。「道具はいらない。電源もいらない。両手を合わせるだけ。ただ、動力が見えない。どこから来てる。体からだろう。それなら、普通は消耗する」スタークは、自分の胸を、指で軽く叩いた。「体の中に、普通じゃない動力を抱えてる。そういう奴は、私にも覚えがある」
エドは、息を止めた。心臓が、一度だけ強く跳ねた。そこは、聞かれたくないところだった。
「……答えねえ」
「構わない。答えないということ自体が、答えだ」スタークは、指を一本立てた。「出どころがあって、君はそれを人に見せたくない。十分だ。他のことは、自分で調べる」
「調べんな」
「調べる」
〈兄さん、この人……〉
〈ああ。聞いてるのは十個だったけど、今ので全部、答えを出されてる〉
エドは、金具を握った。説明したことより、説明しなかったことのほうを、この男は拾っていた。質問は、全部、答えを言わせるためじゃなくて、答えの形を測るためだった。頭の中で、何かが追いつかない速さで組み上がっていく。ただ、それが、不快ではなかった。
「もう一回やれ」
「は?」
「今度は、ジャーヴィスに全部撮らせる。脚の残りで、同じものを」
エドが言われた通りにすると、スタークは画面に張りついた。コマ送りの映像が、脚の断面が金具の形に組み変わる瞬間を、何度も繰り返す。スタークは、無言で三度見た。四度目に、画面を指で止めた。
「ここだ。何も動いてないのに、形が変わってる。私の機械でも、これは作れない」
「あんたでも、か」
「今はな」スタークは、画面から目を離さずに言った。「作れないものがあると、腹が立つ。あとで必ず作る。ただ、先に出したのは君だ」
声は軽かった。ただ、画面を見る目は笑っていなかった。エドは、その横顔を見て、さっき式を直された時の冷たさが、少しだけ薄れるのを感じた。
「私ほどじゃないがな」スタークは、画面を閉じて、付け足した。「その歳でこれなら、上出来だ」
「……その一言、要らねえだろ」
「要る。バランスだ」
バナーが、堪えきれずに吹き出した。
金具を槍の柄に噛ませ、センサーを三つ取り付けるまで、十分もかからなかった。スタークが艦の演算を借りて、ジャーヴィスに数字を流す。画面の上を、波が走った。エドの手が拾った拍と、バナーの機械が拾った揺れが、重なって一本になっていく。
「出た」スタークが言った。「二段階だ。読む波が先に出て、数秒おいて、入る波が出る。間隔は、毎回違う。相手による」
「俺の言った通りか」
「君の言った通りと、私の言った通りだ」スタークは、画面から目を離さなかった。「半分ずつだ。悔しがるなよ」
「悔しがってねえ」
「じゃあ、ジャーヴィスを見たがった時の声は?」
「あれは普通だ!」
バナーが、咳払いで笑いを隠した。エドは、画面の波を睨んだ。自分の手が拾った拍が、画面の上で、きれいに線になっている。見えないものが、見える形になる。ここまで来るのに、自分一人だと何日かかっただろう。考えかけて、やめた。考えるのは、あとだ。
扉が開いて、コールソンが顔を出した。
「エルリックさん。長官が、お呼びです」
「今かよ」
「檻のある区画の、手前の部屋です。ロキの顔は映像でだけ見ろ、と。槍のことで、聞きたいことがあるそうです」
エドは、手袋に手を伸ばした。左手の指は、まだ動きが重い。手袋の中に押し込んで、握って、開いた。
「バナー、続きを頼む」
「分かった。……エド」
「何だ」
「君の拍が、一番正確だった」バナーは、画面から目を上げずに言った。「次も、30秒で離せ」
「分かってる」
スタークが、後ろから声をかけた。
「少年」
「エドだ」
「エド。さっきの、掛ける位置の件」
「何だよ」
「悔しがる前に、次は先に気づけ。私は、寝ないぞ」
エドは、振り返らなかった。口の端が、勝手に上がっていた。
「次は先に気づく。見てろよ」
扉をくぐる前に、一度だけ、槍に目をやった。青い玉は、変わらずに光っていた。糸の拍が、まだ頭の中で、ゆっくり揺れていた。