MCU:Fullmetal Alchemist   作:ゴミ収集者

22 / 22
檻

コールソンの歩幅は、いつも一定だった。

 

艦内の通路を、エドは半歩遅れてついていった。壁の配管が、ときどき低く唸る。檻のある区画に近づくほど、すれ違う人間が減っていった。

 

「バートンの手がかりは」

 

「まだ、出ていません」コールソンは前を向いたまま答えた。「長官は、見つかり次第、君に知らせるはずです」

 

「あの人、そういうとこは嘘つかねえよな」

 

「嘘をつく時は、先に自分で言う人です」

 

「それ、嘘って言わねえだろ」

 

コールソンは、ほんの少しだけ、笑った。

 

「ロキの前に君を出さないと決めたのは、君のためだけではありません。あの男が君に何を言うか、私たちにも読めない。それが怖いんです」

 

「あんたらでも、怖いのか」

 

「怖いですよ。仕事ですから」

 

エドは、それ以上は聞かなかった。通路の突き当たりで、コールソンが足を止めた。

 

檻のある区画の手前に、細長い部屋があった。

 

壁の一面が、丸ごと画面になっている。映っているのは、ガラスで囲われた、何もない小部屋だった。床も壁も灰色で、ベッドも椅子もない。ただ、それだけの箱が、画面の中央に置かれている。

 

部屋には、先客が二人いた。

 

一人は、ロジャースだった。腕を組んで、画面を睨んでいる。

 

もう一人は、壁際の椅子に座っていた。座っていても、頭が扉の上の灯りに届きそうだった。長い髪を後ろに流して、肩に赤いマントを掛けている。膝に置いた手が、エドの頭より大きく見えた。

 

〈兄さん、あの人……〉

 

〈見てる〉

 

〈椅子が、小さく見える〉

 

〈……でけえ〉

 

「エルリックさん」後ろから、コールソンの声がした。「紹介は、長官が来てからにします。座って待っていてください」

 

エドは、ロジャースの隣に立った。座るほどの時間は、なさそうだった。

 

「君も呼ばれたのか」ロジャースが、画面から目を離さずに言った。

 

「槍のことで聞きたいんだと」

 

「槍は、まだ解析してるのか」

 

「バナーが見てる。俺は、手を離してきたとこだ」

 

ロジャースは、小さくうなずいた。それから、思い出したように、続けた。

 

「さっきは、すまなかった。スタークが、バナーに電気を当てた時だ」

 

「あんたが謝ることじゃねえだろ。やったのは、あっち」

 

「僕は、何もできなかった。君のほうが、早かった」

 

「体が勝手に動いただけだ」

 

壁際の大男が、こっちを見ていた。

 

エドは、見られているのに気づいて、視線を返した。大男は、重そうな腰を上げて、立ち上がった。立つと、天井との間が、拳一つ分しかなかった。

 

「小さき戦士よ」

 

「……あ?」

 

「許せ。艦の者から、そなたの話は聞いた。槍を読む者だと」

 

「小さきって言ったか!」エドは、一歩踏み出した。

 

「言った」

 

「誰が小さ——」ロジャースの手が、エドの肩を押さえた。

 

「その、言葉は、不適切か」大男は、真剣な顔でロジャースを見た。「彼の国では、小さきは、敬意ではないのか」

 

「ソー」ロジャースが、額を押さえた。「ここでは、不適切だ」

 

「そうか」ソーは、エドに向き直って、胸に手を当てた。「無礼を詫びる。私は、ソー。アスガルドの王の子だ」

 

「エドワード・エルリック。ただの技師だ」

 

「ただの技師が、あの槍を読むのか」

 

「ただの技師でも、できる奴はいる」

 

ソーは、愉快そうに笑った。笑うと、部屋の空気が、少し揺れた。この人は、嘘がつけない人だ、とエドは思った。ロジャースと、同じ型だ。ただし、サイズが倍ある。

 

「資料に、雷の神ってあった。本当に雷を出すのか」エドは訊いた。

 

「出せる」

 

「見せろ」

 

「ここでは、遠慮する。艦が割れる」

 

「割れんのかよ」

 

「割れる」

 

ロジャースが、咳払いで笑いを隠した。

 

その時、扉が開いて、フューリーが入ってきた。

 

***

 

「揃っているな」

 

フューリーは、部屋を見回して、最後にエドで目を止めた。

 

「エルリック。槍を読んだな」

 

「30秒ずつ、何回か」

 

「結果を聞く。短く」

 

エドは、画面の前に立ったまま、言葉を選んだ。ラボで、人に何度か言ってきたことだ。順番は、頭に入っている。

 

「洗脳だ。あの槍で触られると、中に入られて、操られる。入る前に、先に相手を読んでる。スタークとバナーが、機械で確かめた」

 

「スタークが」フューリーの片目が、少しだけ細くなった。「あの男は、もう、お前に会ったか」

 

「会った」

 

「どうだった」

 

「……頭が、いい」

 

言ってから、エドは、口を閉じた。口の端が、勝手に引きつっている。ソーが、不思議そうにこっちを見ていた。

 

「それで。解く方法は」

 

「分からねえ。ただ……」エドは、自分の胸の真ん中を、指で叩いた。「入られた奴の中に、跡が残ってる気がする。入る前と、入った後で、何か、こう」

 

「何か」

 

「分かんねえもんは、分かんねえんだよ」

 

「それでいい」フューリーは、短く言った。「分からないと言える人間は、使える」

 

フューリーは、扉へ向かった。出る前に、一度だけ振り向いた。

 

「バートンに借りがあるのは知っている。返す機会は、作る。ただし、俺の指示の範囲でだ」

 

「それ、前にも聞いた」

 

「何度でも言う」

 

扉が、閉まった。エドは、舌打ちを呑み込んだ。「何度でも言う」は、この人の口癖らしい。

 

エドは、無意識に、左手を右の脇に挟んでいた。ロジャースが、それに気づいた。

 

「手が、どうかしたのか」

 

「冷えただけだ。槍を触ると、こうなる」

 

「痛むのか」

 

「痛くはねえ。感覚が鈍るだけだ」

 

「それは、平気とは言わない」ロジャースは、真面目な顔で言った。「戦場でも、痛くないと言う兵ほど、あとで長引いた」

 

「あんた、そういうの詳しいのか」

 

「詳しくなってしまった」ロジャースは、少しだけ、笑った。「君は、自分で決めて、ここにいるんだろう。なら、止めない。ただ、限界の手前で、止まってくれ」

 

「……分かってる」

 

返事が、素直になりすぎた気がして、エドは、画面に目を戻した。

 

「あいつの目的は、何なんだ」エドは、ソーに訊いた。「槍とキューブで、人を操って、何をする気だ」

 

ソーは、重い腰を椅子に戻した。椅子が、きしんだ。

 

「ロキは、この星を、手に入れるつもりだ。キューブの力で、門を開き、別の世界から軍勢を呼ぶ。チタウリという。人ではない。数は、多い」

 

「軍勢」ロジャースの声が、低くなった。

 

「ロキは、その軍勢に、この星を差し出すと約束した。見返りに、玉座を得る」

 

「玉座」エドは、思わず繰り返した。「ここの?」

 

「ここの、だ」ソーは、苦い顔で笑った。「あの男は、昔から、玉座を欲しがっていた。私は、それを、見ようとしなかった」

 

エドは、何も言い返さなかった。ソーの言葉は、長い間、頭の中で転がされてきた言葉の形をしていた。何度も言って、何度も飲み込んで、それでも出てくる言葉だ。

 

〈あの人、さっきから拳を握ってる〉

 

〈……ああ〉

 

エドは、返事をしなかった。

 

画面の中に、人が入ってきた。フューリーが、一人で、ガラスの箱の前に立っている。兵に連れられて、黒い髪の男が、箱に入れられた。

 

***

 

ロキは、箱の真ん中に立った。

 

縄も鎖も、なかった。男は、自分の手首を見下ろして、小さく鼻で笑った。そして、ガラスの外に立つフューリーを、見上げた。

 

「ずいぶん、手の込んだ歓迎だ」

 

音声が、部屋のスピーカーから流れてきた。男の声は、よく通る。誰かに聞かせるための声だった。

 

「ここは、どういう作りか分かるか」フューリーは言った。そして、壁のパネルに手を置いた。

 

箱の床の、ロキの足元のすぐ脇が、音もなく開いた。下に、何もない。空と、遠い海が、ずっと下に見える。

 

「この床が、抜ける。高度は、一万メートル近い」

 

〈……あの床、どういう仕組みだ〉エドは、思わず内側で呟いた。〈蝶番か、スライドか。見てえ〉

 

〈兄さん、今そこ?〉

 

〈気になるもんは気になる〉

 

「それで?」

 

「アリと、ブーツだ」フューリーは、淡々と言った。「アリが、ブーツに文句を言うか? 言わない。踏まれるだけだ」

 

「いい比喩だ」

 

ロキは、床の穴を見下ろして、少しも動かなかった。そのまま顔を上げた。

 

「だが、この箱は、私のために作られたのではない」

 

「そうだ。もっと、強いものを閉じ込めるために作った」

 

「それは、面白い」

 

ロキは、笑った。ほんの少し、口の端を上げただけだった。

 

「あの男は、今、何を考えている」ロジャースが、低い声で言った。

 

「分からん」ソーが答えた。「ただ、笑っている間は、本心を言っていない」

 

エドは、画面の中の男の口元を見直した。確かに、口の端は上がっているのに、目の奥が、笑っていない。声を出さない笑い方だ。施設で、自分に槍を向けた時の顔と、同じだった。追い詰められているのは、箱の中の男のはずなのに、見ている側のほうが、狭い部屋に閉じ込められている気がした。

 

「あいつ、わざと捕まったな」

 

声に出ていた。ソーが、こっちを見た。

 

「何故、そう思う」

 

「慌ててねえ。逃げようともしてねえ。……むしろ、ここに入りたかったみたいな顔だ」

 

「弟は」ソーは、画面から目を離さずに言った。「昔から、そういう男だ」

 

「弟?」

 

「そうだ。血は、繋がっていない。それでも、弟だった」ソーは、拳を握った。「あの男の言葉で、多くの者が命を落とした。それでも、私は、弟を、救えると思っていた。……思っていたかった」

 

エドは、何も言えなかった。

 

ソーは、さっきまでの笑顔を、どこかに置いてきた顔をしていた。

 

「あんたの弟は、まだ、そこにいるだろ」エドは、ぼそりと言った。「まだ、死んでねえ。だったら、直す方法を探せ」

 

「直す」

 

「俺は、そうしてる」

 

ソーは、エドを見下ろした。長い間、何も言わなかった。それから、小さくうなずいた。

 

「……そうか。そういう生き方も、あるのだな」

 

「生き方ってほどじゃねえよ。ただ、諦めるのが、下手なだけだ」

 

「それは、いい才能だ」

 

ロジャースが、二人の顔を、交互に見ていた。何か言いたそうだった。結局、何も言わなかった。

 

画面の中で、ロキが、フューリーに向かって話し始めた。

 

「お前は、焦っている。私の行方を追い、あれを取り戻したいと思っている。そのために、人を集め、艦を飛ばし、箱を作った」

 

「その通りだ」

 

「あれは、お前が思っているほど、扱いやすい物ではない。持つ者に、力を与える。ただ、その力は、持ち主を選ばない」

 

「何が言いたい」

 

「本当の力を前にすれば、分かるということだ」ロキは言った。「お前たちが、どれほど小さいかが」

 

フューリーは、鼻を鳴らした。

 

「言いたいことは、それだけか」

 

「ほう」

 

「続けたければ、続けろ。時間は、たっぷりある」

 

フューリーは、背を向けて出ていった。その背中が、扉の向こうに消えるまで、ロキは何も言わなかった。床の穴は、いつの間にか閉じていた。笑みだけが、箱の中に残っていた。

 

そして、ロキは、天井の隅にあるレンズを、見上げた。

 

まっすぐに。

 

エドは、息を呑んだ。画面の中の男と、目が合った気がした。この部屋に誰がいるのか、向こうに分かるはずがない。分かるはずがないのに、数ある顔の中から、一人を選んで見られた気がした。

 

〈……こっち、見てる〉

 

アルの声だった。いつもより、ずっと低かった。

 

〈大丈夫だ。画面越しだ〉

 

〈でも〉

 

〈大丈夫だって言ってんだろ〉

 

自分の声が、強がりに聞こえた。エドは、握った拳を、体の後ろに隠した。ロキの口が、動いた。声は、ない。唇だけが、ゆっくりと形を作った。

 

いずれ。

 

そう、読めた。

 

***

 

しばらくして、画面の中に、別の人影が現れた。

 

ナターシャだった。一人で、ガラスの前に立っている。手には、何も持っていない。男は、箱の中から彼女を見ていた。

 

ロジャースが、体を前に傾けた。

 

「彼女が、一人で行くのか」

 

「尋問は、彼女の専門だ」コールソンが言った。「ただ、無理はしないはずです」

 

音声が、また流れ出した。

 

「何をしたの。バートンに」

 

「何も、していない。私は、ただ、目を開かせただけだ」

 

「それが、何をしたのかと聞いてるの」

 

「あの男は、今、前よりずっと自由だ。誰にも命令されず、自分の意思で動いている。……私の意思に従うという、自分の意思で」

 

ナターシャの指が、ガラスの縁を掴んだ。エドには、そう見えた。

 

ロキは、続けた。声を荒げることもなく、丁寧に。

 

「お前の帳簿は、赤いままだ。私は、それが読める」

 

彼女の名前、彼女の仕事、彼女の記録。ロキは、それを一つずつ、並べていった。ナターシャは、顔を動かさなかった。ただ、掴んだ指の関節だけが、白くなっていった。

 

「あなたは、怪物よ」ナターシャが言った。声が、震えていた。

 

「怪物を、連れてきたのは、お前たちだ」

 

「……っ」

 

「そして、この艦の、本当の怪物は」ロキは、箱の中で首を傾げた。「まだ、眠っている」

 

ナターシャは、一度、目を閉じた。次に目を開けた時、顔が変わっていた。さっきまで揺れていた肩が、止まっていた。

 

「分かった。もういい」

 

「十分よ」

 

ナターシャは、背を向けて、箱から離れた。歩きながら、耳の後ろに指を当てた。

 

「聞いて」声は、低かった。「ロキの狙いは、ハルクよ。バナー博士を怒らせて、艦の中で、あれを出す気。博士を、ラボに閉じ込めておいて。それから、ソーを、こっちに寄越して」

 

部屋の中の全員が、動いた。

 

「ソー」ロジャースが言った。

 

「行こう」ソーは、すでに扉に向かっていた。マントが、ふわりと揺れた。「弟の顔を、見てくる」

 

「エルリックさん」コールソンが、エドの肩に触れた。「博士のそばに」

 

「言われなくても、行く」

 

廊下の角で、エドは、ナターシャとすれ違った。

 

彼女は、足を止めなかった。顔色が、少しだけ悪かった。エドは、一歩だけ後ろを振り返って、彼女の背中に声をかけた。

 

「大丈夫か」

 

「平気よ」

 

「今の、平気って顔じゃなかった」

 

ナターシャは、足を止めて、振り返った。目が、一瞬だけ、エドを測った。それから、ほんの少しだけ、口の端を上げた。

 

「子供に心配される歳じゃないわ」

 

「あんた、前に言ったろ。借りを返す時は、一人で行くなって」

 

「……覚えてたの」

 

「忘れてねえよ」

 

ナターシャは、何も言わなかった。ただ、通路の先へ歩き出す前に、エドの肩を、軽く叩いた。

 

「バナーを、お願い」

 

エドは、走り出していた。

 

***

 

ラボの扉が、勢いよく横に滑って開いた。

 

「バナー!」

 

バナーは、顔を上げた。作業台の前で、紙を一枚持ったまま、眼鏡の奥から、エドを見た。

 

「そんなに急いで、どうしたんだ」

 

「ロキの狙いが、あんただ」

 

「……ああ」バナーは、少しだけ、目を伏せた。「そうだと思った」

 

「分かってたのか」

 

「昨夜の数字で。槍の波は、人の怒りに反応して強くなる。僕が一番、揺さぶりやすい人間なのは、僕が一番よく知ってる」

 

エドは、息を整えながら、バナーを見た。顔色は、悪くなかった。声も、落ち着いている。ただ、紙を持つ指が、わずかに白かった。

 

「あんたを、ここから出さねえように、言われてる」

 

「僕の、見張りか」

 

「ちげえよ。……いや、まあ、そうか」エドは、頭をかいた。「でも、一人にするなって意味だ」

 

「同じことだ」バナーは、小さく笑った。「構わない。僕は、一人にならないほうが、いい」

 

エドは、近くの椅子を引き寄せて、座った。しばらく、二人とも何も言わなかった。作業台の槍が、ケースの中で、青く光っていた。金具に挟まれた小さな表示灯が、一定の間隔で点滅している。

 

「バナー。診療所で言った、傷の塞がる速さの話だ。あれは、あんたの体で、実際に起きてるのか」

 

バナーは、手を止めた。

 

「ああ。ハルクが出てくると、僕の体は、普通の何倍もの速さで傷を塞ぐ。切っても、撃っても、数分で消える」

 

「治り方を、体が覚えてるみたいに」

 

「そう見える。ガンマ線が、細胞に、治り方の手順を書き込んだ。そう考えると、数字が合う」バナーは、紙の端を指で叩いた。「ただ、書き込んだのは偶然で、読む側は、僕の意思じゃない。傷が塞がるのは、結果だ。制御の手段じゃない」

 

「書き込んで、読ませる」エドは、顎に手を当てた。「それって、あの槍と、同じ型の話じゃねえか。槍は、人の頭に形を書き込んで、勝手に読ませる」

 

バナーの目が、一瞬だけ見開かれた。

 

「……同じ型。確かにそうだ。外から手順を渡して、中の仕組みに実行させる。槍は、脳を相手にして、ガンマ線は、細胞を相手にした」

 

「だったら、槍の波の形が分かれば、あんたの治り方に似た手順を、人の体に書く方法も——」

 

「それは、分からない」バナーは、首を振った。「ただ、面白い着眼だ。君の頭の中では、全部が繋がってる」

 

「繋がってるわけじゃねえ。繋げようとしてるだけだ」

 

バナーが持った紙が、小さく震えていた。本人は、気づいていない。エドは、少しだけ迷った。人の弱いところを見たら、こっちも一つ出さないと、釣り合わない気がした。迷って、左手を膝の上で握り込んだ。

 

「弟の体を探してる」

 

「弟さんの」

 

「ずっと前に、なくした。俺のせいだ。取り戻す方法を探してて、あんたの論文は、その一つだった」

 

バナーは、何も言わなかった。眼鏡の奥の目が、エドを見ていた。診る目ではなく、聞く目になっていた。

 

「診療所に来た理由は、それか」

 

「そうだ。黙ってて、悪かった」

 

「いや。謝ることじゃない」バナーは、首を振った。「理由があって来たほうが、僕は安心する」

 

「……そうか」

 

「ただ、僕のやり方では、無いものは作れない。傷を塞ぐところまでだ。失ったものを、ゼロから戻すことは、できない」

 

「分かってる」

 

「ゼロから体を組む話なら」バナーは、ふと扉のほうを見た。「僕より、あの人のほうが詳しいかもしれない」

 

「あの人?」

 

「スターク。彼は、自分の胸に機械を入れて、生きている。足りない部分を、技術で補う道を、毎日歩いてる」

 

エドは、さっきの会話を思い出した。胸の光と、心臓へ向かって動く金属の破片。冗談の包みで、さらりと出された話だった。

 

「聞けば、教えてくれるか」

 

「頼み方次第だ」バナーは、小さく笑った。「彼は、頼られるのが好きだ。ただし、頼ってきたとは思わせないほうがいい」

 

「めんどくせえ」

 

「そういう人だ」

 

二人は、少しだけ、笑った。

 

バナーは、作業台の下から魔法瓶を出して、紙のコップに注いだ。湯気が立つ。診療所で飲んだ茶の匂いがした。

 

「飲むかい?」

 

「もらう」

 

「診療所では、半分残してたな」

 

「あの茶は、薄かったんだよ」

 

「今日のは、濃いぞ」

 

エドは、コップを受け取って、一口飲んだ。渋かった。眉間に皺が寄った。バナーが、肩を揺らして笑った。

 

「濃すぎる」

 

「だから言った」

 

二人は、しばらく黙って、茶を飲んだ。この艦の中で、ここだけが、時間がゆっくり流れていた。ただ、それが長くは続かないことを、二人とも、分かっていた。

 

笑ったあとで、バナーは、ふっと真顔に戻った。作業台の端に両手を置いて、しばらく何かを数えるように、息をしていた。

 

「エド」

 

「何だ」

 

「もし、僕が、ここで駄目になったら」バナーは、言葉を一つずつ置いた。「ハルクが出たら、君は扉を出て、走れ。戦おうとするな。君は、まだ、子供だ」

 

「子供扱いすんな」

 

「事実だ」

 

「……あんたも、言うのかよ」

 

「君が、そう呼ばれるのを嫌うのは知ってる。それでも、言う」バナーは、困ったように笑った。「僕は、君が怪我をするのを、見たくない」

 

エドは、すぐに言い返そうとして、やめた。

 

「……駄目になる前に、俺が止める」

 

「止められるか」

 

「止める。あんたの手は、まだ、人の手だ。そこにいるうちは、止められる」

 

「ずいぶん、自信があるな」

 

「ハッタリだ」エドは、肩をすくめた。「ハッタリで通せば、本当になることもある」

 

バナーは、少し黙った。それから、頷いた。

 

「覚えておく」

 

作業台の上で、槍が青く光っていた。

 

〈ロキの唇、最後まで見えてたよ〉

 

〈読めたのか〉

 

〈うん。いずれ、って〉

 

〈……俺もだ〉

 

エドは、拳を握った。指先だけ、まだ重かった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

仮面ライダーゼロワン ― Avengers: Age of Ultron ―(作者:吉野家)(原作:MCU アベンジャーズ)

飛電インテリジェンス社長・飛電或人と秘書型ヒューマギア・イズは、謎の空間歪曲に巻き込まれ、異なる世界へと転移してしまう。▼そこは、巨大企業スターク・インダストリーズが存在し、“アベンジャーズ”と呼ばれるヒーローたちが世界を守るニューヨーク。▼衛星ゼアとの通信は完全に途絶え、飛電インテリジェンスも存在しない。▼未知の世界で或人たちを待っていたのは、人類を守るた…


総合評価:327/評価:9/連載:3話/更新日時:2026年06月25日(木) 12:53 小説情報

マシュ(成り代わり)がMCUで生きる話(作者:なすび餅)(原作:MARVEL )

ヒドラの研究員(魔術師モドキ)によってデミ・サーヴァントとなった女の子がアベンジャーズに保護され、キャプテンアメリカの弟子みたいになる話。▼純粋だが無垢ではなく、誰かを好きになるし嫌いにもなる、マシュ(モドキ)が出てきます。▼ちゃんと両親から生まれたし、罪であろうと正解でなかろうとたぶんフルスロットルで進む子▼注意 成り代わりのため解釈違いをおこす可能性が高…


総合評価:927/評価:8.14/連載:3話/更新日時:2026年09月15日(火) 00:20 小説情報

日本からアベンジャーズ入りしました。尊敬する人?五代さんと一条さんです(作者:ken4005)(原作:MARVEL)

▼クウガとアベンジャーズのクロスです。▼マーベルは完全ににわかです。▼原作を Avengers から MARVEL に変えました。▼短編から連載に変えました。▼謝罪0906▼作品を読み直した所、時系列に誤りがありました。▼黒雄が2010年4月から2014年3月までの四年間高校に在籍していたことになっています。そこで、明記はしませんが、未確認生命体関係で高校を…


総合評価:10562/評価:8.2/連載:110話/更新日時:2026年10月13日(火) 17:00 小説情報

ジョジョ三部に転生したら、スタンドが魔虚羅だった(作者:東京大特価)(原作:ジョジョの奇妙な冒険)

 前世の記憶を持つ高校生、神代蓮司。▼ ある日突然目覚めたスタンドは、なぜか見覚えのありすぎる八握剣異戒神将魔虚羅だった。▼ しかも同じ学校には空条承太郎がいて、気付けばDIOを倒すためのエジプト旅行に同行することに。▼ ジョジョの知識はほとんどない。敵の能力も展開も分からない。▼ 頼れるのは、何にでも適応する魔虚羅と、その場その場でどうにかする自分だけ。▼…


総合評価:746/評価:6.35/連載:25話/更新日時:2026年08月15日(土) 03:54 小説情報

臆病者だから鉄を着ます(作者:三世)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

▼ 『アイアンマン』に憧れた一人の少年は、気がつけば『ホロウ』と呼ばれる災害が存在する世界へ転生していた。▼ 工学の才能に恵まれ、平穏に生きようとしていた彼だったが、ある日突発性ホロウに巻き込まれてしまう。▼ 死にたくない──その一心で作り上げたのは、小さな太陽『アーク・リアクター』と鋼鉄の鎧。▼ これは鉄人に憧れた少年が、自らもまた『アイアンマン』となって…


総合評価:6413/評価:8.67/連載:11話/更新日時:2026年10月21日(水) 00:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>