MCU:Fullmetal Alchemist 作:ゴミ収集者
二匹の巨大な化け物を止めたばかりの空に、裂け目から、さらに多くの敵が降りてきた。
さっきまでとは、桁が違った。空の一角が、虫の群れで埋まったようだった。胴の長い化け物が何匹も、ビルの谷間に頭を下ろしてくる。
エドは、二匹目を止めた路面に膝をついて、腹をさすった。さっきの大技で、腹の底が空いている。それだけだ。まだ動ける。
「みんな」ナターシャが言った。
交差点に集まった全員が、空を見上げていた。ロジャースも、ソーも、ハルクも、バートンも。誰も、すぐには口を開かなかった。
『キャップ』スタークの声が、通信機から響いた。『指揮を取れ。こういうのは、君の仕事だ』
ロジャースは、盾を握り直した。
「聞け」
その声で、全員の顔が、ロジャースに向いた。
「門が閉じるまで、敵を街に広げない。バートン、あの屋上から全体を見ろ。敵の動きと、はぐれたやつを呼べ。スターク、外周を任せる。ここから三ブロックより先へ出ようとするものは、押し戻すか、灰にしろ」
『俺を上げてくれるか』バートンが、空を見ながら言った。
『ああ。歯を食いしばっとけ、レゴラス』
「ソー。門を絞れ。雷で、出てくる数を減らせ」
ソーは、頷くより先に、槌を回して飛び上がった。
「ナターシャと俺は、ここに残って、地上の敵を引き受ける。それから、ハルク」
ハルクが、ロジャースを見た。
「ぶっ壊せ」
ハルクの口の端が、持ち上がった。エドは、その背中に声をかけた。
「おい、バナー。さっきは——」
ハルクが、振り向いた。低い唸りが、足元の路面を震わせた。
「……ハルク、でいいのか?」
ハルクは、鼻を鳴らして、ビルの壁面へ跳んだ。
「エルリック」
「なんだ」
「建物の中の人たちは、警官が見ている。君は、敵の足を止めてくれ。三ブロックより先へ、一匹も通すな。北の大通りから、地上の敵が来る。出口まで二ブロックだ」
エドは、膝を押して立ち上がった。
「足止めか。得意分野だ」
「頼む」
赤い影が、頭上をかすめた。スタークの手が、バートンの腰を掴んで、空へ引き上げる。バートンの体が、風の音を残して、通りの向かいのビルの屋上まで運ばれていった。
エドは、北の大通りへ走り出した。
通りのビルの出入口から、遅れて逃げてきた人たちが、ぱらぱらと飛び出してくる。上着を抱えた会社員。子供を抱いた母親。足元がおぼつかない老人。人波というほどの数ではないが、全員が、敵のいる北へ向かって、道を間違えかけていた。
「そっちじゃねえ! 地下鉄だ! 駅の中へ逃げろ!」
エドは、通りの壁へ駆け寄って、手を打ち合わせ、壁に叩きつけた。
青白い稲妻が、壁を走った。外壁の石が縮み、壁から細い足場が伸びる。一階の脇から二階へ登る短い階段。そこから通りに沿って、遠くまで続く足場だった。
エドは、階段を駆け上がって、足場の上を走った。
下の人たちが、エドを見上げた。
「駅ね! 駅の中なら、安全なのね!」子供を抱いた母親が叫んだ。
「何が起きてるんだ! あれは何だ!」スーツの男が、足を止めて叫んだ。
「いいから走れ!」
人たちが、地下鉄の入口へ向きを変えた。
高い所からは、通りの奥まで見えた。その奥から、地上の敵が現れた。
敵が、十数匹ずつの小隊で、通りの奥から現れた。銃のような武器を構えて、揃って走ってくる。撃たれても、倒れた仲間を見ても、足を緩めない。次の小隊が、その後ろから、さらに次の小隊が、通りの角から、空から降りた乗り物から、途切れずに降りてくる。
〈兄さん、あいつら、怖がるってことを知らねえ〉
〈それなら、道を選ばせるしかない〉
敵が市民に届く最短の道は、三つだった。通りの正面。横道。屋上から降りる非常階段。
エドは、足場から飛び降りた。走りながら、手を打ち合わせて、通りの真ん中の路面に叩きつけた。路面が、腰の高さの壁になって、通りを端から端まで横切った。次に、横道の入口の前で、また打ち合わせた。道の幅いっぱいの、薄い鉄板が、一枚、立つ。最後に、ビルの壁沿いに駆け抜けながら、非常階段の根元に、手を叩きつけた。階段の下半分が、平らな鉄の壁に替わって、降りてこられなくなった。
先頭の小隊が、壁に当たった。数匹が、車を足場に乗り越えてくる。別の小隊が、横道へ回った。薄い鉄板を、銃で撃って、こじ開けようとする。屋上から降りてきた数匹が、非常階段の途中で、行き場をなくして立ち往生した。
壁は、止められない。時間を稼ぐだけだ。それでいい。地下鉄の入口へ、人たちが、まだ走っている。
壁の上に、敵の頭が出た。エドは、跳んで、その顔面を蹴り飛ばした。壁を越えてきた一匹が、エドへ光弾を撃つ。エドは、身を沈めて、避けた。光が、頭の上を焼いた。
エドは、右腕に左手を添え、手を打ち合わせて、機械鎧の肘から先を、片刃へ組み替えた。越えてきた二匹を、刃で斬り捨てる。三匹目の胸へ、機械鎧の足を叩き込んだ。
〈兄さん、案外いけるね〉
〈ああ。このままなら、な〉
通りの端で、警官が、口を開けたまま立っていた。
「助かった! ここは我々が引き受ける、君も下がれ!」
「俺はいい! 人を連れて下がれ!」エドは、刃を払いながら言った。「地下鉄だ、早く!」
その警官の足元に、老人が、転んでいた。引き起こそうとする女性の腕も、震えている。エドは、二人の脇へ駆け寄って、老人の腕を掴んで引き起こした。
「地下鉄だ、歩け! 走れなくても歩け!」
「わしは、いい……この人だけでも、連れていってくれ……」
「二人とも連れてく! 歩け!」
東の大通りの方角から、銃声と悲鳴が聞こえた。エドは、そちらへ走った。
東の大通りには、手の長い敵が、すでに何匹も入り込んでいた。店先を、銃口でなぎ払っている。割れたガラスの向こうで、店の中の人たちが、床に伏せていた。
エドは、止まらなかった。路面の隙間を縫うように走り込んで、先頭の敵の懐へ、低く潜った。銃口が、頭の上を通り過ぎる。機械鎧の足が、敵の膝を蹴り砕く。倒れる体を踏み台にして、次の敵の顎へ、右の拳を叩き込んだ。
通りの上に、敵の乗り物が一機、浮かんでいた。ビルの窓へ、砲口を向けている。窓の中には、人の影がある。
エドは、足を止めて、路面に両手を当てた。敵の銃口が、こちらへ向く。エドは、横へ転がった。さっきまで立っていた場所を、光が焼いた。
転がりながら、手を打ち合わせて、路面へ叩きつけた。
青白い稲妻。足元の石畳が、柱になって突き上がった。エドの体が、乗り物と同じ高さまで、跳ね上げられる。
エドは、柱を蹴った。柱の天辺が、手の動きに合わせて、尖った穂先に変わっている。その穂先が、乗り物の胴を貫いた。
落ちていく残骸を蹴って、エドは、路面へ降りた。
「ありがとう! 撃たれるところだった!」
「二階に、まだ人がいる! 助けてくれ!」
窓から顔を出した人たちが、口々に叫んでいる。エドは、頷いて、そちらへ走った。
二階の窓の下に着くと、階段が崩れて、降りる道がなくなっていた。エドは、壁に手を打ち合わせて、押し当てた。外壁が縮んで、窓の下から地面へ、幅の広い斜めの足場が伸びる。
「降りろ! 一人ずつ、急げ!」
窓から、人が次々と這い出して、足場を滑り降りてきた。最後の男が、エドの腕を掴んで、言った。
「遅いじゃないか! どれだけ待たせるんだ!」
「遅くて悪かったな! 文句があるなら、自分の足で走ってからにしろ!」
通りの先で、ひしゃげたタクシーが、横倒しになっている。割れた窓の中から、手が一本、助けを求めて伸びていた。
エドは、駆け寄って、ドアに手を当てた。手を打ち合わせて、押し当てる。歪んだドアが、蝶番ごと、一枚の板に組み変わって、外へ開いた。運転手と、乗客の老夫婦が、這い出してくる。
その時、背後の敵が、光弾を撃った。エドは、老夫婦の前に飛び込んで、右腕の機械鎧で、光を受けた。火花が散って、腕が、しびれた。続けて飛んできた一発は、身を沈めて避けた。
「立てるか。地下鉄の入口まで、走れ。足は止めるな」
運転手が、後部座席を振り返って、首を振った。ドアの奥に、もう一人、乗っていた。動かない。エドは、その手首に指を当てて、すぐに離した。
「……悪い」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
エドは、残った敵に向き直った。刃で斬る。蹴る。殴る。敵は、倒しても倒しても、次が来る。機械鎧の継ぎ目が、きしんだ。息が、荒くなっていた。
東の通りの奥から、小隊が、また、また、現れた。北の壁を越えた敵が、東の小隊と、交差点で合流している。数えきれない。ビルの谷間が、敵の影で埋まっていく。
エドは、交差点の真ん中に、走り出た。
〈兄さん、多いよ〉
〈分かってる。ここで、止める〉
両手を打ち合わせた。そのまま、交差点の路面に、叩きつけた。
青白い稲妻が、交差点いっぱいに走った。石畳が、ビルの基礎ごと縮む。次の瞬間、交差点の北の端から、巨大な壁が伸び上がった。三階の高さ。交差点を端から端まで塞いでいる。
敵の小隊が、壁にぶつかって、止まった。壁を撃つ。壁を叩く。だが、壁は、揺るがなかった。空を飛ぶ乗り物だけが、壁の上を越えようとした。その数は、地上に比べれば、少ない。
通りの人たちが、立ち止まって、壁を見上げた。
「おい、あの壁はどうする気だ。うちの店は、向こう側なんだぞ」
座り込んだ男が、エドを睨んだ。
「店の心配してる場合かよ! 死にてえのか! さっさと下がれ!」
エドは、膝に手をついた。息が、上がっていた。腹の底が、空いてきた。
エドの目が、通りの端で止まった。
壁の手前で、女性が、地面に膝をついていた。その腕の中に、動かない男が一人。警官が、女性の肩を掴んで、引き剥がした。「もう駄目だ! ここを離れろ!」女性は、何かを叫びながら、引きずられていく。
エドは、目を逸らさなかった。
間に合わなかった。あのタクシーの中の人も。あの男の人も。全員は、救えない。分かっている。分かっていても、拳を握るしかなかった。この顔を、忘れない。
〈兄さん、息が荒いよ〉
〈……大丈夫だ。まだ、やれる〉
その時、頭上に、敵の乗り物が、影を落とした。壁を越えてきた一機だった。通りの向こうで、子供が一人、泣きながら、路面に座り込んでいる。親が見つからないのか。エドは、足を引きずって、走った。子供の前に、飛び込む。背中を向けて、子供を庇った。
光が、放たれた。
光弾は、エドの背中に届く前に、弾けた。
橙色の火花の輪が、エドの背後に、盾のように広がっていた。
エドは、振り向いた。輪の向こうに、女性が一人、立っていた。さっきまで、誰もいなかった場所だった。
髪がなく、橙色の質素な衣の裾が、風に鳴っている。両手の指先から、火花が細く散っていた。逃げる人の流れの中で、その人だけが、散歩のように静かだった。
「誰だ、あんた」
「通りすがりです」女性は、微笑んだ。
女性は、エドの方へ、軽く手を振った。上空の乗り物が、橙色の火花に弾かれて、傾いた。エドは、傾いた機体の腹へ、手を打ち合わせて、街灯を押し当てた。街灯が、一本の太い槍になって、斜めに伸びた。乗り物を、貫いた。残骸が、通りの端に落ちて、煙を上げた。
「今の輪は、あんたが……」
「見ていました。ずいぶん、手際がいいですね」
「あんた、動けるなら手を貸してくれ! 敵が多すぎる!」
「そうしたいところですが、守らねばならない場所があるのです」
「……この惨状より、大事なのかよ」
「ええ」
女性は、宙に指で円を描いた。橙色の火花の輪が、扉のように開く。女性は、振り返りもせず、その輪の中へ入って、消えた。輪は、ふっと閉じた。
「……えぇ」
エドは、口を開けたまま、立ち尽くした。警官が駆け寄って、泣いている子供を抱き上げた。
通りには、エドだけが残った。
〈兄さん、今の……〉
〈錬金術じゃねえ。別の理屈だ〉
エドは、手を握って、開いた。左手の指先に、火花の熱が、少しだけ残っていた。
だが、地上を押さえても、空は、まだ空いている。
『スターク』バートンの声が、全員の通信機に入った。『聞こえてるか。後ろに、ずいぶんぶら下げて飛んでる』
『見えてる』スタークの声。『数が減らない』
『あいつら、先頭に合わせて飛んでる。先頭が曲がる角を探せ』
『了解』
『エド』バートンの声が、通信機に入った。『さっき、上から見てた。お前、体術もできたのか』
「師匠に、叩き込まれた」
『いい師匠だな』
「……ああ。おっかねえけどな」
『ところで、頼みがある。スタークの後ろの列を、見ろ』
エドは、手近なビルの壁に左手を当てた。足元の石が、柱になって伸び上がり、エドを屋根の高さまで運んだ。屋根から屋根へ、非常階段を駆け上がる。ビルの谷間の上空を、赤い影が縫っていくのが見えた。その後ろから、敵の乗り物が、列になって追う。曲がり角が来る度に、列の先頭が、ぶつかりそうに膨らむ。
『あいつら、先頭が曲がる前に、一瞬、減速する。後ろが、それに合わせてる。そこを、まとめて落としたい。お前の手が、要る』
「先頭の向きに、全員が合わせてる」エドは、走りながら通信機に言った。「先頭が見えてなけりゃ、後ろは避けられねえ。群れで飛んでるのが、あいつらの強みで、弱みだ」
『……話が早いな』
『スターク。次の角で、右に曲がれ。三、二、一』
赤い影が、鋭く右へ曲がった。後ろの乗り物が、遅れる。その隙に、バートンの矢が、三本続けて飛んだ。三つの乗り物が、続けて落ちた。
『ナイスコール。他には?』
『ソーが、六番街で分隊を相手にしてる』バートンが言った。
『雷を独り占めか』スタークが言った。『……それより、まだ付いてくる』
その通りだった。スタークの後ろに、乗り物の列が、途切れなくなっている。数十機が連なって、赤い影を追っていた。
『全部は無理だ』バートンが、歯を食いしばって言った。
「無理じゃねえ」エドは、屋根の上から、通信機に言った。「止められる。バートン、次の角の先は?」
『右に折れて、そのまま長い一本道だ。両側に、工事の足場がある』
エドは、屋根を蹴った。足場が組まれたビルの、最上段へ飛び降りる。通りの反対側にも、同じ高さの足場が組まれている。足場の鉄管は、ビルの外壁に固定されている。
エドは、足場の鉄管に、両手を伸ばした。
エドは、通信機に怒鳴った。「スターク! あの角を右だ! まっすぐ、一本道を抜けろ! 地面すれすれを行け!」
『理由は?』
「見りゃ分かる!」
『……分かった。信じる』
赤い影が、角を曲がって、一本道へ滑り込んだ。地面すれすれの低さだった。後ろの列が続く。先頭が、角で、速度を落とした。
その間に、エドは、両手を打ち合わせ、そのまま足場の鉄管へ叩きつけた。
青白い稲妻が、鉄管を走った。両側の足場の端がほどけて、一本の細い鋼線になる。通りの端から端へ、ぴんと張られた。二階の窓ほどの高さだった。
スタークの背中が、線の下を、すれすれで抜けた。
速度を落としていた先頭が、加速に入った。機首が上がる。線は、細くて、見えない。
先頭の乗り物が、線に当たった。翼が、すっぱりと切り落とされた。制御を失った機体が、地面に叩きつけられる。
後続は、避けられなかった。先頭に合わせて飛んでいた数十機が、そのまま、次々と、細い線に突っ込んでいく。翼が飛び、胴が裂け、機体が、次々と、輪切りになって落ちた。線は、最後まで、切れなかった。
『…………』スタークの声が、少しの間、途切れた。『線、一本か。……助かった』
エドは、足場の上から、通信機に言った。「礼は、まだ早え。次が来る」
エドは、足場から通りへ飛び降りて、巨大な壁の手前まで走って戻った。
その時、エドの頭上の影が揺れた。
はぐれた乗り物が、五機、エドへ向かって一直線に降りてくる。砲口が、光り始める。
「下がってろ!」エドは、近くにいた警官たちに叫んだ。
間に合わない。エドは、地面を蹴った。
エドは、右腕を、また刃に替えた。
先頭の一機が、目の前に来た。エドは、踏み込んで、刃を横に払った。刃が、乗り物の胴を裂く。砲口の光が、爆ぜる前に消える。落ちる残骸を、エドは身を沈めて避けた。
残る四機は、交差点から駆けつけたロジャースの盾が弾いて、ナターシャの銃が撃ち落とした。
エドは、もう一度手を合わせて、腕を元の形に戻した。
ロジャースが、盾を下ろして、エドを見た。
「そんなこともできたのか」
「まあな。受けるのは、あんたの盾に任せる」
ロジャースは、口の端を少しだけ上げた。
ナターシャが、数歩下がって、助走をつけた。ロジャースが、盾を斜めに構える。
「本気か」
「ええ。楽しそうでしょ」
ナターシャが、車の屋根を駆け上がって、盾に足をかけた。ロジャースが、盾で押し上げる。ナターシャの体が、空へ跳ね上がって、飛んでいた敵の乗り物に取り付いた。
『塔へ行く』ナターシャの声が、通信機に入った。『セルヴィグを止める』
『了解だ』ロジャースの声。『援護する』
ナターシャは、乗り物の操縦者の背に、小さな刃を突き立てて、乗り物を傾けた。ビルの間を、塔に向かって飛んでいく。
その後ろを、別の乗り物が、猛烈な速さで追っていた。緑の外套の男が、乗っていた。
「……ロキだ」
『追ってる』バートンの声が、低くなった。『俺が射る』
通信機の向こうで、弓の弦が、きりりと鳴った。声は、震えていなかった。
『ナターシャ、何やってる』
『ちょっと、助けて』
『任せろ』
弦が鳴った。
矢は、ビルの谷間を一直線に走って、ロキの頭へ向かった。ロキの手が、動いた。猫のように、矢を宙で掴んだ。ロキは、こちらを向いて、笑った。
次の瞬間、矢が爆ぜた。
ロキの乗り物が傾いて、塔のペントハウスの発着台に突っ込んだ。ナターシャが、乗り物から飛んで、塔の屋上へ転がり込む。
「……派手だな、あの矢」エドは言った。
『ああ』
その時、ビルの壁を駆け上がっていた緑の巨体が、塔へ跳んだ。ビルの壁を蹴って、塔の頂上へ。ロキの落ちた台の、窓の向こうへ消えた。
その先は、見えなかった。ガラスの割れる音と、何かが何度も床に叩きつけられる音だけが、風に乗って、ここまで届いた。
***
『ナターシャより、全員へ』
通信機から、声が入った。ナターシャの声は、息が上がっていた。
『セルヴィグが、戻ってる。洗脳が解けた』
エドは、息を止めた。
『杖で、門が閉じられるって。装置に、安全装置を仕込んでたらしい。自分で』
『どうやって解けた』ロジャースの声が訊いた。
『着いた時には、もう戻ってた。……本人が言ってた。中が、静かだったって』
通信機の向こうで、バートンの息が、短く鳴った。
『杖を使うわ』ナターシャが言った。『門を閉じる』
『待て』スタークの声が、割り込んだ。声が、いつもより低かった。『まだだ。ナターシャ、待ってくれ』
『スターク』ロジャースが言った。『まだ敵が出てきてる』
『核ミサイルが、ニューヨークに向かって飛んでる』
通信が、静まった。
『世界安全保障委員会が、フューリーの上の連中が、発射した。フューリーが止められなかった。一分以内に、ここで爆発する』スタークの声は、静かだった。『でも、持っていく先は分かってる。裂け目の向こうだ』
エドの体が、冷えた。
「……それ」声が、喉に引っかかった。「俺が、言った……」
『エド。君が言ったな。頭は、裂け目の向こうだって』
「確かだなんて、言ってねえ」エドは、通信機を握りしめた。「たぶん、だって言った」
『たぶんで十分だと、僕は言った。君の読みに、乗る』
『スターク』ロジャースが言った。『それは、片道だ』
『分かってる。……行ってくる』
エドは、空を仰いだ。
空に、小さな白い点が見えた。ミサイルだった。その後ろから、スタークの鎧が追いつく。鎧が、ミサイルを抱えるように掴んで、機首を、ぐい、と上に向けた。
そのまま、空へ。裂け目へ。
「やめろ」
エドの声は、風にちぎれた。
鎧は、裂け目の中に入った。
その瞬間、通信機から、スタークの声が消えた。ざざ、という雑音だけが、残った。
『……スターク』ナターシャの声が、呼んだ。返事はない。
『閉じるのは、待て』ロジャースの声が言った。低かった。『まだだ。待て』
誰も、何も言わなかった。通りの風だけが、鳴っていた。
三十秒。四十秒。
エドは、待たなかった。通りの真ん中に膝をついて、路面に左手を当てた。路面。配管。通りに面したビルの基礎の鉄骨。塔の下からこの通りまで、地面の下がどこまで金属で繋がっているか。指の中に、図面が流れ込んでくる。
〈兄さん、何をする気?〉
〈分からねえ。落ちてくるもんの速さ次第だ。できる形にしとく〉
エドは、ビルの外装の骨組みを、頭の中でほどいて、考え始めた。
コールソンの顔が、頭をよぎった。ヒューズの顔も。先に逝ってしまった、大人たち。
〈兄さん〉
〈……今度は、間に合わせる〉
その時だった。
裂け目の奥で、白い光が、一瞬だけ走った。
空を覆っていた黒いものたちが、止まった。
乗り物が、傾いた。化け物が、前のめりに頭を落とした。通りで、さっきまで武器を構えていた敵が、がくん、と膝を折った。次の瞬間、全てが、崩れ始めた。
ビルの壁に取りついていた敵が、壁から剥がれて落ちた。空を飛んでいた乗り物が、墜落した。化け物の巨体が、ビルの谷間に横たわって、動かなくなった。
エドは、息を吐いた。
〈兄さん。糸が、切れたんだ〉
〈ああ〉
止まった街を、エドは見渡した。倒れた敵を。
『見えたか』ロジャースの声が言った。『ナターシャ。閉じろ』
『了解』
エドは、裂け目を見上げた。
その縁から、小さな黒い点が、こぼれた。赤い色が、混じっていた。
***
裂け目の縁が、狭まっていく。
塔の屋上で、光の柱が、ふっと消えた。空の傷が、縫い合わせられるように、狭まって、消えた。ナターシャが、杖を抜いたのだ。通信機の向こうで、彼女の短い息が聞こえた。
黒い点は、閉じる寸前の縁をすり抜けて、落ちてきた。
赤い鎧だった。開いた手足が、力なく風に煽られている。塔と、通りに面したビルの間の、狭い谷間を、真っ逆さまに落ちていく。
止まらない。塔の東側。落ちる線は、ビルの壁沿いだ。エドは、見上げて、それを測った。
〈兄さん、間に合わない〉
〈間に合わせる〉
落ちる先は、地面だ。縦に落ちる速さを、そのまま受けたら、鎧ごと潰れる。受けるには、手がいる。でかくて、しなる手が。
塔の縁から、緑の影が身を乗り出していた。跳ぶ気だ。あの巨体が掴めば、勢いは半分になる。残りの速さを、受け止める。
エドは、路面に左手を当てたまま、落ちてくる鎧を見上げた。落ちる速さ。壁までの距離。ハルクが跳ぶ軌道。頭の中で、数字が回る。受ける高さは、三階。手を作るのは、あのビルの外装だ。梁の外側だけを使えば、骨は残る。
あと三秒。二秒。
「でけえの、いくぞ!」
両手を打ち合わせ、路面に叩きつけた。
青白い稲妻が、路面を走って、ビルの壁を駆け上がった。数階分の外装が縮み、壁から巨大な腕が伸びた。肘から先が谷間へ斜めに突き出し、掌が上を向いて開く。腕は壁沿いに、地面近くまで続く緩やかな坂になっていた。指は、板ばねのように反っている。
緑の影が、塔の縁を蹴った。落ちる赤い鎧を、空中で掴む。巨体が、鉄の掌に着地した。指が、板ばねのように沈んで、落ちる勢いを食った。沈んだ指が戻ろうとするのを、ハルクが背で押さえ込む。そのまま二人は、腕の坂を滑った。壁を削る音。ガラスの割れる音。坂の終わりは、地面すれすれだった。緑の巨体が、赤い鎧を抱えたまま、路面へ転がり出た。
エドは、膝から崩れた。路面に、手をついた。
〈兄さん〉
〈……大丈夫だ。ちょっと、疲れた〉
「エド」ロジャースが駆け寄って、肩を掴んだ。「立てるか」
「……立つ」エドは、ロジャースの腕を借りて、立ち上がった。「もう、何もしたくねえ」
***
エドがロジャースに支えられて駆けつけた時、全員が、赤い鎧を囲んでいた。
ソーが、スタークの顔の覆いを外していた。スタークの目は、閉じていた。顔が、青白かった。
誰も、何も言わなかった。
エドは、人の間を割って、前に出た。スタークの首筋に、左手の指を当てた。
〈兄さん、脈〉
〈今、探してる〉
指の下で、何かが、かすかに跳ねた。弱いのに、速かった。
その時、ハルクが、吼えた。
耳を劈くような怒号が、街に響いた。窓という窓が、震えた。
スタークの目が、開いた。
「……何だ」スタークは、顔をしかめた。「ビルから、手が生えてる」
「俺が作った」エドは言った。声が、掠れた。
スタークは、ゆっくりと首を回して、壁から生えた鉄の手を見た。それから、エドを見た。
「君か。……なるほど。道理で、僕の骨が、折れてない」
ロジャースが、しばらく黙っていた。それから、ゆっくり言った。
「勝った」
「そうか」スタークは、息を吐いた。「……みんな、よくやった」
スタークの目が、エドの顔で止まった。エドは、通りの向こうを見ていた。タクシーのあった方を。
「エド」
「……なんだ」
「向かいの通りに、シャワルマの店があるんだ。何なのかは知らないが、食ってみたい。付き合え」
「……そんな気分じゃねえ」
「僕もだ。だが、腹は減る」スタークは、肩をすくめた。「食べて、それから考えよう。全員、付き合ってもらう」
ロジャースが、エドの肩に手を置いた。
「一人で、抱え込むな」
「……分かってる」
ナターシャが、少しだけ笑った。「肉は、多めに頼んであげる」
ソーが、塔を見上げた。
「まだ終わっていない」
「……シャワルマは、その後だ」スタークが言った。
エドは、ほんの少しだけ、息を吐いた。
スタークの目が、エドを見た。
「エド」
「なんだ」
「君の言ったとおりだった。裂け目の向こうに、大きな船があった」
「……そうか」
「いい読みだった」
エドは、何も言えなかった。顔を、そっぽに向けた。
〈兄さん、目が赤いよ〉
〈……埃だ〉
***
塔の最上階は、ガラスの破片で埋まっていた。
エドは、ロジャースたちと並んで、階段を上がった。足が重かった。腹が、鳴り続けていた。
部屋の奥の階段に、ロキが這い上がっていた。外套は破れ、顔に血の筋が走っていた。起き上がろうとして、動けずにいる。
ロキは、気配に気づいて、振り向いた。
ソー、ロジャース、スターク、ナターシャ、バートン、ハルク。全員が、そこにいた。全員が、ロキを見ていた。
エドも、その端にいた。ロジャースが、ちらりとエドを見た。大丈夫か、と目で聞いている。エドは、小さく頷いた。
「よければ」ロキが、スタークを見て、かすれた声で言った。「あの時の一杯を、いただこう」
ハルクが、鼻を鳴らした。
ロキの目が、全員を一巡した。それから、最後に、エドの顔の上で止まった。
ほんの、一瞬だった。
エドは、ロキの目を見返していた。その目が、エドの背後に何かを見ているように見えた。
〈兄さん、こっち見てる〉
〈知ってる〉
〈前と、同じ目だ〉
〈ああ。いずれ、って言ってた時の〉
エドは、拳を握りしめた。ロキの目を、真っ直ぐに見返した。
ロキは、ふっと目を逸らして、口元だけで笑った。