MCU:Fullmetal Alchemist 作:ゴミ収集者
ロキの身柄をめぐるひと悶着のあと、一行はタワーを降りて、約束どおり、通りの角の店に入った。
店は、シャッターを半分下ろしたまま営業していた。電気は止まっているが、ガスは来ている。エプロン姿の店主は目が赤く、スタークが全員分を頼むと、手が少しだけ軽くなった。
ソーは、一つを二口で食べ終えて、次の皿を引き寄せた。壁際では、ロジャースが黙ってパンをちぎっている。誰も喋らない。遠くで、サイレンが鳴り続けている。
エドも、二つ目まで食べた。三つ目を手に取って、置いた。目を閉じると、ひしゃげたタクシーから伸びた手と、引き剥がされていった女の人の背中が出てくる。壁を立てて、足場を伸ばして、走り回った。それでも、届かなかった人たちがいる。
「数えてるのか」
隣の丸椅子に、いつの間にかバートンが座っていた。
「……何を」
「俺もだ」バートンは、自分の皿から肉を一切れ、エドの皿に移した。「食え。数えるのは、食ってからだ」
「何も言ってねえ」
「腹が減ってると、数が増えるんだよ」
エドは、肉を口に入れた。しょっぱかった。
「あなたの作った通信機、SHIELDが回収したがってるわよ」
ナターシャが、窓の外を見たまま言った。
「は? ただの通信機だろ」
「ただの、じゃない」スタークが、もぐもぐしながら言った。「通信機なら、僕が作った方が高性能だ。向こうも同じさ。ほしいのは物じゃない」
「じゃあ、何だよ」
「艦のパネルから、三十秒で、艦と同じ周波数の物が出てきたんだ。どうやったのか、知りたいんだよ。……僕もね」
「手で触って、中身を読んで、組み直しただけだ」
「それだけ、か」スタークは、にやりと笑った。「『それだけ』で済ませるやつが、一番たちが悪い」
奥の席で、バナーが噴き出した。さっきまで一言も喋らなかった人が、手の甲で口を押さえて笑っている。
「すまない。君たちを見てたら、止まらなくなった。……エド、弟さんの件、続きを話そう。僕はスタークの工房にしばらくいる」
「ああ。絶対行く」
「入館証も作っておく」スタークが言った。「廃棄場の再利用係つきだ」
「あの話、本気だったのかよ」
「給料も出す。浮いた材料費からね」
「ケチくせえ!」
「ラボにも入れてやる。ついでに、その腕と脚も診てやろう。僕なら、もっと軽くて丈夫なのが作れる」
「いい。担当がいるんだ」
「担当?」
「義肢屋だ。脚と腕は、そいつにしか触らせねえ」
「担当、ねえ」スタークは、にやにやした。「恋人か?」
「違う! ただの、幼なじみだ!」
「顔が赤いぞ」
「赤くねえ!」
「分かった分かった。見るだけにしておく」
***
店を出ると、通りの端に、黒い車が二台、止まっていた。SHIELDの回収班だった。ナターシャが先に乗り込み、バートンは、ドアの手前で足を止めた。
「エド」
「なんだ」
「屋上から、見てたぞ」バートンは、肩の弓を背負い直した。「お前が下で手を回してくれたから、俺は上から全体を見ていられた」
「あんたが見えてたから、俺が動けたんだ」
「どっちでもいい。……借りの話だろ」
「ああ。庇われた分は、まだ返し終わってねえ」
「もう十分だ、と言っても聞かねえんだろ」
「聞かねえ」
バートンは、少しだけ笑った。
「なら、残りは預かっとく。次に会う時に、取り立てる。それまで、変な借りを増やすなよ」
「利子は付けねえからな」
「付けるさ。……生きてろ、それが利子だ。ああ、それと」バートンは、ドアに手をかけたまま振り返った。「今度、組手でもするか。お前は、伸びそうだ」
「あんた、弓だろ」
「弓だけだと思うなよ。屋上で、お前の蹴りを見た」
車の窓が下りて、ナターシャが顔を出した。
「その時は、私が相手をするわ。バートンは、手加減が下手だから」
「あんたの方が怖えよ!」
「手加減はするわ」ナターシャは、にっこり笑った。「たぶん」
バートンは、片手を上げて、車に乗り込んだ。ドアが閉まる直前、ナターシャが窓の内側から、エドに小さく手を振った。エドは、ぎこちなく手を挙げ返した。
***
その夜、エドは、SHIELDが押さえたホテルの一室で、携帯を握っていた。
窓の外は、停電で暗い。遠くに、タワーの天辺の灯りだけが、ぽつりと見えた。
〈あのオレンジの人、結局、誰だったんだろう〉
〈知らねえ。守らなきゃならねえ場所があるとか言ってた〉
〈あの惨状より大事な場所って、どこだろう〉
〈聞いときゃよかった。……いや、今は後だ〉
〈兄さん、電話しなよ〉
〈分かってる。待て。今、考えてる〉
〈ウィンリィは、もう知ってるよ。ニュースで、流れてた〉
〈……だから、困ってんだよ〉
番号を押した。三回鳴って、繋がった。
『エド!?』
「おう。……生きてる」
『知ってる! 見てたもん! ニュースに、一瞬映って、すぐ分かった! あの錬成は何、どうしてまたあんな派手なことを、右腕、無事なの!?』
「うるせえ。耳が壊れる」
『壊れてもいいわよ! ほんとに、もう』
ウィンリィの声が、途中で、細くなった。電話の向こうで、鼻をすする音がした。
「泣くな」
『泣いてない』
「泣いてんだろ」
『泣いてないってば。……ご飯は、食べたの』
「シャワルマ食った。あとで教える。うまかった」
『何、それ』
エドは、少しだけ黙った。シーツを握った。
「ウィンリィ。伝言がある。……コールソンさんから」
電話の向こうが、静かになった。
「あの人、死んだ。俺の目の前で」
『……え』
「最後に、あの人が言ってた。謝りに行くって、お前に約束したって。俺を危ない場所に出さない、守れなかったら謝りに行くって。……行けそうにないから、伝えてくれって」
『……去年の冬に、来たの』
ウィンリィの声は、かすれていた。
『ピナコばあちゃんの店に。義肢の部品の件で。あんたが出かけてる間に。あんたには内緒でって、言われてたけど。その時、あたしにだけ、頭を下げたの。エドさんを、危険な場所には出しませんって。あたし、嘘つけって言ったのよ。そんな約束、できるわけないでしょって』
「……そうか」
『そしたら、あの人、できるだけやりますって。……できるだけ、って言ったのよ。嘘じゃなかった』
「うん」
『謝らなくていいって、伝えたいのに』
ウィンリィの声が、また詰まった。
『あんたを、ちゃんと帰してくれたんだから。それでいいって、あの人に、言いたかったのに。もう、言えない』
エドは、何も返せなかった。携帯を持つ手が、少し震えていた。
「帰ったら、全部話す」エドは言った。「あの人のことも」
『……うん。腕、帰ってきたら見せなさい。絶対ひび入ってるから』
「入ってねえ」
『入ってる! あんたはいつもそうなの! 帰ってきて、ソケットも組むって言ったでしょ!』
「帰る。約束した」
『もう一回言って』
「帰る」
電話が切れた。エドは、携帯を額に押し当てて、しばらくそのまま座っていた。
次に、短縮の一番上を押した。
『……私だ』
雨の音が聞こえた。ロイの声は、いつもどおりに眠そうだった。
「俺」
『ニュースで見たぞ』ロイは言った。『ずいぶん派手にやったな。画面の端に金色の三つ編みが映っていたから、リザが先に気づいた』
「怒ってんのか」
『怒る資格はない。私が同じ場所にいたら、同じことをする』ロイは、短く笑った。『ただし、会は見ていたと思え。切った相手が、世界中のテレビに映ったんだ。向こうも、何かしら動くだろう』
「……だよな」
『グレイシア夫人から、さっき電話があった。エリシアがテレビの前で、エドお兄ちゃんだ、と叫んで泣き止まなかったそうだ』
エドは、目を丸くした。
「あの子、見てたのか」
『ああ。顔は、ほとんど映っていない。それでも、分かったらしい』
エドは、ベッドの縁に座り直した。喉の奥が、じわりと熱くなった。
「……今度、グレイシアさんに電話する」
『そうしろ。今日は寝ろ』
「子供扱いすんな」
『子供は寝ろ、と言っている』
電話は、ぶつりと切れた。エドは、舌打ちをして、それからベッドに倒れた。天井の染みが、さっきの店のと、似ていた。
***
雨の音が、まだ続いていた。
ロイは、受話器を置いた。リザが、台所から、湯気の立つカップを二つ持ってきて、片方を机に置いた。
二人とも、何も言わなかった。
その時、電話が、また鳴った。リザが目で問うた。ロイは頷いて、受話器を取った。
「はい」
『夜分に、すまないね』
低くて、柔らかい声だった。
『テレビを見たよ。あの子は、よく働くね』
ロイの指が、受話器の縁を、強く掴んだ。
「……恐れ入ります」
『怒っているわけじゃない。あれだけの力を、あんな大勢の前で出したんだ。いずれ、みんなが知ることになる。……その前に、少し話しておきたいことがある。近いうちに、会えるかな』
ロイは、リザの顔を見た。リザは、カップを持ったまま、動かなかった。
「……承知しました」
『ありがとう。よく休みなさい』
電話が切れた。ロイは、受話器を持ったまま、しばらく動かなかった。雨が、窓を叩いていた。
***
三日後の朝、エドは、タワーから二ブロック離れた交差点に立っていた。
あの日、バスと車で屋根を張った場所だった。路面に、屋根の脚の跡が残っている。道路の端には、青いテープが張られ、制服の警官が一人、あくびを噛み殺して立っていた。
「あんたが、あの子供かい」
警官は、エドを上から下まで眺めた。
「ここ、立入禁止なんだがな」
「許可は取った。これだ」
エドは、ポケットから、ヒルが手配した臨時の通行証を出した。警官は、通行証を何度か裏返して、肩をすくめた。
「まあいい。あの屋根を作ったのは、あんただろう。邪魔だから、片付けてくれるのか」
「そのつもりで来た」
エドは、屋根の脚に、手を当てた。バスの外板。車のフレーム。あの日自分で組んだ鉄だ。ほどくだけなら、難しくない。
〈兄さん、車に戻せるの?〉
〈無理だ。車は部品が多すぎて、元どおりには作れねえ。材料にして、道の端に寄せる〉
〈うん〉
両手を打ち合わせて、屋根の脚に叩きつけた。
青白い稲妻が走って、鉄の屋根が、ほどけた。大きな鉄板が、縮み、四角い鉄の塊になって、道の端に、順に積み上がっていった。路面が、端から端まで、見通せるようになった。
「……片付いたな」
警官が呟いた。
「片付けただけだ」エドは、膝に手をついた。「車には戻せねえ。持ち主には、悪いことをした」
「それで十分だ。あれが邪魔で、撤去の作業車が入れなかったんだ」
警官は、意外にあっさりと言った。エドは、少し驚いた。
「あの日は、あの屋根で、助かった人もいる。俺の姉の子も、あの下にいたんだ。あんたに会ったら、礼を言ってくれって、頼まれてた」
エドは、何か言いかけて、口を閉じた。それから、小さく頷いた。
規制線が張られているのは、交差点の中だけだった。その外の通りでは、店主や住人が戻り始めていた。
通りを進むと、あちこちに、あの日の跡が残っていた。路面に、材料を取られて凹んだ跡。ビルの壁に、鉄の手の根元。街灯が曲がった電柱。エドは一つずつ歩いて、手を当てた。路面の凹みは、道端に積んだ壁を縮めて、元の石畳に戻す。曲がった街灯は、真っ直ぐに組み直す。壁も足場も、構造は単純だ。どれも、数秒で済んだ。
通りの端で、作業服の男たちが、道具を持ったまま立ち尽くしていた。
「今の、見たか」
「穴が、塞がった……」
若い作業員が、携帯を構えた。警官が、その前に手をかざした。
「やめろ。撮影禁止だ。上から通達が出てる」
「上って、どこの」
「俺が知るか」
四つ目の角で、ロジャースが、横転した乗用車を一人で起こしていた。盾は背負ったまま、上着だけ作業着に替えている。周りの警官たちが、遠巻きに見ていた。
「おはよう、エルリック。警官に頼まれた。力仕事だ」
「それ、起こしても直らねえぞ」
「持ち主が、中の荷物を取りに来る。倒れたままだと、取りに入れない」ロジャースは、車体をそっと下ろした。「君は、ちゃんと寝たか」
「寝た。あんたは」
「七十年分、寝たからな。しばらくは、いい」
「それ、笑っていいやつか」
「俺も、まだ分からない」
ロジャースの口の端が、少しだけ上がった。エドは、笑っていいのだと判断して、噴き出した。
「次は、あのバスを頼む。君には重いだろう」
「誰が小さいって言った!」
「言ってない。重いと言った」
「同じだ!」
ロジャースは、真面目な顔のまま、バスの後ろへ回った。エドは舌打ちをして、前から手を当てた。二人で押すと、バスはずるずると歩道に寄った。
「あの日の避難路の話」ロジャースが、前を向いたまま言った。「君が言い出さなければ、俺は指揮を取れなかった。礼を言う」
「別に。思いついただけだ」
「それでも、ありがとう」
「……おう」
エドは、バスの外板に額をくっつけて、耳の赤いのを隠した。
次のビルの前では、バナーがタブレットを抱えて、壁を見上げていた。
壁には、あの日エドが作った鉄の腕が、肘から先を斜めに突き出したまま残っている。バナーは、腕の根元に屈んで、指でつないだ跡をなぞっていた。
「おはよう。見せてもらってるよ」
「勝手に見んな。恥ずかしいんだ、あれ」
「どうして。きれいな仕事だ。外装の層の跡が、揃っている。この壁から取った材料で作った腕だと、見ればすぐ分かる」
「そこから取ったんだ。だから、同じ壁に返せる」
エドは、腕に手を当てた。指の下に、壁の梁の位置が流れ込んでくる。
「でも、足りなくなった分は、戻らねえ。……生き物は、どうなんだ」
バナーは、タブレットから顔を上げた。
「それは、僕の仕事だ。取った場所に、材料を返す。生き物でそれをやるなら、細胞の再生と同じ種類の問いだと思う。ただ、安全にやるには、まだ足りない物が多い」
「足りない物って」
「返す先の形を、どこに持たせておくか。……続きは、工房で話そう。メモを取りながら聞きたい」
「分かった」
両手を打ち合わせて、腕に叩きつけた。稲妻が走って、鉄の腕が壁に吸い込まれていく。壁の外装が、元の継ぎ目の位置に、収まった。
バナーは、タブレットに何かを書き留めて、手を振って次のビルへ歩いていった。
壁を戻し終えたところで、背広の男が、腕を組んで近づいてきた。
「あんたか」
男は、エドを睨んだ。
「うちのビルの壁に、手を生やしたのは、あんたか」
「俺だ」
「ガラスは全部割れた。看板も落ちた。保険屋は、錬金術だなんて前例はないから出せないと言ってる。どうしてくれるんだ」
「壁は直す。ガラスと看板は、破片が散らばりすぎてて、集めきれねえ」エドは、まっすぐ男を見た。「悪かった。でも、あの時、あの手がなけりゃ、落ちてきた人が一人、死んでた」
「それは、そっちの理屈だ! 私の店は、三か月かけて——」
「ご主人」
女の声が、割り込んだ。
隣の花屋の、年配の女性が、バケツを抱えて立っていた。
「あんた、あの日、あの子に助けられた人たちの顔、見たのかい。私は見たよ。ここにいる全員が、見た」
男は、口を開けたまま、黙った。花屋の女性は、エドの方を向いて、バケツから一本、白い花を抜いた。
「持っていきな。あんたにじゃないよ。あの角の壁のところに。まだ、花が少ないんだ」
エドは、花を受け取った。茎が、濡れて冷たかった。
角まで歩いた。
角の壁の手前に、白いチョークの跡が残っている。その手前に、小さな花束がいくつか置かれていた。誰かの写真が、一枚、花の間に立てかけてあった。
写真の前に、女の人が、しゃがんでいた。あの日、引きずられていった人だった。
エドは、足を止めた。
どうすればいい、と、頭が空回りした。詫びるべきなのか。何を詫びるのか。壁を立てたことか。間に合わなかったことか。声が、出なかった。
女の人が、顔を上げた。赤いコートに気づいて、目が動いた。
「……あなた、あの日の」
「……はい」
「走り回ってた子でしょう。警官から聞いたわ」
「あの人のところには、行けなかった」
「ええ。見てた」
女の人は、写真に目を戻した。
「あの日は、あなたを見て、腹が立ったの。どうして、あっちこっち走れるのに、って。ひどいことを思った。ごめんなさいね」
「……いや」
エドは、白い花を、写真の前に置いた。手が、少し震えた。
「警官が言ってたわ。あなたがいなかったら、この通りは、もっと大勢が死んでいたって」女の人は、写真の縁を指でなぞった。「だから、あの人のことを、あなたのせいにはしない」
エドは、何も言えなかった。もう一度だけ、花の前で頭を下げた。
***
昼前に、スタークが来た。
後ろに、ペッパー・ポッツが付いている。
「あなたが、エド君ね」
「あ、ああ。……はい」
「請求書の件だ。この通りの被害は、僕が全部持つ。ビルの外装、ガラス、看板、車。保険屋が渋るなら、僕が保険屋ごと買う。役所にも話は通した」
「……は?」
「ただし」スタークは、人差し指を立てた。「君が戻せるものは、君が戻す。僕が金で直せるものは、僕が直す。ちょうどいい分担だと思わないか」
「俺は、そのつもりだったけど」
「それなら話が早い。今日から三日間、君をここに借りたい。フューリーは評議会にこってり絞られていて、いつ戻るか分からない。だから、僕が預かる」
エドは、スタークの顔を見た。軽い口調だったが、目だけは、あの夜より、ずっと疲れていた。
「……なんで、そこまでやんだ」
「僕のタワーが、発端の一つだからだ」スタークは、頭をかいた。「それに、君の作った手に、僕は命を救われた。借りは、返す主義でね」
ペッパーが、くすりと笑った。
「トニーがご迷惑をかけるわね。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、無理はしないで」
「……はい」
エドは、そっぽを向いた。
〈兄さん、耳が赤い〉
〈うるせえ〉
ペッパーが、タワーの方から呼ばれて、先に離れた。スタークだけが、その場に残った。
「エド」
「なんだよ」
「例のカードの件だ」
エドは、肩をすくめかけて、やめた。スタークは、道の端の割れたガラスを、爪先で寄せた。
「ヒルが、フューリーに突っかかったそうだ。あのカードは、ロッカーにあったんだろうと。……君は、最初から知っていたな」
「……上着に、入ってなかった。俺が、確かめた」
「それで、黙っていた」
「言ったところで、死んだ人は戻ってこねえ。あんたたちも、あれで、まとまっただろ」
「そうだな。まとまった」スタークは、否定しなかった。「あの男は、そうやって人を動かす。うまいし、間違ってもいない。……だが、君の前で同じことをやる大人には、気をつけろ。君が気づく側の人間だというのは、使う側から見れば、使い道が広いということだ」
「分かってる。本人にも言われた。潰れる奴も多いって」
「それなら、潰れるな」スタークは、肩越しに言った。「言いたくなったら先に僕に言えと言ったのを、覚えてるか。あれは、今も有効だ」
「……覚えてる」
スタークは、ひらひらと手を振って、タワーの方へ歩いていった。
***
昼過ぎ、エドは、通りの角のデリで、遅い昼食を取っていた。
壁に付けられた小さなテレビが、ニュースを流している。リポーターが、廃墟になりかけた通りの前で、市民にマイクを向けていた。
『あなたも、戦いを見ましたか』
『見たよ』画面の中で、男の子が、母親の腕の中から身を乗り出していた。バスの窓にしがみついていた、あの子だった。『赤いコートのお兄ちゃんが、助けてくれたの。手を叩いたら、バスが開いたの』
『お兄ちゃん? 何か、名乗っていましたか?』
『うん、錬金術師だって言ってた! 右手が金属で、ロボットみたいなの!』
『金属の腕の、錬金術師……』
リポーターは、少し考えてから、カメラに向き直った。
『さしずめ、「鋼の錬金術師」といったところでしょうか。そんな人物が、あの日、街にいたようです』
画面の下に、字幕が出た。
エドは、サンドイッチを喉に詰まらせた。
「おい、ちょっと待て! なんでそうなるんだよ! 誰が付けた、その名前!」
「あんたの名前じゃないのかい」
カウンターの奥から、店主が、のんびりと言った。
「あんたのことだろう? あの日、この辺りで、散々見たよ。腕が鉄の、赤いコートの子供」
「勝手に付けんな!」
エドは、立ち上がった。それから、ふと、あの日のあの子を思い出して、座り直した。
〈兄さん、その名前……〉
〈ああ。会の連中が付けた二つ名と、同じだ。なんでよりによって、それになるんだよ〉
〈偶然だよ。たぶん〉
〈……たぶん、な〉
向かいの席に、トレイを持った女が座った。ヒルだった。コートの裾に、乾いた埃がついている。
「ここにいると聞いたわ」
「フューリーは」
「評議会。いつ戻るか分からないから、私が代わり」ヒルは、テレビの字幕を顎で指した。「あれは、止められない。バスの子が言った通りの形で広まってる」
「あいつは子供だ」
「あなたも未成年よ」ヒルは、表情を変えずに続けた。「報告書の話をするわ。あの力の部分は、スターク社の試作機材による現場対応、という表紙にする。中身の記録は、今までどおり、SHIELDの中だけ」
「嘘を書くのかよ」
「表紙だけ。世間向けのね」ヒルは、コーヒーに口をつけた。「あなたの顔は出さない。写真が出たら、こちらで潰す。……ただ、名前の方は、もう私たちには手が出せない」
「……分かった」
「それと、上院の何人かが、あなたの名前を出してる。手を合わせるだけで、街を作り替える子供。……彼らにとっては、英雄より先に、脅威なのよ」
「俺は、直してるだけだ」
「それが、いちばん怖いの」ヒルは、コーヒーを置いた。「会う必要が出たら、私が先に言う」
「……分かった」
「通行証は、三日分更新しておいた。壊した分は戻して、戻せない分はスターク社に回すこと。それだけ守って」
「分かってる」
エドは、サンドイッチの残りを口に押し込んだ。それから、財布を出して、会計をしようとした。店主が手を振った。
「今日は、あんたのは取らない。この通りの店は、みんなそうしてる」
「……いいのかよ」
「いいから、さっさと食って、働いてきな」
エドは、一つ頷いて、店を出た。
通りの向こうで、避難用に伸ばした足場が、ビルの壁から突き出したままだった。あの日のままだ。足場をほどいて、ガラスはスタークの手配に任せて、それから次の通りだ。やることは、まだ山ほどあった。
エドは、手袋を直して、その足場に向かって歩き出した。
***
その夜、暗い会議室で、スーツの男が一人、録画を見ていた。
画面には、ビルの壁から鉄の腕が伸びて、落ちてくる鎧を受け止める映像が流れている。男は、巻き戻して、もう一度、同じ場面を見た。
「素手で触れただけで、ビルが腕になる。あれは技術じゃない。兵器だ」
隣で控えていた部下が、手帳を開いた。
「SHIELDの協力者、としか。長官が、情報を止めています」
「止めているのは、長官の判断か」
部下は、答えなかった。男は、映像を止めた。壁の腕で止まった画面を、しばらく眺めてから、立ち上がった。