MCU:Fullmetal Alchemist 作:ゴミ収集者
大筋には影響しませんので、飛ばしても問題ございません。
翌朝、スタークは、約束どおり、エドを待っていた。
タワーの上の階の、窓の大きな部屋だった。入れ替えたばかりのガラスに、貼り剥がしたシールの跡が残っている。部屋の真ん中には、ベッドの代わりに、細い腕のような機械が、天井から三本下がっていた。
「脱げ」
「言い方」
「上着と、右の袖と、左の裾だ。立ったままでいい」
バナーが、壁際で紙コップを持ったまま、目を逸らした。エドは舌打ちをして、上着を椅子に放り、右の袖をまくって、左の裾を膝まで上げた。鋼の腕と、鋼の脚が、朝の光を弾いた。
「見るだけだぞ。直すな」
「分かってる。担当に怒られたくない」
機械の腕が降りてきて、エドの右の肘に、光を当てた。ジャーヴィスが、天井から言った。
『肘の軸受けに、摩耗が見られます。左脚の接合部は、設計値から0.3ミリずれています』
「一昨年の冬に、直してもらった。まだ新しい」エドは、肘を曲げて見せた。「問題ねえ」
「問題ないのは、君が慣れたからだ。痛いだろう」
「別に」
「背が伸びてるのに、脚が合ってない。当たり前だ」
「伸びてる!」
「3センチな」
バナーの肩が、小さく揺れた。
「脚が合ってないまま走り回ると、腰にくる。よく痛めなかったな」
「師匠のしごきで、毎朝、山に放り込まれた。生き延びるのが先だった」
「その師匠の教育は、行き届いてるわけだ」
『腰椎と股関節の摩耗は、同年齢の平均を大きく下回っています。骨密度は、平均の約2倍です』
「数字が良すぎるんだ」スタークは、画面を睨んだ。「鋼を片側に背負った15歳の値じゃない。……君、本当に地球人か」
「は? 何言ってんだ」
「冗談だ」
スタークは、タブレットに数字を打ちながら、光の筋を目で追っていたが、ふいに手を止めた。
「ジャーヴィス。膝のカバーの内側、拡大してくれ」
画面に、小さな刻印が出た。文字が三つと、数字が四つ。
「この書式は、見覚えがある。……父の工場の部品番号だ。社員番号の癖まで同じだ」
『1960年代の社内記録に、同じ書式の番号が残っています。照合します』
天井が、短く沈黙した。
『精密機構部、ピナコ・ロックベル。在籍は20年。ハワード・スターク直属の設計チーム。担当案件は、神経接続式の義肢です』
エドは、まくった裾を握ったまま、画面を見た。
「……ばあさんは、昔、あんたの父親の会社にいたって。そこまでしか聞いてねえ」
「父は、人を褒めない人だった」スタークは、画面から目を離さずに言った。「その父が、図面の最後に、彼女の名前だけを書き添えてる。三回ともだ」
エドは、何も言わずに、膝の刻印を、指でなぞった。
スタークは、画面を消した。それから、いつもの調子に戻った。
「診断は以上。肘の軸受けを替える。脚は作り直し。数字は全部取った。君の担当に送る。直すのは、彼女だ」
「……ウィンリィにか」
「ペッパーの従妹だろう。うちのサービスだと、ペッパーが言ってた。金は取らん」スタークは、タブレットを閉じた。「それと、膝の刻印を残して直せと言っておいてくれ。いい仕事は、残すべきだ」
エドは、袖を下ろした。上着を拾う手が、少しだけ、ゆっくりだった。
***
その夜、エドは、タワーの客室から、ウィンリィの家に電話をかけた。
呼び出し音が六回鳴って、受話器が上がった。
『誰だい、こんな時間に』
「俺だ」
『エドかい。脚が痛むのかい』
「違う。……ばあさん、昔、ハワード・スタークの下で何を作ってたんだ」
受話器の向こうで、少し間があった。
『誰から聞いたんだい』
「あいつの息子だ。図面の最後に、三回も名前が書いてあったって」
『あの人は、図面を見る目だけは確かだった』ピナコは、鼻を鳴らした。『神経に繋ぐ義肢の、最初の図面を引いたのは私さ。そのうち会社が兵器に舵を切って、義肢の部署は畳まれたがね。あんたの腕は、その続きだよ』
「……そんな話、初めて聞いた」
『聞かれなかったからね。それより、あの子が大騒ぎしてるよ。あんたの脚のずれが、0.1ミリ以下の精度で出てたって。週末に帰ってきて、あんな数字は初めて見たと、画面の前で30分動かなかったよ。脚は、冬にあの子が来た時に組むそうだ』
「……そうか」
『ちゃんと食べてるのかい。肉も』
「食ってる」
『牛乳も』
「牛乳は、いらねえ」
『飲みな』
電話は、そこで切れた。エドは、受話器を持ったまま、少し笑った。
***
その夏、エドは、タワーの客室に住んで、廃棄場に通った。
廃棄場の山は、少しずつ低くなった。折れた梁は、指定された寸法の鋼材になり、ロボットの腕は、ばらされて、必要とされる素材に分けられて棚に並んだ。エドが一つ片付けるたびに、ジャーヴィスが、次に必要な素材と量を読み上げた。
六月のはじめ、スタークは、スーツの外装の端材を、エドの前に置いた。
「格納庫で直した時は、外側だけだったな。中身が何でできてるかは、分からなかった」
「ああ。普通の鋼じゃねえ。当たりもつかなかった」
スタークは、タブレットを滑らせた。「ジャーヴィスが、金チタン合金の成分表を回す。読んで、分かったら、もう一度触れ」
エドは、一晩、客室で資料を読んだ。チタンの合金は、機械の部品として何度も触ってきた。知らなかったのは、金を混ぜる理由と、その量だった。〈兄さん、金って、柔らかいんじゃなかった?〉〈だから、少しなんだろ。少しなら、チタンに溶け込んで強くなる。混ぜすぎると、粒の境目が脆くなるんだと〉
翌朝、エドは、端材に手を当てた。今度は、当たりがつく。チタンが大半で、金がわずか。粒の大きさが、そろえてある。そろえる理由も、分かる。
「……読める」
その日のうちに、エドは、ジャーヴィスが用意したチタンの屑と金の端材を使って、指の太さほどの合金の棒を作った。台に固定して、ハンマーで叩く。最初の棒は、一撃で割れた。感覚で当たりをつけた金の量が、少し多かった。二本目は、何度叩いても、凹みもしなかった。
スタークは、棒を拾って、重さを確かめた。それから、部品の山に放った。
「合格だ。数に入れる」
「数って、何のだ」
「在庫だ」スタークは、もう次の図面に目を移していた。
週に二、三日は、廃棄場を出た。街には、あの日の瓦礫が、まだ残っていた。スターク社が名前を伏せて請け負った復旧の現場で、エドは、崩れた壁や折れた支柱を、同じ素材の梁や板に戻していった。夜明け前に着いて、人の来る前に引き上げる。写真は撮らせない。それが条件だった。
それでも、噂は漏れた。ニュースは、あの日の戦いの映像に、金髪の子供を映していた。誰かが、六人目と呼んだ。スタークは、その呼び名を聞くたびに、眉を寄せた。「公式には、何も言わない。映像の出所は、SHIELDが潰して回ってる。子供を矢面に立たせるのは、僕の趣味じゃない」
そのうち、頼まれるものの種類が変わった。ジャーヴィスが読み上げる一覧に、スーツの外装、骨組み、関節の受け皿が混ざり始めた。構造が分かっている部品だけ、手本が置かれて、数が添えてある。エドが両手を合わせると、鉄屑の山が、同じ形の部品に化けた。心臓部や制御は、触らせてもらえなかった。「そこは、僕が作る」と、スタークは言った。「数がほしいんだ。時間が、足りない」
エドは機械の基礎なら知っている。ヒンジも、ベアリングも、名前と仕組みは分かる。それでも、スターク社の部品は、別の文明の物だった。ヒンジ一つ読んでも、知らない素材と、知らない仕組みが何層にも重なって、当たりがつかない所が残る。ジャーヴィスが夜のうちに資料を回し、エドが翌日、手本に手を当てる。分からない塊が一つ減るたびに、当たりが外れなくなって、作れる部品が一つ増えた。
〈兄さん、手、速くなったね〉
〈覚えただけだ。分かんねえもんは、まだ分かんねえ〉
昼には、ペッパーが、サンドイッチの袋を提げて降りてきた。
「トニー、これ、食べた形跡のないお皿が、三日分」
「食べた」
「ウィンリィからは、毎週メールが来るの。今週は、MITの課題が山盛りですって」
「あいつ、また徹夜か」
七月の半ば、夜の廃棄場で、バナーは、エドの前に大きな紙を広げた。人の体の輪郭に、骨と筋の線が引いてある。
「筋は、電気で縮む人工の繊維で代用する。スタークの工房で試作が始まった。問題は神経だ。ここを、君の義肢の接続と同じ方式にしたい」
「ばあさんの、あれか」
「君の体で、もう実証済みの方式だ。細くして、数を増やせば、全身に回せるかもしれない」バナーは、骨の線の端に、小さく印を付けた。「アルフォンスの意見も聞きたい。どんな体なら、いい?」
〈……ぼくは、兄さんと同じ背丈がいいな〉
「同じ背丈がいいってよ」
「伸びてるうちは、合わせにくいな」バナーは、笑った。それから、少し真面目な顔になった。「体は、準備できる。でも、魂が入るかは、やってみないと分からない。そこは、約束できない」
「分かってる」
翌朝、ウィンリィから、骨組みの寸法を書いた図面が、メールで届いた。余白に、「身長は、ちゃんと測ってから!」と書いてあった。
七月の終わり、バナーは、廃棄場の机に、封筒を置いた。エドの名前が書いてある。中には、紙の束が入っていた。細胞の再生の論文。拒絶反応の症例。余白に、細かい字で、赤い印と、問いが書き込んである。
最後の頁に、一行だけあった。
「読めるようになったら、聞いてくれ。弟さんの体のために」
「全部、読むのか」
「全部じゃなくていい。まず、赤い印のところだ」バナーは、紙コップのコーヒーに口をつけた。「僕は、下の研究室にいる。夜は、たいてい起きてる」
「寝ろよ」
「それ、スタークにも言ってやってくれ」
エドは、束を鞄にしまった。まだ、一頁も読んでいなかった。
***
十月の夜、エドは、明日の朝の計算に使うノートをスタークのラボに置き忘れたのに気づいて、客室から降りていった。
深夜の2時を過ぎていた。エレベーターを降りると、廊下は暗いのに、ラボの扉の隙間から、白い光が漏れていた。
押し開けると、金属を削る音が止んだ。
スタークが、作業台の前に立っていた。目の下が黒い。台の上にも、床にも、棚の上にも、塗装前の、鈍い金属色のスーツが並んでいた。腕だけのもの。胸だけのもの。脚だけのもの。何十とある。
「やあ。夜更かしか」
「ノートを取りに来た。……あんた、寝てるのか」
「寝てる」スタークは、工具を置いた。「昼間に」
「昼間は、廃棄場で俺と一緒にいるだろ」
「じゃあ、午後の端のほうで」
『38機目が組み上がりました、トニー様』ジャーヴィスが言った。『今夜、これで四機目です』
「数えなくていい」
エドは、棚の端に置いたままのノートを取った。作業台の脇に積んである外装の板は、見覚えのある形をしていた。夏に、自分が量産したものだった。
夏に頼まれた部品の数を、頭の中で足してみた。外装も、骨組みも、一人が着る量ではない。何十体分もある。
子供を矢面に立たせたくない、と言った口で、この男は、一人で何かに備えている。一人で、全部を背負うつもりで。
〈あの人、何と戦うつもりなんだろう〉
〈さあな。聞いても言わねえ〉
台の上のスーツの何体かには、焦げた跡が残っていた。スタークが、わざと残している。
スタークの手が、わずかに震えているのが、見えた。握り直して、隠した。
「目を閉じると」スタークは、台の上のスーツの胸を、指で叩いた。「穴が見える。空にあいた、あの穴だ。……寝ても、30分で目が覚める。だから、作る」
冗談の口調だった。
「穴なら、あんたが塞いだだろ」
「塞いだ。……塞いだ後が、問題でね」
エドは、棚の端に腰を下ろした。「眠れねえなら、せめて手を減らせ。部品なら、俺が作る」
「君に任せられる部品には、限りがある」
「その分だけでいい。残りは、自分でやれ」
スタークは、少しだけ黙った。「……好きにしろ」
エドは、鞄から定規を取り出して、ノートの余白に、梁の断面を一つ、描き始めた。スタークは、また工具を握った。
削る音と、鉛筆の音が、交互に続いた。
3時を過ぎたころ、スタークが、椅子の上で動かなくなった。工具が、手から滑り落ちて、床で跳ねた。
〈兄さん〉
〈ああ〉
〈毛布、ないかな〉
〈探す気はねえ〉
エドは、立ち上がった。ラボの奥の資材置き場から、鋼材を三本と、薄い鉄板を一枚引きずってきて、スタークの椅子の脇で、両手を合わせた。
青白い光が、短く走った。
低い簡易寝台が、組み上がった。脚の長さが揃っていて、板の縁には、角が丸めてある。エドは、寝台を椅子の横へ寄せ、椅子の背を傾けて、スタークの肩を支えながら乗せ換えた。重くて、一度、舌打ちが出た。
「……再利用係の、本領だな」
目を閉じたまま、スタークが言った。
「起きてたのか」
「今、寝る」
エドは、上着を脱いで、スタークの肩に掛けた。それから、ノートを抱えて、ラボを出た。扉を閉める音を、できるだけ小さくした。
寝台は、いつのまにか廃棄場の奥へ運ばれていた。
翌朝、スタークは、昼まで起きてこなかった。
***
十二月に入って、街に雪が降った。
スタークは、眠れる夜が、少しだけ増えたらしい。昼間だけだが。簡易寝台は、そのまま置いてある。誰も、片付けようとは言わなかった。
「エド」
その日、スタークは、台に肘をついて言った。
「ウィンリィが、年末に来る」
「ああ。冬休みの見習いで」
「部屋は、君の隣を空けてある。ペッパーが、歓迎会のケーキを焼きたがってる」
「勝手に数に入れんな」
「僕に言うな。ペッパーに言え」
スタークは、笑った。それから、ふと、真面目な目になった。
「ペッパーのケーキは、三段だそうだ。食べ切れるのは、君たちだけだ」
「……あいつ、荷物が多いぞ」
エドは、ノートを閉じて、鞄に入れた。
〈兄さん、嬉しそう〉
〈うるせえ〉