あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
小学校四年生のときのクラスの作文集に、こんな一作があった。
『窓の外にいるお姉さんと最近よく会うようになりました。よく教室の後ろの窓の向こうに立っていて、私の話を何でも聞いてくれます。私の話を聞きながらずっと笑ってくれます。私が友だちと話していると、お姉さんは笑ったままで窓をたたきます。私が気づくまで、ずっとたたいています。そんなに私とお話ししたいんだと思うと、うれしいです』
僕らの教室は、校舎の三階にあった。窓の外に、人が立てるような場所は、ない。
田舎に帰る電車は、二両しかなかった。平日の朝の下り列車に乗っている人はまばらで、ボックス席の向かいには誰も座っていない。窓に映る自分の姿は、黒いネクタイをしているからか、どこか違和感があった。
昨日、七月二十五日、小学校の同級生の相模が亡くなったという。
悲しい、という気持ちはあまり湧いてこなかった。社会人になって三年、田舎の友人とは年に一度顔を合わせるくらいで、最近はほとんど付き合いがない。そのせいかもしれないし、単に薄情なだけかもしれない。ただ、驚いてはいた。
僕が育った田舎は、地方の中核都市から電車で一時間ほどかかる、山間の小さな町だった。三方を山に囲まれて、真ん中を一本の川が流れている。小学校は一つしかなく、その町の子どもは全員そこに通う。各学年二クラスしかないので、ほとんどみんなが顔見知りのまま学校生活を送ることになる。
最寄りの駅に着くころには、もう昼前になっていた。電車からホームに降りた瞬間、むっとした空気と蝉の声に包まれる。木造の小さな駅舎は記憶の中とほとんど変わっておらず、改札の横には色あせた観光ポスターが貼られていた。たぶん、僕が子どもの頃から同じ場所にある。人の姿はない。
改札を出て、誰もいないバス乗り場で一人、バスを待つ。駅前なのにベンチには屋根もなく、焼けた座面がスラックス越しにじんわりと熱い。
僕が小学生の時に一時間に一本だったバスは、現在三十分に一本の頻度で運行されるという、目覚ましい進化を遂げていた。今もバス停にいるのは僕一人の状態だというのに、この路線はなぜ本数を増やすことにしたのだろう。僕はバスが来るまで、その謎の解明に勤しんだ。
冷房の効いたバスに乗り込み、よいしょと座って外を眺める。なんで暑いところから涼しいところに移った時のほうが汗が出るんだろう。だが、どんな結論に達してもあまり意味はなさそうだという予感がしたので、途中で考えるのをやめた。バスは田んぼの間を縫うように走り、川を渡る橋の上で、がたんと大きく揺れた。
ほかのことを考えよう。今考えるべきは、やっぱり相模のことだろう。
陽気なお調子者な割に怖がりで、走るのが速くて、学校でのマラソン大会ではいつも上位だった、気がする。高校を卒業した後は実家の酒屋で働いていて、年に一度の友人の集まりには各種の酒を提供してくれる、そういう意味でもなくてはならない存在だった、というのは冗談にしても。
よく笑う奴で、体もがっちりしていた。会った時もいつも通りにふるまっていたから、どこか悪いなんて気づかなかった。本当は、あいつは一人で病と闘っていたのだろうか。
……やばいぞ、なんだかちょっと実感と悲しさが湧いてきた。気づいてあげられなかったなら、申し訳ないと思う。
窓に映る自分の顔を見ると、自分でも分かるくらい、元気のない表情をしていた。
「……突然死?」
「そうらしい」
葬式がつつがなく終わり、僕らは斎場の控室に集まっていた。畳敷きの部屋に置かれた長机には、手のつけられていない茶菓子と、ぬるくなった麦茶のグラスが並んでいる。どこからか、線香の匂いが漂ってきた。
相模はなぜ死んだのだろう、という、ある意味聞きづらい疑問に答えてくれたのは、小学校時代の友人である伊藤だった。明るい茶髪を無造作に後ろへ流していて、座っていても目線が僕より高い。今日はネクタイを早々に緩めていて、その格好で腕を組んでいると、もともと悪い目つきも相まって、なおさら柄が悪かった。
彼は大学を出た後に実家に戻り、喫茶店で働いている。そのため、地元の噂話はたいてい伊藤に聞けば分かるようになっていた。「今は井戸端でなく、喫茶店で話すのが主婦の主流なんだぜ」とのこと。そりゃそうだろう。最近の日本の夏は、立ち話をするには暑すぎる。
葬式で最後に見た死に顔は穏やかだったが、自分が知っている相模とはなんだか別人のようにも見えた。そして僕は、友人がいなくなった実感を持てない状態に戻ってしまっている。
それにしても……突然死?
「急性心不全だって。何か持病があったわけではないみたい。うちの病院で検案もしたらしいけど、特に不自然な点は見当たらなかったんだって」
落ち着いた口調で補足してくれたのは、杉浦だった。地元の中学から中核都市にある女子高へ進み、今は戻ってきて、町の病院で看護師として働いている。なお、なぜか女子高時代のことは黙として語ろうとしない。
背筋が伸びていて、膝の上で組んだ指の爪は短く切りそろえてある。つり気味の目元が、今日は少しだけ赤い。
「検案って何?」
「亡くなった人を医師が診て、死因とか、不自然なところがないかを確認するの」
杉浦が説明してくれる。病気で苦しんでいたわけではないらしい。それが分かったところで、どう受け止めればいいのかは分からなかった。
「でも、まだ二十六だろ?」
伊藤が聞く。いい質問だ。というか同い年だしね、僕らみんな。突然死する可能性があるっていうなら、知っておきたい。
「確率は少ないけど、ないわけじゃないよ。私たちだって今は普通に暮らしてるけどね」
……病院勤めの人が、そういう回避しようのないことを真面目な顔で言わないでほしい。
「そういえば、名取川さんは?」
毎年の集まりのメンバーは、五人。伊藤、僕、亡くなった相模。それに杉浦と、ここにいない名取川さんだ。中核都市で暮らしているが、来られない距離ではないはずだった。
「あの子は今海外だって。仕事でイギリスに行ってて、ちょうど明日の便で帰る予定って、今朝電話があった。帰国次第すぐにこっちに寄るって」
「へえ。絵の大きなコンテストがあるんだっけ? 相変わらず忙しいんだな」
と言ったきり、伊藤は黙り込んでしまった。いつも十分すぎるほどに喋る奴なのに。麦茶のグラスについた水滴を、何度も指先でなぞっている。
「いやぁ、俺、まだ相模が死んだってことの実感が湧かないわ。年末にみんなで集まった時に会ったっきりだったけどさ、すげえ元気そうだったもん」
やっぱり、僕以外の目にも、相模は元気に見えていたらしい。ただ、近くに住んでいる者同士は、僕が呼ばれるとき以外でも集まっているのかと思っていたから、それは意外だった。
「地元民同士なのに、会ってなかったの?」
「なんか、いつでも会えるって思うと、わざわざ会わなくはなっちゃうもんだ」
それは分かる気がした。中学以降の僕が、地元からだんだん離れていったのと同じだろう。時間をかければ会えないわけではないけど、って。
「こうなることが分かってれば、もっと会っておけば良かったなぁ……」
伊藤はグラスから手を離した。丸く濡れた跡が、机に残っていた。
「仕事も忙しいとは思うけど、また集まろうや。年一回だと、あと何回会えるか分からん」
「そうだね。また来る。名取川さんも呼んで、またみんなで集まろうよ」
次に集まっても、相模はいない。
五人だった席が四人になることを思い浮かべてみる。飲み物を頼んで、仕事の話をして、そのうち誰かが相模の話をするのだろうか。それとも、誰も触れないのだろうか。
「相模さ、注射のとき、校庭まで逃げたことあったよね」
僕が言うと、伊藤が少し笑った。
「あったな。先生、全然追いつけなくてさ」
あいつは何しろ、小学校のころから注射が怖い奴だった。予防接種のときに運動場まで逃げていって、先生たちの誰よりも速く走っていた。幼い僕は大いに感心したものだ。あの速さをマラソン大会で出せば、絶対一着が取れただろうに。
「それ、あんた作文にも書いてなかった?」
杉浦に言われ、僕は首をかしげた。
「そうだっけ」
「書いてた気がする。友達のことを書くやつ」
「ああ、小四のときの? 文集になったあれ」
伊藤が顔を上げた。
「あれさ、先生が最初に変なこと言わなかったか。あなたの友達のことを書いてください、あとでお話を聞くことがあります、って」
言われてみれば、そんなことを言われた気もする。もう二十年近く前の話だ。
杉浦が眉をひそめた。
「何それ。普通そんなこと言う?」
「だろ。俺それ聞いて、悪いこと書いたら呼び出されるんだと思ったんだよ。だから当たり障りのないことしか書かなかった。相模君はやさしいです、みたいな」
「あんたがそれ書いたのだけは覚えてるわ。嘘だわって思った」
杉浦が笑う。伊藤も笑って、それきりその話は終わった。
控室の窓の外で、みんみんと鳴いていた蝉の声が途切れた。廊下の向こうから、誰かが話す声が小さく聞こえてくる。
「……あれ? でも、伊藤、会ってなかったんだ?」
杉浦が、何かを思い出したように言った。
「私さっき相模のお母さんから、息子は皆さんと最近もよく遊んでもらっていて、ってお礼言われたんだけど。最近って言うから、年一回のあれじゃないよね」
「いや、俺は年末から会ってない」
伊藤がこちらを見る。僕も首を横に振った。
「僕も、そのときが最後」
「だよね。じゃあ、誰と会ってたんだろ」
「まあ、俺たち以外にも、相模と仲いい奴がいてもおかしくないしな」
そう答えた伊藤も、少し考えてから続けた。
「……でも、今地元に残ってるのって、俺たち以外にいたっけ」
「同級生以外なら、いるんじゃない? ほら、農協で働いてる後輩とか。清水もあそこの銀行でしょ。寺の先輩とかもいたはず」
相模のお母さんは、僕らと会っていると思っていた。けれど、ここにいる誰も会っていない。
「伊藤なら、最近の相模の交友関係も耳にしてるんじゃないの?」
「最近、小学校の方によく行ってた、とは聞いてるけどなぁ」
「……小学校?」
僕が聞き返すと、伊藤はうなずいた。
「何しに……?」
杉浦の問いには、答えが返ってこなかった。
僕らは顔を見合わせた。
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