あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
「次は、白井さんね」
杉浦がクリアファイルをめくった。出てきたのは、相模の部屋で見たのと同じ訃報通知だった。名前の横に、十一歳、と印刷されている。
「病気は白血病。隣の市の中央病院に入院して、そのまま亡くなってる。それで、当時そこの病棟にいた看護師さんに、話を聞けたの」
「知り合い?」
「今の職場の人が、前に一緒に働いてたんだって。名前を出したら覚えてて」
杉浦は、コピーの上へ置きかけた手を引っ込めた。
「おとなしい子だったそうよ。してほしいことがあっても、あんまり自分から言わなくて。こっちから聞くと、ようやく教えてくれるような子だったって」
教室で見ていた白井さんも、そんな感じだった。誰かと話しているところより、窓際で本を読んでいるところの方がよく思い出せる。
「病室でも、よく窓の方を見てたんだって。開かない窓だったから、外の音も聞こえないし、寂しいだろうと思ったみたい。窓が開けばいいのにね、って声をかけたことがあったそうよ」
名取川さんが、訃報通知へ目を落とした。
「そしたら、友達がずっと来てくれるから寂しくない、って」
「……お見舞い?」
「その人もそう思ったらしい。でも、お友達が来たところは見たことがなくて。誰が来てくれるのって聞いたら、白井さんは窓の方を見たんだって」
テーブルの向こうで、伊藤がストローから口を離した。
「外にいたってこと?」
「そういう意味だったのかもしれない。ただ、その看護師さんには何も見えなかった。窓の外は林で、風に揺れる木が見えるだけだったって」
白井さんがどこの病院にいたのか、僕は今日初めて知った。あのころ知っていたら、見舞いに行っただろうか。
「それ以上は聞かなかったの?」
「うん。本人が寂しくないって言ってるのに、誰も来てないでしょう、とは言えないから。それに、別の勤務の人がいるときに来ていたのかもしれないし」
杉浦はそこで一度言葉を切り、僕らを見た。
「そのときは、そう思ったって」
白井さんは、教室でも窓の方を見ていた。家にも来ると、作文に書いていた。そして、町を離れた病院でも。
「次は、池の中学生だな」
伊藤が、次に出された紙をこちらへ向けた。
「宮崎っていうんだけど、知ってる? 俺らの3個上」
僕は首を横に振った。名取川さんも、少し考えてから同じようにする。
「釣りが好きだったらしい。川とか池で、小さい魚を釣ってたんだって。あんまり目立つ子じゃなくて、先輩に使い走りをさせられることもあったみたいだ」
記事には、中学三年の男子生徒、と書いてあった。池に浮いているところを、犬の散歩をしていた近所の人が見つけたという。制服のままだったらしい。
あの山道を犬と歩く人がいるのか、と思った。けれど、近所に住んでいる人には、あそこも普通の散歩道なのだろう。
「出かけるときには、友達と行くって家の人に言ってたらしいんだよ」
「その友達は?」
「見つからなかった。警察も学校へ来て聞いて回ったそうだけど、一緒に釣りに行ったって子はいなかったんだって」
伊藤は記事の脇へ肘をつき、少し身を乗り出した。
「ただ、それが、その日だけじゃなかったんだよ。前から友達と釣りに行くって言ってたらしいんだが、知り合いが川で見かけると、いつも一人だったんだと」
「待ち合わせてたんじゃないの?」
「かもしれない。でも、一緒にいるところを見たって話は、俺は聞けなかった」
僕は、記事に印刷された池の名前を見た。水面が暗くて、底がどこにあるのか分からなかった場所。名取川さんが隣で絵を描いていたのに、水の中の彼女だけが、こちらを見ていた。
「それで、宮崎に直接聞いたやつがいるんだよ。友達と来てるって言うけど、誰もいないじゃん、って」
放っておいてやればいいのに。釣りをしているところまで来られてそんなことを言われたら、僕ならそいつが帰るまで魚の方しか見ない。
「そしたら宮崎が笑って、『お前がいるところじゃ出てこないだろうな』って答えたんだって」
隣で、名取川さんが顔を上げた。
「どういう意味だって聞いたら、『お前はもっと女心を理解した方がいい』って。そいつ、今でも腹立ててたよ。あいつにあんな言い方されたのは初めてだったって」
僕は名取川さんを見た。彼女もこちらを見ていたけれど、伊藤が二人の顔を見比べたので、記事へ視線を戻した。
「女の子だったのかな。その友達」
「そう聞こえるよな」
紙の上には、友達のことなど何も書かれていなかった。名前と年齢、学校名。発見された時刻と、そのときの状況。それだけ読めば、一人で池に出かけた子が亡くなった記事だった。
「あと、死ぬ一週間くらい前から、何かに怯えてたって話もあった」
「何に?」
「分かんない。そのあと元気になったから、もう大丈夫なんだと思ってたら、事故で亡くなったって。だから、あれは何だったんだろうって、当時も話になったらしいけど」
池から帰ってきた日、僕らは、思っていたほどのことはなかったね、と話した。次の学校も、普通に見て帰るだけかもしれないと。実際、学校で会ったあの子は、ただ笑ってこちらを見ているだけだった。
彼の見ていた「彼女」も、急に様子が変わったのだろうか。
「……相模も、その話は聞いてたのかな」
「俺が聞いた相手は、相模には会ってないって言ってた」
それでも、相模は宮崎の訃報に線を引いていた。僕らが知らなかった話を、別の誰かから聞いていたのかもしれない。
「それと、相模の写真で、気になった場所があるの」
少し食べたところで、杉浦がクリアファイルを開き直した。出てきたのは、地図のコピーだった。細かな文字の間を道と水路が走り、大きく囲われた区画に、桑野という名字が書かれている。
「学校から撮った写真、あったでしょ。校門の向こうまで写ってるやつ。あれ、校門ってよりその向こうを写したような感じなのが気になって」
名取川さんが鞄から写真を取り出した。何枚かめくって一枚を抜き、杉浦の方へ向ける。写真には、校門と、その向こうの何もない広い空き地が写されていた。
「郷土史を調べるついでに、写ってる辺りも昔は何があったのか見てみたの。そしたら、この空いてるところには、大きなお屋敷があったんだって」
杉浦は現在の地図を隣へ置き、二枚に共通する曲がり角を指した。そこから道をたどると、昔の屋敷の敷地は、校門から少し横へずれた場所に重なった。
「桑野家っていう、この辺りの地主の家だったそうよ」
「学校の向かい?」
「うん。道を挟んだこっち側」
僕は写真を手元へ寄せた。手前にグラウンドがあり、その向こうに校門と道路、道沿いの家々が写っている。杉浦が示した場所には、隣家との境に低い塀が残り、その内側に草が生えていた。
屋敷らしいものは何もない。奥に立つ木の影が地面に落ち、道路際に、
写真を持ち上げた拍子に、指がコップに当たった。水が縁まで揺れたけれど、そちらへ手を伸ばすことができなかった。
こんなに小さく写っているものを、同じだと決められるはずがない。自販機くらい、どこにでもある。写真をもう一度見ても、商品窓の中は潰れていて、何が売られているのかさえ分からなかった。
名取川さんの手が伸びてきた。写真を渡そうとしたが、彼女は受け取らず、僕の持つ紙の端をつかんだ。そのまま二人で覗き込む。
「……どうしたんだよ、二人とも」
伊藤の声で顔を上げた。杉浦もこちらを見ていた。
夢で見た、と言おうとして、写真へ目を戻す。赤い缶も青い缶も見分けられない。値段のところなど、点になっているかどうかさえ分からなかった。
「……相模は、こっちを撮ってたのかな」
声がうまく出ず、一度咳払いをした。
「学校じゃなくて。この場所を」
伊藤が身を乗り出した。杉浦も、写真の向きを変えて見直す。
「屋敷のことを知ってたってこと?」
「分からないけど。この場所が写る方へ、カメラを向けてたのは確かだよね」
「そこでは、何があったの?」
僕が聞くと、杉浦はクリアファイルへ目を落とした。
「事件があったとは聞いてたんだけど、記事はまだ見つかってない。30年くらいは遡って調べたんだけどね」
「俺も何人かに聞いたけど、屋敷があったこと自体、知らない人が多くてさ」
伊藤がフォークを置いた。
「知ってる人にも聞いたんだけど、もう何も残ってないとか、昔のことだからとか。それ以上聞こうとすると、別の話になる」
「誰も話してくれなかったの?」
「屋敷のあった場所の向かいに、昔から住んでる人がいるって教えてくれた人はいた。それで行ってみたんだけど」
伊藤の指が、地図の上で止まる。
「この家。爺さんが出てきて、何を調べてるんだって聞かれたから、相模のことを話そうとしたんだよ。そしたら途中で、あの家のことは話したくない、帰ってくれって」
「……怒ってた?」
「怒鳴られたわけじゃないけど。もう、こっちを見なくなっちゃって。何を言っても返事してくれないから、それ以上は聞けなかった」
伊藤は地図から手を離し、コップを取った。底に残った氷が、傾けたガラスにぶつかった。
僕は写真の中に、その家を探した。屋根の一部と、道路に面した塀が見える。自販機は、そのすぐ向かいにあった。
ここに行けば、何かわかるかもしれない。
僕はコップを置き、ぼんやり店内を見回した。
料理を運ぶ店員が通り、窓際では子どもが椅子の上に膝を立てていた。その隣に、頬杖をついて話を聞いている女の人。通路の向こうには、ボックス席に1人で座ってこちらを見て笑っている、おかっぱの女の子。
テーブルへ目を戻しかけて、顔を上げた。
さっき目を通した席を、順に見直す。
女の人が頬杖を外し、向かいの相手へ何か話していた。その先のボックス席には、誰も座っていなかった。