あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
「それで、そっちはどうだったんだよ。学校、入れたんだろ?」
「うん。名取川さんのおかげで。用務員さんにも、いろいろ教えてもらえた」
僕らは、学校であったことを話した。
女の子が廊下に現れたところで、伊藤が一度、待って、と言った。顔を両手でこすってから続きを促されたので、名取川さんが写真を撮ったこと、女の子が閉まった教室の戸の向こうへ消えたことを話した。
資料室の話になると、杉浦は名取川さんからカメラを受け取り、四人の作文を順に確認した。伊藤の皿には、まだサラダが半分ほど残っていた。
「……それ、やばいんじゃないの。見た子が、三人も死んでるんだろ?」
「だから、生きてる人に話を聞きたいんだ。この滝口さんって、連絡取れないかな」
「四人目の子ね」
「そう。入院はしたけど、学校に戻ってきて、普通に卒業したって」
「滝口って、下の名前は?」
杉浦が画面を戻して名前を読み上げると、伊藤は携帯電話に打ち込んだ。
「その学年なら、何人か知り合いがいるから聞いてみる」
「私も当たってみるわ。本人に話を聞けるかどうかは、そのあとね」
「ありがとう。助かる」
「それと、何かあったらちゃんと言ってよ」
僕がうなずくと、杉浦は名取川さんにも目を向けた。彼女も小さくうなずいた。
「写真、俺にも見せて。女の子を撮ったやつ」
名取川さんが画面を切り替えて渡した。伊藤はカメラを顔へ近づけ、廊下の写真を見た。
「この辺?」
「うん」
「何もいないな」
「だから、写らなかったって言ったじゃん」
「いや、そうなんだけどさ」
伊藤はもう一度画面を確かめてから、カメラを返した。
「それで描いてたのかな、相模も」
「描いてた?」
「おばさんから借りてきたものがあるんだよ。片づけてたら出てきたって」
伊藤が鞄からノートを取り出した。薄い青の表紙で、右下の角が折れている。表紙には名前も題もなく、伊藤が開いたページの上に、日付だけが書かれていた。
その下に、鉛筆で教室が描いてあった。
机がいくつか並び、奥に窓がある。机の脚は途中で途切れ、窓枠も定規を使わずに引いたらしく、少し斜めになっていた。窓の外に、女の子が立っている。
髪は顎のあたりまで。横に小さな髪留めがあり、濃く塗った服に、襟だけ白く残されていた。
「この子?」
「……はい」
名取川さんも、隣から覗いていた。
窓や机は線が一本ずつなのに、女の子の目のところだけ、何度も鉛筆を重ねた跡があった。消して描き直したらしく、顔の周りが薄く汚れている。口は短い曲線で、笑っていた。
絵の下に、相模の字があった。
『窓の外に女の子がいた。三階なのに』
ページをめくる。
日付が変わっていた。今度は廊下で、奥に階段が描かれている。女の子はその手前に立っていた。足元まで描いてあるのに、床の線が靴を避けず、そのまま横切っている。
『今日もいた。帰るときも、廊下の向こうに立ってた』
次も、その次も、女の子がいた。
一枚だけ、相模も描かれていた。女の子の隣に立って、こちらを向いている。目と口が短い線で引いてあるだけだったが、笑っていた。女の子も笑っていた。
顔を描き損ねたところには消しゴムをかけ、服や背景は途中でやめている。机の脚が一本だけ、窓枠の縦線だけ、壁のつもりらしい短い線が二本。それでも、どのページでも、目は正面を向いていた。
紙をめくるたび、別の場所に立った同じ顔が出てくる。
『今日もいた』
『今日もいた』
「結構、会ってたんだね」
返事はなかった。伊藤も黙って僕の手元を見ていた。
やがて、学校とは違う部屋が描かれたページが出てきて、指が止まる。
手前に机の角があり、その向こうに女の子が立っている。背後には本棚があった。棚の上段に横倒しの本が重なり、その隣に、丸い時計らしいものが置かれていた。
相模の部屋だ。
『部屋にいた。どうやって入ったんだろう』
名取川さんがノートの端に触れた。最初の方へ戻すように指を動かしたので、窓の絵を開く。彼女は窓枠を指し、それから、さっきのページへ戻した。
机の端に、指が止まった。
「……近くなってる?」
名取川さんはうなずいた。
僕は日付を確かめながら、もう一度めくった。最初は窓の外。廊下では向こうの端にいた。それが、何枚か後には机の向こうに立っている。
『きょうもいた』
最後に絵があったのは、七月二十四日のページだった。
女の子の顔が大きく描かれていた。額のあたりで紙の上端に届いている。肩から下はない。机も、窓も、壁もなかった。この一枚だけ、背景が白いままだった。
顔の下に、横線が一本引いてあった。右端で折れて、縦に続いている。その内側には、丸を重ねたような形があった。
僕はノートを少し持ち上げた。
指だった。相模が、机の上に置いた自分の手を描いていた。
顔は、その手の真上にあった。
『目の前にいた』
それだけだった。
次のページは白かった。二、三枚めくっても何もなく、僕は最後の絵へ戻した。
七月二十四日。
「相模が死んだのって」
「二十五日よ」
杉浦が答えた。
僕は開いていたページを閉じた。薄い青の表紙に戻ると、ノートは伊藤が鞄から出したときと同じように、テーブルの上に収まった。
「お前ら、どのくらい近くで見たんだよ」
「学校では、廊下の……何メートルくらいだったかな」
僕はさっき、女の子がいたボックス席へ目線をやった。ここからだいたい4メートルくらい。確かに、廊下で見た時より近づいてるな……。
「とにかく、もう学校には行くなよ。おいどこ見てんだ」
伊藤が怪訝な顔で、ボックス席のあたりを振り返る。それから名取川さんにも顔を向けた。
「いいか。わざわざ近づくことないだろ」
「うん分かった」
僕はとりあえず真面目な顔で返事をする。
名取川さんも、引きつった顔のまま、黙ってうなずいた。
その日は、滝口さんと連絡が取れたらまた集まることにして、店を出た。
翌週の日曜日、僕は一人で学校へ向かった。相模の写真に写っていた屋敷跡を見て、学校の向かいの家を訪ねるつもりだった。学校に行ったらダメとは言われたが、ギリギリ学校ではない。それに喫茶店だろうが相模の家だろうがやってくる相手なのだ。学校を避けている意味はあんまりない気がする。でも怒られそうなので内緒で来た。
滝口さんのことは、まだ返事を待っている。伊藤からは、同級生に聞いているところだと連絡があった。
名取川さんからは「この週末はどこに行きます?」と聞かれたので、「やりたい仕事が溜まっているのでそっちを片付けるよ」と返信しておいた。嘘じゃない。
駅前を抜け、学校へ続く坂に入る。道沿いの生垣から枯れ葉が落ち、側溝の蓋に引っ掛かっている。坂の途中で上着の前を開けると、首元へ冷たい風が入ってきた。
校門は閉まっていた。
門扉の向こうに、誰もいないグラウンドが広がっている。僕は校門の前を通り過ぎ、道路の反対側へ目を向けた。
夢で見たのと同じ、自販機があった。
電柱の脇に立ち、隣家の生垣から伸びた枝が側面に触れている。自販機の隣から、草の生えた広い空き地が奥へ続いていた。
車が一台通り過ぎるのを待って、道路を渡った。自販機の前に立つと、低い機械音が聞こえた。
商品窓には、赤い缶や青い缶、透明なペットボトルが並んでいた。僕は少しかがみ、飲み物の下へ顔を近づけた。
端まで見てから、下の段も確かめた。どの商品にも値段が表示されていた。「あなたを見ている」とは、書いて、いない。
僕は自販機から離れ、空き地の方へ回った。
道路際の草は短く刈られていたが、奥へ行くほど深くなっていた。隣家との境には低い塀が残り、その向こうに物置の屋根が見える。草の間に石やコンクリートのかけらはあったものの、建物の形が分かるほどまとまってはいなかった。
ガサガサと、紙の擦れる音がした。
自販機の陰になっていたところで、老人が腰をかがめていた。茶色の上着に、灰色のズボン。足元には新聞紙と、二つの花束が置かれている。
老人は地面の容器から古い花を抜き、新しい花を挿していた。白と黄色の花の間に指を入れ、茎の向きを少しずつ変えている。抜いた方の花は茶色く縮れ、新聞紙の上に花びらが落ちていた。
花を直し終えると、老人は膝に手をついて身体を起こした。腰を伸ばしてから、足元の新聞紙と古い花を拾い上げる。
「あの、すみません。向かいのお宅の方ですか」
老人がこちらを向いた。白い髪は薄く、上着の襟から出た首に深い皺があった。
「話すことはないよ」
老人は古い花を新聞紙で包みながら、僕の方へ歩いてきた。僕が脇へ退くと、そのまま横を通り過ぎようとした。
「すみません。学校で見た女の子のことが、何か分かるかと思って来たんです」
老人の足が止まった。
「おかっぱで、髪留めをつけた子です。白い襟の、濃い色の服を着てました」
老人が振り返り、僕の顔を見た。
「どこで」
「三階の、四年一組の前です。話しかけても返事はなかったんですけど、僕を見て、ずっと笑ってました」
老人の唇がわずかに開き、また閉じた。僕の顔を見たまま、花を包む手が止まっていた。新聞紙からはみ出した枯れ葉が、風に揺れて乾いた音を立てた。
しばらくして、老人は目を伏せた。枯れ葉を紙の内側へ押し込み、端を折り畳んでから顔を上げた。
「ついてきなさい」