あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
「女の子と学校で会ったんです」
「出たんだ。そこから聞かせてよ」
先輩が身を乗り出した。もうここが職場で今が勤務時間だということは完全に忘れた顔だった。
女の子が写真に写っていなかったと話すと、先輩は口を横へ曲げた。めちゃくちゃ不満そう。なぜ。
「写っててほしかったな~」
「見たいですか」
「そりゃ見たいよ。私、霊とか見たことないもん」
それから、滝口さんの話をした。
「その人は今も元気なの?」
「はい。ただ、どうして助かったのか、分からなくて」
「話の印象と、会うとほぼ死ぬって事実が、どうも合わないわけか」
「そうなんですよ」
滝口さんの「ならいいや」という声を思い出す。あの人は、僕が笑っていたと答えただけで、安心したようだった。
僕たちは、彼女が笑っているからこそ怖いのに。
「それで、友達がもう少し調べたんですけど。同じくらいの年代で亡くなった人が、病死以外で十人近くいるって」
「うん。……ん? ちょっと待って。十人? 増えてない?」
先輩は組んでいた腕を、思わずといった感じでほどいた。
「その人たちも、みんな女の子を見たの?」
「そこはまだ分からないです。友達が聞いてくれてて」
「じゃあ、その話の続きはお友達待ちか」
先輩は机の端に置かれた自分のマグカップへ手を伸ばした。飲もうとして傾け、それから中をひょいと覗く。
「何で僕らの年代だけ死んでるんでしょう。女の子はずっと前からいるのに」
「途中から何かあったんじゃないの?」
「それは考えたんです。誰かが祠を蹴ったとか、お墓を壊したとか。でも、途中から何かあったなら、今の学校でも何人も死んでいないとおかしい」
「確かにね。……祠? あるの?」
「わかりません」
「適当だなぁ」
先輩は笑った。
居場所がなくなって怒ったのかもしれない。けれど、それでは年代の偏りが説明できない。誰かに何かをされたのなら、なぜその相手だけではないのか。
そこまで話すと、先輩は少し首を傾げた。
「怒る理由と、怒りをぶつける相手が合ってない人は、まあ、いるよね」
「いますね」
「でも、それを言い出したら何でもありか。でもなぁ……あなたの話、前も聞いてて何か違和感があったんだよね。どこだっけ……?」
先輩は空のマグカップを両手で包んだまま、指先で縁をゆっくりとなぞった。
「そもそも、その子は怒ってるの?」
「分からないです。笑ってます」
「笑いながら怒る人もいるしね」
遠くで、がちゃん、と重い扉の閉まる音がした。普段なら気にもしない音が、今日は妙に長く耳に残る。
「本人に聞けたら早いんだけどねえ」
「聞いても返事しないんですよ」
「何聞いたの?」
僕は少し考えた。たしか、あの時は。
「……絵に興味があるのか、とか」
「何で? どういう流れ?」
僕も、今となってはそう思う。あの時の僕はきっと頭がおかしかったんだ。
「でもさ、何かあったら、お友達にはちゃんと言いなよ。一緒に調べてるんでしょ。仲間外れはかわいそうだよ」
「言います、けど……怒られそうで。実は、相模の家に行こうと思ってるんです」
「……なんで?」
「見落とした何かがあるんじゃないかって」
すると、先輩はまじまじとこちらを見つめた。かと思うと、僕の目の前でパタパタと手を振ってくる。
「なんですか」
「いや、起きてるのかなって」
「ひどい言い草だ」
「だってさ。そもそも、その町に行くとまた女の子が出るかもしれないでしょ。それに……」
先輩はそこで、意味深に言葉を切った。
「見たら死ぬかもしれない存在を見たからって、わざわざそんなに行動する人だっけ? あなたは」
「いや死ぬんですよ? 何とかしたいに決まってるでしょう」
「誰が?」
「名取川さんも、見たんですから」
先輩は、ああ、と言った。
「あなた一人だったら?」
「……まあ、もう少し様子を見たかもしれません」
仕事もあるし、毎週のように出かけるのは大変だ。そもそも相手は幽霊なのだから、こちらにできることがあるのかも分からないし。
……それに、初めて会った時が5メートル。次の喫茶店では4メートルだった。なら、至近距離に来るまで、あと4回も猶予がある。言ったら怒られそうなので言わないけれど。
「あなたは平気で死ぬまで様子見しそうだね」
「人をサイコパスみたいに……」
「自分の命に関心が薄いのと、他人を傷つけても平気なのは別の話でしょ」
他人を傷つけることへのためらいや、そのあとに感じるはずの罪悪感が、ひどく乏しい人はいる。仕事で、そういう人には何人も会ってきた。本人と話しても、どうしてそこまでできたのか、最後まで分からないことがある。
ただ、相手が自分を殺そうとしているなら、話は違うと思う、けれど。
「あなたが言われて嫌なことも、されて嫌なことも少ないのは知ってる。でも、お友達まで同じとは思わないでね」
「……行く前に、相談します」
「そうしなさい」
先輩は空のマグカップを持って立ち上がった。
「私も、何が気になったか思い出したら仲間外れにしないで共有してあげよう。私はあなたと違って優しいから」
「はいはい。仕事しますよ仕事」
僕は閉じていた書類を開いたが、どこまで読んでいたのか、すぐには思い出せなかった。
* * *
その晩、相模のお母さんに電話をした。忘れていたけれど、僕は文集を借りっぱなしな気がする。相模のは形見分けでもらったが、相模のお兄さんの文集も流れで借りパクしていた。流れとは本当に恐ろしい。
「あと、もう一度、部屋を見せてもらってもいいですか」
「いいわよ。まだほとんどそのままだから」
名取川さんにも、行くことを伝えた。仲間外れは駄目だ。うん。
『私も行きます』
返事は早かった。この前の名取川さんは仕事に明らかに追われてたのに。だ、大丈夫なの?
『仕事は?』
すると、しばらく返ってこなかった。
少しして届いた絵では、小さな名取川さんが、カレンダーを両側へ引っ張っていた。日付と日付の間を広げようとしているらしい。両足を踏ん張り、目までつぶって力を込めていた。
『何かあったら連絡するよ』
そう送ると、同じ絵に描き足されたものが返ってきた。
カレンダーを握ったままの名取川さんが、こちらへ顔だけを向けていた。目が、じっと僕を見ている。絵の中ですら疑われていた。
『ちゃんとするよ』
念を押してから、携帯を置いた。
* * *
相模の部屋は、前よりも広く感じた。
六畳の和室に、学習机と本棚。畳まれた布団も、七月のままのカレンダーも同じ場所にある。
文集を返し、仏壇に手を合わせた。
線香の独特の匂いが、まだ指に残っている。お葬式を、どこか思い出させるような匂い。
ともかくまず、部屋の本棚から見ることにした。
時代小説の背表紙が、何段も並んでいる。一冊抜くと、ページの間から細い紙が落ちた。
拾ってみると、レシートだった。しおり代わりだったのだろう。僕もよくやる。
読みかけのページを失わせてしまったようで、少し悪い気がした。
机の引き出しには、筆記具や、店の注文を書いたらしいメモが入っていた。暗号を書いた紙はなかったし、二重底にもなっていない。
下の段には、薄い茶色の本が一冊。
背は布のテープで補修され、黒い文字で『郷土史資料集』と書かれている。
開くと、古い地図と、家々の名前。白黒の写真には、舗装される前らしい道が写っていた。
ページを送ると、寺の写真。……なんだろうこれ?
「あら、それ」
顔を上げると、お母さんがお盆を持って立っていた。相変わらず気配を消すのが上手い。
「お寺から借りてた本じゃない」
「お寺から?」
「そう。上田さんのところの息子さんに貸してもらったって言ってたわ」
お母さんは机の空いたところへ湯呑みを置いた。
「いつごろですか?」
「六月だったかしら。雨で紙袋が濡れててね。本まで濡らしたらいけないって、玄関で袋から出してたから」
僕は、本の表紙を見直した。
隅に小さく、寺の名前が押してあった。
「よかったら、僕が返してきましょうか」
「いいの? 助かるわ」
「いえ、いろいろお世話になっていますから。もうそろそろ出ますし」
お母さんが階段を下りてから、もう少し中を見た。
どこにも付箋はなかった。線を引いたところも、折ったページも見つからない。
相模が何を知りたくて借りたのか、この本を見ただけでは分からなかった。
上田先輩へは連絡を入れておいた。
本の写真を添えると、少しして返事が来た。
『ありがとう。今日は不在にしてるからさ。ポストに入れといてくれる?』
あの子も基本は学校がホームで、街をいつも徘徊したりはしていないはず。それが証拠に、学校以外で出てきたのはあの喫茶店だけ。ちょっと寄り道するくらいなら大丈夫だろう。たぶん。
山道へ入ると、ひんやりとした空気が全身を包む。
歩いていると、ふと視線を感じたのであたりを見回した。誰もいない。
しかしそのまま何気なく振り返ってみると、3メートルほど後ろに、しゃがんでいる1人の子供がいた。
木の根元を覗いている。
髪には小さな髪留めが見えた。……か、髪留め……? なんだか、嫌な予感が……。
三メートルほど後ろだった。さっきはいなかった。まるで、いきなり現れた、みたいな。
その子がしゃがんでいる場所には、湯呑みがあった。
前に名取川さんと来たときにも見た、供え物らしいもの。
遠目から見ると、湯呑みの中には水が溜まり、小さな葉っぱが一枚浮いていた。
その上を、黒い点が動いている。蟻だった。
蟻は水に触れる手前で向きを変え、また葉の真ん中へ戻っていく。
やがて、葉の縁から、水が上がってきた。蟻は残ったところを歩き回り、葉ごと沈んで見えなくなった。
女の子はまだ、同じところを見ていた。口元には笑みが残っている。
そして、女の子はそっと指を差し出した。
手乗りの小鳥を指に乗せるときの形だった。
女の子の指の上には何もいない。湯呑みからも、五センチほど離れている。
こつん。
硬いもので、爪の先を叩いたような音がした。
小鳥がくちばしで突けば、ちょうどこんな音がするのかもしれない。
僕は女の子の向こうに続く帰り道を眺めた。ここから引き返すには、あの子の隣を通らなければならない。
……まずいことになった。
僕は寺の方へ体を向けた。
そっと一歩一歩進む。
振り返ると、女の子は3メートルほど離れてついてきていた。南無三。
名取川さんのことを思い出した。
何かあったら連絡する、と言ったばかりだった。連絡した方がいいのか……?
女の子がいる。
そう言われても困るんじゃないか。
けれど、あとで話したら、どうしてそのとき言わなかったのかと聞かれそう。うーん……。
悩んでいると、先日の先輩との会話が浮かんできた。――「仲間外れはかわいそう」。
僕は携帯を取り出した。「女の子がいる」だけだと心配させそうだから、プラス要素も書こう。
『目の前にあの子がいる。でも機嫌は良さそう』
少し迷ってから、送信した。
山門を抜けると、足元が砂利に変わった。人の姿はない。
後ろの女の子は、何やら寺の本堂の脇へ顔を向け、何かを探すように首を伸ばしている。かと思うと、本堂の柱の陰を覗き込んだり。
誰かが隠れているのかと思って僕も覗き込んで見たが、柱の向こうには、壁に立て掛けられた竹箒があるだけだった。
「何かあるの?」
女の子は首をかしげて笑う。
玄関の脇にポストがあった。
鞄を開けて本を取り出し、もう一度顔を上げたとき、女の子の頭が見上げるくらい高いところにあった。
首が伸びていたとかそういうのではない。
彼女は大きな墓石の上に、ちょこんと立っていた。
右を見て、左を見て、それから、ぴょんぴょんと墓石の上で跳ねている。
そんなところへ乗って、怒られないのだろうか。中の人に。
「祠でも探してるの?」
杉浦と話したことが頭に浮かんだ。
誰かが蹴飛ばしたとか、壊したとか。寺ならそういうのもありそう。
宛てもなく、墓地をぐるぐる回ったりそばの林をのぞき込んでみたりしてみたが、何もない。
とりあえず、上田先輩の家のポストに本を入れた。がたん、と固い音が響く。
その音に重なるように、ポケットの携帯電話が震える。
名取川さんからのメッセージだった。
『いあmどこですか』
『いま』
『いまどこですか』
『お寺。本を返したところだよ』
『女の子は』
『さっきからずっと一緒にいるけど、今のところ大丈夫』
電話がかかってきたので取る。
スマホの向こうで、がたん、と大きな音がした。続いて、ばさばさと何かが落ちる音。
「どうして逃げないんですか!?」
「帰ろうとはしたんだけど、回り込まれるんだよ」
「今も?」
「いや、今は――」
僕は墓地の方を見た。
女の子は墓石の端へ腰を下ろし、つまらなさそうに、ぶらぶらと足を揺らしている。こちらを振り返る気配はなかった。
こ、これはチャンスでは……!?
「ごめんまたあとで連絡するね!」
それだけ名取川さんに言って電話を切り、ひたすら走った。
振り返らなかった。振り返って、3メートル後ろにいたら嫌だったので。
舗装された道に出て、バス停の標識が見えたところで、ようやく足を止めた。膝に手をついて息を吐く。肺が痛い。
顔を上げて、山道の入り口を見た。
誰もいなかった。
携帯を出すと、名取川さんからメッセージが届いていた。
『へんじ』
『してください』
『逃げ切った。今バス停』
既読は一瞬でついた。
返ってきたのは、殴り書きの絵だった。
小さな名取川さんが、駅の改札の前で仁王立ちしている。腕を組み、片足で床をとんとんと叩いていた。足元には、時計が描き込まれている。
……来い、ということらしい。
駅の改札を出ると、名取川さんが立っていた。
いつもの割烹着の袖口に、乾ききっていない青い絵の具がついていた。髪も片側だけ跳ねている。
名取川さんは僕を見つけると、まっすぐこちらへずんずんと歩いてきた。僕の前で止まり、黙って見上げる。
見上げられているのに、見下ろされている気がした。
「『機嫌は良さそう』って、何ですか」
「いや、心配させるかと思って。プラス要素もあったほうがいいかなって」
「プラスになるわけないじゃないですか!」
声が構内に響いた。通りかかった人が何人か、こちらを振り返る。
「相模さんの家に行くのは聞いてました。でも、お寺に行くなんて聞いてません。なんであちこち……」
「本を返すだけだったから……」
「だけ、って」
名取川さんの声が、そこで詰まった。
「だけで、死ぬかもしれないんですよ……!」
割烹着の裾を握った手が、白くなっていた。
先輩の声が、頭の中で聞こえた気がした。――お友達まで同じとは思わないでね。
「……ごめん」
「謝ればいいと思ってますよね」
「思ってないです」
「思ってます」
それから三十分ほど、僕は駅の柱の横で怒られ続けた。途中から、改札の駅員さんがちらちらとこちらを見ていた。
ようやく解放されたのは、夜も遅くなってから。
別れ際、名取川さんは僕の袖をつかんだ。
「家に着いたら、連絡してください」
「うん」
「すぐにですよ。お風呂の後とかじゃなくて」
「分かった。すぐする」
名取川さんは、まだ疑っている目で僕を見て、それからやっと手を離した。
家に着いたのは、十一時を過ぎたころだった。
部屋の明かりをつけて、鞄を床に下ろす。
言われた通り、『着いたよ』と送った。今度はちゃんとした。
カーテンを閉めようと、掃き出し窓の前に立つ。
そして、カーテンを閉めようと手を伸ばしたところで、不思議なことに気づく。
黒いガラスに映った僕の顔の上。そこに、白いもやがかかっていた。
息で曇ったのかと思ったが、窓からはまだ離れている。目を細めると、もやは僕の顔だけでなく、ガラスのあちこちに薄く広がっていた。
携帯のライトを点けて、斜めから当ててみた。
光の帯がガラスを滑ると、白いもやの中に、筋が浮かんだ。
細長い筋が、何本か。少しずつ間をあけて、扇のように並んでいる。その付け根のあたりに、丸くぼやけた跡がひとつ。
何の跡だろう。
ライトの角度を変えると、筋の先が丸くなっているのが見えた。一本、二本、三本、四本。少し離れて、もう一本。
五本。
指だった。指を広げて、手のひらごと、ぺたりとガラスに押しつけた跡だった。
指でこすってみたが、跡は消えなかった。
内側じゃない。外側。
ライトを少しずらす。
その隣にも、あった。
僕は一歩下がって、ライトを窓全体へ向けた。
掃き出し窓一面に――びっしりと手形がついていた。