あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
「上田先輩と、話をしようと思う」
名取川さんが、顔をがばっと上げた。
「どうしてそうなるんですか!?」
「本当にそうなのか、確かめたい。それに、待っていたら、いつどこで会うかを向こうが決めることになる」
「何人も殺したかもしれない人なんですよね」
それは、そうだ。
「もう調べるのをやめて、離れたら駄目なんですか。滝口さんみたいに」
「滝口さんが引っ越した頃は、先輩も子供だった。でも僕らも、先輩も、もう大人だ」
「……引っ越してもだめですか?」
「絶対に見つからないとは言えないかな」
とくに、名取川さんは。
名前で検索すれば、個展の案内も、インタビューの記事も、いくらでも出てくるだろうから。
「どこまで知っているのか確かめたがってるなら、二人で話したいと言えば会ってくれる。その会話を、外で聞けるようにしておく。何かあったら通報してもらおう」
「それでやめなかったら?」
やめないだろう。
ただ。止める方法がないわけではない。
一つ、簡単な方法が浮かんだ。浮かんでから、これは名取川さんの前で口にするものではないな、とも思った。
「駄目です」
ほとんど重なるように言われた。
「それなら私が話します」
「それは駄目だよ」
「どうしてあなたならいいんですか」
名取川さんは立ち上がって、僕の前に来た。両手を身体の脇で握っている。
「だから、あの子が来てるんじゃないんですか。あなたが、そういうことをするから」
二メートル。職場で最後に見たときの距離を思い出した。
名取川さんの言うことは、たぶん正しい。
「名取川さんや、杉浦に言われたことは、考えてるんだ」
彼女は返事をしなかった。
「自分のことをもっと大事にしろって言われても、まだ、よく分からないところはある」
名取川さんの視線は動かない。いつものように、僕の顔を覗き込んでいる。
「でも、もう少し考えたいんだ。何が分かってないのかも。だから、ここで死ぬつもりもないよ」
言ってみると、喉の奥に少し引っ掛かった。
上田先輩が犯人だとして、殺された人たちに死ぬつもりはなかっただろうから。
「一人で行って何とかなるとは思ってない。僕が生きて帰れるように、力を貸してほしいんだ」
名取川さんは、長い間、黙っていた。
やがて僕の前から離れ、ベッドに座り直した。
「……何をするつもりなのか、聞かせてください」
僕は考えていることを話した。上田先輩を呼び出す。会話は録音して、映像も撮る。記録が僕の手元にしかなければ取り上げられたら終わりなので、外へ飛ばせるものを使う。
先輩が危ないものを持っていると僕が判断したら、合図を送る。合図から五分経ったら、何も起きていなくても通報してもらう。その前に何か起きたら、その時点で。
「通報したら、すぐ来てもらえるんですか?」
そこがネックだ。だから、名取川さんを話し相手にさせるわけにはいかない。警察が来るまで生き残れる手段を持っておく必要がある。
「来るまでは何とかするよ。職場に防刃ベストがあったはずだから。さすがに銃は持ってないだろう」
「着ていたら、何をされても平気なんですか」
ぴしゃりと言われて、僕は口を閉じた。
「伊藤さんと杉浦さんにも、全部話してください」
彼女はまだ、僕の顔を見ていた。念を押される前に、僕はもう一度うなずいた。
伊藤と杉浦へ、明日時間を取れないかと尋ねると、どちらからも、すぐに会えると返ってきた。
名取川さんはその返事を確かめてから、ようやく大きなため息をついた。
明かりを消して、それぞれのベッドに入る。
空調の音が、ずっと低く鳴っている。眠れる気はしなかった。
「……私が言っていることは、余計なお世話ですか?」
暗い中で、名取川さんの声がした。
「まだ、よく分からないけど」
僕は天井を見たまま答えた。
「言われてなかったら、たぶん相談しないで、一人で先輩に会いに行ってたと思う。それがどう転ぶかは分からないけど。今日、相談したのはよかったと思ってるから。……感謝してる」
しばらく、返事がなかった。
「……相談してくれたのは、よかったです」
小さな声だった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
隣のベッドで、布団の擦れる音がした。
それきり、名取川さんは何も言わなかった。眠ったのかどうかは、分からなかった。
* * *
翌朝、僕の部屋の窓の手形を取ってもらうため、警察に連絡した。
鑑識の人のはたく灰色の粉の下から、手の跡が次々に浮かび上がってくる。窓一面だった。なんで上や下まで手形をつける必要があるんですか上田先輩。
「ただ、外側ですし、日も経ってるので。照合するにしても、少し時間はかかります」
心当たりはあるか、と最後に聞かれた。
僕は少し考えた。
小学生の頃に死んだ同級生たちのこと。その近くにいつもいた女の子のこと。寺の先輩のこと。それを全部話したとして、目の前の警察官がどんな顔をするかは、何となく想像がついた。
「特には」
そう答えると、年配の警察官は、書類の職業欄に目を落とした。
「お仕事柄、そういうこともあるかもしれませんなぁ」
警察官たちを見送ってから、僕は粉の残った窓を見た。
照合して、もし一致したとしても、何も盗られていない。どれだけ入ることになるのかは分からないけれど、そんなに長くはないだろう。
そして、出てきたら、また来る。
* * *
伊藤の店は、窓に「準備中」の札が下がっていた。
中に入ると、カウンターの奥で伊藤がコーヒーを淹れていて、杉浦はもう窓際の席に座っていた。僕らの顔を見るなり、杉浦が眉をひそめる。
「二人とも、顔色悪いわよ」
「ちょっと揃って寝不足でね」
「……え? え!? そういうこと!? ついに!?」
すると、名取川さんが杉浦に駆け寄り、ぶんぶんと首を振った。顔が真っ赤だった。
テーブルに、手帳と、名取川さんの描いた二枚の絵と、杉浦が送ってくれた表を印刷したものを並べた。
窓の手形のこと。小窓の穴。部屋の物の配置。名取川さんの鍵の箱。手帳の、線の引かれた名前。そして、昨夜のメッセージ。
話し終えたとき、コーヒーは、カップの中ですっかり冷めていた。
「……で、その上田先輩と会う?」
伊藤が、カップを持ったまま言った。信じられないものを見る目だった。
「駄目に決まってるじゃない」
杉浦が即答した。
「危なすぎる。何人も殺したかもしれない相手に、わざわざ会いに行くなんて、正気じゃないわ。あんたはいつも正気じゃないけど、もっとよ」
「だから生き残れるように準備して行こうと思ってるんだ」
「人の話聞いてる?」
聞いているから、ここに来たのだ。僕が自分からこんなふうに相談するなんて、相当珍しいことなんだぞ、と開き直ってみる。
「警察に任せりゃいいだろ。来てもらったんだろ?」
「警察は僕の仕事絡みの逆恨みだと思ってるみたいだった」
僕は、杉浦の表を指で叩いた。
「昔のことは、偶然だって言われたらそれまでなんだ。本気で何も証拠がない。本人に喋ってもらうしかない」
「喋るわけないでしょ」
「こっちが知ってることをぶつければ、どこかで何か言うかもしれない。記録を取ってて、僕らに何かあったら全部が警察に行くようになってる、と伝えて引いてもらう。面倒だと思うはずだよ」
僕は、ぱたん、と手帳を閉じた。
「もし先輩が何か持ってきて、向かってきたら、その時点で現行犯。昔のことは証明できなくても、今日のことは証明できる」
店の中が、しんとした。
「……それ、襲われる前提じゃない」
たぶんそうなる。だからこそ、先輩は家の中に入ってきた。侵入の気配も隠さずに。あの気にしなさは、相手がいなくなること前提だ。
杉浦は、しばらく僕の顔を見ていた。それから、名取川さんの方をちらりと見た。名取川さんは、膝の上で両手を握ったまま、何も言わなかった。
「引っ越しとかどうなの?」
「僕の職場も、名取川さんの家も知られてる。昨日、両方回ったって本人が書いてきた」
伊藤が、名取川さんの方を見た。名取川さんは、小さく頷いた。
店の中が静かになった。
駄目か。
ここで説得できなければ、どうしようか。黙っていても、向こうからは来る。
まあしょうがない。無理なら僕一人でやろう。ただ一人で行ったら、たぶん共倒れになる。それが分かっているから、ここに来たのだが。
その瞬間、隣で名取川さんが息を呑んだのが分かった。
彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
杉浦が、名取川さんと僕を見比べて、長い長ーいため息をついた。
「……分かった。ただし、私たちも近くにいるわ。それが条件」
伊藤も「と、当然だろ」と言った。少し声が裏返っていた。ごめん。
「会う場所はもう考えてるの?」
「あの教室がいいんじゃないかな」
三人が、同時にこちらを見た。
「あの子のことで話がある、って言えば、先輩は必ず来る。それに、あそこならカメラを置く場所もあるし、人目もない。周りに人がいたら、先輩は何も喋らない」
それに、と言いかけて、やめた。
最後にふさわしいから、というのは、半分くらい冗談だった。
「建て替えで空き教室ばかりだって、用務員さんが言ってた。名取川さんに頼めば、たぶん借りられるんじゃないかな」
名取川さんを見ると、少し間を置いてから頷いた。
「……取材だと言えば、貸してはもらえそうです」
終わった後、名取川さんに再び教室を貸してもらえるかどうかは、定かではなかったが。
そこから先は、細かいことを詰めていった。
カメラと録音機の映像は、離れた別階の教室で受ける。そこには杉浦と名取川さんが入る。通報の判断は名取川さん。合図から五分、あるいは何か起きたらすぐに。伊藤は、一階から三階までの階段のどこかで待機して、何かあったら駆け上がる。
「隣の教室じゃ駄目なのかよ」
「先輩、たぶん周りを見て回ると思うよ。隣は見つかるね」
伊藤の顔が、少し青くなった。きっと伊藤の脳内では、殺人鬼の本性を現した先輩が伊藤をバラバラにしているのだろう。ごめん。
決行は、明日の午後にした。
向こうに準備の時間を与えたくなかったし、時間を置けば置くほど反対される気がしたので。
店を出ると、外はもう暗くなりかけていた。
名取川さんは、店の前で用務員さんに電話をかけていた。携帯を耳に当てたまま、何度も小さく頭を下げている。
僕は、ガラス越しに店の中を振り返った。
伊藤が、カウンターの奥で、なぜか拳を構えて小刻みに跳ねている。杉浦が、それを呆れた顔で見ている。
明日、先輩が何かを持って向かってきたら、それで現行犯になる。
ただ、何かを向けられただけでは、たぶん足りない。
……とりあえず、今のうちに防刃ベストを職場に取りに行こう。
* * *
土曜日の夜の職場。
誰もいないだろうと思って部屋に入ると、先輩がいた。
自分の机でパソコンに向かっていて、僕に気づくと、「やあ」と片手を上げる。
「あなたも休日出勤?」
「ちょっと取りに来たものがあって。先輩こそ」
「研修の報告書。月曜までなの。全然終わらない」
先輩は画面を睨んだまま、うーん、と唸った。
「寮にいた人がしてた話なんだけどさ。夜道でいきなり刃物を持った人に襲われたんだって。腕を切られて、近くにあったブロックで頭を殴ったって。相手が動かなくなるまで」
先輩は、椅子ごとこちらを向いた。
「逃げたら追いかけてくると思ったから、ここで終わらせようって。それで過剰防衛になって、受刑したって。あなたなら、どうする? 本気で殺されそうになったら」
「その人と同じことをしますよ」
考えるまでもなかった。
すると先輩は、複雑そうな顔でこちらを見つめた。
「前にさ、あなたは平気で死ぬまで様子見しそうって言ったじゃん。あれ、訂正する。あなた、死ぬのは別にいいんだよね。でも、向こうが殺しに来たら、ちゃんと殺し返しそう」
否定しようとして、言葉が出てこなかった。
先輩は、あはは、と笑った。
「まあ、あの子相手じゃ、殺しようがないか」
備品棚の扉を開けると、埃っぽい匂いがした。段ボールや予備の椅子に混じって、紺色のベストが掛かっている。手に取ると、思っていたより軽かった。
そのとき、ふと背中に視線を感じた。
振り返ると、薄暗い廊下の真ん中に、あの女の子が立っていた。
いつものように、にこにこと笑っている。
「やあ。君も刃物対策に興味があるのかな?」
そう言いつつ、ベストに頭を通してみた。袖と首のところが開いていて、そのまま被ればいいらしい。思ったより金属という感じはしない。大丈夫なのかこれ。
そして顔を上げると、あの子の笑顔が消えていた。
口を少し尖らせて、つまらなさそうにこちらを見ている。
……もしかして。
ベストを脱いでみた。
あの子は、またにこっと笑った。
もう1度着ると笑顔が消えた。脱ぐと笑う。
僕が死にやすそうなのを、喜んでいるらしい。なんてひどい子なんだ……。
けれど、これは便利だ。あの子の顔を見れば、自分がどれくらい死にやすいのかが分かる。とりあえずこれは、明日も、着ていくことにしよう。有効だ。
ベストを丸めて抱え、顔を上げると、廊下にはもう誰もいなかった。
部屋に戻ると、先輩は画面に顔を近づけて、何かをぶつぶつ呟きながらキーボードを叩いていた。
僕はその横顔を見ながら、ずっと前に寺で、僕の仕事を聞いた上田先輩の台詞を、なんとなく思い出した。
――刑務所! すごいな。どこの?
あのときは、珍しい仕事に食いついただけだと思っていた。たいていの人は、刑務所で働いていると言うと、少し引くか、怖い話を聞きたがるから。
そして、研修から戻ってきた先輩が、拳で僕の肩をぽすんと叩きながら言っていたことを思い出す。
――出てきた人同士は、まず、どこの刑務所にいたかを気にするんだって。あと、何したのか。
――お前どこ刑よ~。
僕は、端末の電源を入れた。
パスワードを打ち込むとメニューが開く。
上田、と打ちかけて、指が止まった。
下の名前を知らなかった。子供の頃も、寺で会ったときも、ずっと上田先輩としか呼んでいない。
携帯を出して、伊藤に送った。
『上田先輩って、下の名前なんだっけ』
既読は、すぐについた。
『急に何だよ』
『ちょっと』
少し間があって、名前だけが返ってきた。さすがだ。
業務と関係のない照会は規則で禁じられているが、どうせ、ベストの無断持ち出しで処分されるのは同じ。
僕は、キーを押した。
画面の中央で、小さな円がくるくると回り始めた。
――該当あり。
一件。
罪名は、殺人未遂だった。
上田先輩は、大学のある遠くの町で、知り合いを刃物で刺していた。命は助かったらしい。判決は懲役四年。服役した施設の名前と、出所した日付が並んでいる。二年前の、秋だった。伊藤の言っていた、秋祭りの頃。
僕は、出所日の数字をしばらく見ていた。
「なんで受刑して戻ってきた人間が副住職なんてしてるんだ」という、釈放後の行き場所を考える仕事に相応しくないことを一瞬考える。
ともかく、刑の執行を終えてから、まだ五年経っていない。この期間にまた何かをして有罪になれば、実刑だ。累犯として、刑の上限も重くなる。
上田先輩はそのことを、たぶん誰よりもよく知っている。中で過ごした人間は、そういう話を嫌でも耳にするから。
だから、あの人は捕まるわけにはいかないだろう。
何をしてでも。