あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
「お姉さん」を、白井さんが自分の感情を処理するために生み出した存在だとすると、他の生徒が同じ存在について書くのは、おかしい。
……この先輩と白井さんの間で、この「お姉さん」を共有していた?
いや。白井さんの作文から伝わってきたのは、はっきりそうは書いていないけれど、病気でみんなと遊べない寂しさを誰かに言えない辛さ、だった。聞いてくれる先輩がいるなら、それを「お姉さん」に置き換える理由がない。
それとも白井さんが、この文集を読んだことがあったのか。
そう考えれば、一応、説明はつく。二年前の文集をどこかで読んで、そこに書かれていた「お姉さん」を、自分の友達として想像した。あり得ない話ではないと思う。
僕は二冊の文集を並べた。
小さく整った字と、大きく右に傾いた字。書いた人も、書かれた年も違う。それなのに、二人とも、窓の外に立って笑っているお姉さんを友達だと言っている。
紙をめくる指が止まった。隣では、名取川さんの鉛筆が紙を擦る音が続いている。
ただ、もし、二人とも見たままを書いていたのだとしたら。
……ある日、僕が暗い教室で一人で読書をしていると、窓の外に「お姉さん」がいる。一人のときでないと「お姉さん」はやってこない。「お姉さん」はずっと笑いながら何も言わずただこっちを見ている。足場のないはずの窓の外で、黙ったまま、どこまでも後をついてくる――
「……ちょっと!」
「っ、何!? 何!?」
「そんなびっくりしないでよ。また考え事? 何度か呼んでも気づかなかったみたいだから。ごめんって」
肩に杉浦の手が触れていた。文集から顔を上げると、謝りながらも、僕を変な人を見る目で見ている。
いや、違うんだ。
「さっきから文集ばっかり読んで。本が好きなのは分かるけど、ここには読書しに来たんじゃありませんからね」
畳まれた布団の前に座っていた伊藤が、からかうように言った。僕は文集を膝の上に重ね直した。冗談にしてくれる方が、変な反応をしたことがまぎれるのでありがたい。
そういえば、みんなは形見分けを何にするか決まったのだろうか。ちょっと教えてほしい。何かほかのことを考えたい。
「形見分け、決まった?」
「まだ。けど、気になるものがいくつか出てきて」
杉浦が、名取川さんの方を見る。
名取川さんはスケッチブックを脇に置き、畳の上に写真を並べ始めた。今どき珍しい、プリントされたL判の写真。全部で十枚ほど。校舎、グラウンド、どこかの空き地、山の中の池、木に囲まれた寺の境内。
そして、教室。 僕らが四年生のときに使っていた教室と思しき写真が目に入り、そっと視線をそらした。今一番見たくないやつそれ。
少し間を置いて、もう一度のぞき込む。机が整然と並んだ、誰もいない教室だった。窓から差し込む光が、床に白い四角を落としている。
「……何が変なの? おかしなものは写ってないように見えるけど」
名取川さんは並べた写真のうち四枚だけを選び、指先で僕の方へ滑らせてきた。
全部、教室だった。机の並びも、黒板の位置も同じ。同じ場所を、同じ構図で撮っている。
名取川さんの指が、写真の隅に置かれた。 オレンジ色の小さな数字が焼き込まれている。四枚を見比べると、一月、二月、三月、五月。撮った日が、それぞれ違っていた。
続いて、タブレットの画面をこちらへ向ける。表示されているのは、今年のカレンダーだった。写真の日付に指を置き、それから画面の日曜日の欄を示す。
「……これ、全部、日曜日?」
こくり、とうなずきが返ってきた。
休みの日に、わざわざ学校へ行っていたらしい。それも、一度ではなく。
名取川さんが、もう一枚、写真を差し出した。
今度は、映っているのは窓だけだった。
教室の一番後ろの窓。窓枠が写真の端からはみ出すほど、近くから撮っている。ガラスの向こうにはグラウンドと、その奥に並ぶ木が見えた。そこに重なって、カメラを構えた相模が薄く映っていた。顔の半分はカメラに隠れていて、どんな表情をしているのかは分からない。
僕は膝の上の文集に目を落とした。
『よく教室の後ろの窓の向こうに立っていて』
もう一度、写真を見る。 窓に映っているのは、相模だけだった。
「俺は、これ」
伊藤が出してきたのは、大学ノートだった。
開くと、新聞記事の切り抜きが、一ページに一枚ずつ丁寧に貼り付けられていた。どれも地元で人が亡くなったときの訃報通知で、ところどころに赤ペンで線が引かれている。
めくられたページの中に、白井さんの名前があった。
その下にも、赤い線が引かれていた。
「私は、悪趣味かと思ったんだけど、ノートパソコンがパスワードかかってなかったから、開いてみたんだ。ざっと見たけど、それらしいファイルは見つからなかった」
杉浦の膝には、角の塗装が剥げかけた、黒い古いノートパソコンが載っていた。
「それらしいファイルって?」
「こういう変な写真とか、記事とかよ。でも、検索履歴は残ってたの。『霊』『死因』『死後』。あと、『窓 人影』って単語で、何度も検索してる」
杉浦が画面に目を落とす。
「毎日調べてたみたい。ほんとに、何かに憑かれてたんじゃないかと思うくらい」
僕も、文集に書かれていた「お姉さん」について話した。
話し終えても、誰もすぐには口を開かなかった。名取川さんは鉛筆を置いたまま、二冊の文集を見ている。
相模は、人の死と、霊的なものを調べていた。
あの怖がりが。 しかも、調べていた本人が、もう亡くなっている。
「その、二個上の作文って、誰が書いたか教えて」
杉浦がスクラップを手に取りながら尋ねた。僕は古い方の文集を開き、名前を確かめる。
「えーっと、四年一組、大塚康之って書いてある」
「大塚ね。……大塚?」
杉浦の手が止まった。
ノートのページを何枚かめくって、こちらに向ける。
「……この人よね。五年生のときに亡くなってる」
小さな記事の中に、同じ名前が載っていた。赤い線を引かれて。
僕たちがのんびり学校で過ごしていたすぐ横に、何かが、いたのだろうか。窓の外で笑いながら、その子が死ぬまで、ついてくるようなものが。
「相模が最近会いに行ってた友達も、ひょっとして、この『お姉さん』だったりして」
伊藤が笑い飛ばそうとして、失敗したような顔で言った。
まさか、と返そうとして、言葉が出なかった。
手元の文集に目を落とす。「私の友達」という題が、さっきまでとは違うものに見えた。相模は、これをどんな気持ちで読んで――
ガタンッ!
そのとき突然ふすまが開いた。伊藤が膝で長机を蹴り、がたん、と音がした。そのまま後ろの布団に倒れ込む。
「ごめんね、お構いもせず……」
相模のお母さんだった。
お盆の上で、オレンジジュースが揺れていた。 僕らは机の上を空けた。お母さんが、一つずつコップを置いていく。コップの表面には、びっしりと水滴がついていた。
「そ、そういえばお母さん」
伊藤が、まだ少し裏返った声で切り出した。
「あいつ、遊びに行くとき、誰に会いに行くとか言ってました? 新しい友達ができたんじゃないかって話をしてたんです」
「あらそうなの? 友達っていったら、てっきり伊藤君たちのことだと思ったわ。他に仲良くしてた友達もねぇ、今はそんなにはいなかったと思うけど……」
最後のコップを置いて、お母さんはお盆を胸に抱えた。
「休みの日は部屋にいることが多かったのに、最近よく外に出るようになったから、喜んでたのよ。それなのにねえ……」
お母さんの目が、部屋の中をゆっくりと巡った。学習机、本棚、畳まれた布団。僕らも黙ったまま、その場に座っていた。
「いつ頃から、外出が多く?」
僕が尋ねると、お母さんはこちらに目を戻した。
「今年の初めくらい? みんな、友達の話が気になるのね」
「そうですよ。だって僕たち、相模の一番の友達だと思ってたので、ほかの人と会ってたって聞いたら、やっぱり妬けちゃって。それに、その人に会えたら、一緒に相模の思い出話もしたいですし……」
僕が少し目を伏せて言うと、伊藤がジト目でこちらを見た。その顔で何を言っているのかは分かったけど、知らないふりをした。
僕らの知らない相模の話を聞きたい、というのも嘘じゃない。この部屋に入ってから、相模がどんな人だったのか、分からなくなってきてるから。
「でも、誰と会ってるかは言ってなかったわねぇ……」
「名前じゃなくてもいいんです。出かけるとき、その相手のことをどう言ってました?」
「友達に会いに行ってくる、って。それくらいだったと思うわ」
お母さんは、少し首をかしげた。
名前も、どこで知り合ったかも分からない。これでは、誰なのか確かめようがない。
「あ、でも、最初の一回は言い方が違った気がする。それを聞いて、伊藤君たちだと思ったんだった。友達じゃなくて」
お母さんは、思い出したようにうなずいた。
「小学校の時の、同級生に会った、って」