あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
「いきなりふすま開いたとき、もうマジでビビった~」
相模のお母さんが階段を下りていく足音が消えてから、伊藤がそう呟きながら畳の上に倒れた。
「ていうか、あんたが一番びびってたじゃない。机蹴ってたし」
「正直、いろいろ漏れるかと思った」
大丈夫か伊藤、真顔でおかしなことを口走ってるぞ。そういえば見た目のわりに、昔からこういうのは駄目な奴だった。
「お前が実は冷血なのは知ってるから、その後のお前の小芝居には突っ込まないけどさ~。でもね、良心が痛まないの?」
と大の字に寝そべったまま、伊藤がこちらを横目で見てくるが、スルーした。
名取川さんがなぜか僕の背中をさすってくれた。それ、励ますんじゃなくて飲み会で吐いてる人にやるやつだよ。
そのあとは、誰も何も言わなかった。
学習机の上に並べた文集、スクラップ、写真、ノートパソコン、郷土史。手のつけられていないオレンジジュースのコップが、机の端で汗をかいている。相模が何を追いかけていたのか、手がかりはここにある。でも、それが何なのかは分からない。気味が悪い。このまま形見分けだけもらって帰ったとして、それで済むのかどうかも、分からなかった。
窓から差し込む日差しが、いつの間にか傾き始めていた。ツクツクボウシが鳴いている。
「なあ」
畳に寝そべったまま、伊藤が天井を見て言った。
「これさ、俺らで調べようぜ」
「……は?」
「いや、だって気になるじゃん。相模が何してたのか。このまま帰ってもさ、俺、今晩寝れる気しないもん」
「不謹慎でしょ、ここ相模の部屋よ」
「相模の部屋だから言ってるの」
伊藤が起き上がって、机の上のスクラップを指で叩く。
「あいつ、一人でこれ調べてたんだぜ。俺らに何にも言わずにさ。最近会ってなかったとはいえ、それってなんか、寂しくね?」
「……まあ……一理あるわね」
杉浦が、腕を組んでスクラップを見下ろす。
「相模は何かに会って、それについて調べていたけど、解決法を見つける前に、死んだ。他に少なくとも2人、変なのに会って死んだ人間がいるんだろ? もしかしたら、そんな危ないものがここらをうろついてるってことになる」
……確かにそうかな。地元に住んでいれば、遭遇する可能性は、あるかもしれない。特に学校付近はヤバそうだ。
「私はこの町の病院で働いてるし、これからもここに住むつもりだから、そんなやばいのが本当にいるなら、正体を確認して、避ける方法を知っておきたいかな。ある日知らずに遭遇しました、じゃ遅すぎるもの。調べた結果、いないって確信できたら、それはそれで一番いい。……それに、なんか中途半端な今の状態が気持ち悪い」
友人のためと口にはしないのが、なんだか、杉浦らしかった。名取川さんも、隣で小さくうなずいている。
……僕は。どうだろう。
「僕も、相模が死ぬ前に、何を追いかけていたのかを知りたい」
きっと、その足跡を辿ることで、僕の中の、相模の死に実感を持てないこのもやもやがはっきりすると、そう思った。
「よっしゃ、決まりな」
伊藤が勢いよく膝を叩いた。
手がかりは五つ。文集、訃報通知のスクラップ、写真、郷土史、ノートパソコン。とりあえず、これを形見分けとしてもらい受けることにした。何かあったら、もう一度探しに来たらいいしね。
帰ると告げた時、相模のお母さんは、また会いに来てやってください、と頭を下げ、玄関まで僕らを見送ってくれた。
「じゃあ、一人一つずつ持ち帰って、気になるところがないか確認。次に集まった時に共有しよう」
杉浦が仕切る横で、伊藤が手を挙げる。
「俺、スクラップやるわ。地元のおっちゃんおばちゃんに顔が利くから、載ってる事故の話とか、聞いて回れると思う」
「じゃあ私が郷土史とパソコン」
「僕は文集を」
残ったのは写真だった。名取川さんが、当然のようにそれを手に取った。
それから、スケッチブックをめくって、こちらに向けてきた。
池が描いてあった。その隣に寺の門。さらにその隣に、遊具のある小さな公園。写真に写っていた場所ばかりだ。どれも1分かそこらで描いたはずなのに、写真を見なくても分かるくらいには、写真そのままだった。「今は?」とメモが書いてある。
「……現地確認に行くってこと?」
名取川さんはそっと頷く。
確かにそうだ。相模が何度も足を運んだ場所が写っているなら、実際に行ってみないと分からないこともある。だが……。
「一人で行かせないからね」
杉浦が即座に言った。
「私は仕事があるから無理。伊藤も聞き込みでしょ。……あんた、次の休みいつ?」
僕に向かって言っている。
こちらは比較的予定を合わせられる。だって特に予定ないから。来週の土曜あたりはどうか、と答えると、名取川さんがまた小さく頷いた。話が早い。
そして、次週の土曜日。
九月も終わりに差し掛かっているのに、田舎はまだ暑かった。さすがに蝉は鳴いていないけど。駅前で待ち合わせということだったので、約束の時間の少し前に改札を出る。
駅前のロータリーには、バスが一台停まっているだけで、人影はまばらだった。ベンチには、既に名取川さんが座っていた。
名取川さんは、白い割烹着を着ていた。
袖は手の甲が半分隠れている。肩の縫い目が二の腕まで下がっていて、全体的に、誰かの家から借りてきたみたいに見えた。背中に回された紐が、腰のあたりで蝶結びになっている。
その格好で、肩から大きな布の鞄を提げて、片手にスケッチブックを持っていた。年末に会う時の、名取川さんのいつもの格好だった。
「待った?」
名取川さんは首を横に振った。それから、持っていたスケッチブックをこちらへ向ける。
紙の中には、ベンチに腰掛けた名取川さんが描かれていた。絵を描くだけあって、本人によく似ていた。膝にたまった割烹着の皺まで描いてあるのに、足だけは子どものようにぶらぶらさせている。
小さな名取川さんは、膝の上のスケッチブックに何か描いている。隣には時計が置かれていたけれど、そちらには見向きもしていない。
……暇じゃなかったから気にしてない、ということだろうか。でももう描いてたということは、思ったより待たせたのでは……?
「ごめん」
名取川さんは少しだけ僕の顔を見てから、スケッチブックを閉じた。
「いえ。では、行きましょうか」
名取川さんは、もう歩き出している。
僕も後を追った。今日は池と公園と、それから寺を回る予定になっている。暗くなる前に戻れるといいんだけど。
歩きながら、名取川さんは早速スケッチブックを開いていた。歩きながら描くのはやめたほうがいいと思う。何度言っても聞かないけど。前から車が来たので、僕はそっと彼女を道の端に引っ張った。
バスに乗って、山のほうへ向かう。
車内には僕らのほかに、老人が二人いるだけだった。名取川さんは窓際に座って、外を見ながら描いている。膝の上でスケッチブックが揺れているのに、線は揺れていない。
何を描いているのか覗き込もうとしたら、さっとページをめくられた。見せる気はないらしい。僕は窓の外へ目を戻した。
「……まだです」
隣から、小さな声がした。
「ああ、途中だから?」
名取川さんはうなずいて、元のページを開いた。
バス停で降りて、そこから坂道を上る。舗装はしてあるが、両脇から草が伸びて、道幅が半分くらいになっていた。
「暑い?」
聞いてみる。九月の終わりとはいえ、日中はまだ気温が上がる。割烹着なんて着ていたら、なおさらだろう。
名取川さんは首を振った。それから、袖をまくろうとして、うまくいかずに諦めていた。丈が合っていないので、まくってもすぐ落ちてくるらしい。
十五分ほど上って、山道に入る。そこからさらに五分ほど歩いた先に、池はあった。
周りは木に囲まれていて、視界はほとんど遮られている。岸は舗装されていない。向こう岸までは二十メートルくらいだろうか。
ほとりに、錆びた看板が立っている。「池に注意! キケン!」と書いてあった。文字の赤が、半分ほど剥げている。事故が起きてから設置されたものかな。
それにしても、静かだった。
山道に入って十分も経っていないのに、町の音がまったく聞こえない。車も、人の声も。聞こえるのは、木の葉が擦れる音と、どこか遠くで鳴いている鳥だけだ。
ここで助けを呼んでも、道を通る人に聞こえるのだろうか。
僕は歩いてきた方を振り返った。木々の間に細い道が折れ曲がっていて、その先はもう見えなかった。
名前も顔も知らない後輩は、一人でこの池に落ちたのだろうか。水際に向き直り、そっとのぞき込んでみる。
緑と茶色の中間のような色をした水が、ゆらゆらと揺れている。
岸際には、沈んだ枯葉が透けて見える。すぐ先で地面が途切れ、そこから水の色が黒くなっていた。濁りの向こうへ斜面が続いているのか。それとも、そのまま真下へ落ちているのか。
身を乗り出すと、靴の下で土がぐしゃりと崩れた。
慌てて腰を引く。崩れた土のかけらが、ぽとぽとと水に落ちた。小さな輪が重なり、岸際の枯葉が揺れる。
今、自分の足がどこまで岸に乗っていたのか、よく分からなかった。
カシャッ、と音がして振り返る。
名取川さんが、デジカメを構えていた。これも持ってきていたのか。相模の写真を片手に、立つ場所を少しずつ変えている。
しばらく池を撮ったあと、彼女はデジカメを鞄にしまった。代わりにスケッチブックを取り出し、その場に立ったまま描き始める。
僕も何か役に立たないと。
あたりを見回すが、特におかしなものは見当たらなかった。対岸の木の根元に、色の抜けたビニール袋が引っかかっている。水際に倒れた枝の半分が、水に沈んでいた。相模も、こんな風景を何度も撮りに来ていたのだろうか。
チャポン、と音がした。
岸際に波紋が広がっていた。足場を確かめてからのぞき込む。水に映った僕の隣で、名取川さんの顔が揺れていた。
水面に映った名取川さんは、絵を描かずに、顔を上げてじーっとこちらを見ている。
何か言いたいのかと思って顔を向けると、隣の名取川さんはスケッチブックに目を落としていた。鉛筆が、止まらず動いている。
もう一度、水面を見る。
水面には、無表情のままでこちらをじっと見つめる名取川さんの顔が、映っていた。隣からは、
思わず、水際から離れた。
座ったままの彼女が、顔を上げる。
「どうしました?」
「……いや、何でも」
名取川さんは少しだけ僕の顔をのぞき込んで、それからまた絵に目を戻した。
隣で、鉛筆が紙を擦る音がする。
僕はその手元を見ていた。水面の方には、もう目を向けなかった。