あなたの友達のことを書いてください。あとでお話を聞くことがあります 作:うちっち
こちらを笑いながら見ている女の子。おかっぱの髪には髪留めがついていて、白い襟のある濃い色の制服を着ている。六年生くらいだろうか。
女の子は何も言わず、僕を見ていた。害意のなさそうな顔で、ニコニコと笑っている。
「こんにちは。ちょっと、お邪魔してます」
「…………」
できるだけ普通に声をかけたつもりだったけれど、女の子から返事はなく、こちらを見たまま動こうともしなかった。
「君も絵に興味があるのかな?」
「…………」
「ちなみに僕は学生時代、美術は2だった。この前、ネズミを描いたらこれは犬かと言われたよ」
「…………」
全く返事がない。
その顔を見返しているうちに、別のことにも気づく。
女の子は、一度もまばたきをしていなかった。
明らかに怪しいが、逃げようにも女の子のいる方へ行かなければならず、それ以前に、名取川さんを置いていくわけにはいかない。せめてこのまましばらく出てこないでくれ……!
しかし期待に反して、背後のトイレから手を洗う気配と、水の流れる音がした。
「名取川さん、今、出てこないで」
水音が止まり、少し間を置いて、扉の向こうから名取川さんの声が聞こえた。
「……どうしました?」
「今出てくると、ちょっとよくない。校長がサインを貰おうと色紙を持って君を探してるんだ」
しかし、扉が開き、視界の端に白い割烹着が見えたので、僕は女の子から目を離さないまま片手を上げた。
「出てこないで。そこにいて」
しかし名取川さんは、トイレからずんずんと出てきた。ぜ、全然言うこと聞かねえこの人……。
僕の隣まで大股でやって来た名取川さんは、女の子を見るなり目を見開いた。けれど、すぐに鞄から取り出したカメラを構える。
カシャッ!
シャッターの音が廊下に響いた瞬間。
それまでほとんど表情の動かなかった女の子が初めて目を見開き、びっくりしたように身を翻した。
そのまま四年一組の方へ、足音もなく走っていく。
女の子は閉まった四年一組の戸の前まで行くと、その姿を戸の陰に重ねるようにして見えなくなった。
「……見た?」
僕が聞くと、名取川さんはうなずき、すぐにカメラの画面を確認した。
「写ってる?」
隣から画面を覗き込む。写っているのは、誰もいない廊下だけだった。
さっきまで、あそこにいたのに。
画面から顔を上げ、閉まった四年一組の戸を見る。
白井さんは四年生のとき、窓の外にいるお姉さんのことを書いた。そのあと病気で学校へ来なくなり、亡くなった。
大塚さんも四年生の文集にお姉さんのことを書いて、五年生のときには亡くなっている。
二人とも、「お姉さん」と会ってから、一年も経たずに、死んだ。
そして相模も、あの子を探していた。
その相模も、もういない。
「……ごめんなさい」
名取川さんがカメラを両手で持ったまま、俯いた。
「なんで出てきたの。まだ見てなかったんだから、そこにいればよかったのに」
「……あんな言い方されたら、待っていられません」
「出てこないでって言ったじゃん」
「だからです。そもそもトイレを出待ちする校長先生ってなんですか」
逆だったらどうしただろう。
名取川さんが僕から見えないところで、突然「来ないで」と言い出したら。
「もう怒ってない」
名取川さんがようやくこちらを見た。
「……怒ってませんか」
「怒ってないよ」
いつものようにじっと顔をのぞき込まれたので、僕も逃げずに見返した。しばらくすると、名取川さんは小さくうなずいた。
「怖くはありませんか」
「べ、別に? 名取川さんは?」
「こ、怖いわけないじゃないですか」
そのときいきなり、背後から大きな声がした。
「おうお前ら! どうした?」
「うわーっ!!!」
「あ、わ、あっ、あっ!」
僕が飛び上がるのと、名取川さんが僕の腕にしがみつくのはほとんど同時だった。
振り向くと、用務員さんが立っていた。何とも言えない顔で僕らを見ている。
名取川さんが腕を離し、僕も何も言わずに一歩離れた。
「……いや、三階に上がってからずいぶん戻ってこないからさ。何かあったのかと思って見に来たんだけど……お前らそういう関係? わざわざ母校でやるなよ」
「すみません。ちょっと、昔のことを思い出してまして」
嘘ではない。思い出したどころか、昔からいたらしい女の子に会ったばかりである。
名取川さんは後ろから足でげしっと蹴ってきた。確かに、今の返事だとまるで僕らが昔を思い出して変なことをしてたみたいに聞こえてしまう。ごめんて。
用務員さんはまだ少し不思議そうな顔をしていたけれど、僕らの後ろにある四年一組を見て、「懐かしいだろ」と笑った。見なかったことにしてくれたらしい。心広い。
「用務員さん。相模のこと、覚えてますか。同じ学年だった、相模」
「相模? ああ、覚えてるよ。予防注射のとき、グラウンドまで逃げていったやつだろ」
覚えられ方がひどい……。
「相模、今年ここに来ませんでした?」
「ああ、来たよ。年明けくらいだったかな。校舎がなくなる前に、昔の教室を見ておきたいって言ってね。日曜だったから、俺が鍵を貸したんだ」
相模の写真に写っていた、誰もいない教室を思い出す。
「そのとき、何か言ってませんでした?」
「何か?」
「例えば、誰かに会ったとか」
用務員さんは少し考えてから、四年一組の方を見た。
「ああ。三十分くらいして鍵を返しに来たときだったかな。今日、生徒は来てるのかって聞かれたよ。日曜だから誰もいないって言ったら、変な顔しててね」
「どんな子を見たって?」
「六年生くらいの女の子だって。おかっぱで、髪留めをつけてて、制服を着てたって。教室の窓のところにいたらしい」
名取川さんと顔を見合わせた。
さっき見た女の子と、同じ。
「……窓の外にいる、お姉さん、ですか」
僕が聞くと、用務員さんは驚いたようにこちらを見た。
「昔の文集で見ました。そういう作文を書いた子がいましたよね」
「ああ。覚えてるよ。相模にもその話をしたから」
用務員さんは鍵束をポケットに入れると、廊下の先へ歩き出した。
「あれな、見たの一人じゃないんだよ」
振り返らずに言う。
「下に資料室があってな。昔の文集なら、全部そこに置いてある」
資料室は一階の職員室から一番遠い角にあった。
「悪いな。移すものを、とりあえずこっちへ入れちゃってるから」
長机の上にも下にも段ボールが置かれ、丸めた模造紙や、運動会で使ったらしい数字の札が箱からはみ出していた。壁際にはスチールの棚があったけれど、冊子が縦に並んでいるのは一部だけで、その上にも横向きの本や封筒が押し込まれている。
「文集は、この辺だったと思うんだけどなあ」
用務員さんは棚の前の箱を一つ下ろし、背表紙を覗き込んだ。薄い冊子を引き抜いて表紙を確かめ、長机の空いているところへ置く。その下から、また違う色の冊子が出てきた。
「これ、見ててもいいですか」
「ああ。俺より先に見つかるかもしれんな」
僕は一番上の冊子を取った。
表紙に見覚えがあった。相模の部屋で目を通した文集と、同じ年度だった。僕らの2つ上の学年。
目次で四年生のページを探すと、「私の友達」という題が並んでいた。
後ろで箱を動かす音を聞きながら、ページをめくる。
一緒にサッカーをする子。絵が上手な子。隣の席になってから仲良くなった子。名前と文章を追い、次へ進もうとしたところで、ある言葉に目が止まった。
『○○君は、ときどきうそをつきます。この前は、教室に自動販売機があったと言っていました。でも、そんなものはありません。何を売っていたのか聞いても、見てないと言うので、やっぱりうそだと思います』
ページの端を持ち上げていた指を戻した。
自動販売機。
その言葉の前後を、もう一度読んだ。教室にあった、と書いてある。どこかの教室ではなく、ぼくたちの教室、と。
紙の上部には、四年一組と印刷されていた。
隣を見ると、名取川さんは用務員さんから冊子の束を受け取っていた。机に置き終えるのを待って、その袖に触れた。
彼女がこちらを向いたので、開いた文集を寄せる。
指で示したところを読んだ名取川さんは、紙へ顔を近づけた。読み終えたはずなのに顔を上げず、少しして、ページの上の学年と組へ目を移した。
「そっち、あったか?」
棚の前から声をかけられ、顔を上げた。
「……いえ。まだです」
「白井のは、もうちょっとあとの年度だな」
用務員さんはまた箱の中へ手を入れた。
名取川さんが読み終えるのを待ってから、僕はページをめくった。さっきまでは、女の子やお姉さんという言葉を探していた。今度は、一つずつ最後まで読んだ。
忘れ物を取りに戻った話があった。
『帰ろうとしたら戸が開きませんでした。何回やっても開かないので、○○ちゃんをよびました。○○ちゃんが外から開けてくれました。引けばよかったのにと言われました。引いたのに』
「何回やっても」。
隣から伸びた名取川さんの指が、ページの下端を押さえたので、僕はめくらずに待った。
次に引っ掛かったのは、友達とかけっこをした話だった。
『○○君が後ろから走ってきたので、ぼくも走りました。校門まで逃げたら、○○君はもう来ていました。どこを通ったのか聞いても教えてくれませんでした。近道を知っているのだと思います。』
後ろから来たのがその子だと、どこで分かったのだろう。読み返しても、振り向いたとは書かれていなかった。
もう少し先には、こんな文章もあった。
『○○君と放課後に教室で遊んでいたら、窓に小石がこつんと当たりました。二人で下を見たけれど、だれもいませんでした。○○君は鳥だと言ったけれど、鳥なんていませんでした』
そのあとには、二人で何をして遊んだかが続いていた。女の子は出てこなかった。
この文集は、ところどころ、おかしい。
前に読んだときには、気づかなかった。
僕はページの上の「四年一組」を指でなぞった。
あの教室で、僕は毎日、何を背にして座っていたんだろう。
「あった。これだ」
用務員さんが、棚の前から冊子を持ってきた。
「笠原。こいつも、窓の外に女の子がいたって書いてたんだよ」
開かれたページには、四年生の男の子の作文があった。
同じ「私の友達」という題の下に、窓の外のお姉さんについて書かれている。何も言わないけれど、いつも笑っている。途中には、窓をノックされた、とあった。
「どんな子だったんですか」
「人の物を借りて、返さない子だったなあ。それでよく揉めてたよ。先生が間に入ってるのを何度か見た」
用務員さんは、作文の字を目で追っていた。
「六年のとき、屋上から落ちてな」
「……落ちた?」
「柵に切れ目があったんだと。そこから。俺が音を聞いて、最初に見つけた」
音。
それ以上は聞かなかった。用務員さんも言わず、机の上にある冊子へ手を伸ばした。この子が、屋上から転落した子。
「それで、大塚」
大きくて、右上がりの字が目に入った。相模の部屋で見たのと同じ作文だった。
「火事で亡くなったんですよね」
用務員さんはすぐには答えず、ページの端を指で押さえたまま、少し黙っていた。
「五年の冬だったよ。朝方な、消防車の音で目が覚めてさ。えらい数が走っていくもんだから、何事かと思って」
僕は、学校へ来る前に見た空き地を思い出した。腰ほどの高さに伸びた草と、傾いた売り地の看板。
「学校に来たら、先生たちが集まっててな。担任が、職員室で泣いてた。乱暴な子でな。下級生を泣かせることが多かった。親もよく学校に来てたよ」
そこで一度、言葉を切った。
「まあだからって、ああいうことになっていいわけじゃないけどな。あそこは一家全員、亡くなった」
大塚さんは、「窓の外で音がしたので振り向いたら、お姉さんがいた」と書いていた。
「それで、白井」
三冊目が開かれた。
小さくて、丁寧な字だった。名前を見る前から分かった。
「あの子も、病気でなあ」
用務員さんは作文の上の方を指で押さえた。
「俺、放課後に鍵を閉めて回るだろ。その時間になっても、あの子はよく教室に残っててな」
休み時間にも、本を読んでいた。
机に本を広げ、周りが騒がしくてもあまり顔を上げない子だった。それは覚えている。
「暗いから電気つけようかって言ったら、いいですって言うんだ。だから、窓際の蛍光灯だけつけてやった」
僕は、白井さんの座っていたあたりを思い浮かべた。
「本を読んでるのかと思ったら、窓の方を向いてるときもあってな。何見てんだって聞いたら、鳥がいるって。俺も見たけど、いなかったよ」
用務員さんはそこで作文へ目を戻した。
「五年になってから来なくなってな。入院したって聞いて、そのままだった」
四年一組。
僕がいたときは、何も見なかった。何も起きなかった。白井さんは、同じ教室で見ている。同じ年に。
あの場所には、見た者に死をもたらす何かが、いたのだろうか。……いや。
僕はそっと、隣の名取川さんへ視線を向けた。
いたのか、じゃない。……今も、いる、のか。
「それから、滝口。女の子だよ」
用務員さんが四冊目を開いた。
短い作文だった。教室で一人でいるときに女の子が来ること。絵を描いているところを、いつも笑って見ていること。
「元気な子でな。俺の見てる前で殴り合いになったこともあるよ。止めに入ったら、先生じゃなくて俺に説教されたのが納得いかないって、しばらく口きいてくれなかった」
それから、作文の方へ目を戻した。
「でも、いい子でなあ。下級生が泣いてたら、ちゃんと間に入ってやるんだ。喧嘩も、だいたい誰かのことで怒ってた」
僕は机に開かれた文集の表紙を、一冊ずつ確かめた。四冊。四年分だった。
「この滝口って子は、どう亡くなったんですか」
自分の声が、思ったより低く出た。
用務員さんが顔を上げた。
「いや、滝口は生きてるよ」
……生きてる?
前話で窓の外に立てるのはイモリの生まれ変わりかな?という部分がありましたが、壁に張り付くのはイモリでなくヤモリでした。謹んで訂正いたします。