歴史は、勝者の手によってのみ紡がれるという。
ならば、勝者なきこの世界の真実は、一体誰が遺すのだろうか。
王都を覆い尽くす漆黒の瘴気。狂乱する魔物たちの咆哮。この世の終わりとしか思えない光景のただ中で、黒髪の少年はただ立ち尽くしていた。
「貧乏くじ引いてばっかだな。これだから勇者は嫌だったんだ」
軽口を叩く声にハッとして顔を上げる。そこには、満身創痍になってもなお、いつものように不敵に笑う勇者の背中があった。
彼は噛み締めるように、あるいは悼むように瓦礫と化した街を見渡し、最後に振り返る。
「ちゃんと見るんだ、フィン。これでオレたちの旅は終わりなんだから」
その瞳は、これからの未来を生きる少年を真っ直ぐに射抜いていた。
「キミは勇者一行の記録係だ。オレたちの旅を、日常を、生き様を――全部を持っていってくれ」
高く掲げられた剣から溢れ出したまばゆい光が、闇を、魔物を、そして勇者自身をも包み込んでいく。
「――ごめんな。オレが弱いばかりに」
それが、人類を救うための長い長い戦いの決着だった。
王都は崩壊し、守れなかったものは多くあった。
彼らは歓声を浴びて凱旋することも、故郷へ帰ることも、この先の世を生き続けることもできない。
それでも彼らは、人類の脅威であった厄災を確かに打ち破ったのだ。
かくして。すべてを見届けた記録係の少年一人を残し、偉大なる勇者一行は全滅した。
彼らが命を賭して紡いだ英雄譚は、本来であれば、人類の希望として永遠に語り継がれるはずだった。
――しかし、全人類から、彼らが生きた記憶は消し去られた。
世界を救った勇者たちの存在証明は今、たった一人の少年の内にしか存在しない。
◆
剣に惚れた。
剣の輝きに憧れた。
剣の重みだけが、僕を生かしている。
「それだけでいい。誰も、僕に剣を振れと言わない、この場所がいい」
僕は今日も一人、この孤島で生きている。
滅亡して無人と化した一国の王都で、一人生きている。
*
ぶしゅ、と肉が断たれる音と共に、大人ほどの大きさの獣の首がずれ落ちる。
「やけに多いと思ったら、魔獣から逃げてきた獣たちがここら辺に密集してるのか」
剣を引き抜き刃についた血を拭う。
今日も今日とて食料が必要だ。
これくらいの大きさだったら、保存用に仕込めば一週間は暮らせる。
(一週間か…………のうのうと生き続けて、いったい…………)
自然と、視線は王城へ向く。
王都の中央に聳え立つ荘厳な城。
今は魔獣の巣窟と化した廃墟。
「あそこに行けば、何か……」
言葉とは裏腹に、手足が震えだす。
「…………僕なんかに、なにができるっていうんだ」
俯くと先ほど狩った獣が映る。頭を振り切って、下処理を進める。
処理を終え、獣を担いで住処に帰る。
王都の中央にそびえる王城からやや離れたところの廃墟を使わせてもらっている。
薪に火をつけて、飯を食べる。
その後川で体を流し、眠りにつく。
この繰り返しだ。
それを、何日も。
何週間も。
何カ月も。
――それを、二年間繰り返した。
孤独が心を蝕んでいく。
ふとした時に、漠然とした不安が蘇る。
ばち、と焚火が音を立てた。
飛び散る火花が、あまりにも儚げで――。
「――っ」
急に狂いそうになった。
住処を飛び出す。
「はぁっ――はあっ――」
いつまでこの生活を続けるのか。
一人、孤独に生き続けなければならないのか。
漠然とした絶望が心を蝕んでいく。
黄昏時。
夕日の茜色と夜の青色が混ざり合う。
気が付けば王都を見渡せる監視塔の最上階にいた。
「――…………あの時と同じ」
そこには、今でも目を疑うような光景が広がっている。
あの時見たものと同じ。
二年前、僕が目覚めて最初に目に飛び込んできた景色と同じ。
□
二年前。
『………………は?』
目が覚めて視界に飛び込んできたのは、荒れ果てた王都の姿だった。
ひたむきに続く緑と、瓦礫の山。
数十年もの間、誰の手も加わっていないような有様。
崩れた建造物には無数の蔦が絡まりつき、かつて人々で賑わっていた街道には背の高い草木が生い茂っている。
『ぇ……』
しかし、それすらももう一つに比べれば些細なことにすぎなかった。
――王都は雲海の上を漂っていた。
『なんで、空に…………いやそれよりどうやって僕は……』
見上げれば、残酷なほどに高く青い空。その静かな青さが、得体の知れない胸のざわめきを煽る。
夢か、現実か。
胸の底から莫大な不安と、喪失感があふれ出す。
手でゆっくりと頬を触る。夢じゃない。
『ぼ、僕の、せいなのか……? 僕が、いつになっても、聖剣に選ばれないから……?』
辺りを見渡す。僕が生きてきたこの国が、忠誠を誓った国が、守るべき我が国が――。
『――ぅぇ』
嘔吐する。
『何があったっ……? おもいだせ、ない……僕はどうしてっ、こんなところに……王都になにがっ…………思い出せない!』
どす黒い不安と絶望が、胃の奥からこみ上げてくる。
一人蹲って泣いていると、いつの間にか辺りは夕暮れ時になっていた。
その時、どこからか声が聞こえた。
『――ィン。フィン――』
それは頭の中に響いているように思えた。
『だ、誰!?』
『――ィン――けんを――聖剣を取りに来て――この――にある』
『…………聖剣? なにをっ、それより君はどこ? きみは誰なの?』
必死に叫ぶが次第に彼女からの声はか細くなっていく。
しかし、最後に――。
『すべての答えは、聖剣を見つけた先にあるよ』
*
彼女の声を聞いてから、王都中を散策した。
一番可能性が高いのは、やはり王城だ。
魔物が集まるということは、魔物を呼び寄せる何かがあるということ。
そういう類は強力な遺物や武具が多い。
だから、僕は王城へ向かったが――。
『ひっ――』
恐ろしかった。
剣を握ったその化け物は僕を見下ろしていた。
僕は血だらけの片腕を抱えて、ただ茫然と座り込むことしかできなかった。
気づけば無様に逃げ延びていた。
それから二年間、一度も王城へは近づかなかった。
王都中を探すためという言い訳をして、ただずるずると生き延びているだけ。
(声もあれ以降聞こえない……幻聴だったのか?)
仮に幻聴だとして、とうとう僕が生き続ける理由がなくなる。
「あれに、勝てるわけがない……」
蘇るトラウマ。圧倒的な力の差。
「でも、このまま生き続けて、一体何になるっていうんだ」
助けは来ない。仲間はいない。生きる意味もない。
「使命も義務も…………全部投げ出したままで」
これまで積み重ねたすべてを、なかったことにしてしまうのか。
刹那、森の中でで赤く光る相貌が踊る。
「GRUUUUU…………」
「――っ」
すぐに身を隠す。
現れたのは魔獣の群れ。狼型の魔獣で、血眼になって獲物を探している。
(魔獣の生息域がこんなところにまで……)
身をかがめて様子をうかがう。強烈な獣臭が鼻をつく。
(僕の住処にまで魔獣の手が伸びるのも、時間の問題なのか)
のうのうと生きていても、死ぬだけだ。
――平時の聖剣など、ただの戦争の道具にすぎん。
――だが、厄災が現れた今世紀に生まれ落ちたお前は違う。お前こそが、我らサルハダット家の本望だ。
――先代たちが血の涙を流して渇望した、本物の『勇者』になれるのだから。誰よりも強くあれ。
僕を苦しめ続けた呪いの言葉が。
父から与えられた苦痛の記憶が、今――僕を動かす原動力となる。
「……死ぬならせめて、立ち向ってからにしろ」
幻聴だとしても、無意味だったとしても。
せめて、死に際にこの人生が無為だったとは思いたくない。
明日、王城へ向かおう。