逃げ出す。だめだ、私がここにいてはだめだ。
もっと遠くに行かないと。誰もいない、遠くに。
王都への転移ポータルを遡って逃げ帰った私は、どうにもできずに泣いていることしかできない。
どうすればいいのか。私に何ができるのか。
この王都を守れなかった私に。
「誰か、教えてよぉっ……」
縋る相手ももういない。
みんな死んでしまった。
もうだめだ。耐えられない。
――僕は、君を信じている。
彼の声。
いつしか言われた、私の背中を押してくれる魔法の言葉。
「……すべきこと」
彼だったら挫けない。
彼だったらあきらめない。
きっと、彼が私と同じ立場なら、すべきことを全力で全うするはず。
「そうだよね、フィン」
震える足で立ち上がる。
レオは最後に、聖剣の力を用いてフィンを隔離した。
けれど、使用者を失った聖剣の光は弱々しく、今にも魔獣や瘴気に飲み込まれてしまいそうだ。彼がいつ目覚めるのかもわからない。
「私が、守るんだ」
いずれ目を覚ますフィンのために、私がすべきこと。
それは聖剣の延命と守護。
レオは最後、聖剣の力を用いてフィンを瘴気と願望器から守った。
守りは強固。目覚めはいつになるか分からない。
使用者をなくした聖剣は脆弱だ。
魔獣によって破壊されることは許されない。私が守るんだ。
それから、何日も。
何週間も。
何カ月も。
何年も。
……けれど、限界は確実に来ていた。
「がっ、あぁっ……!」
血を吐き出し、石畳に倒れ込む。
私の身体はすでに半分以上がどす黒く変色し、瘴気の呪いに侵されきっていた。
もしここで私が暴走すれば、真っ先に狙われるのは――結界の中で眠る彼だ。
「だめぇっ…………それだけはっ……ぜったいにぃっ」
這いつくばりながら、私は聖剣の柄に手を伸ばした。
こうするしか、ない。
バケモノに成り果てていくこの汚れた肉体を、殺す。
それはつまり――人としての『死』を意味する。
「……ははっ」
空笑いが零れる。
幾度となく妄想した。
キミと過ごしたい未来。
辛いことも沢山あったけど、キミが目覚めてくれたらそれでいいの。
またそこから始めればいいだけだから。
キミの隣で、キミを見ていたい。
もっと話して、笑いあって、触れ合ってみたりして。
一緒にまた冒険に出るのもいい。どこかの街で店を構えたっていい。
そして、キミも私のことを想ってくれたりして。
そうして、二人で幸せに、生きていきたい。
キミのプロポーズはぎこちなくて、それをお姉さんずらしてからかう私も内心飛び上がるくらい嬉しくて。
家は広くなくていい。だって狭い方が近くにいられるから。
子供は二人くらいほしい。キミに似て不愛想でもいいし、私に似て生意気でもいい。
裕福じゃなくていい。その分、お互いに助け合えるから。
喧嘩が増えてもいい。そのたびに、仲直りして気持ちを確かめ合えるから。
愛情表現はたくさんしてほしい。
記念日にはプレゼントを贈りあいたい。
ぎこちなくても、不器用でも、なんでもいい。どうせ可愛いって思っちゃうから。
そうして、ゆっくり穏やかに生きていきたい。
いずれ歳を取って、お別れすることになっても。
きっと私は、幸せだって心から言える。
そんな、幾度となく妄想した未来をすべて――諦めることになる。
「――や、だ、よぉっ」
涙があふれ出す。
諦めきれない。だって、これが私の幸せだから。
捨てたくない。まだ、希望を持っていたい。
どく、どく、と心臓が音を立てる。
「でもっ…………キミならっ……きっと、迷わない……」
聖剣に向かって、命を、魔力を、魂を注ぎ込む。
倒れるように壁にもたれかかる。
力が抜けていく。意識が薄れていく。
結界はより一層強固になり、同時に私の命の灯は消えていく。
「ぁあ…………さいごに…………キミに……」
手を伸ばし、視界に移らぬ彼の顔を描く。
*
「さいごに…………一つ、いい?」
「うん」
キミの目をまっすぐ見る。
これが最後。この途方もない五十年の終わり。
「私はキミのこと――いつまでも愛してるよ」
届いただろうか。
届いてたらいいな。
だから、願わくば。
これからキミが歩む、長い旅路のどこかで。
キミが心から笑える日が来た時。
その笑顔の理由の片隅に。
私が遺したぬくもりが、ずっと寄り添っていられますように。
――――行ってらっしゃい。私の愛した人。