「はぁ――はぁっ――」
少女を追ってたどり着いたのは謁見の間に通じる中庭。
骸骨兵たちは謁見の間からは離れられないようで、すぐに追うのを辞めて戻っていった。
倒れこむように跪く。
剣が右手から離れない。震えが収まらない。
「はっ……っはっ……はっ、ぁっ、くぁっ……」
息がうまく吸えない。
怖い。あの人に見られるのが、失望されるのが怖い。
あの人が、たまらなく怖い。
「――大丈夫だよ。落ち着いて」
かすむ視界で辺りが見えないけど、優しい声が聞こえる。
「はいせーの! なが~く息はいて~、ゆっくり吸って~、もっかい吸って~」
跳ねるような声に促されるまま、無我夢中で深呼吸する。
次第に呼吸が収まり、動悸も平常に戻っていく。
ようやく顔を上げると、綺麗なルビーの瞳と目が合った。
「ありがとう……き、君は?」
肩に触れる真っ白な髪、褐色の肌、長い耳――ダークエルフだろうか。
「やっぱり、覚えてない?」
会ったことはないはずだ。家柄のせいで多くの人に会ってきたから忘れている可能性もあるが、これほど目を引く彼女のことを一度でも見れば、忘れない気がする。
「ごめん、どこかで会った?」
「…………そうだよね」
少女はしゅんと眉を下げてしまった。
だけど、ハッと顔を上げて――。
「ふんすっ」
「うわっ、ど、どうしたのいきなり」
少女は突然自分の頬を叩いた。
頬は真っ赤になってるし少し涙目になっている。
「ううん、わかってたことだし、そのために私がいるんだもんね。弱虫だね、ほんとに」
すると、少女はぱっと顔を上げて僕を捉えた。
「私はマルティネ。聖剣を取り返すまでの協力者だと思ってくれていいよ」
「協力者……やっぱり君が僕を呼んだの?」
「うん」
僕がそもそも聖剣を探すことにしたのは、二年前あの声を聞いたからだ。
今では幻聴だったのかと疑ってもいたが、こうして事実だったことが分かってうれしかった。
「謁見の間の最奥の部屋に聖剣がある。それに触れれば、君の記憶は戻るはずだよ」
二年前、目が覚めてすぐに自分の記憶が覚束ないことに気づいた。王都が無人となり空に浮いている理由、自分がここにいる理由、すべてが思い出せないでいた。
「どうして、僕の記憶のことを……それに聖剣って……キミは何者なの?」
「ふふーん、よく聞いてくれたね。王国随一の美人シスターとは私のことさ」
冗談交じりにはぐらかされて釈然としない。あと、この人は美人というより可愛い寄りだ。歳だって僕と変わらないくらいだし。背も小さいし。
「なんか失礼なこと考えてるだろー?」
「えっ、いや、ご、ごめん」
「うっわ、図星じゃんサイテー。しょうがないじゃん、もう伸びないんだもん」
だもん、ときた。なんだか和んでしまう。
彼女と話しているうちに震えが止まった。
僕が立ち上がると、彼女は目を丸くして僕を見上げた。
「…………ずるいじゃん。私より大きくなっちゃってさ、なんだか私だけ取り残されてるみたい」
どうにも、彼女と僕でいまいち嚙み合っていない感覚がある。
それは彼女と僕の距離感にある。僕は初対面のつもりだけど、彼女は僕のことをよく知っているように思える。
「もしかして、僕とキミは仲が良かったのかな」
「えっ……仲良し、だったのかな。うーん、キミがどう思ってたのかは分からないけど、私はキミといる時間が好きだったよ」
なんだか変な感覚だ。
僕の知らない僕には彼女と過ごした時間があって、それを彼女は好ましく思っている。
嬉しいような、でもどこか他人事のような、不思議な感覚。
「って、今の君に言ってもナンジャラホイって感じだよね! ごめん忘れて」
どこか寂しそうな空笑いに心が痛む。
僕がなくしてしまった記憶はそれほど重要なものなのだろうか。それはわからないが、彼女の表情を見て『取り戻すべきだ』とはっきり感じた。
「聖剣に触れれば記憶が戻る。それは確かなの?」
「うん。聖剣は女神さまがこの地に顕現させた瘴気の干渉を受けない神器。今はかなり力を失ってるけど、だからこそ君は聖剣の力に触れられるはず」
「瘴気って……まさか、やっぱり王都はっ」
瘴気という単語に、今までの憶測が真実味を帯びる。
表情を引き締めた彼女は、静かに、だが残酷な事実を口にした。
「この王都は五十年前――厄災によって滅ぼされた」
「……え?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。だが、彼女が冗談を言っているようには見えない。
見渡せば、石畳を砕いて異常なほどに成長した大樹や、風化しきった城壁が、その途方もない歳月を無言で証明している。
「五十年っ……いやそれよりも王都が滅んだって……じゃ、じゃあ国は? 王や城下町の人たちは……っ」
喉がからからに乾いていた。声が震える。
「確実に言えることは……王様も、王族も、王都にいた市民も……みんな、死んだってことだけ」
「――っ」
膝から力が抜けた。崩れ落ちそうになる体を、咄嗟に傍らの壁に手をついて支える。
想定はしていた。だが、受け入れる準備はしていなかった。
自分が生まれて、育って、守ると誓った国が――滅びた。
僕が知る人間はみな、五十年前に死に絶えたのだ。
「じゃあなんで僕だけ生きているんだ!? 僕は逃げ延びたってことっ? みんな死んだのに、僕だけ……それとも聖剣に選ばれて守られたってことなの!?」
すがるように問いかける僕に、彼女は表情を曇らせて首を横に振った。
「君は……聖剣に選ばれることはなかった
「……」
「でも、ある人のおかげで聖剣の力で守られたんだよ。時間をとめることで瘴気の呪い受けずに済んだ。代わりに五十年間眠りっぱなしだったけどね」
「ある人? それは一体……」
掠れた声で問う僕に、彼女は静かに言った。
「レオ・ドミニア――聖剣に選ばれた勇者だよ」
「っ」
聞き覚えもない名前に、やるせない怒りに似た感情を覚える。
「なんで……」
その男が生きているなら、胸倉を掴んで言ってやりたい。
「なんで――僕なんだっ」
僕じゃないだろ。
適任者はほかに山ほど思い浮かぶ。
僕だけはあり得ない。
だって、僕が僕のことを誰よりも理解しているから。
剣の才能のない、怯えることしかできない底辺の人間だ。
こんな男が生き延びても、なにも解決しないじゃないか。
□
代々聖剣を使用する家系に生まれた。
人生を剣に捧げ、そして国に仕える。
それが、家系の存在意義だった。
兄も姉も、父も、祖父も、全員がすべてを剣に懸けて、そして国を守護した。
だが、厄災の誕生によって、跡取りは僕以外死んだ。兄も姉も、目ぼしい跡継ぎはことごとく殺された。
そうなれば、当然聖剣を継承するのは僕しかいなくなる。
だけど――僕には剣術の才能がなかった。
『どうした、もう限界か? それでは到底足りん。志半ばで死んだ兄たちはどうなる。お前は強くならなくてはならない。そうでなければ、あいつらが報われん』
兄たちが死に、父は豹変した。
厄災は暴れる。しかし、聖剣は一向に次の使用者を選ぼうとはしない。
それはつまり、勇者が不在であるということ。
瘴気を払う聖剣を振るう勇者がいなくては、厄災の打破は不可能。
『当主様も酷なことを。まだあんな小さな子を』
『早く勇者を誕生させなければならないのです。世界のため、と銘打つほかにありません』
『だが、フィン様はどうにも……』
『……あぁ、あれは持たざる側でしょう。懸命に努力されていますが、あれでは聖剣に選ばれるかなど』
そんなの自分が一番わかっている。
『立て。稽古の続きだ』
知りたくなかった。剣がただ苦しいだけのものだなんて。
『お前は勇者になって厄災を打つんだ』
どれだけ剣を振れば聖剣に選ばれるんだ。
『剣の重みを心に刻め』
こんなに重いもの、背負えっこない。
こんな――僕なんかに。
□
「――その答えはすべて、失われた記憶にあるよ」
確信に満ちた声音で、彼女は断言した。