どうにもできない。
止められない。
厄災の暴走を――止められない。
「レオっ! だめっ! 抑えきれないっ! 願望器が邪魔して瘴気を抑えきれないっ!」
一番頼りになる男へ必死に叫ぶ。
無力感と焦燥感、そして半ば見え隠れする最悪の未来への絶望が心を蝕む。
赤髪の勇者は振りかざした聖剣をゆっくり下ろしてこちらを振り返った。
「フィンに託そう」
「ぇっ」
それはあまりにも酷な話で、同時に私たちの生存をあきらめるということだった。
「オレたちの願いの暴走は止まらない。いつしか、第二の厄災になり果てるその前に、何か布石が必要だ。オレたちが託せるのはあいつしかいない」
朦朧とする意識の中で、私たちの意思は定まった。
「マルティネ、彼を導いてくれ。キミなら、瘴気の呪いを受けても生存できるはずだ」
最後の言葉。
なんとしてもやり遂げようと決意した。
*
目を覚ます。
「……ぁ、みんな……みんなは」
知っている場所のはずなのに、もうそこに人はいない。
荒れ果てた王城は突き抜けるような静けさに包まれていた。
テラスへと足を運ぶ。
「……ひっ」
空に浮いた王都。
瘴気に汚染された魂たちが亡霊となり果てて王都を徘徊している。
誰もいない。一人だ。
「どうなったの……王都は、国は……みんなはっ……」
崩れ落ちる。
心を絶望が支配する。
涙があふれ出す。どうすればよかったのか、どうするべきだったのか。
私たちのこの旅はすべて無駄だったというのか。
そんなの、あまりにもひど過ぎる。
思わず、逃げ出す。
謁見の間の最奥の部屋。
そこに設置された転移ポータル。
それを利用して地上へ降りた。
人がいない。どこにもいない。
荒れ果てた国。
何日も、何日も彷徨って。
とある村に辿り着く。
村の人たちは弱り切った私を快く受け入れてくれた。
久しぶりにぐっすり寝て、そして起きると同時に事の顛末を聞いた。
「ぇ……? 新たな厄災?」
愕然とした。
「ゆ、勇者一行のみんなは、どうなったんですか?」
縋るように問いかける。しかし、返ってきた反応は残酷だった。
「勇者一行? いるならこんなことになってないわよ。聖剣も厄災に奪われたっていうし、一体世界はどうなるのやら」
何を言っているのか分からない。
「レオ……レオ・ドミニアは?」
「……有名な人かい?」
「勇者です! 聖剣に選ばれた勇者……っ! そう! この村も二年前、彼が魔術災害から守って……」
「はて……あれは国王が派遣した騎士たちが対処してくれたのよ」
「そんなっ……」
勇者がこの国で知られてないはずがない。
ましてや、ここは彼が直接守った村だ。
それが、王国の騎士? 何かがおかしい。
「……瘴気の呪い」
思い当たる節は一点。
聖書にも記されているし、レオが仮説として話していたことだ。
「……対象者への認識の阻害」
つまりは、私たちはあの戦いを経て瘴気に呪われて。
全人類から忘れられたということだ。
その日の深夜のこと。
布団の中で泣き続けていると、酷い頭痛がした。
「ぃっ………な、にこれっ」
頭の中を駆け巡る、大勢の人間の声。
どす黒い悪感情が胸の中を支配していく。
『苦しい』『誰か助けて』『縋るものが欲しい』――世界中の人間の、救いを求める声が私の中に流れ込んでくる。
同時に、胸の奥底に隠していた『私の願い』が、どす黒い熱を帯びて膨れ上がっていった。 忘れられたくない。誰かに見てほしい。 ……ちがう。私が振り向いてほしいのは、たった一人だけなのに。
「あ、ぁぁ……っ!」
私の指先から、黒い泥のような瘴気が溢れ出した。
それは床に置かれていた真っ白な羊皮紙に染み込み、勝手に文字を紡ぎ始める。
私が彼に向けた、決して届かないはずだった想い。それが幾重にも歪み、悍ましい 『教義』へと書き換えられていく。
「マルティネちゃん? どうしたの、すごい声がしたけど……」
扉が開いた。私を温かく看病してくれた、村のおばさんだった。
ランプの灯りが、床に落ちたその『真っ黒な教典』を照らし出す。
おばさんの視線が、それに吸い込まれた。
「あっ、見ちゃだめ――!」
だが、遅かった。
おばさんの瞳から、すっと光が消えた。
ランプが床に落ちて割れる。 彼女は糸が切れたようにその場に崩れ落ちると、まるで神を前にした狂信者のように、深く、深く床に額を擦り付けた。
「あぁ……美しき、我らが聖女様……あなた様の愛で、どうかこの世界を……」
空虚な瞳。よだれを垂らしながら、恍惚とした表情で私を捉えるおばさん。
騒ぎを聞きつけて集まってきた他の村人たちも、教典の切れ端を見た瞬間、次々と狂ったように私へ祈りを捧げ始めた。
違う。違う、やめて。私が欲しいのは、こんなものじゃないっ……!
…………あぁ、これが厄災の狙いだったんだ。