10月10日 18:00
D.U.地区 子ウサギ公園
――人生には、運命の日というものがある。
私、月雪ミヤコは先生に買って貰い、今では小隊の飼いウサギとして共に暮らしているぴょんことテントで遊びながらそんな取り留めもない事を考えていた。
ぴょんこにゆっくり手のひらを近づけると、頬ずりするように身体を寄せてきた。その温かさと重みを、手のひらに感じる。
出会ったばかりの頃はこうじゃなかった。手を近づけるたび唸られてちょっと悲しかった。でも今はすっかり私に懐いてくれてなんだかほっこりしてしまう。
そうしていると遠くで複数のサイレンが鳴り始めた。音は少しずつ大きくなり、こちらへ近づいてくるようだった。
でもサイレンが鳴る程度はこの子ウサギタウンではよくある事だ。別に気にすることでもない。「運命の日」について考え直すことにする。
「運命の日」とはこれまで当然と思っていたことがひっくり返り、その前と後ではあり方さえも変わるような日だ。そして、そんな「運命の日」は存外気まぐれなものである。
私はそんな運命の実在を信じていた。
と言うのも、生まれて十五年しか経っていない私にさえ、そんな運命を感じる日が四回もあったからだ。
三度目は必然なんて言葉があるくらいなのに四回もあったのだから運命の日はあるに決まっている。そう信じていた。
まずは小学二年生の冬。魔法少女ヘヴィキャリバー第一シリーズの四十四話を視聴した日。普段は家族一緒にテレビを見る習慣なのに、たまたまこの日は両親が不在。自分一人で番組を見ることになった。
テルミッドブラックが敵の魔法により町中から存在を忘れられてしまった中、町の人びとを守るために戦い、ついに敵の幹部を打ち破る回だった。
「みんな酷いよ。ブラックはこれまでいっぱいみんなを助けてきたのに、どうしてみんな知らんぷりをするの」
「それでも戦うなんて、ブラックはなんて格好いいんだろう」
当時の私はこの時感じた心の震えや、何故自分は泣いているのか。どうしてブラックをこんなにも格好いいと思うのかを言葉に出来なかった。ただ、彼女のようでありたいと心から感じた。
今になって思えば、この日こそ一回目の「運命の日」だった。
二回目は中学二年生の春先。SRT特殊学園の開設宣言と、七度小隊長率いるFOX小隊の初陣が報じられた日だった。
照れくさそうな表情でカメラの前に立つFOX小隊。凛とした表情で、SRTの正義はいかなる時も決して揺らがないと語る七度小隊長……ユキノ先輩。
幼い頃に憧れた「誰かのために力を尽くせる強くて気高い人」が、物語の中の存在ではなく現実にいる。私もSRTになりたい。
その日から二年弱。私はそのために走り続けた。
三回目は、ようやく入学したSRT特殊学園の閉鎖を知らされた日。
連邦生徒会が示した理由は、連邦生徒会長が不在では、作戦に失敗した際に責任を負う者がいないというものだった。
その日のうちに廃校が決まり、私達のSRTの学籍も剥奪された。
二年近く必死に走り続け、ようやく手に入れたものが、手にした途端になくなった。
そんなことは納得出来なかった。だからRABBIT小隊の皆で相談の上、デモを計画し、今の住居でもある子ウサギ公園へたどり着いた。
四回目の「運命の日」これはつい最近のことで、直近で自分の運命が最も変化したのはこの日だ。そう私は信じている。
納得出来ずに始めたSRT閉鎖反対デモは〈シャーレの先生〉を名乗る大人の手により失敗したが、何故か子ウサギ公園でのデモ続行は許された。
そこから賞味期限切れの弁当をつつく侘しい日々が続いた頃、不意の大雨。元からあった排水不備による浸水と、落雷によるテントの倒壊。
装備や弾薬が水を被り、排水作業を提案した途端に他の三人からも、
「ミヤコだって、分かってたんじゃないの? こんなバカなこと、いつまでも続けるわけにはいかないって」
「こんな状態で、SRTの名前が守れてるとは思えない…!」
「……ミヤコちゃん……もう、諦めようよ……」
と、この生活を続ける辛さの吐露を正面から受けた日だ。
共に闘おうと誓ったはずの仲間達が弱音や諦めを口にする姿へ大いに衝撃を受けたが、どうあれ排水はやらねばならない。
「諦められません。SRTのためにも」
そんなに声を大きくはしていなかった…と思う。
しかし、あの時の皆には、突き放すように聞こえただろう。そんな言葉を発した後、私は一人排水溝に向かって歩いた。
――念のため、人数分のスコップを手にしながら。
スコップを泥へ突き立て、初めて袖を通した瞬間は誇らしい気持ちだったSRTの制服が臭く汚い泥まみれになる中、黙々と排水作業に取り掛かる。
こんな日々が、私達の守りたかったSRTなのか。そんなことは言われなくても分かっている。それでも、スコップを動かす。
頬を流れる妙に生ぬるい水は雨だ。視界も滲んでいるが、これも雨だ。ずっと俯いていたくせに、雨が目に入ったのだと自分に言い聞かせていた。
しかし雨の勢い自体は弱まっている気がするのに、視界の滲みは逆に大きくなり、強風が吹いた瞬間に耐え難い寒さを感じた。
震えで膝をついてしまう。しかし、そうした途端に制服が身体に張り付き鉛のように重たくのしかかり、手まで地面についてしまう。
服にのしかかる重たさで動けないでいる内に、詰まった溝から泥水が溢れ始める。
ゴボゴボと湧き出る音と共に膝下と手元が泥で染まっていく。
今すぐ再開して少しでも泥を退けなければならない。頭ではそう分かっているのに身体が動かせない。
〈もう諦めよう〉
〈私は憧れたあの人達みたいにはなれないんだ〉
泥の溢れる音に混じってそんな囁きが聞こえてきた瞬間、手からこぼれ落ちた私のスコップを誰かが取る音と、力強く泥をひっくり返す音がした。
おかしい。隊員の皆はテントの傍にいるはず。ここには私以外いないし、私自身は何もしていない。
不思議に思い、ふと周囲を見やれば、すぐ隣に自分達の反対デモを叩きのめした先生の姿があった。
SRT特殊学園のことなど子ウサギ公園に訪れるその日まで知らなかったような相手に敗れたことが、当時の自分には積み重ねた努力まで否定されたように思えてならなかった。
今思えば被害妄想であり、黒歴史以外の何物でもない。それでも、人生で初めて「私はあなたのような大人が一番嫌いです」と言い切った相手なのだ。
あんな啖呵を切ってしまった手前「今日は何の用ですか」「あなたの手助けなど無用です」と毅然として断るべきではないか……。
そんな思考がふと頭に浮かんだが、寒さで震えた口を開く気にはなれず。しかし、自分もこんな大人に負けてはいられないと排水作業へ戻ることも出来ない。
そうするべきだと頭では分かっているのに、鉛のように重たくなった服を動かす力がどうしても湧いてこなかった。
先生が溝を塞いでいた泥を何度か掻き出すと、ゴボゴボという音が止んだ。膝の周りに溜まっていた泥水が、少しずつ引いていく。
ふと気付けば、目の前にタオルが広がっていた。先生が背にしていたバッグから取り出したようだ。乱雑に髪を拭かれる。
そして見上げると、先生が目の前にいた。タオルから手を離し、こちらへ手を差し出している。
”ごめんね、本当はもっと早くに来るつもりだったんだ”
”水が溢れてきていたから、少し流れるようにしておいたよ”
”顔だけでも拭いて。身体も少し拭いた方がいい”
”ほら、立てるかい?”
タオルから覗く先生の顔。わずかに息切れした声。多分走ってここに来たのだろう。
目の前に差し出された手のひら。その形も、手を重ねた時に伝わってきた温かさも、今でも鮮明に覚えている。
今来たばかりと言っても、先生だって泥まみれだし雨に濡れている。温度の意味ではきっと私と大差ないはず。それでも暖かかった。
私が目指す理想を、私達がSRTを続けたい想いを見てくれる人がいた。こんな大雨の中、頼んでもいないのにわざわざ来てくれた。
そんな人が目の前にいるのだと思った途端、数秒前まで鉛のように重たく感じてたはずの制服はただの濡れて張り付いてる布に戻った。囁きは聞こえなくなった。
濡れて張り付いた制服は冷たく、身体もまだ重い。それでも、もう少しなら排水が出来る。少なくとも身体が動く間は、私はSRTで居続けられる。
先生は使っていたスコップを私に手渡すと、少し離れた所に置いてあるもう一本を取りに行った。
しばらく二人で泥を処理する。そうこうしているうちに他の隊員も合流してきて、どうにか排水に成功した。
排水を終えた後、先生は背負っていたバッグから大きな水筒と紙コップを取り出し、私達に温かいお茶を注いでくれた。
バッグにはほかにも、私達四人分の乾いたタオルと当座の食料、携帯用のカイロが詰め込まれていた。
”人数分揃えるのに、思ったより時間がかかってしまったんだ”
先生は少し恥ずかしそうに、申し訳なさそうに説明した。
先生が物資を置いて帰った後、私達は、感情的になってしまったこと、皆に向き合わず突き放すような物言いをしてしまったことを互いに謝り合った。そして「改めて頑張ろう」と、もう一度気持ちを一つに出来た。
なにもかも駄目になることは避けられた。
今となっては思う。いずれも運命の日だったと。
一回目の運命の日。もしもあの日の放送を両親と一緒に見ていたら、今の記憶ほど心が震えただろうか?「親の目前でテレビを見ながらきゃあきゃあ騒いだり泣いたりするなんて恥ずかしい」みたいな子供心にも世間体めいたもので、心の震えを抑え込まなかっただろうか?
そうして心の震えを抑え込んでいたなら、二回目の「運命の日」に同じほど心を動かされ、SRTを目指していただろうか?
四回目の「運命の日」もそうだ。先生が来てくださるのが1時間早かったら、まだテントは崩れていない。先生に憎まれ口を叩いて追い返してしまっていた……かもしれない。
逆にあと1時間遅かったら、私の中にあったSRTへの想いは雨と泥の中へ流れていき、先生に感謝を述べながらもヴァルキューレへの転校を宣言していた……かもしれない。
選ぶのは私だが必ずしも私の意思が全てでは無い。だから運命とは気まぐれなのだ。
所詮は「もしも」の話にすぎないが、そんな「もしも」の月雪ミヤコはどういう人間になったのだろう? 自分にも分からない。
ただ、そんな「もしも」の月雪ミヤコ達はユキノ先輩達を止めるため「カルバノグの兎」作戦の発令などしていないに違いない。だから今の形で良かったと思うことにしている。
まだSRT特殊学園は復興出来ていない。いまだ己は何者とも言えない不確かな身分だが、SRTの精神――いかなる時も決して揺らがない正義――を持って、私は今日も日々を過ごそう。
そういえばいつの間にかサイレンの音が遠ざかっていた。まぁ、これもよくあることだ。気にすることでもない。
――この時、私は知らなかった。
実はこんなふうにぴょんこと戯れながらつらつらと自分を振り返っていた時、既に「五回目」が始まっていたこと。
それも、五回目は一日では終わらない。
運命の「日々」が始まることを。