作者の中でセリフや口調を合わせると「あれ、どっちがどっちだっけ?」と混乱して筆が止まる時期があり、こうするしかなかったんです。
10月13日 15:00
D.U.地区 子ウサギタウン 大通り
道を歩く三人のスケバン達は、連邦生徒会から配布されたビラを手にしながら周囲の人影を確認している。
「おい、いたか?」
「…いいや、見つからない」
「このすなっちゃー?とやらは、私らがなんとしても見つける。懸賞金をゲットするぞ!」
たがいに「おー!」と声を上げ、スケバン達は街を徘徊する…
* * *
「それで、ぴょんこはどうするんだ?」
サキがそう言うと、テント内のテーブルに置かれたケージの中で、白い耳が動いた。
装備は揃った。弾薬も、通信機も、交代で食べる携帯食も。
それでもまだ、出発出来ずにいる理由が一つだけ残っていた。
「しばらくは護衛でかかりきりになるだろ?公園に置き去りってわけにもいかないしな」
「えっと……いつもの、ヴァルキューレの方にお願いするのは……?」
「向こうは生活安全局まで総動員して警備中だってさ。そりゃあ頼めば引き受けてくれるだろうけど、世話まで手が回るかな」
椅子に座ったままのモエは、膝に抱えているバッグの中身を改めながら指摘する。
「そうだ。先月の巡回で知り合ったトリニティの方はどうでしょうか」
ミヤコが端末をスカートのポケットから取り出した。
「ああ、あのやたら声がでかい子か?」
サキが顔を上げた。
「はい。自警団に所属していると言っていた、あの方です」
「ぴょんこ、びっくりしないかな……」
「その点も伝えておきます」
ミヤコは連絡先を開き、少し離れると通話を始めた。長く待つこともなく戻ってきた顔に、三人の視線が集まる。
「快く引き受けていただけました。今から来てくれるそうです」
サキが肩の力を抜き、モエはバッグを閉じた。ミユがケージに指を近づけると、ぴょんこの小さな鼻がその指先に触れる。
引き取りに来てくれた相手に感謝を告げ、ぴょんこを預け終えると四人は装備を背負い直し、シャーレへ向かった。
* * *
「まず、改めてお礼を言わせてください」
先生は椅子から立ち、私達に向き直った。
「先日は、皆さんがいてくださって助かりました。あの時に月雪さんが庇ってくださらなければ、私は今、ここにはいなかったかもしれません」
頭を下げられて、背筋が伸びた。
「護衛として当然のことをしたまでです」
「それでも、感謝しています。皆さんが守ってくださったことを」
いつもの事務的な説明より、言葉の間が長かった。
あの銃声を思い出す。身体をぶつけた時の衝撃も、床へ伏せた先生の姿も。
間に合ってよかった。
そう思ったところで、先生は机の端末を手に取った。
「ただ、警戒していただきたい相手が、もう一人います」
画面に、一人の生徒の画像が表示された。
白い髪。黒を基調としたドレスのような服装。こちらを見ている目つきには、画像越しでも近寄りがたいものがあった。
「この生徒です。モモトークで何やら意味の分からないことを主張してきました。今は返信を控えています」
「せ、先生……それだけならイタズラか何かなのでは……?」
「いいえ、それだけではありません」
「今朝、この方と同じ学校の生徒さんから相談がありました。昨日の報道を見て、心配になったそうです」
「一昨日、この方から集合写真が送られてきたそうですが、私の顔だけがスナッチャーに差し替えられていて、同じ人物に見えるかと繰り返し確認を求められたとのことです。報道されている心理的干渉と関係があるのではないか、と」
サキが画面へ少し顔を寄せた。
「名前は?」
「今は伏せておきます。まだ何かをしたわけではありませんし、今夜ここへ来ると決まったわけでもありません。疑いだけで、この方の名誉を傷つけることは避けたいので」
私は画像を自分の端末へ受け取った。
「相談を受けた生徒さんによれば、アサルトライフルとドローンを併用する、非常に練度の高い相手です。この方を確認したら、まず報告してください」
「装備込みで識別するよ」
モエが画像を拡大する。
「今夜来るとすれば、おそらくこの相手です。警戒を厳にお願いします」
先生はそこで一度、私達四人を見渡した。
「しかし、スナッチャーが現れる可能性もあります。スナッチャーは何らかの方法で生徒を狂わせます。皆さんも、接触には十分注意してください」
「スナッチャーは、どうやったのかは分かりませんがあの箱の生体認証を欺瞞しています」
先生は端末を机に置いた。
「生徒に異常を起こしている手段も、あの箱に関係している可能性があります。何をしたのか、本人から聞き出す必要があります。箱とともに、生きたまま確保してください」
ミユの指が、狙撃銃のスリングを握り直した。
「……了解しました」
私が答えると、先生は小さく頷いた。
執務室を出てから、私は三人を呼び止めた。
「装備の確認をします。スナッチャーについても、可能な限り生け捕りにします」
「生け捕りはいいけどさ、洗脳…要はワカモみたいにされるかもしれないんでしょ?」
モエの問いに頷く。
「ええ。方法を明らかにする必要があります。ただ撃ち倒すだけだと狐坂ワカモやトリニティの…聖園ミカさんでしたか。その方がずっとそのままという可能性があります」
「スナッチャーを捕らえ、彼女らを正気に戻させた後に法の下で裁くべきです。接近されないための手段も用意しましょう」
元に戻す方法があるなら、それを知っている可能性がある。ここで手掛かりを失うわけにはいかない。
「私とモエはゴム弾を。実弾は予備に回します。サキ、ミユは白い髪の生徒が襲撃してきた場合を想定し主武装は引き続き実弾、副武装のみゴム弾へ」
「了解」
「は、はい」
「ドローンは?」
「スナッチャー確保はⅡ型を主戦力として組み立てます。Ⅲ型の機銃とミサイルは、標的の識別と状況確認が済むまで使用保留としましょう」
「あいよ。Ⅰ型で見つけて、Ⅱ型のネットとテーザーで捕まえる。Ⅲ型は待機ね」
モエが端末を操作し設定を見直す傍らで、サキは副武装の弾倉を確かめた。ミユも右脇のホルスターから拳銃を取り出し、手元を確認している。
「私は正面玄関と先生の安全を担当します。サキは地下の侵入経路を。ミユは裏口の監視、モエは広域監視と支援をお願いします」
「地下から収容区画まで、私が押さえる」
「裏口は……見ています」
「何かあったら、すぐ知らせるよ」
三人の返事を聞き、私はヘッドセットの位置を直した。公園で予備と取り替えてから、あの妙な音はしていない。やはり機材の不調だったのだろう。
今夜も、先生を守り通そう。
「それでは、各員配置についてください」
* * *
10月13日 20:00
D.U.地区 シャーレビル付近
「ん…公園には誰もいないよ。四人とも、シャーレの護衛に回っているみたいだ」
シロコ*テラーが端末から顔を上げて先生に報告する。
ドローンへ帰還の指示を送る彼女の指を見届けてから、先生は港へ続く道に目を向けた。建物の間に、シャーレの明かりが見えている。
昨夜、ゲマトリアと契約を結んだ。その支援を受けて用意したものが、今はそれぞれの手元にあった。
”今夜の目標は二つ。ワカモを連れ帰ることと、ミユのすり替えを直すこと”
「うん」
”以前に取り交わした規定通りなら、シャーレからヴァルキューレへの身柄引き渡しは、ヴァルキューレ側責任者の立ち会いが必須になっている”
先生は、先立ってオーウェルに頼んで集めてもらったシャーレ周辺の監視映像を、新しく調達した端末で見直す。
監視を始めてから、護送車両の出入りも、屋上ヘリポートへの発着も確認されていない。
”それに、ワカモ程の大物となれば、脱走を試みられた場合も考慮する。護送には局長であるカンナ自身か、少なくとも副局長のコノカを立ち会わせるだろう。相応の護送要員も連れてくるはずだ”
先生が画面に触れると、シャーレへ続く道路を映した別の監視映像へ切り替わる。
行き交う車両の中に、ヴァルキューレの護送車両は見当たらなかった。
”監視を始める前に引き渡された可能性は残る。それでも、まだワカモはあそこの地下居住区か収容区画あたりに居ると考えられる。助け出すなら、今夜のうちに実行しておきたい”
彼女は転送器を収めた背嚢の肩紐に触れた。
「見つけたら、これで戻る」
”続けられないと判断した時も使って”
「先生は」
予想していた問いだった。
”二人までだからね。君とワカモでいっぱいだ”
彼女の手が肩紐から離れた。
”こちらはミユに会ったら離脱する。長話はしないよ”
「ん…先生。本当に先生が直接、そのミユって子と接触するの? 私はやっぱり反対」
”……心配なのは分かる。でも、君にはワカモの救出に集中してほしい。ミユのすり替えを直すには、私が直接触れる必要がある”
”ワカモの事件で何があったのか、ミユにも聞きたいんだ”
先生は端末の画面を消し、短く息を吐いた。
”それにしても、スナッチャー…奪い取る者とは皮肉な渾名だね。私は、奪われたものを取り戻したいだけなんだけどな”
”でも、今のミユからすれば私はそのスナッチャーだ。普通に聞いても、答えてはくれないだろう”
”だから、心苦しいがミユのすり替えを直したい。私が誰なのか分かったうえで、話すかどうかを決めてもらいたいんだ”
先生は、小さく折った紙をポケットの上から確かめた。
新しく契約した携帯電話の番号。その下には「つままれた狐について」とだけ書いてある。
”これを制服か装備のポケットか、とにかく何処かに忍ばせる”
「手渡さないんだ」
”その場で受け取るか決めてもらうより、落ち着いてから考えてほしい”
仲間のところに残っていても、連絡は出来る。今夜、その場で答えを求める必要はなかった。
”先に私が潜伏場所を探す。本人を確認出来たら連絡するから、それまでは待っていて”
「連絡が来たら、裏口へ出る」
”ミユはまず警告するはずだ。警告射撃の音に合わせて、私は最後の距離を詰める”
ワカモを救うまでに、ミヤコやサキと交戦する可能性がある。その際、転送器を壊されることも考えておかなければならない。
別の脱出経路が必要になった場合に備えて、狙撃手は放置出来ない。そしてミユについては、先生にも居場所を探す手掛かりがあった。
「先生」
歩き出しかけたところで呼ばれた。
「銃声がしても、無理はしないで」
彼女の目は、先生の顔から動かなかった。
”シロコ、君もだよ”
先生は頷いて、港側へ足を向けた。
* * *
錆びた看板の前で、先生は足を止めた。
文字の一部は塗装ごと剥がれているが、何年か前に倒産した玩具メーカーの名前が書かれている。
なるほど、ここだな。
先生は港の貨物コンテナの間で聞いた、小さな悲鳴を思い出した。
「ひぃっ……や、やめて……」
謎の悲鳴を頼りに隙間を覗くと、ミユが壁に背をつけていた。足元では一匹のネズミが、荷物の匂いを嗅いでいた。
ネズミが走り去ったあと、ミユは何度も礼を言った。それから任務で使えそうな隠れ場所について、少しだけ話してくれたのだった。
「ほかにも、いい感じの所があるんです。古い荷役事務所とか……シャーレから港のほうに行くと、玩具の工場があって」
そこで聞いた名前が、目の前の看板にあった。
「そこの工場は、長くいても臭いが気にならなくて…… ただ、入口の扉が重くて……」
「先生、覚えてますか? 前に、扉をすぐ閉めたら出られなくなったこと」
”あぁ、ヴァルキューレへ忍び込んだ時の?”
「はい……あれでミヤコちゃん達に怒られて以来、使っている間は通れるくらいには開けておくようにしてるんです」
先生は看板から目を下ろすと、正門の扉に細い隙間が見えた。
人が一人、身体を横にすれば通れる幅だった。足元の砂には、扉が擦った新しい跡が残っている。
――誰かがつい最近開けた。ただし、ミユとは限らない。
隙間の向こうに耳を澄ませてから、先生は中へ入った。
工場の一階には、撤去しきれなかった作業台や棚が残っていた。港の照明が高窓から入り、床の明暗を細長く分けている。
シャーレビル側には、搬出口に面した事務室があった。
窓の先には荷さばき用の空地が広がり、倉庫の間からシャーレの裏口が見通せる。
地図で確かめた限りだと、距離は一キロ程度。ミユの腕なら十分に射程範囲だ。
先生は作業台の陰を選んで進んだ。
開いた事務室の戸口から、長い銃身の一部が見えた。
その後ろに、黒い髪。青基調のセーラー服。そして布を巻いた狙撃銃。
息を止める。しばらく待つと、窓際の影がわずかに動き、横顔が見えた。
間違いない、ミユだった。
先生は壁の陰へ戻り、端末に短く打ち込んだ。
――確認した。予定どおり。
返信を確かめて、画面を消す。
事務室の内側には、背の高い書類棚があった。窓を向くミユからは、その陰になる場所まで近づける。
先生は足元を見た。ガラス片も、踏めば音の出る金属片も避け、一歩ずつ距離を縮める。
棚の脇で、シッテムの箱のエンブレムに触れた。
指先へ現れた白い一枚を、左手に収める。
ここからなら、あと数歩だった。
* * *
「……裏口に一名。白い髪に黒い服。警戒対象と一致します」
ミユの声は小さかったが、淀みはなかった。
先生は棚の陰で動きを止めた。
窓際に据えられた銃は、シャーレの方角を向いている。その先に居るであろうシロコは、ここからは見えない。
「そこの方、止まってください」
ミユが、裏口の警告用スピーカーに繋がるマイクへ口を寄せた。
「武器を置いて、その場から動かないでください。これ以上の接近は、許可出来ません」
返答は聞こえなかった。
ミユの肩が、わずかに下がる。頬が銃床へ落ち着いた。
「止まって……!」
事前に想定していた警告射撃の銃声が室内を叩くと同時に、先生は踏み出した。
ミユの手がボルトへ移る。その顔が、先生の方へ振り向きかけた。
「対象、裏口から――」
先生は、最後の数歩。その距離分を詰め切った。
* * *
ミユが振り向いた。
ボルトを戻しかけた手が止まる。次の瞬間、ミユは銃床を振った。
「……っ、はっ!」
銃床が右から左へ鋭く走る。
先生は顔を引いたが、銃床の硬い角が、左のこめかみから目元の外側をかすめ、視界の端に白い火花が散る。
――大丈夫、目は潰れてない。しかしダメージの程度を確かめている余裕もなかった。
先生は右手の掌を使い、銃床を振る動きで伸びたミユの右腕を内側へ流す。
打撃についてきたミユの上半身が、更に同じ方向へ流れる。
先生はその外側、ミユの左側面へと回り込んだ。
先生はミユの右腕から肩へ手を移し、足を置き直そうとするところで体勢を崩した。
ミユの膝が床につくものの、銃は落とさない。
ミユは右手で銃を保持したまま左手をフリーにし、胸元へ運ぶ。
先生の視界の隅に、押し込まれた小さなボタンが見えた。
――緊急ビーコンか。
止めるには遅かった。
ミユはもう片足を立て、身体を起こそうとしていた。先生が肩へかけた重みを、押し返してくる。
先生の左手の中には、まだRE:TEXTがある。
素肌は。顔も首元も、動き続けて狙いが定まらない。袖をまくっている時間はない。
ミカは素肌に貼り付けた。シロコには反応しなかった。服の上から当てるとどうなるかは、分からない。
ミユの肩が動き出す。力任せに振りほどこうとしている。
――ダメだ。このまま場所を迷っていると、振りほどかれる。
先生は左手を開いた。
セーラー襟の下端から、その下の背中へ。RE:TEXTを衣服の上から押し当てた。
RE:TEXTが指先を離れ、布地へ吸い付いた。ミカに使った時と同じ感触だった。
「……えっ」
押し返していた力が、急に抜けた。
ミユの身体が沈んでいく。先生は彼女の右手首を取り、身体が崩れすぎないよう支えながら、右腕を背中側へ回した。
効いている。服の上からでも届くのか。
視界の端で腕時計の秒針を捉える。
ここから六十秒。
ミユの右手から狙撃銃が離れた。スリングに引かれて傾いた銃を避け、先生は左手をポケットへ入れる。
折った紙を取り出し、彼女の右腰のポーチへ押し込んだ。
同時に、ミユの左肘が動いた。
手が右脇へ潜り込んでいる。
先生が紙から手を離した時には、黒光りする拳銃がホルスターから抜き放たれていた。
ミユの親指の動きと共に、安全装置が外れる音がする。
ミユは身体を捻り、左手の銃をこちらへ向けようとした。
銃口が、彼女の右腕を押さえている先生の腕を追う。
――ッッ!
先生はその左手首へ手を伸ばした。
窓の外から、高い羽音が近づいていた。
* * *
ミユからの緊急ビーコンを受けた瞬間、私は近くを飛ばしていたⅠ型を窓へ回した。
カメラ映像とヘッドセットの音声が同期した。直後、ミユが愛用している拳銃の発砲音が耳の中へ飛び込んだ。
画面の中では、スナッチャーの手がミユの銃を持つ腕にかかっていた。二人の腕がもつれ、銃口が跳ねる。弾は離れた床に当たった。
「ミユ!」
――命中していない。ミユにも、スナッチャーにも。
私の前で映像が揺れる。ミユが銃を引き戻そうとするが、スナッチャーがその腕へ手を伸ばす。
短いもみ合いのあと、ミユの身体が前へ崩れ、拳銃も床を滑った。
ミユが顔から落ちる、と思ったが、スナッチャーの腕がミユの肩と頭を支え、そのまま床の近くで止めた。
「……何それ、配慮のつもり?」
私が呟く間にも、ミユは身体を捻っている。抵抗している。ちゃんと、逃げようとしている。
なのに、立てない。足を引きつけても腰が上がらず、腕を引いても相手の手を外せない。
ミユの身体能力は高い。一方的に押さえ込まれるなんて、SRTがまだあった頃の、FOX小隊の先輩方との格闘訓練以外では見たことがない。
――よく見ると、ミユの背中に、白いものがあった。
襟の下から身頃にかけて、四角い何かが貼り付いている。制服の印刷ではない。ミユが動くたび、表面が細かく光っている。
あんなもの、出発前にはなかったはずだ。
「Ⅰ型、もう少し右……」
窓枠に触れないよう機体を寄せる。背中の白いものを、画面の中央へ収めた。
スナッチャーはミユの左手が背中へ回ると、その腕を止めた。けれど、白いもの自体には触らない。
――あれだ。
あれを身体に貼り付けて、何かをしている。あれがスナッチャーの手口なんだ。
「Ⅱ型、港側の廃工場へ。最短で向かわせる」
指を動かしながら、別の回線を開いた。
「こちらRABBIT3。RABBIT4のところにスナッチャーがいた。接触されてる」
『こちらRABBIT1、RABBIT4の状態は』
「意識はある。抵抗もしてる。ただ、力が入らないみたい。背中に白い何かが貼られている」
『白い何か?』
「きっとあれが仕掛けだ。洗脳を始めてるのか、身体を弱らせるだけなのかは、まだ分からない」
Ⅰ型にはカメラとマイクしかない。
画面を見ているだけなのが、こんなに腹立たしいとは思わなかった。
『先生に報告します。映像を共有してください』
「…今、送った。ミユが近すぎるからⅢ型は使えない。Ⅱ型で引き離すよ」
ミユの靴底が床を擦った。
片膝を立てようとして、また崩れる。それでも、すぐに腕を引いた。
「ミユ、聞こえる? 増援を向かわせた。そのまま――」
耐えて。頑張って。
続けかけた言葉が止まった。画面の中のミユは、とっくに頑張っている。
スナッチャーが顔を近づけ、何かを言っている。
羽音と、衣服が擦れる音。ミユの荒い息。その間に低い声が混ざったが、スナッチャーが何を言ってるのか拾いきれない。
白い何かは、まだ背中にあった。
私は録画表示を確かめ、Ⅱ型の到着までの距離を見た。
「……早く」
* * *
もう一度、右腕を引く…だめ、抜けない。
肩を動かすと同じ分だけスナッチャーはついてくる。足を立てようとしても、身体の向きを変えられた。
私の息だけが上がっていく。
――転ばされる瞬間、視界の隅でスナッチャーの左手に何かが見えた。あれを背中に押し当てられてからずっとこうだ。
どうして、こんなに力が入らないんだろう。
普段ならこの位の押さえ込みは簡単にひっくり返せるはずなのに、どうしても起き上がれない。自分の身体も満足に支えられない。
でも、左手はちょっとだけ動かせるようになった。
床に手をつき、身体を揺する。スナッチャーが姿勢を変えた瞬間、精一杯腕を引くと、右手首が抜けた。
やった、抜けた!
床に手をつき、片膝を立てて身体を起こした。
拳銃の方へ向かう。落とした時から、ずっとそこにあった。
左手を伸ばしてグリップを掴み、そのまま片手でスナッチャーへ向けた。
『白いのが――』
通信機から、モエちゃんの声がした。
『服の中に、沈んだ……?』
背中には、何も感じなかった。
ただ、照準の向こうに先生の顔があった。
私が撃たなければいけない人。
ここへ入ってきて、私を押さえつけた、危険な――
「え……」
――先生、だよね?
銃の先が、止まった。
顔が変わったわけではない。
服も、手も、さっきから同じだ。左目の外側が赤く腫れている。私が銃床を叩き付けた場所だった。
やっぱり、どう見ても先生だった。
――ど、どうして分からなかったの?
あの声で話しかけられていた。あの手で、床に顔をぶつけないよう支えられていた。
それなのに私は、さっき先生の腕を撃ち抜こうとした。
今も銃を向けている。
指を引き金から離した。拳銃を構えていた左腕から力が抜け、立てた膝も崩れた。
腰が床へ落ち、折り曲げた両脚が横へ流れる。
私は拳銃を手放せないまま、床に座り込んだ。
執務室で、私達を送り出した顔が浮かんだ。
白い髪の生徒の画像を見せて、気をつけるようにと言った人。
先生だと思って、イタズラではないのかと質問した人。
――じゃあ、今シャーレにいるのは、誰?
顔も声も、はっきり思い出せる。
けれど、その人を私は知らなかった。ぜんぜん、まったく、知らない、人?
――ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。
私達は、知らない誰かを先生だと思っている?
そ、そんなはずは……でも。
そういうことに、なる?
「わ、私は……」
言葉の先が出てこなかった。
先生はすぐには近づかなかった。膝をついたまま、短く息を吐いた。
”……間に合ったか”
何が間に合ったのか、聞けなかった。銃が重い。
分かったのに、身体にはまだ力が戻らなかった。
『…ミユ、応答して。ミユ!』
モエちゃんが呼んでいる。
返事をしなければ。
スナッチャーがいる。助けに来てくれる。さっきまで、私もそれを待っていた。
でも、ここにいるのは。
”今の感覚だけで私を信じなくてもいい”
先生が言った。
私は顔を上げた。
”身体の力は、もう少しすれば戻る。君の仲間も来る”
先生の目が、一度だけ窓へ向いた。
”私達は、ワカモを助けに来たんだ”
「狐坂、さんを……」
地下にいる人。私達が捕まえた人だ。
今シャーレにいるのはニセモノだと、訴えていた人。
思い出すことが、次々に違う意味と場所へ繋がっていく。なのに、何処から確かめればいいのか分からなかった。
先生は声を落とした。窓の外の羽音に紛れかけた言葉を、私はようやく聞き取った。
”右腰のポーチに、連絡先を入れた。番号を覚えたら、その紙は処分してほしい”
私は思わず腰を見る。
そうだ、確かにもみ合っている時、触れられた場所だった。
”何が起きているのか確かめたくなったら。ワカモのことで、話してもいいと思ったら、そこへ連絡してほしい”
”あと、困った時にはいつでも相談してほしい。私はまだシャーレの先生でいるつもりだから”
先生はそれだけ言って、私の返事を待たずに顔を上げた。
外の羽音が増えていた。
窓の向こうを、さっきより大きな影が横切る。モエちゃんのⅡ型ドローンだ。捕獲用の装備が、機体の下に見えた。
先生の手が腰へ動くと共に、小さな筒が床を転がる。
私は銃を下げたまま見ていると、転がった筒から白い煙が噴き出す。
「ちょっと、まっ……」
姿がかすんだ。まだ聞きたいことがあった。どうしてここが分かったのか。
私に何をしたのか。じゃあシャーレにいたあの人は、いったい誰なのか。
答えを聞く前に、白い煙が顔の高さまで広がった。
その向こうで、靴底が床を蹴った。
私は追いかけられず、拳銃を下げたまま、その足音を聞いた。