ブルーアーカイブ 認知改変もの   作:9eyes

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”正義”の銃弾、受けてみよ。スナッチャー!


第一部 第八話 シャーレ侵入作戦(3)おにごっこウサギは、先生の敵だからやっつけたい

煙を吸い込みかけ、先生は口元を袖で覆った。

 

戸口の向こうから冷たい空気が流れ込んでいる。そちらへ身体を向けたところで、窓の外の羽音が低くなった。

 

床を蹴る。

 

背後で乾いた音がした。振り返った視界の端で、網が机の脚を巻き込んだ。白い煙の中に幾筋もの線が張り、続いて飛び込んできた針が戸枠へ突き立つ。

 

Ⅱ型だ。

捕獲ネットとテーザー。片方を避けて立ち止まれば、もう片方が来る。

 

先生は低い姿勢のまま戸口を抜けた。頬の腫れが脈打っている。目の下を拭うと袖に汗がついたが、その先を確かめる時間はなかった。

 

鞄へ手を差し入れ、器を一つ取り出す。

 

起動させたそれから、人の形が立ち上がった。

煙越しに自分の顔を見るのは、妙な気分だった。同じ服を着て、同じ鞄を掛けている。こちらが呼吸を整えようとしている間も、その顔は何かを待つように動かなかった。

 

”裏口を出て右へ。外壁に沿って走り、その先の道をまっすぐ進んで”

 

指で方向を示す。

 

”止まらずに走って”

 

返事を待たずに脇へ退いた。

ミメシスは先生の横を抜け、煙の流れていく先へ走り出した。

 

屋外で羽音が向きを変える。

窓を塞いでいた機影が離れた。

 

先生は一拍遅れて裏口を出た。すぐ左へ折れ、積まれた搬入用の容器に身体を隠す。外壁の向こうへ、二つ、三つと飛行音が遠ざかっていった。

 

ミユが追ってくるか、確かめる余裕はない。

 

彼女の認知は戻った。ワカモの救出はシロコに託した。今ここへ戻って、もう一度何かを確かめようとすれば、二人が作った時間を使い切ってしまう。

 

容器の陰から次の塀へ渡る。

夜気が肺へ入った。熱を持った目元に風が当たり、顔をしかめる。

 

遠い飛行音が、まだ同じ方角へ進んでいる。

 

先生はそれと別の道を選んだ。

 

――次の建物の物陰で、もう一基使おう。

さっきの囮を追っている間に別の道へ走らせれば、追手の目を更に割ける。

 

* * *

 

画面の中の男は、三つ目の交差点を通過した。

 

「こちらRABBIT3、Ⅱ型ドローン二機にて対象を捕捉。これより制圧に移る…しかし、よく走るねえ」

 

私は追跡機の高度を落とした。

 

煙から出てきて数分。男は壁際を進み、道路へ出ると速度を上げた。走り方も、腕の振りも、人間のものだった。肩から提げた鞄が身体へぶつかるたび、布の皺まで変わる。

 

ただ、さっきから目が合わない。

 

顔をこちらへ向けろ、という話ではない。後ろに捕獲ネット、斜め前にテーザーを積んだ機体がいる。どちらへ身を寄せても、反対側の射角へ入る配置だ。

 

それなのに、男は速度を変えなかった。

 

最初のネットが外れたのは、発射の直前に道路が曲がっていたからだ。次の電極が届かなかったのは、機体が街灯を避けて膨らんだから。

 

避けているように見えた。

そういう場所を走っていただけかもしれない。

 

私は前方の一機を、わざと低く横切らせた。

 

男は見上げもしなかった。

進路の先にテーザーの射出口が来ても、そのまま走ってくる。

 

「……へえ?」

 

針が服へ刺さった。

 

膝が折れる。そこへ後方から射出したネットが覆いかぶさった。

捕まえた身体が、網の目の内側で崩れた。

 

血は出なかった。

肩と頭の境目がほどけ、鞄ごと人の輪郭が失われていく。路面へ落ちた網の下には、拘束すべき身体が残っていなかった。

 

私は口の中の飴を、舌で反対側へ寄せた。

 

「うわ。そっくりさんまで持ってるんだ」

 

録画を戻す。

煙から出た影。追跡を開始した機体。角を曲がった順番。別の機体が拾った、煙の端を横切る短い反応。

 

映像では壁の陰に隠れている。だが、空間センサーには、右へ出ていった一人とは別の動きがあった。

 

「RABBIT1。今追ってたの、囮だった。人間そっくりの何か。攻撃したら崩れたよ」

『本体の位置は』

「絞ってる。裏口から左、建物の間に抜けた可能性が高い」

 

Ⅰ型を先行させる。Ⅱ型を二手へ分ける。

網を回収する機体はその場に残し、空いている通路から順に視界を繋いだ。

 

やがて、建物と建物の間から男が現れた。

同じ鞄。同じ背格好。

 

「今度はどっち?」

 

私は追跡を一機に任せ、もう一機を先へ回した。右手の脇道が空いている。そこへ逃げれば、正面のテーザーを避けられる。後方のネットからも外れる。

 

男はまっすぐ進んだ。

 

正面の機体を少し引く。右へ逃げるための余地を広げる。後方の射出口を持ち上げる。

 

やはり、変えない。

 

「はい。君もそっち」

 

今度は一分も要らなかった。

 

ネットが脚をさらい、続く電極が倒れた身体へ届いた。画面の中の男は、最初の一体と同じように形を失った。

 

走る。曲がる。障害物の間を抜ける。

その動作自体は出来るのだろう。けれど、こちらの配置が変わった時、何を優先するかを選べない。

 

ただし、それを試している時間だけ、本物は先へ行く。

 

私は二体目が現れた場所へ映像を戻した。分岐が多い。囮が出た通路の奥には、別棟の搬入口もある。

 

「RABBIT1。二体目も囮。本体はまた分岐で抜けてる」

『同じ手段ですか』

「うん。見分けるのは早くなったけど、追って止めてる間に距離を稼がれる。Ⅱ型だけで追い続けても、捕捉が間に合わない」

 

* * *

 

私は足を止めず、端末へ送られてきた経路を見た。

 

候補は三本。うち二本は大通りへ出る。人目と明かりを避けるなら、残る道を通る可能性が高い。

 

「こちらRABBIT1、一番東のルートから出口へ回ります。RABBIT3は頭上から誘導を」

 

応答へ重なるように、先生の声が入った。

 

『月雪さん。Ⅲ型を使ってください』

 

私は前方の角を確認してから、口を開いた。

 

「Ⅲ型は実弾機銃とミサイルを装備しています。捕獲用ではありません」

『承知しています。本人を撃つ必要はないでしょう。逃げ道を壊して、止めればよいのです』

 

先生の声は落ち着いていた。

 

『狐坂さんを奪われても、スナッチャーが残っています。彼を拘束出来れば、こちらの勝ちです。白い物体で生徒へ何をしているのかも、確かめられます』

「ですが、市街地で自動攻撃を許可すれば、対象の死亡や民間人の巻き添えがあり得ます。火災や建物の倒壊も、発射後には止められません」

『殺害をお願いしているのではありません。逃走を止めてほしいと申し上げています』

 

それは理解していた。

だからこそ、撃つ場所を決めなければならない。

 

路地の入口が近づく。私は走る速度を落とし、壁へ身体を寄せた。

 

「出撃は可能です。ただし、攻撃区域に民間人がいないことを複数のセンサーで確認します。本人へのミサイル直撃は狙いません。機銃の無制限な自動射撃も禁止します」

 

角の向こうには誰もいない。

私は銃を構えた。

 

「退路の封鎖に必要な最小限の攻撃へ限定します。その条件で運用します」

『……それで捕まえられるのですね』

「私が地上で確保します。モエ、可能ですか」

 

少しの間があった。

 

『Ⅲ型は足が遅いし、小回りも利かない。後ろから追いつくのは無理。でも、そっちへ追い込むなら先回り出来るよ。弾着範囲と破片が飛ぶ先まで取れる場所なら、条件内で塞げる』

「確認出来ない場所では撃たないでください」

『了解。派手にいける場所、ちゃんと選ぶってことね』

 

私は表示された進路をもう一度見た。

 

「Ⅲ型、出撃。指定区域で待機。対象を確認後、今の条件に従って運用してください」

 

先生から、お願いします、と返ってきた。

 

私は端末をしまう。

目の前の道を抜けられれば、追跡はまた長引く。ここで止める。

 

先生の安全は守れた。

次は、先生を脅かした相手を確保する番だった。

 

* * *

 

Ⅲ型の表示が待機から飛行へ切り替わる。

 

私は思わず口元を緩めた。

機銃もミサイルも、今夜は出番なしで終わると思っていた。重たい機体が浮き、武装の状態が一つずつ緑に変わっていく表示は作戦前の点検に手ぬかりがなかった事の証明だ。

 

それなのに、何故だろう。

いつもなら「くひひ……」と声が漏れるところなのに、そんな高揚感がちっともやって来ない。

先生の言い方が妙に耳へ残っていた。

 

――逃げ道を壊せばいい。

 

言ってしまえば、それだけだ。私も、似たことを何度も口にした。

だが、他人が設置した爆弾の爆破ボタンだけを与えられ吹き飛ばすのと、さて今からここを吹き飛ばしてやろうかと準備から始めるのはイコールじゃない。

最後の爆破ボタンを押すまでに必要な過程が違うし、私にとっての楽しみも違う。

 

さっきの言い方では、まるで、その過程や方法なんてどうでもいいみたいだった。

自分で準備して楽しんでいたはずなのに、いつの間にか与えられたボタンを押すだけになっている気がする。

ワカモの一件でも、同じ後味の悪さが残った。

また思い出したくはなかった。

 

私には分からないが、先生には捕獲を成功させる何らかの考えがあるのだろう。

こちらが使える手札は全て伝えた。先生が要請し、ミヤコが使い方を絞った。そして私が実行する。

私達はチームだ。おかしな命令ではない。

 

私は機銃の連続自動射撃を無効にした。

 

説明はつく。しかし胸の奥に引っ掛かった感触は、設定を切り替えても消えなかった。

 

* * *

 

靴音が聞こえた。

 

私はRABBIT-31式短機関銃を構え、男を照準に捉えた。

路地の奥から出てきた男が、こちらを見た。顔の片側が腫れている。鞄の紐を肩に食い込ませ、息を切らしていた。

 

「止まってください。手を上げて、投降を」

 

男は止まらなかった。

足を斜めに置き、建物の角へ逃れようとする。

 

「スナッチャー。あなたが何のつもりかは知りませんが、先生を傷つけ、キヴォトスの治安を乱すつもりなら、制圧いたします」

 

返事はない。

男の肩が沈んだ。建物の角へ走り込もうとしている。

 

――足を止める。動けなくなれば、あとは拘束出来る。

 

私は下半身を狙い、引き金を絞った。

 

短い連射。照準を下へ送りかけたところで男が身をかがめ、初弾が左脇腹の服を斜めに擦った。次の弾が左大腿の外側へ当たる。

 

左膝が落ちた。

最後の弾は、身体の下を抜けて路面へ跳ねた。

 

射撃を止め、距離を詰める。

 

男は右手を地面についていた。起き上がろうとした身体を、私は背後から伏せさせた。銃をスリングへ預け、肩と腰の向きを制する。

 

短い息が、地面へ吐き出された。

 

「動かないでください」

 

右腕を取る。

指に力が入っている。だが、押し返してはこなかった。肘の向きを保ち、手首を背中へ回す。

 

腰のポーチから手錠を抜いた。

 

男の右手首へ輪を当てる。金属の歯が滑り、乾いた音を立てて閉じた。

 

まず片側。

 

私は鎖を短く保持した。右手首を動かせる範囲は抑えている。あとは左腕を背中へ回し、もう一方の輪を掛ければいい。

 

男の左手の指が、路面に触れたままわずかに動いた。

 

「左手を動かさないでください。そのまま背中へ」

 

反応がない。

呼吸だけが速い。顔は横を向き、頬が地面に触れそうになっている。

 

私は右手首を保ったまま、左腕を取りにいった。

左側へ重心を移す。

 

その瞬間、男の右足が地面を踏んだ。

 

”おぉあっ!”

 

喉を裂くような声とともに、腰が跳ね上がった。

 

押さえていた身体が、左肩を下へ入れるように回る。

回った拍子に、男の左肘が私の襟元にぶつかった。

息が詰まり、短く咳が漏れる。

反撃された――そう思った時には、左腕へ届くために移した重みごと、同じ方向へ引き込まれていた。

 

右手首を保持した腕へ重さが掛かる。固定し直すより先に、踏ん張る場所が一瞬だけ遠くなった。

 

私は左へ転がった。

 

肩を路面へ打ちつけながら、スリングの銃を掴む。

男は既に右脚で立ち上がりかけていた。左脚は伸び切っていない。手錠の空いた輪が、右腕の下で揺れる。

 

”すまない、ミヤコ”

 

息の切れ間に、そんな言葉を置いていった。

 

私は銃床を引き寄せた。

照準の先を、男の背中が横切る。

 

撃った。

 

壁の角が弾を受けた。

一秒前まで身体のあった場所を、砕けた表面の粉が流れる。

 

私は膝を立て、その角へ走った。

 

曲がった先は狭い。更に奥で道が二つに分かれている。片方から、金属が何かへぶつかる音がした。

 

「RABBIT3。対象、拘束を離脱」

 

言葉にすると、逃した一瞬がもう一度浮かんだ。

片側の手錠を掛けるまでは、押さえ込みに対する大きな抵抗がなかった。左右の腕を揃える、その移行だけを使われた。

 

次は両手を揃えるまで止まらない。

私は道を確認しながら続けた。

 

「左脇腹、左大腿にゴム弾が命中。右手首に手錠が残っています。西側の路地へ逃走。追跡を続けます」

 

* * *

 

男が壁へ手をついた。

 

ミスター・オーウェルの頭部のテレビ画面には、四つに区切られた映像が映っていた。

一つには男の姿。残る三つには、それぞれ別の街路が映っている。

男は、一歩進むたびに肩を落とした。右手首から下がった金属が壁を擦り、それを握り込もうとして、また手を離す。

別の画面では、重い機体が建物の上へ姿を現していた。

 

「おや?これはいけませんね」

 

テレビ画面が巨大な目玉に変化する。数秒後、四分割の映像に戻る。

先ほどまでなら渡れた道に、男が足を踏み出せずにいる。頭上の飛行音を避けたのか、建物のくぼみへ身体を押し込んだ。

 

「せっかくの特別番組が悲劇のバッドエンドで短縮になってしまう。これでは視聴者の皆様も興醒めだ」

 

男を映す枠の端へ、新しい機影が滑り込んだ。

 

「そういうこったぁ!」

 

何処からともかく合いの手が響きわたる。

 

「一度きりの放送なのです。ここはぜひ、完全版でお送りしませんとね」

 

「そういうこったぁ!」

 

再び合いの手が響く。

 

「では……少々、編集を」

 

頭部のテレビ映像が、怪しくまたたいた。

 

* * *

 

右手錠。左半身の負傷。

 

私はミヤコの報告を追跡欄へ加えた。

 

囮が二体。今度は地上で身体を押さえ、手錠まで掛けた相手だ。外見だけを追うより、ずっと確かな目印が増えた。

 

「こちらRABBIT3。Ⅲ型が区域へ進入。これよりミサイルで逃走ルートの封鎖を試みる。RABBIT1は北側に出ないで」

『了解』

 

退路封鎖の経路を指定する。

機体が高度を落とした。

 

画面には、広い道路が映っていた。

 

私は眉を寄せた。

 

機体は今、建物の間にいる。

空間センサーの表示では、右前方に壁。画面では、そこに横断歩道があった。

 

封鎖の攻撃判定が保留になる。

機銃もミサイルも作動しない。

 

「……何これ」

 

別の機体へ切り替える。

こちらには路地が映る。だが、左の壁までの距離が合わない。映像では頭上に看板があるのに、センサーは抜けた空間を示している。

 

三機目は、誰もいない店の入口を映していた。

 

飛行状態は正常。

位置情報も連続している。モーターの応答は返ってくる。

 

画像が壊れているわけではなかった。看板の文字も、路面のひびも、やけにはっきり見える。

 

「RABBIT1。映像に異常。自動制御を切る」

『機体の故障ですか』

「たぶん違う。飛べてるし、センサーも生きてる。カメラだけ、別の場所を見せられてる」

 

私はⅢ型を直接制御へ切り替えた。

まず一機を、小さく右へ旋回させる。

 

その機体の画面は動かなかった。

並べた別の映像が、右へ流れた。

 

「……そこか」

 

左へ戻す。

同じ映像が戻った。

 

送られてくる映像の接続先が違う。

さっきの店先は、固定された監視カメラのものだろう。街路を真上から見る映像は、Ⅰ型のどれかかもしれない。

 

機体番号を選ぶ。動かす。画面の動きを見る。

センサーの壁の位置と、画面に入った外階段を合わせる。

 

一つずつなら戻せる。

だが、一つ見つける間に、ほかの機体の先で何が起きているかを確認出来ない。

 

「面倒なこと、してくれるねえ……!」

 

空間センサーへ人影が入った。

 

西側の路地。ミヤコの報告した先だ。

一定の高さを持った反応が、通路の奥へ動いていく。

 

対応の取れた一機をそちらへ向ける。

男の姿が一瞬、画面の端をかすめた。鞄を掛けている。手首は建物の陰で見えない。

 

次の瞬間には、画面が別の通りを映した。

 

「また入れ替えた?」

 

人影の反応は消えていない。

 

私は視覚の追跡をいったん捨て、空間センサー上の位置を固定した。進路の先には、使われていない搬入口と、その外側を区切る壁がある。

 

そこを落とせば、通り抜けられない。

 

別方向のⅠ型からの測距を重ねる。対象以外の人影はない。周囲の熱反応を確認し、隣接する通路も空いていることを確かめる。

 

人影から着弾予定地点までの距離。

崩れる壁の向き。破片の及ぶ範囲。

 

対象を止める。その身体には当てない。

 

「北西の搬入口を塞ぐ。周辺に民間人なし。ミヤコ、位置を」

『南側。射界の外です』

 

今なら間に合う。

 

私はミサイルを一発だけ発射した。

 

空間センサーの壁が膨らみ、崩れた。

爆発音が通信へ届く。対応を取り直した画面に、路面を覆う粉塵が広がった。

 

人影は着弾地点の手前にいる。

行き先が塞がった。

 

「止まった」

 

私はⅡ型を回した。残った出口へネットを向ける。

今度こそ、撃つのをやめて手を上げてもらう。

 

画面の中で、男が白い埃をかぶった壁へ近づいた。

 

速度が落ちない。

崩れた塊を前にしても、身を引かなかった。

 

「待っ――」

 

人影が瓦礫へぶつかった。

腕が振られたまま、上半身の輪郭が崩れた。

 

私の指が止まった。

 

その足元へネットが開く。

引き倒す身体は、もうなかった。

 

「三体目……!」

 

崩れる直前の映像を戻す。

走る先しか見ていない。足の運びも変わらない。最初の二体と同じだ。

 

それを見分けるための画面を、奪われていた。

 

私は最後に本人を捉えた地点まで、追跡記録を引き戻した。西へ出たのは確かだ。その先のどの角で分かれたのか。

 

右手錠は。

左脚を庇う動きは。

 

画面には人がいる。別の画面には道がある。どちらも本物の映像だ。だが、今この地点にいる人間だと保証出来ない。

 

空間センサーの反応を辿ろうにも、分岐の先へ機体を回している間に時間が経っていた。

 

囮を走らせたところから、もう一つ先。その先の曲がり角。

探索範囲が広がる。

 

私は飴を噛み砕いた。

二体目はすぐ見破った。映像の仕掛けにも追いついた。それでも、追いつくまでの時間は取り返せない。

 

画面の端では、空のネットが瓦礫の上へ垂れていた。

 

* * *

 

羽音が聞こえなくなってからも、先生は足を止めなかった。

 

止めれば、次の一歩を出せなくなりそうだった。

 

左脚を前へ運ぶ。右脚へ重さを戻す。それだけの動きに時間がかかる。大腿の外側が、服の内側で熱く腫れていた。

 

壁に手をつくと、右手首の輪が鳴った。

音を抑えようと手を引き、その動きで左脇腹が痛んだ。

 

息が止まる。

 

先生は壁へ肩を預け、小さく息を吐いた。

深く吸おうとすると、途中で痛みが差し込む。さっきミヤコの下から身体を返した時には、こんなふうに痛む場所を一つずつ確かめる余裕さえなかった。

 

もう一度、同じ動きは出来ない。

 

通りの明かりを避け、古い手すりのある道へ入る。

何処かで水が落ちていた。遠くの車の音が、建物の間を抜けてくる。

追ってくる飛行音はなかった。

 

三体目のミメシスを走らせた角は、ずっと後ろだ。

あの時頭上にいた機体は、不自然に向きを変えた。こちらへ来ると思ったものが宙に留まり、遠目に見えた別の機体がこちらへ正確に向きを変えたように見えた。

追手が向きを定めかねている間に、三つ目の器を起動した。自分が選ばなかった道を指し、走り続けるよう命じた。

 

何が起きたのかは分からない。

分からないまま、空いた道を使った。

 

鞄の中を指で確かめる。

未使用の器が五つ。硬い箱の縁が、その隣にある。

 

残る一枚は中に入ったままだ。

ワカモのところへ持って帰らなければならない。

 

先生は鞄から手を抜いた。

 

足を進めるうちに、街灯の間隔が広がった。建物の壁を、後から継ぎ足した配管が走っている。スラム街の裏路地へ入ったことを確かめ、覚えていた角を曲がった。

 

先に、人がいた。

 

白い髪が、乏しい明かりを拾った。

銃口がこちらへ向きかけ、すぐ下がる。

 

「先生」

 

シロコが近づいてきた。

 

先生は返事をしようとしたが、先に息が漏れた。

彼女の視線が顔から左脚へ、右手首へ動く。足音が速くなった。

 

「……掴まって」

 

肩の下へ身体が入る。

重さを預けると左脇腹が引きつり、先生は思わず顔をしかめた。

 

シロコが支える位置を変えた。

 

「ここは?」

”……うん。ありがとう”

 

自分で支えなくてよくなったぶん、脚の痛みがはっきりした。

先生は一度だけ目を閉じ、それから彼女を見た。

 

”ワカモは”

「先に連れて帰った。横になってもらってる」

 

声が近い。

 

「黒服に、見ていてって頼んできた。……まだ頭が痛いって。音も、止まらないみたいだった」

 

先生は頷いた。

頬が引きつり、目元に熱が戻ってくる。

 

「一人にはしたくなかった。でも、あの人は契約を守る。先生を迎えに行く間は、任せられると思った」

”来てくれて、助かった”

 

シロコは答える代わりに、先生の腕を支え直した。

 

「歩ける?」

”ゆっくりなら”

「うん。合わせる」

 

二人で一歩進む。

さっきまで壁から離れるたびに必要だった覚悟が、少しだけ小さくなった。

 

手錠の空いた輪が揺れる。

シロコが一度そこへ目を落とし、何も言わず前を向いた。

 

先生も、今は説明しなかった。

帰ってから話すことは多い。ミユのことも、ミヤコのことも。まずはワカモの顔を見て、残る一枚について話さなければならない。

 

次の角まで歩く。

その先も、シロコの肩を借りて進む。

 

まだ、帰り着いてはいなかった。

 

* * *

 

上着の中で、端末が震えた。

 

先生は足を緩めた。

新しく用意した端末だ。取り出そうと右手を動かすと、手錠の鎖が袖へ引っ掛かった。

 

「私が」

 

シロコが支えを保ったまま手を添え、先生は左手で端末を抜いた。

 

既に画面が明るくなっていた。

 

着信へ応じる操作はしていない。

それどころか、画面に触れるより先に、淡い光が端末の上へ立ち上がった。

 

「先生、これ……」

 

シロコの声が低くなる。

先生は壁際へ身体を寄せた。彼女もすぐ横につき、路地の両側へ視線を走らせる。

 

光が輪郭を結んだ。

車椅子に座る少女の姿だった。

 

先生は、名前を呼びかけて口を閉じた。

 

連絡先を教えてはいない。

こちらから呼んでもいない。

 

それでも少女は、繋がることが当然だったように微笑んでいた。

 

『こんばんは、スナッチャーさん。ずいぶん念入りな通信経路でしたが、お邪魔させていただきました』

 

ホログラムの光が、右手首の金属へ反射する。

 

『ミレニアムサイエンススクール、特異現象捜査部の明星ヒマリです。少し、お話を伺えますか?』

 

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