「――――何が全知だ、笑わせるな、この間抜けが!」
自分の顔が強張るのが分かる。
――これほど痛烈な侮辱を受けたことがあったでしょうか?
まだ一年生だった頃。全知の称号を賜る前にリオやチーちゃんと大喧嘩した時でさえ、ここまでは言われなかった。
「和泉元エイミ、お前もだ! お前らはいったい何を守っているつもりで、私達のために力を尽くしてくれた――」
ケイが私へ向き直った。
傷だらけのスナッチャーを画面に見てから、彼女はずっと怒っている。その怒りが、今度は私達に向けられていた。
ケイは前から、名もなき神の技術が使われているのではないかと訴えていた。私はその可能性を検討した。しかし、彼女自身が以前のような干渉を感じていない以上、先生を別人だとする根拠には足りないと判断した。
スナッチャーが未知の能力を持つ外の人間、あるいは怪異なら、直接会う前に通信を通じて情報を引き出すべきだ。アリスとケイの認識が彼によって変えられた可能性もある。
私が調べようとしていたのは、そのことだった。ケイは、私が彼を助けるために連絡したのだと思っていたのかもしれない。
ケイが一歩踏み出し、私の胸元へ右手を伸ばす。
無言のまま間に入り、ケイの伸ばしかけていた右手を掴んだのはエイミだった。
そのままケイの右手を確保しながらエイミはケイの反対側の肩を掴み、私から遠ざけようとする。
端末を置いた台が、二人の身体に押されて傾いた。
台が傾く物音とエイミの声が重なった。
「部長、下がって」
画面の端で、こちらの映像を送る機器の表示が消える。スナッチャーへ届く映像だけが途切れたようだ。
こちらからは、路地の壁も、彼を支える少女も、まだ見えている。音声も繋がっていた。
「エイミ、待ってください」
エイミの行動は私を守るためだ。別に間違ってはいない。
それまでずっと私を怒りの表情で睨み続けていたケイの荒い呼吸が聞こえる。
数秒後、表情が落ち着き肩が緩やかに下がっていく。
脱力したのを感じとったのか、エイミも掴んでいた手と肩を離した。
エイミは一歩後退し、私の傍に立って控える。
画面の向こうから、誰かが指示したわけではない。
――洗脳を受けている可能性が最も高い。ただ、私は何かを見落としているのではないか。
「……すみません。ヒマリ部長。エイミ」
ケイが私とエイミを順に見た。
「言葉が過ぎました。侮辱を撤回します。掴みかかろうとしたことも、謝罪します」
傍のエイミが拍子抜けしたような表情をしている。
「ですが先生、あなたへの怒りは別です。撤回しません」
ケイは暗くなった送信画面に向かって話し続けた。どうして、あんな場所へ飛び込んだのか。どうして、自分に連絡してくれなかったのか。
「私じゃ、頼りにならないんですか」
その問いの終わりに、一筋の涙が頬を伝った。
スカートの裾をにぎるケイの手も、震えていた。
画面の向こうの彼には、見えていない。
先生を名乗る不審者に、彼女が精神を操られている可能性はある。謝罪したから、その疑いが消えるわけではない。
けれど、目の前で起きたことを「操られたから」の一言で片付けるには、ケイの振る舞いはあまりにケイ自身のものだった。
怒りに任せ衝動的に踏み出し、自分の行き過ぎに気付いて謝る。それでも、伝えなければならないことには断じて退かない。
彼は彼で、言い訳を探すより先にケイの話を聞いていた。
『最初に、ホシノに電話したんだ』
事件当日に電話をかけ、本人だと認めてもらえなかったこと。それで、誰に連絡しても同じだと思い込んだこと。ケイなら分かってくれるかもしれないと、考えもしなかったこと。
彼が謝ると、ケイは涙を拭わずに答えた。
「私は、ここにいたんです」
私はもう一度、画面を見た。
この人が本当に先生な◻︎、ケ◆の訴◻︎に◻︎筋※通※こ■に
(※◻︎―ジリ、ッ)
――――ありえない。シャーレにいる先生の姿も記録も確かめている。だが、ケイが語ったあの人造神と対峙した時のことを、彼は説明されるまでもなく受け止めていた。
ならば、あの場にいたのは目※前■男の□で
(※◻︎―ザ、ッ)
――――違う。先生の過去を知る方法など、いくらでもある。目の前の男は、何らかの方法でそれを調べ、ケイに取り入ったのだろう。
ならば、いつ、どのように接触したのか。
少なくとも、私が用意していた説明には、まだ穴がある。
「ケイ、改めて、質問させてください」
彼女は事件当日、ゲーム開発部でデバッグを手伝っていたという。休憩中にニュースの手配情報を見て異変を知った。事件が起きてからこの通信まで、彼とは直接会っておらず、連絡も取れていなかった。
閲覧履歴、時刻、端末の記録。照合に使えるものを、ケイはその場で送ってきた。
――記録なら、後で改竄出来る。
それは確かにそうだ、そう考えるのは容易い。
だが、改竄された形跡を確かめもせずに彼女の記録だけ退けるなら、私がこれまで集めた映像や通信記録はどうして信じられるのか?
少なくとも私は、今回判断の根拠とした記録について、改竄の可能性を納得するまで検証していない。
「洗脳されたケイを確保した」とシャーレに知らせ、彼の居場所についても手掛かりを渡せる。
しかしその報告の前提を、私はまだ検証していなかった。
「……受け取りました。調べ直す必要があるようです」
まずはケイを。彼女と同じように彼を認識しているというアリスも。
私は彼に、続きは日を改めると告げた。
* * *
翌日は、記録を並べることから始めた。
アリスとケイがニュースを見た時刻。その時にいた場所。部室への出入りと、端末の通信。二人の申告は、確認出来た記録と食い違わなかった。少なくとも、私が考えていた「接触によって二人を取り込んだ」という筋道は見つからない。
ヴァルキューレへの通報も追った。事件当日、十七時を数分過ぎた頃に、シャーレへの侵入者が報告されている。
ホシノさんが退出した後。シャーレの通常の勤務時間が終わる、十八時より前だった。
外に出ていたこと自体は、おかしくない。先生にだって早く仕事を切り上げたい日はあるでしょう。
では、その時、外にいた先生は何を見て通報したのか。
侵入者の存在と容姿を、何処から知ったのか。
通報だけを見ていても答えは出ない。探索を事件の前後数時間へ広げると、別の記録が引っかかった。
サンクトゥムタワーの通常通信に同期している、用途の分からない信号。
事件の前後から現れ、その後も送られている。通常通信そのものが別の周波数に変わったわけではない。既存の通信に、知らないものが重なっていた。
更に、観測記録の一部には、局所的に強い反応があった。照合出来る範囲で、その時刻の生徒の所在を確かめると、反応の位置が重なる。
生徒が発信しているのか、そばで何かが作用しているのか。この段階では分からない。全員の位置を追えるほどの記録もない。
だが、私自身が測ってみる価値はあった。
エイミに手伝ってもらい、身に着けたまま局所的な変化を記録出来る測定器を二つ用意した。確かめたいことを十分に絞るまで、その日の大半を費やした。
* * *
二度目の通信で、彼は、自分に協力している大人たちから聞いた話を共有した。
D.U.区内に中枢か主要な中継器がある可能性。人物を認識する際に生じる矛盾と、それを押し戻すような働き。そして、その際に対象の生徒から検出される反応。
私は記録を開いた。
「こちらでは、サンクトゥムタワーの通常通信に同期した未知の信号を確認しています。事件の前後から現れ、今も送られています」
『サンクトゥムタワー……そこまでは聞いていなかった』
「生徒の付近で捉えた局所的な反応もあります。ただし、タワーの信号と同じ発信源とはまだ言えません」
『うん。タワーの信号が何をしているかも、まだ確かめないと』
彼も、こちらの観測だけで結論を急がなかった。
「少し、通信を保留してもよろしいですか」
返事を待って音声を保留し、私はエイミと測定器を身に着けた。ケイには質問役を頼む。
まずは普段の会話を記録した。昨夜から調べた時刻や、端末の状態について話しても、目立った変化はない。
次にケイが、画面の向こうの人物について尋ねた。
「部長。あの人は誰ですか」
「シャーレの先生を名乗る、スナッチャーです」
ケイは、事件当日にニュースを見た時刻を示した。私達がまだ彼と話していなかった時刻だ。その時点で、ケイにはニュースに載った人物が先生だと分かっていたという。
「事件が起きてから一度も会っていない私が、どうしてその人を先生だと分かったと思いますか」
ケイの証言が正しいなら、接触型の精神汚染では説明出来ない。そもそも私が先生だと思っている人物と、彼女が先生だと思っている人物は――◆□――
――――ケイがニュースを見て、何かを誤認したのだろう。先生の手配情報に動揺したのかもしれない。
「部長?」
ケイの声で、私は測定器を見た。
私の位置に、短い反応が記録されていた。エイミの測定器にも、時刻の近い反応が残っている。
「もう一度、お願いします」
質問を変え、記録との照合を繰り返した。反応は毎回同じ大きさではない。それでも、私達が真贋に関わる情報へ向き合った時に現れる。ケイが普通の時系列を説明している間には見られなかった変化だ。
「部長、どうする?」
エイミが測定器を外しながら尋ねた。
「保存します。測定条件も含めて」
これで彼が先生だと証明されたわけではない。私達が正しい答えを選べたわけでもない。
ただ、サンクトゥムタワーから未知の信号が届き、私達自身の位置でも、それと無関係とは思えない反応が出た。
私は、自分を調査対象の外には置けなくなった。
通信の保留を解除する。
「私とエイミにも、先生の真贋に関わる情報へ向き合った時の反応が記録されました。あなたへの協力を、検討する必要がありそうです」
「スナッチャーさん。あなたの目的は何ですか」
昨夜なら、犯行の狙いを問いただすために使った言葉だ。今は、彼と何処まで一緒に調べられるかを知りたかった。
画面の向こうで、彼は椅子に座っていた。頬の痣はまだ残っている。姿勢を少し直しただけで、左脇腹に手を添えた。
『誰一人見捨てず、誰の命も取りこぼさず、このシステムを止めること。それから、二度と使えなくすることだ』
『シャーレには戻りたい。でも、まずはこのシステムを止めることが先だ』
最後の言葉まで、彼はゆっくりと言った。
出会った◆かり■頃、先◇も――。
「――――ふん。そのうさん臭いまでの善意。まるで出会った頃の先生のような事を言うものです」
「停止させれば、影響を受けた生徒が元に戻るのですか」
『まだ分からない。だから、止め方も調べたい』
「影響を受けていない生徒もいます」
ケイとアリスがそうだ。観測出来た反応にも差がある。
『うん。誰に、どう作用しているかも知りたい』
彼は、シャーレへ戻すようには求めなかった。自分を先生と認めろとも言わない。
私は彼の真贋について、判断を保留したままだ。
「未知の信号と生徒への作用を調べます。停止によって何が起こるかも、確かめましょう。共有する情報と連絡の方法は、その都度決めさせてください」
『ありがとう、ヒマリ』
「お礼は、結果が出てからになさい。ただし、この清楚かつ奥ゆかしい超天才美少女ハッカーが直々に調査するのです。期待くらいはしていただいて結構ですよ」
言い終える前に、彼が少し迷うような顔をした。
『ところで、君に頼みたいことがある』
聖園ミカさんへ短い言葉を届けたいという。どうか間を取り持ってくれないか、と。
「施設への伝言では、本人に渡る前に止められるでしょうね。クロノススクールに打診してみます。放送なら、彼女の耳に入る可能性があります」
「ただし、放送だとするとシャーレにも届くことになりますよ」
”分かってる。場所や次の動きは伝えない”
”必ず君を迎えに行く。待ってて”
私はその文面を控えた。報道に載せるかどうかはクロノスの報道部が決める。まして、私が発信者の身元を保証する話ではない。
それでも、彼からの依頼を受けることにした。
* * *
10月15日 08:30
目が覚めて、朝ごはんを食べ終えてからも、テレビはつけたままにしていた。部屋が静かすぎたからだ。
救護騎士団の施設で、私は寝台の背もたれに身体を預け、ぼんやりと画面を眺めていた。太ももから弾丸を取り出す手術を受けてから、二日ほどが経っていた。
終わったと言っても傷が消えたわけじゃない。脚の置き方を変えるたび、痛みが戻ってくる。
きっと、経過が落ち着いたらここから身柄を移される事になる。
そうなった時に動けるか、何度も考えていた。正義実現委員会が相手なら簡単には通してくれない。
最悪はツルギちゃんとぶつかることになる。無茶だとは分かっていても、なんとしても先生のところへ行くつもりだった。
画面の中で、ニュースの話題が切り替わる。
『スナッチャーを名乗る人物から、声明が寄せられたとの事です。これより読み上げます――』
私は顔を上げた。
スナッチャー……先日の報道で先生に付けられた、失礼極まりない呼び方だ。
奪い取る者…要するに泥棒さんって事でしょ?もう、じゃあ今シャーレにいる方こそスナッチャーじゃないの!
――テレビに向かって怒鳴ってもなんにもならない。それに誰かに聞かれているかもしれない。どうにか出かかった言葉を呑み込む。
画面には、短い文面が映った。
「ミカへ、必ず君を迎えに行く。待ってて」
読み終えてからも、しばらく目を離せなかった。
報道では、この声明は果たして何を意味するものか云々と解説してるが、頭に入ってこない。
居場所は書いていない。いつ来るのかも、どうやって来るのかも分からない。
それでも伝わった。これは先生から私へ向けたメッセージだ。
私は寝具の上に置いた手を握り、それから開いた。移送の機会を狙うつもりだった。待っている間に最悪の結果を聞かされるのが、怖かったから。
先生だって、私のいる場所へ来るには時間が要るはずだ。今ここで脚に無理をさせたら、その時にちゃんと歩けなくなる。
「……分かったよ、先生」
テレビの音に紛れるくらい小さな声だった。
だって、どうせ先生の元へ行くのなら。
「短気は起こさない。待ってるね」
先生と肩を並べて一緒に歩きたいから。
* * *
10月15日 09:00
先生は、机の上に集めた記録を一枚ずつめくっていた。
ヒマリに頼んだ言葉が放送されたことは確認出来た。ミカが見たかどうかまでは分からない。
彼女を迎えに行くと告げておきながら、今は椅子から立つ時でさえ左脚に気を配らなければならなかった。
頬の腫れも、脇腹の痛みも残っている。
向かいではシロコ*テラーが、侵入作戦で得た情報を書き出していた。先生は、自分の推測を口にしてから、彼女の意見を聞いた。黒服から受け取った観測結果にも、まだ確かめられていない点が多い。
次に何処へ行くかを決めるには早い。ヒマリからの続報を待ちながら、手元の情報を整理するしかなかった。
机の端には、シッテムの箱も置いてあった。
先生は画面に触れ、アロナとプラナを呼んでみる。返事はない。
二人は今、どうしているのか。画面の向こうで呼びかけが届いているのかさえ、確かめる手段はなかった。
端末が鳴った。
あの子の番号だった。先生が画面を見せると、シロコ*テラーも顔を上げる。
先生は通話を繋いだ。
”もしもし”
向こうで、小さく息を吸う音がした。
『こ、こんにちは……先生? スナッチャーさん? ……と、とにかく。霞沢です……今、お時間頂いてもよろしいでしょうか?』
第一部・了