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第二部 第一話 さびしんぼウサギは、皆と一緒にいたい
――私は、影が薄い。そして影が薄い人は忘れられる、そういうものらしい。
私、霞沢ミユがそのことを悟ったのは物心ついたのとほぼ同時期だった。
幼稚園の年中だった頃。当時の友達といつもは行かない公園でかくれんぼをして遊んでた時だ。
いい感じの隠れ場所に潜み、友達に探して見つけてもらえる。その瞬間をどきどきしながら待っていたら、ふと眠気が襲った。
ちょっとだけ…と、目を瞑ってしまった。そして気付けば周囲が真っ暗。隠れ場所から出てみると公園には誰もいなくなっていた。
まだどこかにいると思って、友達の名前を呼んだ。返事はなかった。もう一度、さっきより大きな声で呼んでも、誰も返事をしてくれなかった。
この日はお母さんも仕事で家にいなかったため、自分で家に帰るしかない。でも家への帰り方も分からない。
当時の私は、私を食べようとする怪物が今にも暗闇から飛び出してくるんじゃないかと怯えていた。その怖さは今でも鮮明に思い出せる。実際はそんなはずないのに。
――この時、もっと落ち着いていれば、大きな看板のある出口からまっすぐ進み、突き当たりを右に曲がれば家に帰れると気付けたはずだ。だってその日も、そこを通って公園に来たのだから。
しかしパニックに陥っていた当時の私は看板など目に入らない。近い方の出口から飛び出した。
闇雲に路地を曲がったり、明かりが見える方へ進んだりするうちに、どんどん違う方向に進んでしまった。
結局日付が変わるぐらいの夜に、歩く体力どころか泣く気力さえも尽き、街灯の下で震えるだけになっていた私を、ようやくお母さんが見つけてくれた。
お風呂に入れてもらい、暖かくしてもらった。そして翌日のお昼頃になってから叱られた。どうしてそんな遅くまで公園にいたのって。
隠れたまま眠ってしまって、起きたら誰もいなかったと正直に話した。でも、「誰か一人くらい、気付くでしょう」と言われた。
その場は、とにかく気を付けること、しばらく一人では遊びに行かないことを言い渡されて終わった。
後日友達と話したら
「探しても見つからないから家に帰ったのかと思ってた」
と謝られた。この時に
「だって、ミユちゃん影が薄いんだもの」
と言われたことは今でも覚えている。この言葉がいかにも悪意なくさらりと言われたのも。
* * *
そんな苦い体験からいくらか時が経ち、小学校3年生だった頃。かくれんぼをしたあの子と一緒にお祭りへ行った時だ。
射的をやるのは初めてだったが、私には欲しいものを取るにはどこを狙えばいいのか、狙った場所へ当てるには銃口をどこへ向けどう固定してから引き金を落とせばいいのか、手に取るように分かった。
隣にいるあの子が何故同じことが出来ないのか、不思議にさえ思った。
「ミユちゃんすごーい!射撃上手なんだね!」
そう屈託なく褒められた。相手はもう忘れてるだろうが、私のことを影が薄いと言ったあの子が、今度は褒めてくれた。
学年が上がり、授業で射撃訓練をするようになると、あの子以外にも褒められるようになった。そのたびに、あの時の光が差したような気持ちはより強くなった。
私より射撃……特に遠方への狙撃を正確にこなせる子はいなかった。私にはきっと狙撃の才能がある。
狙撃を磨いて褒められる。影が薄くなくなるかもしれない。
私はそれ以降、一生懸命狙撃の腕を磨いた。中学の後半には、こと狙撃に限ればわが校始まって以来の天才児とまで言われるようになっていた。
もうその頃にはあの子とは疎遠になっていたが、私の中で自信がつき始めていた。
逸材を登用するとされるSRT特殊学園の選抜試験の受験を打診されたのもそれに拍車をかけた。
私は鍛え抜いた狙撃の腕であの恐怖を乗り越えられる。もう忘れられない。そう思っていた。――あの日までは。
* * *
SRT特殊学園に入学したばかりの頃、訓練生の間に受ける各試験の結果から配属が決まると説明された。
――私みたいなのに小隊長とかポイントマンが無理なのは分かりきっている。狙撃しかない。
更に腕を磨きたい。そう思って教官に頼み、先輩方の射撃訓練に「先輩方の訓練中には話しかけない、一番端の射座を使う」を条件に特例で混ぜてもらえることになった。
撃った結果を確かめては、上手くいかなかった理由を考える。次はそれを直して、もう一度試す。少しずつ狙った通りになっていくのが嬉しくて、時間を忘れて繰り返していた。
最後の5発は、それまでで一番よくまとまっていた。
どうして上手くいったのか。次も同じように出来るか。忘れないうちにと、手元の記録に書き込んだ。
書き終えて顔を上げた時には、辺りはもう薄暗くなっていた。
射撃場を閉める時には、教官が声を掛ける決まりだと聞かされていた。
だから、まだ続けていていいのだと思っていた。
「……あの、教官?」
返事はなかった。
隣の射座にも、その向こうにも誰もいない。いつの間にか、銃声も話し声も聞こえなくなっていた。
銃を片付け、荷物を持って通路へ出る。教官がいつもいる場所まで行ってみたが、そこにも誰もいなかった。
「あの……まだ、私……」
少し大きくしたつもりの声が、途中で小さくなった。
――起きたら、誰もいなかった。
あの公園が浮かんだ。友達の名前を呼んでも返ってこなかった声。見覚えのない路地。どこへ進めばいいのか分からなくなった、あの夜。
慌てて出口へ向かったが、扉は開かなかった。内側から鍵を開けることは出来なかった。
扉を叩いて人を呼んでも、返事はない。扉を乗り越えようとしても無理だった。他に出られる場所を探して回ったが、周囲の壁も塀も、私には飛び越えられなかった。
誰かに連絡しようとして、端末類は全部、寮の部屋に置いてきたことを思い出した。
訓練生には一人ずつ個室が与えられていた。部屋へ戻らなくても、同室の誰かが気付いてくれるわけではない。
誰かが探しに来てくれないかと、もう一度出口で声を上げた。それでも、外から返事は聞こえなかった。
そうしているうちに、すっかり日が暮れてしまった。
頬に冷たいものが当たった。見上げると、雨粒が次々に顔へ落ちてきた。
それでもしばらくは出口の傍を離れられなかった。誰かが戻ってくるなら、ここだと思ったから。
髪や肩が濡れ始めて、ようやく屋根のある談話スペースへ引き返した。
この日はここで夜を明かすしかない。
――しっかりしなさい、私。あの時とは違う。もう高校生なんだ。状況も分かっているでしょ。たかが一晩、外に取り残されたくらいで、どうこうなるわけないじゃない。
そうやって自分に言い聞かせても、歯の根が鳴る音も、身体の震えも抑えられなかった。
雨音の向こうに足音が聞こえないか、何度も顔を上げた。そのたびに、誰もいない通路が見えた。
結局、一晩中まともに眠れず、談話スペースの隅で過ごすことになった。
後で聞くと、教官は閉場の声掛けはしていたそうだ。
その頃の私は、たぶん記録に夢中になっていた。聞き逃したのは私だった。
「すまない。もう戻ったものだと思っていた」
教官はそう言って謝ってくれた。
私は「すみませんでした」と頭を下げた。声を聞いていなかったのだから、私にも悪いところがある。次からは時間を確かめて、集中しすぎないようにすればいい。
でも、私がまだ残っていることを、教官も忘れていた。
私の射撃を見て、褒めてくれた人だった。
声を聞き逃したのは私だ。でも、残っていることに気付いてももらえなかったのは、やっぱり私の影が薄いからだとしか思えなかった。
一人でお店に行くと店員さんに全く声を掛けられないのも、自動ドアがたまに反応しないのも我慢出来る。でも狙撃に関わることなら大丈夫。そう信じてたのに。
――狙撃に関する事柄でも、結局こうなるんだ。
でも、それからも訓練自体は続けた。せっかく鍛えた腕前を失うのは嫌だった。
その狙撃さえなくなれば、私はどうなるのか。考えるのも嫌だった。
そして、試験の結果、私はRABBIT小隊に配属され、コールサインRABBIT4を与えられた。
ミヤコちゃんと、サキちゃんと、モエちゃん。
同じ小隊で訓練をして、食事をして、失敗して叱られて。そうして過ごすうちに、三人と一緒にいるのが当たり前になった。
皆が私の名前を呼んでくれる。「ミユ、あのポイントです。狙えますか」と私に言ってくれる。
四人で次の予定を話していると、そこには私の分もちゃんとあった。
それが嬉しかった。
でも、ふとした拍子に皆もいずれ私を忘れるのだろうか?そんなことを考えてしまう時がある。
私、一生懸命頑張るよ。だから忘れないで…それが決して口に出来ない本音だった。
――SRTが廃校になると聞いて、私自身は皆と一緒にいられるならヴァルキューレでもトリニティでもゲヘナでも、とにかくどこでもいいと思ってた。
でもミヤコちゃんの瞳にはまさに炎とでも呼ぶべき熱が宿っていた。納得出来ない、デモをやると宣言した。
「ミユ、あなたの狙撃が必要です」と手を差し伸べられた。
私を必要としてくれている。その手を取りたかった。断って嫌われたくない気持ちもあった。
私も皆と一緒に、デモに参加することを決めた。
* * *
10月14日 14:00
私は右腰のポーチから、小さく折られた紙を取り出した。
「つままれた狐について」
その言葉と、電話番号。
昨日、あの人が私を押さえながら入れていったものだった。
スナッチャー。
皆は、そう呼んでいる。捕まえなければいけない相手だと。
でも、私にはもう、あの人が先生だと分かっていた。
先生を殴った時の感触が、まだ手に残っている。
あの時は逃れようと必死だった。相手が誰なのか、分からなかった。それでも、私が先生を傷つけたことは変わらない。
電話を取り出して、紙に書かれた番号を入力した。
最後の数字まで入れてから、指が止まった。
先生に連絡したと知ったら、皆はどう思うだろう。
昨日まで、私も皆と同じように考えていた。スナッチャーは敵で、先生を守るために捕まえなければならないと思っていた。
その私が、今度はあの人が先生だと言っても、信じてもらえるとは思えなかった。
ミヤコちゃんなら、心配して話を聞こうとしてくれると思う。
サキちゃんなら、何があったのか説明するように言うと思う。
モエちゃんなら、私に何がされたのか調べようとすると思う。
皆が私を心配してくれるだろうと分かるから、余計に言えなかった。
私はおかしくなっていない。
でも、皆にはきっと、そうは見えない。
廊下から足音が聞こえた。
慌てて画面を消し、紙をポーチへ押し込んだ。足音はそのまま通り過ぎていった。
誰にも見られていないのに、心臓が速く打っていた。
皆と一緒にいたい。
今までどおり、私もRABBIT小隊の一人でいたい。
それなら、この番号を使わなければいい。
紙を捨てて、何も知らないふりをしていれば、皆の隣にいられる。
でも、そのまま任務を続ければ、また先生に銃を向けることになる。
ポーチの上から、紙のある場所を押さえた。
捨てることも、電話をかけることも出来なかった。
その日の夜になっても、番号は使わないままだった。
横になって目を閉じると、私を押さえていた先生の顔が浮かんだ。自分が殴ったところばかり、思い出した。
せめて、怪我がどうなったかだけでも聞きたい。
今、無事でいるのか。それだけでも。
暗い中で電話を手に取った。
画面の明かりに目を細めて、時刻を見た。
明日の朝。
話せるかどうかを聞いて、駄目ならすぐに切る。
そう決めて、電話を置いた。
* * *
10月15日 08:59
一人になれる時間を見つけて、私は電話を取り出した。
近くに誰もいないことを確かめる。紙を開いて、昨日入力した番号と一つずつ見比べる。
間違っていなかった。
それでも、もう一度、最初の数字から確かめた。
皆に知られたくない。
先生には、無事でいてほしい。
どちらの気持ちも変わらないまま、発信のボタンを押した。
呼び出し音が鳴る。
耳に当てた電話を両手で押さえ、息を潜めた。
つながらなければ、今日はもう――。
『もしもし』
声がした。
聞き覚えのある、先生の声だった。
「あ……」
返事をしなければいけないのに、喉が詰まった。
皆の前では呼べなくなった名前が、口から出かかった。誰もいないと確かめたはずなのに、もう一度、背後を振り返った。
「こ、こんにちは……先生? スナッチャーさん?」
言い間違えた。まだ朝だから、おはようございますの方が良かった。
違う。まず、私が誰なのか言わなければ。
「……と、とにかく。霞沢です……今、お時間頂いてもよろしいでしょうか?」
『うん。ミユ。電話してくれてありがとう』
名前を呼ばれて、電話を握る指が少し緩んだ。