10月15日 09:00
ミユから先生の端末へかかってきた電話は、挨拶もそこそこに殴ってしまったことへの謝罪から始まった。
先生としてもミユが怪我をしていないかを確かめ、いくつかの問答の末に一昨日の出来事や、今分かっている事件の状況を話した。
ミユはひとつひとつ真剣に話を聞いてくれ、ワカモの無事を確かめると、また電話をしてもいいかと尋ねてくれた。
生徒のお悩み相談ならいつでも歓迎だと答えると、お礼を最後に通話が切れた。
先生は端末を置き、脇腹を庇いながら背もたれへ身体を戻した。
向かいのシロコ*テラーが顔を上げた。
「……来るの?」
”いいや。そこまでは話していないよ。それに、少なくとも私からは〈こちらへ来てくれ〉と言うつもりもない”
”…そういえばシロコ。ミユはね、君のことを〈凄い綺麗な人〉って言ってたよ”
「ふ…その子、なかなか見る目があるね」
勝ち誇ったようなシロコ*テラーの顔を横目にしつつ、先生は再び分かっている情報の整理に戻った。
* * *
10月15日 09:50
昨夜スナッチャーとの通信を終えたのち、私、明星ヒマリは先生に今日の十時からアポイントを取っておいた。
聖園ミカさんへ検査を行うにあたり、トリニティ総合学園への橋渡しをシャーレに頼むためだ。
検査内容の説明資料を見直し、念のため最終ページの一文を変更する。
「聖園ミカさんの〈認識変化の原因を特定、治療〉」を消し「接触前後の認識、および身体状態の調査」と書き直す。
――今の時点では特定も治療も確約出来ない。
画面の隅には、昨夜私とエイミが検査した際の測定結果がある。ケイから先生の真贋に関わる質問を受けた際、私達の位置に記録された不可思議な反応。
私自身の主観では回答の時に迷いはなかった。ちゃんと論理的に考えた上での回答をしていた筈だった。
それなのに、その回答で過去の記録を説明しようとすると、辻褄が合わなくなる。
『お待たせしました、明星さん。昨夜ご提案いただいた、聖園さんの調査についてですね』
「ええ。特異現象捜査部として、スナッチャーとの接触を経て認識が変化した人物に直接お話を伺いたいのです」
私は先生に資料を共有した。
「先生。実は人物認識と過去の記録を照合すると、生徒の付近に短い反応が記録されることがあります。私自身とエイミでも確認しました」
『っ!…あなた方にも、何か影響が?』
「その可能性はあります。接触した方と、していない方を比較する必要があります」
ミカさんは例の彼…スナッチャーこそ先生だと主張している。
ケイもアリスも同じことを主張しているが、事件後、彼と直接会う前からそうである点がミカさんの事例とは決定的に異なる。
接触による認識変化だけでは説明がつかない。やはり今通話して■る※手は本※に別◇――
――――もしかすると、スナッチャーは接触以外にも認識へ作用する経路があるのかもしれない。
「まずは、何を覚えていて、彼女は何を根拠にスナッチャーを先生だと判断しているのか。その際反応があるかを調べます」
『分かりました。私からも桐藤さんや百合園さん、蒼森さんに説明し、理解を求めます』
『ただし、観測データと分析結果はこちらにも共有してください。使用された手段についても、聞き取っていただけますか』
「もちろんです。測定条件も含めて提出します。手段も質問しますが、療養中ですから無理な聴取は行いません。よろしいですね?」
『それはそうでしょう。聖園さんの安全が第一です』
了承を得て先生との通信を終えると、測定記録に新しい反応が残っていた。
時刻は一分前。座標はここ…つまり、今の会話のどこかで私が反応したということだ。
――こちらも、早く準備を終えませんと。
私はリオの連絡先を開き、通話ボタンをタップした。
…通話先のリオに資料と状況を説明する。記録と反応の件を一通り見たリオは数秒考え込み、それから口を開いた。
『なるほど…ヒマリ、あなたが次に取る手。それは、あなた自身をこの干渉から隔離するということね?』
「そうです。外から届くものを止めた後も、この反応が続くか確かめます。ただしリオ、あなたにも別の部屋へ入ってもらいたい」
『そうなるでしょうね。調査結果が出ても、干渉を受け続けている私が正しく評価出来るとは限らない、ということね』
「あなたも私自身もどちらも、です。そして感想を交換する前に、それぞれ回答と測定結果を残します」
『検査の予定期間は決めてある?今のノアをユウカだけへ任せっきりにはしたくないわ』
「終了時期は、まだ決められません。認知や測定結果に変化が見られなくても、一週間は観察を続ける見込みです。何時間で変化するかも、そもそも変化があるかも分かっていませんので」
私はリオの返事を待った。一週間で必ず終わるという約束ではない。
変化があれば比較の方法を見直せるが、何も起きなかった場合には、その先を改めて相談する必要がある。
『…要求と条件がある。まず要求から。通信でノアの様子を一日一度は確認出来るようにする。そして容態が著しく悪化したら私は中断して外に出る。落ち着いたら改めて再開させてちょうだい』
「あなたも少しは他人を慮れるようになったようですね、長い付き合いの身としては感無量です…おっと失礼。リオ、あなたの要求を全面的に受け入れます」
『次は条件。暗室内の換気と電源の経路、期間中に停電など不測の事態があった際の生存手段を確認したい』
「暗室の機能についてはエンジニア部へ昨夜依頼しました。条件に不足があれば、検収前に指摘してください」
『昨夜?』
「必要になると思いましたので。二室とも」
リオは小さく息を吐き、図面を求めた。
私は施設の使用申請を済ませ、エイミへ外での測定と生活面の支援を頼んだ。リオからは手順への確認と、解析を分担するとの返事が届いた。
* * *
夕方、改造を終えた電波暗室の前には、工具箱が三つ並んでいた。
ウタハが最後の箱を寄せ、私の車椅子が通れるようにしてくれた。
「まずは入ってみてほしい。図面上で通れても、使いやすいとは限らないからね」
前室に段差はなく、外側の扉を閉めると内側の施錠が解けた。両方を同時に開けられない構造だ。
私は机に向かい、膝や車椅子の肘掛けが当たらないことを確かめた。そのまま向きを変え、寝台の脇まで移動してみる。
「机の高さ、どうですか?」
コトリが屈んで尋ねる。
「このままで大丈夫です。こちらの棚だけ、もう少し手前に」
「分かりました!」
寝台の向こうには洗面と衛生設備があり、換気も動いている。
通話端末を取ると、廊下に残ったヒビキの声が届いた。
『外との通信は、こちらで受けてから有線で渡す。普通の端末を室内に持ち込んでも、外との無線通信は出来ないと思って』
「観測用の生信号と、連絡用のデータも分けてください」
『それも確認済み』
私は廊下と室内の観測結果を並べた。
通常通信に重なる未知の信号には、その後の連続観測で五分おきの規則性が見つかっていた。
次の時刻まで、あと十数秒。
廊下側に波形が立った。
室内側は変わらない。
次の送信時刻に合わせ、エイミに食事を運び入れてもらった。前室の扉を片方ずつ開け閉めし、盆を置いて廊下へ戻る。その間も、室内に該当する信号は検出されなかった。
隣の独立した部屋も同じ結果だった。
『最後に、実験中の施錠を確認するよ』
ウタハの声に続いて、扉の錠が動いた。
私は内側の取っ手を操作した。扉は開かない。先程は外扉を閉めれば解けた錠が、今度は動かなかった。
『実験用の施錠をすると、前室の外扉が閉じていても、内側からは解錠出来ない。室内端末からの解除も出来ないよ。出る時は、外の鍵を持つ人に開けてもらうことになる』
「途中で私が、設計者の権限で開けるように要求しても?」
『君の要求だけで開く機能はないね。そういう注文だっただろう?』
「ええ。その確認です」
『停電時は解錠する。電源設備は室外の管理区画だから、中から電源を落として開けることも出来ない。急病や事故の時は、外から救助に入ってほしい』
私は取っ手から手を離した。
入室前に決めた手順を、入室後の私が守るとは限らない。その私の判断だけで退出出来るなら、遮蔽を続けた結果は調べられない。
『部長。鍵は私が持つ?』
端末越しにエイミが尋ねた。
「いえ、実験中の外鍵はケイに預けます。あなたにも私と同じ反応が記録されていますから。私がもっともらしい理由を並べた時、二人で納得して開けてしまう可能性があります」
ケイが誰を先生と呼ぶかについて、私達の判断は食い違っている。
それでも、助けを求める私達を彼女が見捨てるとは思わなかった。
『……そっか。じゃあ、開けるかどうかはケイが確認するんだね』
「中止の申し出を無視するわけではありません。理由と記録を確認してもらいます。リオが決めたノアさんの容態の件も、外へ確かめる手順を用意しましょう。急病や設備の異常なら、救助を優先してください」
『分かった。ケイにも一緒に確認してもらおう』
外から鍵が回り、扉が開いた。
私はこの施錠と退出の手順をリオにも送り、入室前にケイを交えて確認する旨を添えた。
「要求した条件は満たしています。ありがとうございました」
『どういたしまして。あとは、住み心地の問題だね』
端末から届くウタハの声は、疲れてはいても満足そうに聞こえた。
「滞在後の感想をお楽しみに」
『お手柔らかに頼むよ』
廊下へ戻ると、エイミが尋ねた。
「どう、部長。何か変わった?」
「今のところは、特に」
検収を終えても、私には人物の見え方が変わった感覚はない。先生を名乗る男は、やはりスナッチャーに思える。
シャーレの先生は、先生のままだった。
「ですが、入ってくる信号は止められます。その後のことを、ようやく調べられるわけです」
作業を終えたエンジニア部を見送った。
* * *
エイミと特異現象捜査部の部室へ戻り、私は机に向かった。
検収結果を保存し、入室と最後の受信の時刻、質問の回答を残す書式を用意する。
それから、予定していた相手…スナッチャーへ電話をかけた。
「部屋が完成しました。明日から、私とリオでそれぞれ籠もります。入室後もこの連絡先で連絡は取れますし、調査も継続します」
『分かった。……食事と、眠る場所は?』
「両方あります。エイミによる確認も済んでいます」
隣でエイミが頷いた。
『なら、よかった。……こちらからも、話しておきたいことがあるんだ』
少し声が軽くなった。
『シャーレにはまだ言わないでくれよ?』
「内容次第で善処はします。しかし、確約は出来ません」
『それもそうだね…話したいのは、私が生徒達に使ったものについて。君らが〈スナッチャーの洗脳〉と呼んでいるもの…その正体を話したい』
私は即座に記録用の画面を開き、録音を開始した。隣のエイミも顔つきを変え、端末へ顔を向ける。
『RE:TEXTという。シッテムの箱から取り出せる、白いシールのようなものだ。私が生徒に直接貼って使う』
『認識が変わったのは三人だ。十一日にミカ。十三日にワカモと……もう一人。今もシャーレの護衛についている、RABBIT小隊の狙撃手、霞沢ミユだ。シャーレに言わないでほしいのは、特にこの子のことなんだ』
「!……スパイにでもするおつもりですか?」
『まさか。ワカモを助けに行った時、彼女からの狙撃を止めてもらうために使ったんだ。あの子にシャーレを探らせるつもりはないし、こちらへ来てくれと言うつもりもない』
…ふむ。
RABBIT小隊の子へ使った理由は、まだ全て話していないのかもしれません。ですが、こちらが聞く前から白状してくる点には正直さを感じます。
もっとも、今の説明は、いわば接触して認知を変える手段についての話。ほかの手段は存在しないとも、使っていないとも、言っていません。
「……その三人以外に、あなたが認識を変えた生徒は?」
これでも同じ答えを返せますか?
『天地神明に誓って、いない』
スナッチャーは澱みなく言い切った…その口ぶりからは、嘘の気配を感じなかった。
『ただ、君も知っているアリスとケイ……それから、砂狼シロコ。あの舟にいた、並行世界からやってきた方のシロコだ』
『彼女達は、RE:TEXTで戻したわけじゃない。最初から私を〈シャーレの先生〉と認識していた。何故かは、私にも分からない』
『……どういうものを使ったのか、まず最後まで説明してもいいかな?』
彼が続けたのは、使った時に何が起きたかという説明だった。
貼った直後に身体の力が弱まり、六十秒ほどで彼を先生と認識するようになる。身体の力は、その後に戻ってくる。
『ワカモは、頭痛と異音も治まったと言っていた。ただ、どういう仕組みでそうなるのかは、私にも分からない』
「あなたは、それで認識が元に戻ったと考えているのですね」
『うん。私が見てきた限りでは』
私は、名称と使用後の変化を書き留めた。
彼の言う〈戻った〉を、そのまま結論には出来ない。明日の検査では、ミカさん自身の記憶や診療記録と照合する必要がある。
「今のお話は、まず私達の調査に使わせてください。ケイとリオにも共有します。それでよろしければ、シャーレへの開示は今は控えます。明日の検査で得た記録と分析は、約束どおり提出しますが」
『うん。それで構わない。ありがとう』
検査で確かめたことと、彼から聞いた話は分けて記録する。
私達自身への作用が消えるかを調べる実験も、引き続き必要だ。
明日の訪問について伝えると、ミカさんの怪我や待遇、無理に抜け出そうとしていないかも確かめてほしいと頼まれた。
待つ間の連絡を届けるため、知人に頼むつもりだという。私はケイに預ける伝言として書き留めた。
「あなたも、手当てを続けてください。明日の報告を聞く前に無茶をされては困りますので」
『うん。待ってる』
通信を終え、私は電波暗室の図面を見直した。
検収の間、信号を遮っていても、人物の見え方は変わらなかった。
それが何を意味するのか。明日から、あの部屋で確かめる。
* * *
10月15日 夕方
「先生。こっちは終わったぞ」
男は資料から顔を上げた。
今日の当番である風紀の尻尾付きが、揃えた書類を机へ置く。
「確認が必要なものが上。それ以外は処理しておいた」
「ありがとうございます、銀鏡さん。助かりました」
一枚目をめくる。署名欄には付箋が貼られ、確認すべき箇所には短い書き込みがあった。
申請元も、金額も、午前中に目を通したものと同じだ。保留になっていた項目だけを確かめ、男は頷いた。
彼女は壁の時計を見た。
「それじゃ、RABBITの連中と警備の確認をしてくる。十八日の引き継ぎまでに、一度は自分で見ておきたいからな」
「ええ。月雪さんにもお願いしてあります。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」
「分かってる。今まで警備してきた側の話も聞かないとな」
「皆さん、ずっと気を張っていましたから。風紀委員会の方々にも分担していただければ、少しは休ませてあげられます」
「先生もだろ」
風紀の尻尾付きは机に残った書類へ目を落とした。
「警備は私達でやる。少しぐらい休んでおけよ」
言い方はぶっきらぼうだが、書類を見る目には気遣いがある。
――ここで仕事を続けると言えば、彼女は安心して席を外せないだろう。…この後の予定に支障があっては困る。
男は手にしていた一枚を伏せた。
「そうですね。では、お言葉に甘えましょう」
「確認が済んだら戻る。何かあったら呼んでくれ」
彼女が出ていく。
男は椅子に座ったまま、足音が遠ざかるのを待った。
月雪さん達には、実際に休んでもらいたい。自分を庇い、銃を持つ相手へ身を投げ出してくれた四人だ。
流石に文字通り命の恩人まで適当に扱う気はしない。引き継ぎが済めば、少しは気を抜ける時間も出来るだろう。
廊下が静かになったところで、机上の時計へ視線を移した。
定例の連絡まで、あとわずかだった。
鞄から通信用の端末を取り出し、イヤホンを片耳へ差し込む。
待つ間に、午前中に明星ヒマリから受け取った資料を開いた。
説明の言葉は、資料を開く前から覚えていた。
人物認識と過去の記録を照合した際に、生徒の付近で検出される反応。本人と和泉元エイミでも確認したという。
男は画面を送り、該当する記述で止めた。
時刻が来た。
決められた接続先を呼び出すと、短い待機音の後に声が届いた。
『調子はどうかね、シャーレの先生』
「よしてください、プレジデント」
男は椅子の背へ身体を預けた。
「二日目から、あの狐の面を被ったイカれた娘に殺されかけたんですよ。怖くてしょうがありません。本物は、よくこんな仕事が務まるものです」
机へ伸ばしかけた手が止まる。
仮面を外した顔も、銃の小刻みな震えも、まだ細部まで思い出せる。銃口がこちらへ上がり、月雪さんの手がそれを跳ね上げた。
あの手が間に合わなければ。
男は背もたれから身体を起こした。
『そのために、三億円もの報酬をもって君を雇ったのだ。任期は長くても二ヶ月といったところだろう。申し訳ないが、頑張ってくれたまえ』
「ええ。成功報酬ですからね。受け取るまでは、勤めさせていただきますよ」
三億円。額に不満はない。
ただ、支払う側は銃口の前に座らずに済む。
男は手を戻し、膝の上で組んだ。
「さて、本日は大きな報告があります。ミレニアムの……あの車椅子が、反応波の存在に気付いたようです」
向こうの声が途切れた。
『……相手の反応は』
「少なくとも、私への説明では、スナッチャーによる影響を疑っています。自分にも反応が出ていると認めていましたが、機序や対策まで掴んだ様子はありませんでした」
男は開いていた資料へ目を戻した。
「あのピンクの怪力女…聖園ミカの調査をしたいと言ってきましたので、こちらにも観測データと分析結果を寄越すよう条件を付けて、許可しました。使われた手段についても聞き取るよう頼んであります」
『仕掛け始めてから、一週間も経たずにそこまで感付いたか』
カイザープレジデントは、少し間を置いた。
『あの連中の知性を、まだ甘く見ていたようだな。……まあいい。反応波の存在に気付いても、我々がそれをどう使うつもりかまでは見破れまい』
「結果が届きましたら、そちらへも回します」
『そうしてくれたまえ』
男は資料を閉じた。
あの車椅子が調査を急ぐ理由は分かる。生徒に何かが起き、自分まで影響を受けているかもしれない。原因を突き止めずにはいられないだろう。
そのために頼った相手が、調査結果をどこへ渡すかも知らずに。
報告が届いたら、労いの言葉くらいは添えておこう。
「それで、プレジデント。バージョンアップの進捗はいかがですか」
『技術班からは、特に遅延の報告を受けていない。おそらく月末……遅くとも十一月の上旬には、君に与えている端末で使えるようになるだろう』
男は机の隅に伏せた、もう一台の端末を見た。
指先で手元へ引き寄せる。
月末なら、あと二週間ほど。遅れても十一月の上旬。
男はその日までの当番と護衛の予定を頭の中で辿った。
そこまで凌げばいい。
「楽しみにしていますよ、プレジデント。ご説明どおりのバージョンアップが成れば、あの車椅子のように知恵の回るのや、ピンクの怪力みたいなのが何人かあちらに付いたところで……」
『そのとおり。もはや何の障害にもならない。我々の勝ちということだ』
「ふふっ。それでは、技術班の皆さんに、ぜひ頑張っていただきたいとお伝えください」
『いいだろう。私からも伝えておくよ』
男は端末の縁を指でなぞった。
あの狐の面が再び銃を向けてきたとしても、その頃には話が違う。
『……報告は以上かね?』
「ええ。ああ、そうでした。今の端末ですが、予定どおり明日そちらへ送ります。また交換としましょう」
『万事予定どおりだな。では、頼むよ。失礼する』
「失礼します」
通信が切れた。
イヤホンを外し、通信用の端末と一緒に鞄へ戻す。
机に残った端末を元の位置へ置いてから、男は書類を引き寄せた。
付箋の付いた署名欄を確かめ、ペンを取る。
二枚目を書き終えたところで、扉が叩かれた。
「先生。今、いいか?」
風紀の尻尾付きが戻ってきた。
休むように言った相手が、また書類を広げている。先程の調子なら、まずそこを咎めるだろう。
男はペンを置いた。顔を上げる頃には、気遣いをありがたく受け取る笑みが口元に浮かんでいた。
「ええ、どうぞ。銀鏡さん」
ニセ先生は当初、聖園ミカのことを〈ピンクの羽つき〉と脳内で呼称していました。
しかし、天井を素手でぶち破って逃げたという報告を受けて
――いや、あのピンクの羽つきが怪力だという情報は覚えていましたが…ウソでしょ?
とドン引きして、以降は〈ピンクの怪力〉となりました。