10月16日
機材の確認を受け、私、天童ケイは救護施設の病室へ通された。
本日の調査対象、聖園ミカさんは寝台の上で教科書を開いていた。
…なるほど、先生は彼女を過去に一度だけ〈お姫様〉と呼んだらしいが、それが理解できる。アリスの次に綺麗な人かもしれない。
「あ、来た…あなたが天童ケイちゃんだね」
本の間に指を挟んで、顔を上げる。
「わぁ、可愛い子。…っ!」
起き直ろうとして、動きが止まった。
「……ちょっと待って。今、脚が」
「そのままで構いません」
私は椅子を寝台へ寄せた。
枕の脇には、ホストの桐藤さんが手配したとされる課題の束も重なっている。
私が目を向けると、ミカさんは教科書を閉じ、その束の上に置いた。
診療の合間の面会だった。警備の生徒は廊下から窓越しに見ているが、問診の音声は外へ流さない。
昨日、桐藤さんから訪問を受け入れるとの連絡が届き、私はヒマリ部長と受け入れに当たって提示された二つの条件を確認した。
一つ。診療と本人の同意を優先し、機材は搬出入時に確認する。
二つ。警備は続けるが、問診中の会話は担当者に委ねる。
私は機材一覧を作り、記録の開始と終了を本人にも伝えると約束した。回答を断られた場合も、そのまま記すよう部長から頼まれた。
その後、部長から認知を戻す方法…RE:TEXTについて先生が説明した内容も共有された。今日の検査では、それを私から答えとして示さず、ミカさん自身の言葉で話してもらう。
RE:TEXT…?
部分的には聞き覚えのある単語だが、まさかね。彼女がそれを許すとは思えない。
先生からの依頼も、部長を通じて預かった。ミカさんの怪我や待遇、無理に脱走しようとしていないかを確かめてほしいという。また、今後連絡する手段も伝えてほしいと。
今はまず、本人の同意を確かめるところからだ。
私は記録端末をミカさんにも見える向きへ置いた。
「これから検査の記録を取ります。答えたくない質問には、そう言ってください」
「うん。その前に聞いていい?」
「何でしょう」
「これ、誰が見るの?」
「ヒマリ部長が解析します。観測データと分析報告は、シャーレにも提出します」
ミカさんの指が、教科書から離れた。
「……そっか」
「その条件で、始めても構いませんか」
「いいよ。答えられることは答える」
私は頷いた。
最初は、今朝の食事と、眠れた時間の話をした。
測定器を着けてもらった状態で、普通に会話を続ける。
次に、二人の人物の画像を示すとミカさんは迷うことなく一方を指した。
「先生は、こっち」
指さしたのは、手配情報に使われている方だった。
私は回答を記録した。
それから、事件以前の記録と、ミカさんが覚えている出来事を照らし合わせていく。
記録の中で先生とされている人物と、今シャーレにいる人物。
ミカさんは、その結びつきがおかしいと話した。
「顔を見れば分かるって言っても、誰も納得してくれないんだよね」
困ったように笑う。
「でも、あの時そばにいてくれたのは、この人だよ。今ここにいる私が、そう覚えてる」
測定画面には、ヒマリ部長達への質問で記録されたような反応は出なかった。
質問と画像の順序を変え、タワー由来と考えられる信号を捉えた後にも繰り返したが、答えは変わらなかった。
――反応なし。
私は質問と回答、受信時刻を揃えて保存した。
続けて、負傷した時の身体の変化を尋ねた。
ミカさんは自分の手を見た。
「急に、力が入らなくなったの。いつもなら簡単に出来ることが、出来なくなって」
その後、撃った弾が跳ね返って脚を傷つけた。
力が戻ってからも、その傷まで元に戻ることはなかったという。
十三日に弾丸を取り出したことは診療記録にもある。私は当時の変化を本人の証言として記した。
「その変化が起きる直前、相手が使ったものについて、説明出来ますか」
ミカさんは私の目をじっと見つめた。
「…それも、シャーレへ?」
「はい」
「だったら、そこは話さない」
ミカさんは目を逸らさなかった。
「覚えてないんじゃないよ。話したくないの」
私は入力欄へ、そのまま記した。
「分かりました。回答を希望されなかったと記録します」
ミカさんの肩から、少し力が抜けた。
検査を終えると、私は記録を止めた。
測定器を外し、端末の表示をミカさんに確かめてもらう。
休憩のために来た救護騎士団の方へ、検査が終了したことを告げた。
残りの面会時間は五分。廊下の警備は、そのままだった。
私は椅子を少し近づけた。念のため、声の届くところに人がいないことと、室内に監視カメラがないことを確かめる。
「私と、姉のアリスは、先生を別の人と取り違えてはいません」
ミカさんはすぐには答えなかった。
「……でも、検査の結果はシャーレに渡すんだよね?」
「はい。今の検査については。ここからは、あなたの脚を手当てした先生からの伝言です」
ミカさんの視線が、私の顔へ戻った。
「あの時は、朝に水道で軽く洗っただけのタオルを使ってしまったから、と。傷の具合を気にしていました」
「……そんなことまで、話したんだ」
ミカさんは寝具の上から、自分の脚へ目を落とした。
「あの時も謝ってたんだよ。そんなの、気にしなくていいのに」
少しだけ口元を緩め、それから私を見た。
「それで、先生は何て?」
「怪我の具合と、困っていることがないか、確かめてきてほしいと頼まれました。それから、今は無理に抜け出そうとせず、脚を休めていてほしいと」
「……聞いたよ」
「先生の言葉を、ですか?」
「昨日の朝。テレビで」
ミカさんは寝具の端を指でつまんだ。
「迎えに来るから、待っててって」
私は頷いた。
「その言葉が届いたか、あの人はまだ知りません」
「じゃあ、伝えて」
ミカさんは一度だけ傷ついた脚へ視線を落とし、その後こちらへ向き直る。
「ちゃんと聞いたよ。短気は起こさないで、待ってるからって」
私はミカさんの顔を見たまま、頷いた。
「必ず伝えます」
「先生は?」
声が早くなった。
「ちゃんと、無事なんだよね?」
「手当てを受けながら、私達と連絡を取っています」
――怪我がないとは言えなかった。
ミカさんの眉が寄った。口を開きかけ、少し間を置いて尋ねた。
「……一人じゃない?」
「はい」
それには、すぐ答えられた。
ミカさんはゆっくり息を吐いた。
私は話を続けた。
「これからも連絡を届けられるように、先生が手配してくれました。ラジオは聴けますか」
「ラジオ?」
「毎晩九時からの〈ミッドナイト・プレリュード〉という番組です」
私は番組名を繰り返した。
担当するのは、最近人気のDJ B.o.Bだ。先生とは昨夏に面識を持ったらしい。どういう経緯だったのか、何故か先生が話したがらなかったと部長は言っていた。昨夜の電話ではすぐに本人だと認め、依頼を最後まで聞くより先に引き受けてくれたという。
「番組の最初のお便りの時間に、先生からの投稿が読まれます。通常の投稿者名は、最後が〈の王子様〉です」
ミカさんが小さく吹き出す。
「なにそれ。王子様って、自分で言うの?」
「前の部分は毎回変わります。名前だけで判断しないでください」
ミカさんの目元が、わずかに緩んだ。
私は声を低くして、最初の三回に使う書き出しを伝えた。
雨の話、紅茶の話、靴の話。その順番と、それぞれに添える短い一文。先生が昨夜考え、番組側にも渡したものだった。
安否を知らせる時は、今日も同じ窓辺にいると書く。
待っていてほしい時は、本の続きを一緒に読む約束にする。
連絡の予定を変える時は、次に便りを書く日を文中で知らせる。
「ただし、迎えに行く準備が整った時だけ、投稿者名が〈白馬に乗った王子様〉になります。放送の翌日に迎えに行く、という合図です。これも、今お伝えした書き出しと合わせて確かめてください」
「白馬に乗った王子様なら、次の日なんだね」
「はい。合図を聞いても、自分からここを抜け出さず、迎えを待っていてください」
ミカさんは頷いた。場所も、迎えに来る道も、放送では伝えられない。
「雨、紅茶、靴。それから、王子様だね」
ミカさんは、言葉のたびに指を折りながら復唱する。
「書き出しの言葉もお願いします」
言い直してもらう。
二つ目の結びだけ違っていた。そこを伝え直すと、ミカさんは小声で繰り返した。
「一度聞き逃しても、何かあったと決めつけないでください。投稿が間に合わない場合も、番組の都合で読まれない場合もあります」
「うん」
「便りがないことを理由に、ここを飛び出さないでほしいそうです」
ミカさんは、今度は少し笑った。
「そこまで言われちゃったか」
受信機は施設の貸出用を使えると確認してある。帰る前に、ミカさんと一緒に担当者から使い方を教わることにした。
私が席を立つと、ミカさんは呼び止めた。
「ケイちゃん」
振り返る。
「先生に、もう一つ」
さっきまでの笑みが、少しだけ小さくなった。
「迎えに来る時、自分もちゃんと歩けるようにしておいてって言っておいて。一緒に肩を並べてお散歩がしたいから、って」
私はミカさんの脚を見た。
それから、画面越しに見た先生の顔を思い出した。
「……分かりました。確かに伝えます」
* * *
報告の途中で、先生は椅子の背から身体を起こした。
『昨日の朝の放送を、見たそうです』
”見てくれたんだ”
『はい。待っていると。無理に脱走するつもりはないと、本人から聞きました』
先生は返事をしようとして、一度口を閉じた。
机には放送に使ってもらった文面が残っている。迎えに行く。待っていてほしい。
その短い言葉が、届いていた。傷ついた脚で自分を探しに出ようとしてはいない。先生は詰めていた息を吐いた。
”……ありがとう、ケイ”
診療は続き、教材も届いている。ラジオの使い方も確認出来たという。
報告を終えたケイが、わずかに目を細めた。
『それから、伝言です。迎えに来る時、自分もちゃんと歩けるようにしておいてほしいそうです。一緒に肩を並べて、お散歩がしたいから、と』
向かいのシロコ*テラーが先生を見た。
”……うん”
『私からも、同じことをお願いします』
”分かった。ミカにも、ちゃんと休んでいると伝えておいて”
『次に会う時に伝えます。……ちゃんと休んでいてくださいね』
先生は小さく笑った。まだ頬が痛んだ。
通信にヒマリの声が加わった。
『検査報告は整理して明日提出します。今の伝言とは別に扱いますので』
背景の机の後ろには、寝台の端が見える。
”もう入っているんだね”
『ええ。リオも隣の部屋に。最後の受信と入室の時刻は記録しました。ケイ、今日の質問の順序も送ってください。こちらで繰り返す際に揃えます』
『分かりました』
『外の観測はエイミに頼んでいます。私達への作用が消えるかは、これからです』
ヒマリは、今日のミカの検査についても話した。
人物の画像と過去の記録を照合しても、ヒマリ達に見られた反応波は検出されなかったという。
先生は、昨日ヒマリに伝えたRE:TEXTの使用経験を思い返した。
”昨日話した、ワカモの頭痛と異音が治まったこと。今日のミカに反応波が出なかったことも、認知が戻った結果としてつながっているのかな”
『比較する価値はあります。ただ、今回測れたのは聖園さんです。処置を受けた全員が同じ状態かまでは、まだ言えません』
”うん。どんな仕組みでそうなるのか、私にも分からない。分かるところから、確かめてもらいたい”
『認知が戻ったというあなたの説明も、記憶や記録との照合を続けて検討します。今日の検査結果もリオに共有して、こちらの遮蔽下での結果と比べましょう』
”うん。お願いします”
先生は今夜番組へ送る便りを手元へ寄せた。ケイが出かける前に書いた時には、まだミカが聴けるかどうかも分からなかったが…これで、安心して返事のお礼が書ける。
最初の一文を残し、その先を書き直した。
「何て書くの?」
シロコ*テラーが尋ねた。
”〈実は珈琲党の王子様〉より。雨の日は、窓辺で本を読むのもいいものですね。お返事ありがとう。今日も同じ窓辺にいます。君に勧めてもらった本の続きは、また一緒に読もう。その日を楽しみにしています”
彼女は紙を覗き込み、頷いた。
いつ迎えに行けるかは、まだ書けない。それでも、待っているという返事を受け取ったことは伝えられる。
先生は文面を移し、投稿者名の最後を確かめて送信した。
ほどなく担当者から受領の返事が来た。先生はそれを確かめ、端末を置いた。
”包帯の交換、お願いしてもいいかな”
シロコ*テラーが頷き、椅子を寄せた。
九時まで、まだ時間がある。
DJ B.o.Bは、アリウス・スクワッドの面々から集団リンチを…もとい〈平和的なお話し合い〉を希望されて応じた、あの人です。