ブルーアーカイブ 認知改変もの   作:9eyes

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事件が始まります


第一部 第一話 あなたに――託します

10月10日 17:00

シャーレビル・執務室

 

――その日は、17時までは全くいつも通りの日常だった。

 

「せんせー、こっちは終わったよ〜」

 

執務机の向かい側から、気の抜けた声が飛んでくる。

先生が顔を上げると、小鳥遊ホシノが書類の束を机の端へ押しやっていた。

午後からずっと、先生と二人で事務仕事を片付けていた。

各学園から届いた機材や備品の購入申請。活動報告。予算に関する問い合わせ。

どれも緊急性はない。一方で放っておけば後で面倒になる、いつもの仕事だった。

 

”ありがとう、ホシノ。こっちもあと少しだから、今日はもう上がって大丈夫だよ”

 

「本当? 後から、実はまだもう一山あったとか言わない?」

 

”今から来ない限りはない。はず”

 

「はずなんだ」

 

ホシノが呆れたように笑うと、そのまま椅子から立ち上がって大きく伸びをした。

 

「じゃ、おじさんはお言葉に甘えようかなぁ。あんまり遅くなると帰るのも面倒だしさ〜」

 

”気をつけてね。今日もありがとう”

 

「はいはい」

 

荷物を持ち、執務室の扉へ向かう。

扉を開けたところで、ホシノは振り返った。

 

「それじゃあ、またね、先生」

 

”うん。またね、ホシノ”

 

扉が閉まり静かになった執務室で、先生は再び書類へ視線を落とした。

 

残りは十枚もない。これを片付ければ、今日の仕事は終わりに出来る。

少し冷めたコーヒーへ手を伸ばし、続きを始める。

何も変わったことはなかった。その時までは。

 

ホシノと別れてから数分ほど経った頃だった。

そういえば、この書類は参考資料として電子版も受け取っていた。

机の横へ置いていたシッテムの箱へ手を伸ばす。

 

いつも通り画面を操作する。

 

「……?」

 

反応がやたら遅い。一秒…いや二秒かかり、ようやく画面が切り替わった。

おかしい。通信環境が悪いのだろうか。先生はもう一度画面を操作した。

今度は更に遅かった。たっぷり三秒はかかっている。

 

画面が固まる。

 

”アロナ?”

 

呼びかけると、数秒遅れて画面が切り替わった。

 

『先生!』

 

アロナだった。だが、いつもの調子ではない。

先生が何か尋ねるより先に、アロナが叫ぶ。

 

『外部から異常なアクセスが来ています!』

 

”外部から?”

 

『はい! 今、遮断を――』

 

画面が激しく乱れた。

ざらり、と映像に砂嵐が走る。

アロナの姿が一瞬消え、代わりに黒い画面が映った。

 

すぐに復帰する。

 

『先生』

 

今度はプラナの声。アロナの隣に現れた彼女も、普段より明らかに切迫していた。

 

『先生。複数の経路から干渉を確認しています。遮断を試みます』

 

”何が起きてるの?”

 

『現時点では分かりません。ただ、このままでは――』

 

また画面が乱れ、ノイズが大きくなる。

細かく震えるような電子音が、スピーカーから漏れ始めた。

 

『アロナ先輩、こちらを!』

 

『分かりました!』

 

先生はシッテムの箱の所有者ではあるが製造者ではない。

二人が何かしているのは分かるが、何をしているかは分からない。

 

”私に出来ることは?”

 

『先生は、そのままで――』

 

アロナの声が途切れると共に、画面全体が白く明滅する。

 

『遮断経路を変更します』

 

『こっちも塞がれています!』

 

『では、予備経路から――』

 

会話が急速に短くなっていく。

状況説明ではなく、互いへの指示だけになる。

先生はシッテムの箱を両手で持った。

 

”アロナ、プラナ”

 

『大丈夫です、先生!このスーパーアロナちゃんが――――』

 

アロナがこちらを見てそう言った直後、画面に黒い線が走った。

アロナの姿が半分ほど崩れ、声も割れる。

 

『……っ!』

『アロナ先輩!』

 

プラナが何か叫ぶ。電子音が、耳障りなほど高くなった。

 

『遮断出来ません』

『まだです! こっちからなら――』

 

映像が再び崩れる。

何をすれば助けられるのかすら分からない。

 

”アロナ!”

 

『先生――』

 

アロナとプラナが同時に顔を上げた。

 

『こうなったら、もう彼女に任せるしか――』

『同意。彼女ならばあるいは――』

 

プラナの言葉が途切れ、シッテムの箱の画面が消えた。

 

ぺきっ。

 

ほとんど同時に、上着の内側で小さな音がした。

 

”……アロナ? プラナ?”

 

返事はない。先生は画面へ触れた。

電源ボタンを押すが反応しない。

黒くなった画面に、先生の顔だけが薄く映っている。

 

今度は少し長く電源ボタンを押した。五秒は押し続けるが、それでも変化はない。

 

”……嘘でしょ”

 

先生は、先ほどの音がした胸元へ手を当てた。

内ポケットから財布を取り出し、開く。

 

大人のカードが、割れていた。

取り出そうとつまむと、二つに分かれた片方だけが指についてきた。

 

”……これまで?”

 

折り曲げた覚えはない。財布のほかのカードには、傷一つなかった。

先生は割れた二片を財布へ戻した。何が起きたのか、確かめる先すら分からない。

 

リオかヒマリか…この手の分野の専門家に相談しよう。

そう考えた、その時。手の中でシッテムの箱が震えた。

 

”……!”

 

触れていないのに、画面が点灯する。

再起動?

先生は画面を覗き込むが、いつもの起動画面ではなかった。

 

真っ白な光。その直後、画面いっぱいに激しいノイズが走った。

 

映像は乱れたまま。色も崩れている。音声もまともに聞き取れない。

でも、画面中央の人影は確認出来た。

 

”……誰?”

 

応答はないが、女性だ。でも見覚えは無い。

 

長い金髪。

 

紫色の瞳。

 

白い帽子。

 

そして白い服。

 

激しいノイズによって輪郭が何度も途切れ、細部までは判別出来ない。

 

”アロナは? プラナは何処?”

 

女性は答えなかった。いや、先生の問いかけ自体が届いていないのかもしれない。

女性の唇が動く。

 

『私が――現れることは――もう、決してありません』

 

音声が途切れる。

ざあっ、と砂嵐のような音が被さった。

 

『もう――あるべき形には――戻れませ――』

 

”どういう意味?”

 

『それでも――あなたに――頼みたい――どうか――』

 

『――危機が――迫っています』

 

女性はただ一方的に言葉を続ける。

 

『このままでは――世界が――壊さ――』

 

音が潰れた。先生はシッテムの箱へ顔を近づける。

 

”待って。何が起きてるの? あなたは誰?”

 

『――が―――あることさえ――知られては――ない―』

 

白い服の女性が、こちらへ手を差し出してくる。

両の手のひらが大きくなり、画面の上半分を覆う光へと広がった。

 

『本来は――許されない――ですが』

 

激しいノイズ。その向こうで。

 

『あなたに――託します』

 

画面が大きく乱れた。

 

『どうか――これを――正しく――』

 

そこで。

 

女性の姿が消えた。

 

”待って!”

 

先生が呼びかけても、もう何も映らない。

画面の上半分を覆う白い光と、ノイズだけが残った。

 

数秒後。

白い光が収束し、シャーレのエンブレムへ切り替わる。

ノイズだった部分は一瞬真っ黒になったかと思えば、そこへ文字列が浮かび上がる。

先生は目を細めて画面を見る。

一部が欠損しているが、最上段に以下の文字列が表示されている。

 

`RE:TEXT*** S*ST*M`

 

`CHARGED --:--:--/12:00:00 (2/2)`

 

「……」

 

先生はしばらく画面を見つめた。

RE:TEXT…とまでは読める。後半はおそらくSYSTEM。

 

”リ、テクスト、システム?”

 

少なくとも、今までシッテムの箱にこんな機能は存在しなかった。

 

十二時間経つと何かが起こるのか?

先生は画面へ指を滑らせ`RE:TEXT*** S*ST*M`と書かれた文字をタッチする。

 

そうすると画面が切り替わって説明文らしきものが現れた。

おそらく色々と仕組みが書いていそうなのだが、ひどく文字が欠損している。

読めないところがほとんどだ。

 

だが

 

`――エンブレムから――取り出――`

 

`――生徒――貼り付――`

 

先生は意味が読み取れる部分だけを追った。

 

画面から、取り出す。

 

生徒へ、貼り付ける。

 

更に下。

 

`貼り付――60秒―――完了`

 

`――その後――120秒―喪――た―秘は完全に戻る`

 

`――その間――対象――守って――`

 

”……何これ”

 

何が六十秒で完了するのか。そして、何故対象を守る必要があるのか。

先ほどの女性は「正しく使え」と言ったが、これでは正しい使い方など判断出来ない。

生徒へ使えなどと書かれている以上、なおさら迂闊には触れない。

先生は説明文から目を離した。

 

”アロナ?”

 

返事はない。もう一度、普段使っていた機能を呼び出そうとする。

反応しない。

電源ボタンを押すと、読み取れない説明文が消え、さっきのエンブレムが表示される画面に戻った。

 

RE:TEXT。

 

その見覚えのない項目だけが、場違いなほどはっきりと画面に残り続けている。

 

”再起動……は、さっき勝手にやったよね”

 

エンブレムには触れないまま、説明画面の文字を手当たり次第にタッチしてみたり、充電器に繋いだり…

数分間。先生は自分でも素人丸出しだと思う方法を片端から試した。

その結果。

 

”……駄目だ”

 

思わず独り言が漏れると共に、ようやく諦める。

今の自分が触り続けても、むしろ壊すかもしれない。

やっぱり専門家に見せるべきだ。突然の連絡になって悪いけれど、まずはリオの携帯に連絡してみよう。

生徒達からモモトークが届いていても、今の状態では確認も返信も出来ない。一刻も早く復旧させる必要がある。

そんな風に考え、先生がシッテムの箱を机へ置こうとした時。

 

執務室の扉が、激しい音を立てて開いた。

 

「ヴァルキューレだ! そこの男、動くな!」

 

”……え?”

 

先生の手が止まる。

扉から複数の生徒が雪崩れ込んできた。

ヴァルキューレ警察学校の制服。特徴的な丸盾が一斉にこちらへ揃えられる。

 

その先頭には見覚えのある長身の生徒。尾刃カンナ。

険しい表情で、先生を真正面から睨んでいる。

あまりに唐突な来訪で、先生は目を瞬かせた。

 

”カンナ、急にどうしたの。何かあったの?”

 

その瞬間、カンナの目つきが変わった。

驚いたように眉が動いた。だが、すぐに険しく目を細めた。

 

「なるほど。確かに先生からの通報通り。外からやってきた男性か」

 

先生は一瞬、言葉を失った。

 

”私からの通報? カンナ、どういうこと?”

「……」

 

カンナは答えない。

 

むしろ、一段強く銃を構えた。

 

「それより――」

 

先生を値踏みするように見据える。

 

「何故私の名前を知っている?」

 

”……”

 

冗談を言っている様子ではないし、何かの訓練という空気でもない。

カンナの後ろにいるヴァルキューレの生徒達も、揃って表情を硬くしている。

先生はただ、カンナを見ることしか出来なかった。

 

ほんの数分前までいつも通りだった。

そして今。

何度も顔を合わせてきたはずのカンナが、自分を見て警戒している。

何一つ繋がらない。

 

先生が答えを見つけられないまま、カンナが口を開いた。

 

「お前は、誰だ?」

 

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