シャーレの執務机に、一枚の地図が広げられていた。
机の向こうの男が、D.U.地区を指でなぞる。
「犯人はまだ捕まっていません。シッテムの箱も持ち去られたままです」
狐坂ワカモは机の前に立ち、その指先を見下ろしていた。
「狐坂さんには、広域捜索と犯人の炙り出しをお願いしたいのです。見つけても殺さず、生捕りにして連れてきてください。箱の回収もお願いします」
「あなた様のお願いとあらば、必ずや――」
ワカモの言葉が途切れた。
「それと、聖園さんには疑わしいルートの捜索をお願いしています。もしも出会う事があったら、彼女の指示に従ってください」
片手がこめかみへ上がる。指先を押し当てたまま、わずかに顎を引いた。
「……かしこまりました。必ず捕まえてごらんに入れましょう」
「期待しています」
ワカモは一礼して執務室を去る。
顔を上げたあとも、その手はしばらくこめかみに残っていた。
* * *
――私にとっての「五回目」となる運命の日々の始まり。その開幕となる事件は私からすると実に唐突だった。
――昨日の夕方、シャーレビルに侵入者が現れたという。
通報を受けてヴァルキューレが駆け付けたものの、この侵入者は先生の愛用品であるタブレットPC…
正式名を「シッテムの箱」というらしいが、これを持って逃げ去ってしまったらしい。
この事件を受け、先生は急遽〈代替機〉の用意と、平素の当番とは別に護衛を追加配備する事を決定。
私達RABBIT小隊がこの護衛戦力として選ばれたというので、喜んで引き受けることにした。
護衛は今から開始する。担当日数と、同じく護衛を受け持つ組織とのシフトを確認。
折角だから、護衛の合間に少しだけでもと先生のお手伝いを申し出る。
サキとミユは隣室の機材整理。モエと私は執務を手伝うことにした。
今日の当番は連邦生徒会の事務担当の生徒だが、今は別の仕事で執務室を離れている。
「ありがとうございます。折角お手伝いいただけるのでしたら、申し訳ありませんが、大いに頼りにさせていただきます」
そんな先生の嬉しいお言葉を頂けた。
内心ちょっとだけ…そう。本当にちょっとだけ舞い上がってたらモエがニヤニヤしながらこちらを見るものだから、軽く睨みつけてやるとモエが首をすくめて書類に戻る。
さて私も書類にかかろうと座りかけると執務室のドアを叩く音。一番近い私が出迎える事にした。
「っ……」
廊下に立っていたのは、赤い紋様の入った白い狐面の少女。黒地に花柄をあしらった着物風の装束が、ひときわ目を引く。
華やかな見た目で、気品ある佇まい。
(災厄の狐。狐坂ワカモ)
思わず背筋が伸びる。こんなに近くで見るのは初めてだ。
「狐坂さん、どうされましたか?」
ひとまず丁重に対応しよう。
「……先生は……いらっしゃいますか?」
「は、はい。先生!狐坂さんがいらっしゃいました」
先ほど我々RABBIT小隊が護衛を務める話の中で、彼女は強奪犯捜索の二翼。そのうち片方を任されたと聞いている。
先生の説明からすると捜索を始めてから数時間も経ってないはずだが…もしやもう完了させたのだろうか?
ユキノ先輩をして「個の戦士としては究極。最強というよりは究極と言うべき存在」と言わしめたほどの強者だ。それもあり得なくは無いが。
狐坂さんは先生の方へ歩いて行くが、何処となく足元がふらついているようにみえる。
それに…なんだろう?こめかみを時折押さえている?
ひとまずドアを閉めて追従すると、狐坂さんは先生の座っている机の目前で立ち止まる。
「狐坂さん、どうされましたか?」
「先生……一つ…お聞きしたい事が…あります」
「何でしょうか?」
先生が狐坂さんと言葉を交わしている。なんとなく作業予定だった机に戻る気になれない。
手伝いはとりあえず狐坂さんの話を聞いてみてからにしよう。狐坂さんの右横、一歩ぐらい離れた場所に陣取る。
「もしもわたくしが…犯人を炙り出すべくD.U.地区を外周から内周へ向けて放火したいと申し出たら…お認めに、なりますか?」
…いきなり何を言い出すんだ、この人は。
先生に一度だけ「かの七囚人筆頭格がシャーレに居るなんて。危険では無いんですか?」と聞いた事があるが
”ちょっと物騒なのは、まぁその通りだね。私も流石に行き過ぎだと思った場合はちゃんと注意するよう心がけているよ”
”でも彼女はとても純粋で、約束を大切にしてくれる子なんだ。ミヤコも皆からの評判だけで悪い子みたいに決めつけて欲しくはないかな”
という話だったが、これはちょっとでは済まされないような気がする。
先生がこんな無茶苦茶な申し出を認めるわけが
「狐坂さんが必要と思うのでしたら、やっていただいて構いません」
えっ
「ただし、実行前にエリアを報告してください。責任は私が取ります」
反射的に自分の顔が歪んだような気がする。
いやいや。エリアを報告すれば良いとかそういう問題ではない。
そもそも私達と先生が出会ったあの日からして先生は一般市民に被害が及ぶ「かもしれない」でRABBIT小隊を制圧したんだ。
目の前の人が本当に先生な◆そん※許◻︎を出◆は◻︎
(※◻︎―ジリ、ッ)
――――先生も、たまには真剣な顔で冗談を言うのだな。
ふっ、と表情が戻る。そうだ。そうに違いない。
”物騒だけど、約束を大切にする子”と言っていたんだ。ならば必ずエリアを報告する。
そうなった時にこそ注意し止めるのだろう。きっとそういう冗談なんだ。
「先生、仮にやるとしてエリアの住民避難はどうするの?」
予期せぬ方向からの発言で思わずモエの方を見てしまう。
先生からの返事はなかった。
先生はモエをいつも通りの柔らかい表情で見ているが、でも、何故か今の質問に返事をしない。
モエは眉をひそめ、口を開きかけ――数秒。そのまま口を閉じて書類仕事に戻った。
――なんで、話が具体的になっているんだ?
住民の避難だなんて、まるでやる事自体はもう決まったかのような…先生な◇こ※な◻︎を認※
(※◻︎―ザザ、ッ)
――――モエったら、こんな話題にばかり乗っかるんだから。
やれ爆破だ破壊だという話だと決まって悪乗りしたがる。やっぱり冗談に間違いない。
そう考えて先生に視線を戻す。特に表情に動きもない。
それにしても、狐坂さんは何をしにきたのだろう。
捜索任務を放り出してまでこんな冗談を言いにきたのだろうか?
そんな風に思って狐坂さんを見ると、付けていた狐の仮面を左手でゆっくりと外して机に置いた。
素顔があらわになるが、なんだか凄い表情だ。目が細くなっており唇が震えている。
仮面を置いたと思ったら、再びゆっくりと左手をこめかみに戻した。
右手に持っている銃まで小刻みに震えているように見える。
ふと、嫌な予感がした。
たとえ期間が短くてもSRTでの訓練を通じて築かれた直感が、この場を流れる空気に対して「警戒を厳にせよ」と告げている。
「あなた…」
狐坂さん…狐坂ワカモの瞳は先生を睨みつけている。横目に見るだけでも激情の炎が立ち上っているかのようだ。
「先生の名を騙っていますわね?」
まるで訳の分からない事を言っている。その手元で、安全装置を外す小さな音がした。
狐坂ワカモが銃口をゆっくり上げ始める。
「不届ものめ…!この狐坂ワカモが――」
その方角には先生がいる。
まさか!私は全速力で最後の一歩を詰めながら右手を伸ばす。
「先生、伏せてっ!」
叫びながら狐坂ワカモが手にした銃の前床を掴み上げ、銃口を天井へ向けさせる。
「――成敗して差し上げますわ!」
発砲音。天井の照明器具が砕け、天井で跳ねた弾が離れた位置の机を叩く音が聞こえる。
一瞬先生の方角を見る。無事だ。当たってない。
「ミヤコ!」
モエの声。椅子を蹴るように立ち上がる音に、拳銃の安全装置を外す小さな音が重なった。
私は右手で狐坂ワカモの銃の前床を改めて掴み直し、警告する。
「狐坂ワカモ、ただちに銃をおろしなさい!」
「この子ウサギめ!お退きなさい!」
さっきまで先生の方を見ていた狐坂ワカモが私の方に向き直る。苦しんでいるかのような表情。
モエの足音が先生の方角へ向かっているのが聞こえる。
隣室の方からドアを全力で開けるような音も聞こえる。
銃を取り上げようと揉み合っているうちに、狐坂ワカモが振り回す銃口が私の方に向いた。その瞬間ぴたりと止まる。
…まずい、この位置からでは射線を切れない。先生に当たる可能性がある!
発砲音。
「がはっ…!」
狐坂ワカモが放った二発目の銃弾が私の胸に命中。
どうにかプレートキャリアの装甲部で受け止めたが息が詰まって片膝を突いてしまう。
それでも前床を握る右手は離さなかった。
そのまま私は左手で狐坂ワカモの手首を掴み、銃口を床へ向けさせる。
「先生、立って!」
モエの声と、二人分の足音が執務室のドアへ向かう。
廊下側からドアが開く音がした。
一瞬だけそちらを見る。今日の当番生徒が、戸口の陰から顔を覗かせていた。モエが先生を連れて、その方へ向かっている。
狐坂ワカモの銃が動き、私は慌てて押さえ直す。これ以上は目を離せない。
私は片膝をついたまま狐坂ワカモへ接近。
狐坂ワカモが引き金を操作している手を胸元に抱えるように抑え、銃口を下に向けさせたまま左手を抜く。
すかさず自由になった手で通信機のスイッチを入れ、隊員へ手短に命令を下す。
「RABBIT2、RABBIT4!執務室に武装対象一、発砲禁止、近接確保!RABBIT3は先生の退避後に確保に合流!」
「RABBIT3、了解!」
『RABBIT2、了解!』
『ら、RABBIT4、了解!』
モエの声。続けて隣室から入り込んできたサキとミユの声も聞こえてきた。
「キミ、悪いけど先生をお願い! 廊下の角を曲がって、そのまま離れて!」
モエの叫び声が後ろから聞こえる。
「は、はい!」
当番生徒の声と共に足音が廊下へ遠ざかっていく。
よし、先生を逃がせた。あとは、この銃を絶対にそちらへ向けさせない。
「この…っ!邪魔だと……」
狐坂ワカモはいまだに左手でこめかみを押さえている。苦しみに耐えているようだ。
しかし残った右手で掴んでいる銃が力任せに引っ張られる。
「……言ってるで、しょう!」
元から片膝で体勢も悪かったせいもある。踏ん張れず倒れてしまう。
狐坂ワカモは振り回して私を剥がそうとする。
引きずられてしまうが、離してなるものか。
そうしているうちにサキが狐坂ワカモの背後まで来ている。
「確保させてもらう!」
狐坂ワカモのこめかみに添えた左腕ごと上体を抱え込んだ。
「なっ!この程度、で…!」
狐坂ワカモは体を振ってサキを引き剥がそうとするが
「ミユ!」
「は、はいっ!」
ミユが側方から低く飛び込み、ワカモの脚へ組みついた。
私も引きずられていた状態からすかさず片膝に戻り、ワカモの手首を押さえながら銃全体の上にのしかかる。
ワカモが銃にのしかかっている私ごと持ち上げて引き剥がそうとするが、うめき声と共に突如として力が弱まった。
今だ!私は思い切り力を込めて、ワカモから銃を奪い取ることに成功。
安全装置をかけ、ワカモの手が届かない机の下へ滑らせる。
「武器確保!」
私は叫びつつ、再びワカモの右腕を拘束しなおす。サキとミユに合わせて体重をかけ、今度こそ床へ押さえ込んだ。
「こいつ、なんて力だ!」
サキが驚愕の表情を浮かべている。
ワカモは顔を顰め目を瞑りながら身をよじるが、サキが必死に拘束し続ける。
「う、うわわっ!」
足にしがみついてるミユはワカモのもがく動きで振り飛ばされそうになっている。それでも離さない。
それからしばらく3人がかりで拘束を続けていると
「お待たせ!」
モエの声だ。拘束具を持ってきている。
「先生は!?」
私は思わず声を荒げる。
「大丈夫、無傷。当番の子が付いてる」
モエが膝をつく。
「んじゃあ、悪いけど大人しくなってねぇ〜」
モエがワカモの手を、続けて足を拘束。制圧完了だ。
私達もようやくワカモから離れ、立ち上がる。
「こんな……ところで……っ!」
ワカモが呻いている。ようやく落ち着いたから見てみると彼女の顔から脂汗が滴っている。
もしや最初からずっとそうだったのか?
私も、落ち着いてみると呼吸をするたびに胸がずきずきと痛む。先ほどワカモに撃たれた場所も痣になってるかもしれない。
だがなんとかなった。先生も無事。こちらの発砲もなし。
「対象を確保。地下収容区画へ連行します」
サキと目を合わせる。サキも頷いて返す。
四人がかりでワカモを立たせて地下へ運ぶ。
その間も、狐坂ワカモは苦痛に顔を歪めながら、私達に向けて声を絞り出していた。
「……あなた達にも……聞こえているはずです……この耳障りな音が……」
「……どうか…気付いてください……あれは……紛い物なのです……」
地下へ続く扉が閉じるまで。
狐坂ワカモはそんな、言ってる意味が、分からない言葉を繰り返していた。
――それにしても、さっき狐坂ワカモのそばにいた時、変な音がした。直後の騒ぎで気にする余裕もなかったが、ヘッドセットの不調だろうか?
スペアはあるし、夜間警備の前に一度はキャンプへ戻る。その時に取り替えよう。
そんなふうに考えながら、私は執務室へ戻ることにした。
* * *
クロノススクール報道部より、続報をお伝えします。
本日、シャーレのシッテムの箱強奪事件に関連するとみられる、二件の騒動が相次いで発生しました。
D.U.地区では、聖園ミカさんが強奪事件の容疑者と接触したのち、現場へ駆けつけたヴァルキューレの警備員による捜査を妨害。容疑者の行方は分かっていません。
ミカさんは容疑者を〈本物の先生〉だと主張していたということで、その後、トリニティ自治区で正義実現委員会に身柄を確保されています。
また、シャーレでは狐坂ワカモさんが先生に銃を向け、発砲する事件が発生しました。常駐警護に当たっていたRABBIT小隊が対応し、ワカモさんは拘束されています。先生に怪我はありません。
ワカモさんも、シャーレにいる先生は名を騙った偽物だ。などと発言を繰り返していたとのことです。
二人の言動と強奪事件との関係は、現在調査中です。容疑者による何らかの心理的な干渉が行われた可能性も含め、関係機関は慎重に確認を進めています。
これを受け、シャーレ襲撃・強奪事件の容疑者への対応について、明日10月12日に緊急対策会議が開かれる予定です。
容疑者の所在に心当たりがある方は、自ら接触を試みず、ヴァルキューレへ通報してください