あかね1/2 作:直人猫
小さい頃ショートカットだった子が、髪を伸ばすのとか良いよね…! なぁ、東風先生!!(圧
女の子が泣いている。
夏の盛り、東京都は練馬区の一等地。
多くのビルやマンション、高級住宅が建ち並ぶ中で広大な敷地の道場があった。
無差別格闘天道流、天道道場。
創始者の天道早雲が、新たに切り盛りするこの道場の敷地内の片隅で押し殺した泣き声が聞こえていた。
ただ、その子供らしくない押し殺した泣き声をあげているのは、女の子と言っていいのか定かではなかった。
外見は幼い少女だ。
髪を短く切り揃え、母にあてがわれたワンピースに身を包んだその姿は年相応に愛くるしい少女そのものだ。
名を天道あかね。
道場の主人である天道早雲が愛する三姉妹の末妹である。
彼女をただの少女から外す特異性は、その外見ではなく、内面にあった。
「お父さん、無差別格闘流なんてものは存在しないんだよ?」
「あるもぉん!! ほら、看板! 看板に書いてあるよあかねぇ!!」
「というか、格闘家って試合にも出ないなら無職みたいなものだよね」
「あ、あかねぇぇぇぇ!!!!????」
常人では考えられない知識量、そして異様な情緒の発達。上記の会話は、彼女が1歳の折に実の父に浴びせた痛烈なものだった。
一つ年上の姉のなびきが、いまだに言葉をしっかりと話せないことと比較すると彼女の異常さは際立ったものだった。
天才児と言っても足りない、まさに鬼才、化け物の類だった。
その知識は、父母が教えたものではないことも彼女の異常性に拍車をかけた。
知識は、彼女の内側からこんこんと湧き出したものだったのだ。
その知識と情緒は彼女を異常たらしめ、そして同時に彼女自身に暗い影を落とし続けた。
ーーなぜ、自分は他の人と違うのだろう?
ーーなぜ、自分はおかしいのだろう?
ーー気持ち悪い
そんな自分探しめいた事を考えるには、10年以上は幼いうちから彼女はその思考に至り、そして大人よりもより深刻に悩んだ。
知識と情緒は彼女を子供ではいられなくしたが、経験の少なさと過ごした時間の短さは、彼女を大人にならせず足踏みさせた。
もし、彼女が本当に一般家庭に生まれていたのなら、彼女はそのまま心を閉ざし、精神異常者として終わってしまっていただろう。
だが、彼女の家庭は『一般』とは言いづらかった。
泣いているあかねに、影がさす。
それは、覗き込んだ優しげな風貌の女性であった。
「あかね、どうしたの? そんなところで…」
ぐずり、とあかねは鼻を啜りながら、顔を上げた。
「おかあさん…」
声をかけたのは、彼女の母だった。
母は、あかねを優しく抱き上げ、そっと目を合わせた。通常、あかねは抱き上げられる事を好まない。
彼女の自意識の中で、誰かに世話を焼かれるのは恥ずかしい事だと彼女は認識しているためだ。
だが、例外はこの母だけであった。
あかねは、なんとか泣き止もうと浅く呼吸する。
そんなあかねを、母は優しく背を叩き彼女の体を小刻みに動かし、その優しい声音で囁く。
「ゆっくりで良いわ、お母さんに貴方の考えてる事を教えて?」
その言葉と共に、あかねは涙を堪えきれず口から嗚咽が溢れる。
その嗚咽は、母があかねの背を撫でるリズムに合わせ、ゆっくりと落ち着いていく。
そして、いつしか泣き止んだあかねは、罰が悪そうに口を開くのだ。
「あのね、僕ってなんでおかしいの?」
それは、いつもいつもあかねが毎回母に告げる言葉。
「僕、一人で生きてたの。一生懸命頑張って頑張って、一人で、寂しくて…。あれは誰?
僕じゃないのに、僕で…今の時代にはスマホもなくて、それで、えっと…。
なんで、僕はこんな事を知ってるの…?
なんで、僕は女の子なの? 子供なの?
僕は、僕は、おかしい子だよね?」
少し興奮し、錯乱したように言葉を続けるあかね。
それに対し、母が返す言葉はいつも決まっていた。
「いやねぇ、あかねは何にもおかしくないわ」
そして、母は語るのだ。
「いい、あかね? 本当におかしい人はね、弟子を奴隷の如く扱って鞭打ってろくに修行もつけずに己は女性の下着を集めたりセクハラする老人とか、妻から無理やり息子を取り上げて男らしく育てられなかったら切腹するとか宣った挙句10年以上行方不明になる中年の無職男性とか、ろくな生活能力のない友人の息子と自分の娘を結婚する約束を勝手にするような男のことを言うのよ?」
あまりに早口かつ、ほぼ息継ぎのない思いの丈が些かこもりすぎた言葉であった。
気のせいか、その言葉には実感がこもり過ぎている。
母の言葉に、あかねは頬を膨らませるのも常だ。
「だから、そんな変な人なんて居るわけないよ。そもそも、そう言う人は捕まったり離婚調停で親権取り上げられたり、娘たちから軽蔑されるはずだよ?
流石に、現実に存在してちゃいけないよ」
「ですって、あなた」
「ふぐぅ、わはははは!!」
果たしてくぐもった悲鳴を上げた後に.誤魔化すように呵呵大笑したのは、母から文字通りのキラーパスを受けてしまったあかねの父親である天道 早雲であった。
いつの間にか早雲は、あかねたちの背後に立っており親子を温かく見守っていたのだ。
もっとも、今は末の娘の鋭すぎる言葉に涙を流して大地に転がっているが。
無差別格闘天道流の創始者である彼であっても、言葉と無邪気な正論という見えない攻撃は防ぎようがないのだ…。
防げなかった彼ができることといえば、涙をこぼしながら末の娘を諭すことだけであった。
「ともあれ、あかね。お母さんの言ってることはぜーんぶ正しい。
そう言う人じゃないから、あかねは全然変じゃないよ、ごめんなさい」
「お父さんは、なんで泣きながら謝ってるの?」
「さあ、悪いことをした自覚が出てきたんじゃないかしら?」
問いかけるあかねに、母は優しく答えた。
旦那である早雲の謝罪を、受け入れずに言外にちくちくと刺していることから、根が深そうな問題である。
泣き止んだあかねは、すんと鼻を鳴らして母の胸から逃れた。
感情の起伏が起きない限り、彼女はすべからく聡明で非常に理性的であった。だから、母の胸の中にずっといると言うのは、些か以上に恥ずかしいものであったのだ。彼女は、完全に子供ではないのだ。
母はその姿を見てまだ抱きしめていたかったのか、些か寂しそうであったが、理性を動員し彼女の手を取り母屋へと歩みを進めるだけにとどめた。
その後を追いかける早雲の姿は、些か情けないものであった。
あかねの悩みは、まだ解決するものではない。
そもそも、彼女の物語はまだ始まってすらいなかった。
天道あかねの物語は、彼女が最も心を許し、また彼女の心に限りなく寄り添ってくれた母と死別し、そして男だか女だかよく分からない生き物と出会った時に始まるのだ。
母と手を繋ぎ、慌てる父の様子にクスクスと笑う幼い彼女はまだ知らない。
母との離別も、自身の孤独も、その勘違いも、そして恋という感情も。
これは、半分だけ本来の性別ではない彼と、誰かと『混じってしまった』彼女の物語。
あかね1/2、始まります。