あかね1/2 作:直人猫
「学校?」
天道家に来てから数日、乱馬の日常はこれまでの旅のそれと大きく変わらなかった。
基礎鍛錬と組み手。
ひたすらに、これらを行なっていく。
主な相手は、もちろん玄馬であり、授業の内容も多くは玄馬が指導をしている。
東京でできることは、呪泉郷のような荒行でこそないが、実践的な組み手を中心とした鍛錬は、少しずつでも乱馬に力をつけさせていた。
いつか、中国に再び赴いた際に真っ直ぐ呪泉郷へ辿り着ける力を身につけることが目的だ。
乱馬は、些か中国で縁故を作り過ぎており、命も狙われている。
それが原因で一時帰国しているため、力をつけることは急務であった。
天道家は、温かく早乙女親子を迎えてくれた。
あかねとの決闘の日取りは有耶無耶のままであるが、早雲は元よりかすみもなびきも乱馬に協力的だ。
いや、なびきの場合は強力というか、金を搾り取りにきているのだが。
問題のあかねとは、少しだけ微妙なものだった。
乱馬の言葉に乗せられて、許嫁を了承したあかねだったが冷静になるとそれが恥ずかしくなってしまったらしい。
初日にロードワークに行く時の薄着を乱馬に見られ、悲鳴をあげて長袖長ズボンに着替えた事件は記憶に新しく、あかねの足は眼福だった。
また、毎食乱馬の隣に座ることになるのだが、手が少し触れ合うだけで顔を赤くして縮こまるのだ。
乱馬打倒のためか、鍛錬も勿論しているのだが、その愛らしい様子に乱馬はすっかり鼻の下を伸ばし、なびきに金を吸い上げられていた。
ともあれ、乱馬の日常はこれまで通り鍛錬一色…とも言い切れないが比重が大きいものだった…のだが。
ある日の朝、玄馬から学校に行くように命じられたのだった。
胡乱な声を上げる乱馬に、玄馬はため息をつく。
「しばらくここで世話になるのだ、ワシも今日からアルバイトをする。
お前も、武術以外のことを知るいい機会だろう」
「つってもなぁ…中学は普通に通ってたし…」
「あら、あたしやあかねと一緒の学校が嫌なの乱馬くん?」
天道家で早乙女親子に割り当てられた部屋の前の廊下を通りがかったなびきが、意地悪げに質問をする。
その姿は、昨日までの私服とは違い、セーラー服の制服に身を包んでいた。
「嫌って訳じゃねーよ。どっかの誰かに学校でも絞られんのはごめんだけどな」
乱馬は、ここ数日で互いにすっかり遠慮がなくなったなびきへ悪態を返す。
「あら、学校ならあたしのマーケットは、さらに広くて他の顧客もいるから構わないけど?」
「こ、この女、口が減らねぇ」
乱馬がゲンナリしていると、なびきの背後からあかねが追いついてくる。
「待って、おねーちゃん。僕も一緒に行くから…」
そのあかねの姿を見て、乱馬の心臓が跳ねる。
あかねも、制服であるセーラー服に身に包んでいたが、髪型が違った。
これまで、私服では長い髪を背中に流していたが、制服では背中でリボンで結われているのだ。
そのため、彼女の首筋がよりはっきりと見えてしまい、乱馬の視線は集中した。
「あ、乱馬くん…」
制服姿が見られるのが恥ずかしいのか、学生鞄をそっとうっすい胸に抱き頬を赤らめている。
その様に乱馬が見惚れていると、なびきは先に歩き出してしまう。
「あたしは先に出るわね。あかね、あんたは許嫁なんだから、乱馬くんを学校まで案内してあげなさい」
「えっ」
「それと、その妙な遠慮し合いもついでに無くしておきなさいね」
「お、おねーちゃん! 待って…」
あかねの懇願も虚しく、なびきは早々に玄関へ向かってしまった。
乱馬は、まだ私服から着替えてもおらず、なんなら朝の鍛錬を終えてシャワーを浴びたばかりだ。
かなり薄着である。
あかねは、その様子を見て苦笑した。
「ら、乱馬くん…制服は?」
「まだねーよ」
「そっか…なら、私服でいいのかな? 準備ができたら一緒に行こう?」
「おう」
乱馬は、あかねの言葉に頷くと外行きの服を手に取る。
あかねは、その場で乱馬を見つめたまま動かない。
下から脱ごうと思った乱馬は、動かないあかねに困惑した。
「いや、着替えてーんだけど…」
「? うん、どうぞ?」
「いや、見られてるのはちょっと…」
「? 同じ男なんだし、気にしなくてもいいいのに」
あかねは、乱馬の様子にクスクスと笑い、彼の意向を汲んだのか後ろを向いてくれる。
その様子にまたドキリとした乱馬であったが、遅刻するわけにもいかず慌てて着替え始めた。
玄馬は、その息子の様子に一言。
「あまり浮かれるなよ? 異性として意識されとらんぞ」
「やかましい、さっさとバイトに行っちまえ!」
乱馬の追い出しを受け、道着姿のまま玄馬は自室を出て行った。
一方の乱馬も、ようやく着替えることができ、外行きの服に身を包み、髪の毛の封印を確認。
全て問題なしと確認をして、あかねの待つ廊下に出た。
ふと、背を向けていたあかねであったが、ぼうっと手の中の何かを見つめている。
ただ、あかねの表情は、少し嬉しそうなものだったので乱馬も興味本位で声をかけた。
「おい、準備できたぜ…何を見てたんだ?」
「あ、うん。えっと…これは昔からもらったもので…」
彼女は、そういうと乱馬に手の中の物を見せる。
それは、掌に収まるほどのサイズの角笛であり、あかねの首元にネックレスとして掛けられていた。
「角笛なんだ。昔、助けてもらった時に、その人に貰ったの」
「へぇ? 大事なものなんだな」
「うん…いつか、返しに行かなきゃいけないから。
どこの場所か、小さかった頃だから忘れちゃったけど」
あかねは、幼い頃から物心がハッキリしており、多くのことを覚えていた。
しかし、母の死の前後は記憶が曖昧で、角笛をもらった時期はちょうど母が亡くなる少し前だった。
微かに、自分よりもうんと大きな生き物に襲われ、だれかが守ってくれたことは覚えていた。
そして、いつかその誰かに恩返しをすることも。
何となしに、乱馬は直感する。
相手は、男だ、と。
乱馬は高慢で、ナルシストな性格をしている一方で嫉妬深い面も持ち合わせている。
なんとなく、面白くないと感じつつも、あかねをそこに1人で行かせてはいけないと感じた。
「なら、今度一緒に探してみようぜ。
なんなら、俺もついていくからさ」
「え? いいの? ありがとう」
あかねは、屈託のない笑顔を浮かべる。
その無邪気な笑顔に、気を許してくれ始めていると少しだけ優越感を感じつつ、乱馬は自室をあかねと連れ立って離れた。
廊下を歩き、玄関を出た二人は会話少なく歩き始める。
本当は、武道の話をすれば話題も尽きないのだが、あかねは先日から少し乱馬に萎縮している。
会話は多くなく、あかねは歩道を、乱馬はフェンスを歩いていく。
「(どーしたもんかな)」
乱馬は、あかねとの距離を測りかねていた。
彼とて男子高校生。美少女の許嫁には大喜びであるのだが、先日彼が彼女に提案したことは結局は先延ばしに過ぎないのだ。
乱馬があかねより強くなり続ければ、関係は維持できるが…。
「(たぶん、納得しねーよなぁ)」
あかねは、そういう人間だった。
なにより、数日過ごしただけで分かるほど天道道場への思い入れが強い。
そして、乱馬にそれらを渡したくないと強く思っているのだ。
そう思い、歩いていくとあかねが不意に口を開く。
「あ、乱馬くん」
「うん? どうした?」
あかねの方を見ながら、フェンスを歩き続ける乱馬に彼女は少し困ったように口を開く。
「えっと、そこ壊れてるらしいよ?」
直後、乱馬の視界が反転し、彼はそのままフェンスの傍の川に転がり落ちていった。
ひらり、と『フェンス修理中! 乗るな!』と書かれた張り紙が宙を舞う。
そして、案の定川に落ちた乱馬は、全身ずぶ濡れとなり男から女に代わっていた。
あかねは苦笑する。
「ごめんね、言うの遅かったね」
「…俺も、よそ見してたから」
「よそ見というか、フェンスの上を歩いてたからじゃないかな!? 体幹の鍛錬にはなりそうだけど!」
乱馬は、一っ飛びであかねが歩く歩道に戻りながら、途方に暮れる。
登校中だというのに、水を被り女になってしまった。
高校は、男性として手続きしてあることから、なんとかしてお湯を手に入れて男に戻る必要がある。
「やべー…どうすっかな。今から戻って間に合うか?」
「うーん、難しかも。遅刻しちゃう。あっ、近くにいい場所があるよ! ついてきて!」
「え? あ、お、おい!」
あかねは、そう言うと濡れ鼠の乱馬の手を取って走り出す。
その速度は凄まじく、車が出す速度に近いものだったが、乱馬もなんなく同等の速度で走った。
武道家にとって、屋根の上に飛び上がることや、この程度のことはできて当然なのだ。
そんな達人でも、女の子の手を握ることは、凄まじい身体能力を発揮することよりも難しい。
鍛えられた者の手はしており、普通の少女よりも遥かに硬く平べったくなっているそのあかねの手は、女になった乱馬のものよりも硬い。
だが、どこか柔らかさが残っており、乱馬の心臓をざわつかせる。
当のあかねは、そんなことを微塵も意識していないようで、乱馬を振り替えながら「任せて!」と、少しだけ自信がある様子だ。
どうやら、無意識に乱馬の手を取っているらしい。
かすみの言っていた通り、異性として全く意識されていないようだ。
そうは思いつつも、乱馬は取られた手から伝わるあかねの手の温度が少しもどかしく、心地良かった。
走ることしばし。
あかねは、『小乃接骨院』と看板を掲げた場所に乱馬を導いた。
「ここは…?」
「僕もお世話になってる小乃接骨院さん!
東風先生っていう若先生が名医なんだ!」
小乃接骨院は、こじんまりとした診療所であったが、名医であるというあかねの言葉は正しいらしく、開店前の朝早い時間帯であるにも関わらず年配の患者が並んでいた。
彼らは、あかねを見つけると嬉しそうに声をかける。
「おや、あかねちゃん。朝早くに珍しいね」
「学校は遅刻しないかい?」
「飴ちゃん食べな」
「うん、実は遅刻しちゃいそうだから、またね!
すみませーん、お湯借りられませんかー?」
あかねは、老人たちに笑顔を返し、そのまま接骨院の中には入っていく。
離された手が、少し勿体なく思った乱馬であったが、ふと気がつく周囲の老人から視線の集中砲火を浴びていた。
皆、乱馬のことを真顔でじっと見つめている。
「えーっと…」
「あかねちゃんの友だちかい?」
一瞬、身構えた乱馬だったが、老人たちはすぐに相好を崩して優しく問いかけてくる。
どうやら、あかねの知り合いということで警戒心が解かれたようだ。
「えっと、そうです」
「いい子だろう? あの子と仲良くしてあげてねぇ」
「こら、そう言うのは年寄りの冷や水って言うんだよ!」
「いーじゃないの。あかねちゃんは、警戒心薄いだろう? 女の子の友だちも多いけど、それよりも良からぬ男たちが周りを彷徨いてて心配なんじゃ」
「あかねちゃんは、強いから心配ないと思うけどねぇ」
「それでも、襲われたら怖いに決まっとる!」
「それもそうじゃ」
年寄りの言葉にタジタジになる乱馬。
何より、彼は今は女ではあるが、婚約者としてあかねの周りを彷徨く男の一人だった。
だが、老人たちはそんなことを知らずに、女の状態の乱馬の手を優しく取る。
その手は、しわくちゃであったが誰かを思いやる暖かさがあった。
「あの子は、いい子なんじゃ。なるべく、男は近寄らせずに女の子で守ってあげてねぇ」
「そうそう、うちの孫の嫁に欲しいぐらい…いや、あのバカはダメね。勿体無いわ」
「そりゃそうよ、若先生ぐらいの人でないと!」
「僕がどうかしましたか?」
その気配に、老人たちと会話していた乱馬は気が付かなかった。
慌てて背後を向くと、骨格標本を持った眼鏡をかけた穏やかそうな男性が立っていた。
乱馬は、思わず老人の手を振り払い、その場を飛び退く。
「乱馬くん、お湯…あれ、東風先生。おはようございます!」
「おはよう、あかね君。君もおどろかなくて平気ですよ、骨格標本のベティちゃんです」
ヤカンを持って現れたあかねは、その眼鏡の男性、東風に穏やかに挨拶をする。
東風は、あかねへ挨拶を返した後に、骨格標本を乱馬に示した。
かしゃり、と動くそれとは別に乱馬は、目の前の男の実力に背筋が凍るようだった。
一見すると筋肉もついていないようなその体は、完璧なまでに絞り込まれており、乱馬の目から見てその骨格から武道に適したものになっていると良くわかる。
「(こいつ、強え)」
「あかね君、この前の打撲は良くなった?」
「はい、お陰様ですっかり回復しました!」
「良かった、またおいで。そっちの子は…」
あかねといつものやり取りをしながら、
ちらり、と乱馬を見る東風。少し、驚いた様子を見せた。
「ふむ? 君、いや、何でもない。あかね君とそっちの君も遅刻しないようにね」
「? はい、わかりました。それでは、また」
あかねは、東風の含みある言い方に少し怪訝そうにしながらも、そのまま東風に一礼してその横を通る。
乱馬もそれに続いたところ、通りすがりにぼそりと東風が口を開いた。
「同じ男として、あかね君と仲良くしてあげてね」
「!?」
乱馬は、咄嗟に後ろを振り返るが、東風は乱馬を振り返ることなく患者たちとの会話をしていた。
乱馬は、視線を鋭くしながら東風の後ろ姿を睨みつけた。
「? どうしたの、乱馬くん」
「あいつ…俺が男だって気がつきやがった」
乱馬は、あかねの後に続きながら警戒した様子でつぶやいた。
あかねは、彼にお湯を渡しながら、納得したように頷く。
「それはそうだよ、乱馬くん女性の時も男性の歩き方だし、重心とかも男性っぽいもん。
なにより、胸が大きいのに重心の位置が、骨盤付近じゃなくて胸付近だから違和感あるよ」
「マジか…。あいつも、そういうのが分かるぐらい強いのか?」
「うん、それはもう。あと、名医だからね」
あかねの指摘に、乱馬は少しだけ気を落とした。
武道家のとして、重心の位置や体の動かし方は死活問題だ。
女の体となり、意識したことはなかったが男女で違いがあるのならか体の切り替えと同様に変えねばならない。
このままでは、遠からず乱馬の体に歪みが出てしまう。
取り敢えず、もらったお湯で男に戻りながら、乱馬は自分の課題の多さに辟易した。
男に戻る方法は必須であるし、暗殺者の対応のために授業もいる。加えて、女の相にも慣れなければいけない。
ふと、そんな折にあかねを見て、老人たちや東風があかねと仲良くしてあげてほしいと言っていたことを思い出す。
あかねは、多くの人に好かれているようだ。
乱馬個人としても、好ましく仲良くしたい。
だが、中学は男子校に通いこれまで女性と関わることが少なかった乱馬には、そのやり方はわからなかった。
自分の顔がとてつもなく整っており、世界で一番の美形であると自負している乱馬でも、男性としての記憶があるあかねと距離を縮めるやり方など思いつかない。
「なあ、あかね」
「うん、どうしたの?」
「…えーっと、学校行こうぜ」
「今、向かってるよね!?」
ただ、こうして当たり前のように隣にいるだけしか出来ない自分が、もどかしかった。
原作では後半存在がほぼ消滅した東風先生。おそらく、存在が便利すぎたんでしょうね。本作ではちょくちょく出していきたいです。
そして、この物語の最終目標は、話が飛び飛びになっても真之介くんとの物語を書き切ることです。
気長にお待ちください。