逃げ上手の翼 作:ジョーカー党
という思いつきのクロスです
死んだと思った。
いや、すでに死んだはずだった。
喉の奥に残った血の味と、周囲を埋め尽くす兵達の声。逃げ道は、もうなかった。
どれほど細い隙間でも、どれほど険しい山道でも、見つければ必ず抜けてきた。
追手の目を欺き、包囲のわずかな綻びを潜り抜け、死が背中へ触れる寸前で何度も逃れてきた。
けれど、あの時だけは違った。
それでも時行の目は、最後まで出口を探していた。
死が振り下ろされる、その瞬間まで。
鎌倉幕府の跡取りにて、誰よりも逃げ上手で、逃げることが好きだった少年──北条時行は、日の本の歴史に飲まれてその生涯を終えた。
気がついた時、時行の意識は朦朧としていた。波の音と潮風が顔を撫でていることに気がついて、少し肌寒かった。
しかし身体に伝わる揺れが心地よく、このまま眠ってしまいたくなる。
身体に力が入らない。けれど時行の耳に、誰かの声が聞こえていた。
「……おい、おい──大丈夫か?」
──誰?
意識が朦朧とする中、時行は自分を現実に引き戻そうとするその声に聞き覚えがなかった。
世話になった頼重の声でも、頼りになる郎党達の声でもない。
年季を積んだ男の声。しかも言葉が違う。
けれど時行にはその言葉の意味が伝わっていた。
「起きろ! 大丈夫か!?」
「っ!!」
体を急に揺さぶられた時行は、意識を取り戻した。
目が覚めて、最初に感じたのは喉の奥に詰まっていた海水の味だった。
「げほっ、げほっ……」
「しっかりしろ。さっきまで海に浸かってたんだ。死ぬんじゃないぞ」
視界が戻ってきた。
最初に飛び込んできたのは、自分の肩を叩く髭面の男。鼻が高く、見慣れない人種だった。
時行は反射的に自分の周囲を見渡した。
一面、海だった。雲間に日差しの差し込む空、陸地は遥か遠くに見え、煙が立ち上っている。
「……え?」
見慣れない光景だった。
風も冷たく、遠くの山々も時行の見慣れない形をしてる。鎌倉の海でもなさそうだ。
そんな海に、時行は黄色い色をした不思議な素材の船(救命ボート)の上に浮かび、自分はその上で寝ていたようだった。
「……?」
時行は訳がわからず、目を瞬きさせる。
自分は確か日の本の山々で敵兵に囲われて……それから……
「どうなって……?」
状況が掴めず、混乱してきた。
この髭面の男が自分を助けてくれたのだろうか。もしかしたら、諏訪頼重の知り合いなのかもしれない。だとすると味方か?
「なあ、見ろよ」
「自分には前世の記憶がある」なんて言ったら、私はこの世界で変人扱いされてしまうだろう。
けど、記憶があるのは本当なのだ。
朧げながらも鎌倉と諏訪、そして日の本で暮らした記憶が、私にはある。
前世の名は……北条時行。
鎌倉幕府の跡取りにして、逃げることが誰よりも得意で大好きだった少年。
しかしついに逃げ切ることは叶わず、私は死んだ。
死んだはずなのだ。
しかし目が覚めた時、私はこの世界で第二の人生を歩むことになっていた。
「おい、見ろよ」
同舟に居合わせた男は、時行の混乱をよそに、大陸の方を指さした。
「これ以上の眺めはねぇよ。……あれは、この地域のFCU──中央ユージア連合、最後の土地だ」
「えふ、しー、ゆー?」
時行は聞き慣れない言葉を聞いて、そのまま言葉を返すしかなかった。
"えふしーゆー"とはなんだ?地域か?郎党の名前か?それとも──
その時、時行の頭に激痛が走った。
「ぐっ……」
「大丈夫か?」
今までの記憶が蘇る。
この世界で生まれてから、死の淵に追い込まれるまでの記憶。まるで大量の情報に押しつぶされるような、脳裏に焼き付くこの肉体の記憶。
「……そうだ」
「?」
髭面の男が首を傾げるのをよそに、時行は痛みに耐え、そして思い出した。
ここはユージア大陸の北部。FCUとは、中央ユージア連合という連邦国家の略。そして自分はFCUの空軍パイロットで、戦況悪化による機体の不良で墜落した。
二十年生きてきたこの見知らぬ人間に時行が宿ったのか、それとも元々宿っていたのが今更になって蘇ったのか、真相は分からない。
しかしとにかく、北条時行という少年はこのユージア大陸に生まれた一人の青年に転生を果たしたのだ。
「……大丈夫です。記憶が混乱して、今思い出しました」
「そうか。無理はするなよ。あんた、俺より若いんだからな」
髭面の男はそう言って時行を気遣ってくれた。
若い、と言われると複雑だ。この肉体と魂の年齢を合わせれば、彼と年齢は大差ないだろう。
時行はそれよりも、後ろ手で結われた髪が気になった。どうやら今世でも長い髪をしているらしい。塩水でどんな酷いことになっているやら。
「まったくひどいもんだ。こんな若いパイロットまで死にかけるなんて……俺もこの戦争が始まってから三ヶ月、撤退に次ぐ撤退で五回もヘリに飛び乗った」
そう言って髭面の男は語り出す。
その表情は疲れ切っていて、頭を抱えていた。
「そして五回目のヘリはあのザマ。このしけた海が最後の場所だとはな」
「…………」
時行も境遇は同じだった。
記憶にある限り、FCUは危機的状況にある。
東にある軍事国家ソトアの電撃的侵攻を受け、撤退に次ぐ撤退。ようやく戦闘機で出撃できると思って空に出たら、結果墜落した。
被弾してないのにエンジンが突然火を吹いて、推力を失ったのだ。おそらく機体の摩耗だったのだろう。
整備士のせいというよりも、最前線ゆえの部品不足。
どうやら時行の第二の人生の母国、FCU中央ユージア連合の戦況は乏しくないらしい。
かつての日の本で例えるなら、博多沖で蒙古を止められなかった場合の文永の役のような戦況なのかもしれない。
時行きは遠くに見える大陸の都市を見た。
煙と炎がここからでも確認できる。その光景は、かつて私が前世で崩壊を目撃した鎌倉の幕府の様を思い起こさせる。
結局、自分は今世でも逃げること叶わず、この冷たい海の上で死ぬことになるのだろうか。
その時、遠くから風を切り裂くような音が聞こえてきた。
「おいおい、まさかこの音は……」
髭面の男も気づいたようで、空を見上げる。
上空をフライパスしたのは、救難用のヘリコプターだった。赤と白の塗装。民間機に見える。
「なああんた、これは信じていいのか!?」
「何がです!?」
「あれに乗るべきなのか、乗らざるべきなのか!」
そんなの決まってる。
生き延びるのだ。たとえ泥を啜ってでも、何かに縋り付いても、生き延びることが私の生きる道なのだ。
「他に道はありません。乗りましょう!」
「だな!」