逃げ上手の翼 作:ジョーカー党
アデア海峡 2029年10月31日14:26
ヘリコプターに揺られて数分ほど。
たどり着いたのは地上の基地ではなく、海の上を進む空母であった。
時行はヘリから身を乗り出し、その空母の姿を目に収める。
前世の鎌倉の時代では見られなかった、とてつもなく大きな船だった。
「空母……ですよね?」
「みたいだな。見るからにオンボロだが」
側の髭面の男、ジェンキンス少佐がそんなことを言う。
あんな船でも時行が見たことのある軍船なんかよりもはるかに大きく、まるで島のように見えるが、どうやら序の口のサイズらしい。
その時、ヘリがアプローチに入る前のパイロットが口を挟んできた。
「今はあんな婆さんでも、FCUにとっては貴重な戦力さ。ご挨拶することだな」
「……そうですね」
アプローチに入ると、甲板の様子がよく見えた。
四機の戦闘機が甲板の艦首の方に並べられていた。見たところ機体の方は整備が行き届いているのか、錆などは見当たらなかった。
空を飛び、敵を落とすために作られた鋼鉄の翼……それが戦闘機。この身体の記憶の中ではそう認識している。
機体の尾翼にはカードのマークが見えた。
この空母を守る飛行隊のマークなのだろう。こうして目立つ印を提げているのを見ると、家紋を掲げて戦う武士達と似ているかもしれない。
あんな巨大で重たい機体が空を飛ぶなど、時行には信じられなかった。
けれどこうしてヘリコプターも空を飛んでいるし、この身体の持ち主もそんな機体を操縦するために訓練を積んで来たのだ。
飛んでいるところを見れば、実感も湧くだろうか。しかし空では何処まで逃げ場があるのか、時行には分からなかった。
着艦すると、ヘリコプターが少し揺れて甲板に接地した。
救難員がひと足先に降りて、出迎えの海軍の乗組員達に掛け合った。
「遭難者二名を救助しました。整備兵とパイロットです」
「……二人? 搭乗員は一人なのね」
「ええ」
時行とジェンキンスも、出迎えの乗組員達に挨拶するため、ヘリコプターを降りた。
降りてすぐ、私は浅黒い肌の女士官に敬礼する。ジェンキンスもそれに続いた。
「……まずは、本艦への合流ようこそ」
「きゅ、救助に感謝します。副長殿」
「ありがとう。楽にして」
時行は先んじて姿勢を正して、彼女に感謝を述べた。
前世で染み付いた礼儀作法は、ここでも遺憾なく発揮されてしまう。
「あー、もしかしてXO(副長)?」
「……ジェンキンス少佐ね、整備士官だったと聞いてるわ」
「あー、でも空軍のなんだ」
ジェンキンスはそう言うが、副長らしき女はこう返した。
「この付近には、腕を振るえる航空基地はもうないわ。FCUの機体が発着できるのは、ここだけ」
「……仕事は海軍機の整備か。ハンガーはどっちだ?」
「案内してやって」
副長の女がそう言うと、傍の整備責任者らしき男が彼を連れて行った。
「見たところ若いわね。年齢は」
「……これでも成人です、副長殿」
「そう、まあいいわ。本艦は人手が足らないの。今すぐうちの飛行隊に加わってほしい」
副長がそう言うと、側の聴診器を持った医師らしき女が副長の前に立った。
「副長、待ってください。彼は墜落して気を失ってたんです。脳に問題があるかもしれないですし、精密検査をパスするまで、操縦を許可できません」
「ならはナビゲーターを。コープ中佐に機体を回したいけど複座機だったの。後席なら最悪気を失っても大丈夫でしょう」
「それなら確かに許可できますが……」
医師の女が申し訳なさそうにこちらを見る中、副長の女はこう言った。
「今から三時間後に出撃よ、準備してちょうだい」
「い、今からですか?」
「人手が、足りないのよ」
時行は困った顔をした。
まだいろんなことが起こりすぎて混乱している。正直に言うとこの世界の情勢や歴史などを思い出すのに時間をかけたいのだが、そうもいかないらしい。
少しばかり逃げたいという不安が蘇った。
空母エンデュランス 艦載機エレベーター
時行はフライトジャケットに着替え、ハンガーから上がってくるエレベーターの上に立っていた。
「逃げたい……」
目の前でエレベーターに乗せられた戦闘機──F-18F スーパーホーネットを見て、時行は思わずそう呟いた。
不安が優っていた。知識として戦闘機が飛ぶというのをわかっていても、自分は鎌倉の世を生きた武士の子だ。空を飛んだこともなく、地に足を着けて生きてきた。摩訶不思議な技術で作られたカラクリの翼に乗るのは、不安が勝る。
それに、逃げようと言ったってここは船の上。陸地は遥か向こう側、逃げるにしたって限度がある。
それに前世と違って、今の自分は命令を受ける立場だった。人手が足りないと言っているので、拒否するわけにもいかない。
まあ、今回はどうやら操縦するのではなく後部座席で座ってサポートするだけらしいので、時行の負担は少ない。
「おっ、来た来た」
「?」
時行が不安そうに目の前の機体を眺めていると、エレベーターの上の方から声がした。
見上げてみると、そこには背広の黒い服を着て不思議な板──確かスマホと言われる動画だったか──を構えている男がいた。
あからさまに怪しい行動に、時行は警戒して戦闘機の後ろにサッと隠れた。
「ちょ、おい! 隠れないでくれよ!」
「なに撮ってるんですか!」
「広報用だよ。絵になる構図で納めているんだからじっとしててくれ」
「広報?」
時行がそう言うと、背広の男──後でD.Dと呼ばれていることを知った──は得意げにこう言った。
「そう。広報のため。この空気中には、無数の電波が飛び交っている。助けを呼ぶ声、最後の別れのために振り絞る声、そして仲間との合流を求める声。それを再組織するのが私の仕事さ」
背広の男はそう言いながら、戦闘機を牽引するトーイングトラクターの上に腰掛け、自分の隣の場所を手で叩いた。
「お隣どうぞ」
「ど、どうも……」
時行もそのトラクターに乗り合わせる。
なんだか、胡散臭い空気を感じる男だった。かつての頼重を思い出すが、曲がりなりにも神官だった彼と違って、この男は商売人か詐欺師に近い雰囲気がした。
「さて、合流を求める声はこの近くにもあって、こちらに近づいてきている。だが味方信号を発していない。あいにくドローンは品切れでね、人間が行って確認しなくちゃいけないわけだ」
「偵察任務ですか」
「ブリーフィングはしなかったのかい?」
「飛行隊の人たちとの挨拶すらありませんでした」
「なるほど。こりゃ人手不足ってわけだ」
あからさまに不安な時行を見て、背広の男は肩を叩いてきた。
「大丈夫。君の前に座って操縦するのは、『シーヴの翼』……ジャン・"レックス"・コープだ」
「シーヴの翼?」
「おいおい、誰だって知ってる伝説の撃墜王だぞ? この戦争で最初にダブルエースになった戦闘機パイロットさ。首都脱出の時間を稼いだ救世主!」
エースパイロット、と聞いても時行はピンと来なかった。今世では記憶の中でしか戦闘機に乗ったことがない時行にとって、空での強者がどのような人なのか想像はできない。
しかし、どうやらそんなに尾鰭がついて言われるくらいすごい人らしい、と言うのは理解できた。
いつの世もそう言う英雄と言われる人がいるのだろう。前世で足利尊氏がそうであったように。
「ほら、行ってこい」
「おっと……」
トラクターが停止したと思ったら背中を押され、時行きはよろけれながら前に出た。
顔を見上げると、そこには真っ黒なメガネ(サングラス)を掛けた、年季の入った男がいた。
男はこちらに気づいて、右手を心臓の方にそっと当てた。それから差し伸べられた手を、時行は握り返す。
「えっと……トキユキと申します。階級は少佐です」
「コープだ。今日からよろしく頼む」
「えっと……」
「これか?」
時行がなんと声をかけたらいいかわからず、少し困っていると、コープは先ほどの仕草を指してこう言った。
「ただの癖だ。気にしないでくれ」
コープはそう言うが、時行は記憶の中でそれが引っかかって、疑問は解消されなかった。
「よし。行こう」
「はい」
コープはそう言うと、ヘルメットを被って、機体から降りてきているハシゴに手を伸ばした。
時行もそれに続いてコックピットへ乗り込む。
『後席、聞こえるか?』
「あ、はい。聞こえます」
『よし。いいぞ』
耳元からコープの声がした。
通信、というものなのだろう。記憶の中にはあるが実際に受け答えをすると、まるで箱の中にコープがいるかのようで不思議だった。
『エアボス。こちらジョーカー1。音声に問題はないか?』
『明瞭だ』
『了解。後方システム、およびレーダー良好。燃料フル。総重量23300。パイロット、コープ』
『ジョーカー1、発艦を許可する』
発艦許可が降りた。
コープの操縦する機体がゆっくりとカタパルトへ進む。
巨大な島のような空母から、戦闘機が発艦する。前世の世界ではまず見られない光景を、自分ごとととして体験しようとしていた。
『後席、バイザー降ろし忘れてるぞ』
「あ、ごめんなさい」
『しっかりしろ。落ち着いてな』
コープにそう言われ、時行は記憶を頼りにバイザーを降ろした。
武士の兜や甲冑とは違う、軽くて頭にフィットする見慣れない素材。そして日差しだけを遮り情報を表示してくれるバイザー。
どれも記憶の中だけで、初めてみるものだった。
しかし使い方はこの身体の持ち主が覚えていてくれた。
『どんな情報を入れられた? あのD.Dに』
「え?」
『あの背広のメガネの男だよ。残念だが、ダブルエースどころかエースでもなくてね。年季を積んだパイロットってだけなのさ』
「どういうことですか?」
『作り出されたんだ。架空の撃墜数をな』
時行はその言葉の意味を知って、困惑した。
ダブルどころかエースでもない、とはどういう事だろう。撃破した敵の数をあの背広の男に盛られている、という事なのだろうか。
武士の世界では戦果の証明は分かりやすかった。相手の首を持ってくればいいのだから。
しかしよく考えたら、空の上では相手の首を持ってくる事など難しい。撃墜数を偽る、作りだす、ということもあり得ない話ではないのかもしれない。
『撃墜王〈翼〉……そんなのは情報が駆け巡る狭間で作り出された幻に過ぎない』
「…………」
『デマ、ガセ、噂話。この全貌の見えない戦争の大半はそういうもんで出来ている』
「撃墜王の話も?」
『そうだ。あのネクタイの男D.Dこそ、そんな情報の元締めの一人なのさ』
「どうも我々とは違う民族だな」というコープの言葉に、時行は複雑な感情を抱く。
この人に任せていいのか、という感情。そしてどうしてそんな事をしているのか、という感情が入り混じってくる。
コープ自身がそう言うなら、彼の後席に座る時行の不安も増してしまう。年季は積んでいる、との事だが彼の腕前に疑問符がつくのは仕方のない事だった。
その時、隣で待機していたもう一機の戦闘機が勢いよく射出された。
まるで弓から矢が飛んでいくかのように、艦から空中へ戦闘機が弾き出された。あれがカタパルトか、と時行は感心する。
『撃墜数はゼロだが、発着艦は任せてくれ』
「はい!」
『行くぞ』
コープの合図と共に、機体が勢いよく射出された。
「うわっ!?」
初めて体験するカタパルトでの射出。
物凄い衝撃が時行の身体にのしかかる。
まるで座席に押し付けられるかのような感覚。驚く時行をよそに、機体はそのまま空へ飛び上がっていく。
『大丈夫か?』
「す、すみません……」
『病み上がりというのは本当なようだな。無理するなよ』
コープの気遣いを受け、時行は目を開けた。
そこには水平線まで広がる真っ青な海と、無限に広がる空が広がっていた。
「あぁ……」
この日、時行は初めて空を飛んだ。
初めて飛ぶ空は、諏訪の山から見上げた空とはまた違った。雄大で、手を伸ばせば掴めそうなほど近い。
そして、自分はその空を機体を翼にして飛んでいる。そこから見る空は、空はどこまでも無限に広がっているような気がした。
「これが……」
時行は初めて、空を美しいと思った。
この光景を、郎党の仲間達にも見せてやりたい。心の底からそう思った。
『俺たちはちっぽけだ。広大に広がる海は、孤独とはなんなのか教えてくれる』
「…………」
『そういうの、あんた分かるか?』
コープの機体は右へ旋回し、空母の外周を回るようにコースを取る。
時行は話題を振られ、静かに答えた。
「……分かる気がします。ちょうど今、それを感じました」
『なら、お仲間だな』
海と空で、話題は違うけれど、感じたものはおそらく一緒だった。
この空は広い。海も同じく。しかしその上で飛ぶということは、広大なこの世界を一人で飛ぶ孤独と隣り合わせのかもしれない。
時行は頼重や郎党たちなど、大切な人たちと離れてこの世界にいる。
その孤独と境遇が、重なった気がした。
『右側を見てみろ』
「はい」
『挨拶するといい。今日からあれがお前のおふくろさんだ』
「…………」
時行は右側に見える空母エンデュランスを見た。
空から見ると、少し小さく見える。艦に乗っているときはあんなに大きく感じたのに、空から見るとちっぽけな浅瀬に見えてしまう。
そんな船が、これから時行が世話になる新しい家だった。