【合体ロボ】死んだはずの幼なじみが、隣の世界から俺の名前を呼んだ 作:シラヌイ321
それでも、二人は立ち上がった。
最後の一人まで、次の一秒へ。
二十分五十八秒を切った二つの時計が、同じ速さで減っていた。
街の生命維持が尽きるまで。今の二つの世界が、終界に上書きされるまで。
黒金の槍が落ちる。
レンはアズールの右腕を突き出した。青い円環が刃を留める。掌が裂け、装甲の破片が胸へ跳ねた。
『レン、右腕ももちません!』
「あと少し。アカリ、棺へ!」
青い棺へ黒金の膜が流れ込んでいた。未来のレンの指を、亀裂の入った承認環ごと固めようとしている。
フレアが槍の下へ潜る。時間を止められた右腕を引きずり、動く左拳だけを引いた。
『承認記録を強制保護』
「その人の手でしょ。勝手に止めないで!」
赤い拳が棺の外へ迫る膜を打つ。黒金の光が散った。
隣の棺では、未来のアカリが空になった手を差し出している。二人の指は、まだ届かない。
『レン。止めようって決めたのは、私もだよ』
未来のレンは青い環を握ったまま、首を振った。
『また間違えたら。あの八百三十万人みたいに……』
『うん。私も怖い。でも今は、あの二人に任せたい。レンと一緒に、ここを出たい』
槍がさらに沈んだ。レンの右肩が座席へ押しつけられる。指を開こうとしても、操縦桿から離せない。
画面の向こうで、年を重ねた自分がこちらを見た。
「俺も、アカリを失いたくない」
レンは歯を食いしばって顔を上げた。
「だから、ここを支える。あいつが先へ行けるように」
フレアの左手が、二度目の膜を押し返した。
『ほら、こっちは私が支えてる。レン一人じゃないよ!』
未来のレンの視線が、傷ついた二機を行き来する。
差し出された未来のアカリの手を見た。
『俺も、その手を握りたい。ここから、自分で動いて』
青い環を握り直した。握り込んでいた指を、一本ずつほどく。
『……一秒だけ、預ける』
「受け取った」
未来のレンが、自分の手で承認環を外した。
離れた輪が砕け、最後の青い索が切れる。未来のアカリの手へ、ようやく彼の指が伸びた。
止めた本人が、次の一秒を選んだ。
青い索に引き戻されていた黄金歯車が、逆へ回った。
白いノア心炉へ、光が流れ込む。前の一撃で一度だけ戻した力が、今度は吸い上げられない。
黄金と白。二つの心臓が、帰還へ向かって鼓動をそろえた。
双心共鳴。帰還側への出力を確認。
それでも槍は止まらない。
『過去承認を喪失。自律終端命令を継続』
アカリが左拳で槍の横を打った。刃が逸れ、アズールの掌から抜ける。
二機は左右へ転がった。頭上で黄金歯車が開き、街の人々へ黒金の光が集まり始める。
造った二人が手を離しても、機械には古い命令が残っていた。
心炉の前で、ニルはミラとつないだ手に力を込めた。
「ミラ。街の人へ、時間を返せますか」
「一秒なら。その間は、命を支える働きも本人の身体へ返せます。でも、一秒では逃がせません」
「逃げる先は、私たちが作ります。次へ進むかどうかは、その人に聞きたいです」
ミラは、止まった母子の映像を見た。
「……返しましょう。あの手が届くところを、私も見たいです」
ニルは止まった人々へ、問いを届けた。次の一秒へ進みますか。もう一度、自分で選びますか。
白い光が街を走った。
母親の手が子供の背へ届く。支えられた子は振り返り、自分の足で一歩を踏み出した。
店先の男が落ちた果実を抱き留める。誰かが隣の手を握る。動けずに座ったまま、目だけを上げる人もいた。
ニルは、その一つも消さなかった。
「歩けなかった人も、残してください。怖くて動けないことは、ここに残りたいという返事ではありません」
「はい。全員の、新しい一秒です」
白い信号が心炉へ返るたび、クアドラの槍先が揺れた。歩く人と座る人、右を向く人と左を見る人。次を一つに絞る画面が、違う答えで埋まっていく。
『未登録選択、上限超過。単一未来を算出不能』
心炉脇のノア・スキフでは、カインが新しく届く経路を開いていた。
艇の画面には、未来のカインが送る紫の経路が続いている。その声は、送信が進むほど途切れた。
「おい。返事まで薄くするな」
『古いヴァイスに残した俺は、道を渡すためにいる。心炉が起きた。もう、長くは話せない』
カインの指が止まる。
『俺はニルを一人で残した。先に救助へ行くのが正しいと思った』
「……今度は置いていかない。お前の道も使う」
最後の経路が、白い心炉の向こうへつながった。
『街を、止まった時刻の一秒先へ運べ。現在へ重ねるな。これが、終界自身の帰り先だ』
カインは入口と出口を順に確かめた。蒼界でも紅界でもない、一秒先の街が表示されている。
「受け取った。……残って、見ていろ」
『今度は、全員で帰れ』
紫の声が途切れた。ニルの画面でも、彼の選択反応が消えた。
カインはもう一度だけ回線を呼び、それから前を向いた。
アズールとフレアの間に、白い道が開いた。
ミラが、二つの心炉から延びる線を確かめる。
「黄金座標の接続先が変わりました。現在を奪う入口ではありません。街と皆さんを帰す航路につながっています」
「二つの心臓で街を運べます。あとは、道を塞ぐ命令を止めれば」
ニルが白い航路を指した。
『敵に隠す必要がない。紫の膜も、九十秒の期限も要らないってこと?』
「はい。ただし、人々の生命維持の時計は止まりません」
アカリは、動かない右腕を一度見た。
『レン。終わるまで、付き合ってくれる?』
「終わったあとも。……まず、全員を帰そう」
『うん。帰ったら、その続きね』
レンが青い操縦環へ手を置く。アカリも赤い環を握った。
「俺は合体する。アズールは?」
『承認します。私の判断も、そのまま持っていきます』
『フレア、お願い!』
『承認します。アカリ、最後まで一緒ですよ!』
二つの半円形コアが近づく。その縁に、七年前の記念品と同じ書体が灯った。
青い半分。赤い半分。そして、重なる中央。
「蒼き理を!」
『紅き意志を!』
二機の光が重なった。失った青の左腕は共有する設計記録から形を取り戻し、赤の右腕を覆う黒金の殻が剥がれる。
二本の腕、二本の脚。胸では黄金と白の歯車が回る。
並んだ操縦席の間から、薄い光の壁が消えた。
レンの左手とアカリの右手が、中央の黄金操縦環で触れる。さっき終界の地面で確かめた温かさだった。
無限位相。合体を継続。生命維持の時計は減少中。
槍が胸へ突き出された。
レンが青い掌で先端を留める。アカリが赤い脚へ加速を入れ、巨体を槍の横へ滑らせた。長い柄が、すぐ肩の脇を走る。
クアドラが振り向く。レンは先に加速を選び、アカリが固定点をずらした。
インフィナイトは背後へ回る。
「今の、私より踏み込んだでしょ」
「足りなかったか」
「逆! ……でも、届く!」
赤い拳が敵の肩を押した。黒金の巨体が傾く。
倒れながら振られた槍を、青い手が柄で、赤い手が刃の根元で受けた。
操縦席に、三つの光景が開く。
アカリのいない蒼界。レンのいない紅界。誰も動かない終界。
『一つを選択してください』
アカリの手に力がこもった。レンは、その手が触れている場所を見てから、正面へ向き直る。
「記録として残す。今いる世界を、そこへ押し込めるな」
「私、ここにいるからね」
「分かってる」
青い円環が三つの可能性を記録へ留めた。白い帰還線が、その向こうへ延びる。
アカリは赤い腕を引き、レンが衝撃を槍の中心へ絞った。
赤い拳が、青く留めた槍の中心を撃ち抜いた。
黒金の槍が折れた。
だが、敵は両手に残った刃を返した。一方がアズール側の肩を裂き、もう一方がフレア側の脚へ突き刺さる。
床が突き上がる。アカリの手が環から滑りかけ、レンは肘で中央を支えた。
『アズール側の肩、出力五十二パーセント。フレア側の脚、四十七パーセント。合体は継続できます』
「なら、脚を抜く。アカリ、肩を頼む」
「こっちは押さえた。抜いて!」
青い円環が敵の刃を留め、赤い脚が後ろへ抜けた。破れた装甲が地面へ落ちる。
合体の時間が尽きなくても、機体は壊れる。
クアドラは間を与えず、二本の刃を重ねた。
『終端領域』
右へ逃げようとした先が黒く塞がる。左も、上も。レンが選んだ防御の形まで、敵の刃が先回りしていた。
胸を貫かれる予測だけが、正面に残る。
「ニル。さっき、人々が動いた時、槍が迷った」
『はい。今も、違う選択が届いています』
「それを、操縦系へ。俺たちの入力と一つにしなくていい」
『一つの答えには、まとめられません』
「まとめなくていい。消さずに通してくれ」
アカリは迫る刃から目を逸らさなかった。
「その間、私たちは?」
「手を離す。〇・三秒だけ」
アカリの指が、レンの手を一度強く押した。
「〇・三秒ね。遅れないでよ」
「一緒に行く」
二人が操縦環から手を離した。
ニルとミラが、蒼界、紅界、終界から届く選択信号を開く。右へ行きたい人。誰かを待つ人。まだ決められない人。
アズールとフレアが、二人からの直接入力に代えて、届いた選択信号を操縦系へ通す。違う入力を、一つも消さずに。
どれが次に動くかを絞れず、敵の二本の刃が左右へ揺れた。
選択信号を受けたインフィナイトが、開いた刃の間へ踏み込んだ。
〇・三秒。
二人が再び操縦環を握る。
切っ先が背を削る。それでも胸は抜かせない。
青と赤の掌が、敵の二つの心臓へ届いた。
「カイン、帰り道を!」
『受け取っている。つなげ』
紫の経路が、両掌の間へ走った。
青が残す記録と、赤が進める時間。ニルとミラの白い信号が重なる。
レンは掌を押し込み、二つの心臓へ帰還航路を直接つないだ。選び直す前の承認を、永遠に守れ。その命令だけを、百二十七年分の記録から切り離す。
「インフィニット・ギア――」
黄金と白の光が胸を貫いた。
爆発はしなかった。二本の刃が崩れ、黒金の装甲が白い航路板へ組み替わっていく。
棺が開く。解放された未来の二人が、互いの肩を支えて立った。
『固定未来を終了。帰還航行へ移行』
巨体が膝をつく。その背から、街を運ぶ道が伸びた。
白い通路から戻ったニルを、カインが艇の出口で迎えた。細い腕を掴み、座席へ乗せた。
「ここにいろ」
「はい。私も、一緒に帰ります」
ミラは心炉側に残り、移動先の確認を引き受けた。
二つの心炉が、街を運ぶ方へ力をそろえる。四十七分だった退避の予測が縮んだ。
「余りは六秒。経路を外すな」
カインはノア・スキフの操縦桿を握り直した。
『継続座標、受け入れを始めます』
現在のノア・ギアから、カナメの声が通る。
『両世界の位置は保持する。ユナ、終界の出口を合わせろ』
『確認しました。現在への上書きは起きていません』
『電力は送る! 最後の街まで持っていけ!』
ゲンゴの声を背に、艇が紫の亀裂へ入った。
インフィナイトの青い手が街区を留め、赤い手が一秒先へ送る。人も道路も建物も、ばらばらにせず同じ場所へ。
向こうで時計が動く。鳥が羽ばたく。離れかけた手を、家族が握り直す。
ミラの案内で、未来の二人も白い航路板を下りた。移送される街区へ入り、ミラとともに一秒先へ渡っていく。
ノア・スキフの右翼が剥がれた。
カインは船腹を塔へ擦りつけ、滑る艇の向きを戻す。ニルは拘束帯を握り、残る経路を示した。
「次は左です。カイン、腕は」
「動く。帰ってから診せる」
「約束ですよ」
「ああ」
残り一分五十四秒。旧中枢が崩れ、最後の街区群が傾いた。
インフィナイトが両脚を地面へ据える。傷ついたフレア側の脚から火花が上がる。
「十二街区、まとめて送る!」
「位置が離れてる。円環を広げるまで待ってくれ」
レンが両肩を突っ張る。青い輪が崩れる道路の下へ届いた。
「今だ!」
アカリが赤い腕を押し出した。十二の街区が、輪の中から白い出口へ沈む。
残り十四秒。
『未退避の生命反応が、一人残っています!』
ニルが記録を開いた。登録された場所には誰もいない。
ミラから、一秒を返した時の映像が届く。母に支えられた子供が、自分で一歩を踏み出す。
母親が運ばれた街区の先、交差点へ子供の足が出ていた。古い救出経路にはない一歩だった。母親は街区と一緒に運ばれ、子供だけが残っている。
「あの子だ。交差点!」
アカリが指した先で、小さな人影が取り残されていた。
インフィナイトが飛ぶ。頭上から落ちた装甲がアズール側の肩を打ち、レンの視界が跳ねた。
『アズール側の肩、出力三十一パーセント!』
残り六秒。青い円環が、崩れる足元を留める。
出口が細くなる。
「掌を出す。レン、固定を借りる!」
「足元は俺が支える。掌の分を頼む!」
アカリが青い固定を受け取り、赤い掌の内側へ小さな円環を作った。巨人の指では掴まない。子供を包む空気を、受け皿にする。
残り一秒。
赤い手が差し込まれた。子供が空気ごと持ち上がる。赤い加速が、その身体を白い出口へ送った。
向こうで、母親が両腕を伸ばした。
〇・〇七秒。
その胸へ、小さな身体が届く。
零秒。終界の生命維持が止まった。
完全接続は起きなかった。
蒼界も紅界も消えていない。終界の人々は、そのどちらも奪わず、自分たちの街の一秒先にいた。
『全員、いるよ』
未来のアカリが通信画面へ身を寄せた。母親に抱かれた子が、その背後で空を指している。
現在のアカリは口を開き、声が出るまで待った。
「……よかった」
黄金操縦環から手がずれた。レンが下から支える。
「帰るところまでだぞ」
「うん。そっちこそ、離さないで」
未来のレンが、動き始めた街を見ている。
『お前たちが違う道へ行けば、この未来は……』
「ここへ逃がした人は残る。もう、俺たちがたどる結末に閉じ込めていない」
未来のレンは、隣のアカリの肩を握り直した。
『明日のことを、みんなに聞かないとな』
『うん。私たちだけで決めるのは、もう終わり』
移送された広場で、ミラが二人のそばへ歩み寄った。
「私は、ここに残ります。命令ではありません。この人たちの明日を見たいです」
『では、また通信します。ミラからも、送ってください』
「……はい。私からも」
ミラが現在の位置を確かめ、白い帰還路をノア・ギアへ固定した。通せるのは人型機一機と、小型艇一隻。
ノア・スキフが先に入り、インフィナイトが続いた。未来の二人が上げた手が、白い光の向こうへ遠ざかる。
現在の格納庫へ出た瞬間、艇の残った左翼が外れた。
「艇を受けろ! 機体の足元には入るな!」
ゲンゴの声とともに緩衝膜が広がり、艇を包む。
インフィナイトも着地した。両側へ座標記録を残し、帰還路が閉じる。
レンとアカリは、中央の環から手を離した。
「フェイズ・ドッキング、解除」
「ありがとう。アズール、フレア」
青銀と赤金の二機が並ぶ。アズールの左腕は応急の形だけを残して停止し、フレアの右腕も固定が解けただけで動かなかった。肩と脚の傷も消えていない。
『帰還を確認しました、レン』
『アカリも。……今度は、整備の番ですね』
胸部ハッチが開く。動く側の掌に運ばれた二人は、同じ甲板へ降りた。
艇からカインとニルが来る。カナメは四人を順に見た。
「全員、帰還したな」
「ミラは、向こうに残りました。自分で選んで」
「なら、彼女の帰る場所はあそこだ。よく帰った」
ゲンゴが、床の上の翼を拾い上げた。
「こいつを直したら、工具の使い方から教える。全員だ」
「俺もか」
「お前の艇だろうが」
カインは外れた翼を受け取った。ニルが反対側へ手を添える。
少し離れて、アウレルが拘束環の下を押さえていた。白い帰還灯を見上げたまま、動かない。
「あんたの零座標の計算も、帰り道になった」
レンの言葉に、彼が顔を上げた。
「……私がしたことまで、救われるわけではない」
「うん。消さないよ」
アカリが答える。アウレルは拘束環から手を離した。
「消さずに、生きて責任を負う」
「私も、その続きを見ています」
ニルの返事に、彼は一度だけ頷いた。
身体の確認が済むと、アカリは食堂の前で足を止めた。
レンの服の袖を掴み、後ろの二人へ振り返る。
「ねえ。今、食べよう。四人で」
カインが立ち止まった。ニルは食堂の入口とアカリの顔を見比べる。
「私も、ですか」
「そのために、待ってたんだよ」
レンは空いている卓へ行き、椅子を一つ引いた。アカリが隣の椅子を引く。カインは向かいに座り、特大の甘味を注文した。
「そんなに食べるの?」
「食べたいから頼んだ」
「……うん。それはそうだね」
四人分の皿が置かれた。
青い栄養食に、赤い香辛料。ニルの前にも小さな皿がある。
ニルはフォークを握り、皿へ近づけた。食べ物を口へ運ぶのは、これが初めてだった。
持ち上げかけて、柄が皿の縁へ当たる。
「ゆっくりでいい」
カインは自分の甘味を食べる手を止めた。
ニルが一口、口へ運ぶ。三人は、返事を急かさず待った。
「……まだ、よく分かりません」
「二口目は?」
アカリに言われ、ニルはもう一度すくった。
「今度は、甘いです」
「うん」
「最初も、同じ味だったと思います。でも今度は、分かりました」
ニルがフォークを置いた。三人の顔を、順に見た。
「この食事に、記録名をつけてもいいですか」
「何て?」
「七年と、少し遅れた、三人の約束」
アカリの手が止まった。
白い観測室。見学が終わったら、三人でご飯を食べよう。あの日の声が、目の前の少女の声と重なる。
レンは持ち上げかけた皿を、静かに置いた。
「……ここで、言うのか」
「ここで言いたかったんです。二人が、同じ卓にいるから」
アカリは返事をしようとして、口元を手で覆った。空いた方の手を卓の上へ伸ばす。
ニルがその手を取った。今度は、迷わなかった。
「遅くなって、ごめん」
「来てくれました」
レンも、卓の上へ手を置いた。
「ああ。……やっと、三人とも」
カインがフォークを置く音がした。
「四人だ」
レンが顔を上げる。カインは自分の皿を見ていた。
ニルが、空いた手を彼の方へ向ける。
「約束は三人でした。今日は、四人です」
「なら、書き足せ」
「はい。新しい記録にします」
アカリが目元を拭い、冷めかけた皿を引き寄せた。
「食べよ。せっかく、みんなで来たんだから」
今度は、四人の手が動いた。
三十日後。蒼界と紅界の間に、共界門が完成した。
人が二人並べるほどの細い通路だ。人型機は通れない。二つの世界は、それぞれの空のまま残った。
初荷は一枚の絵。蒼界第七避難区の子供たちから、紅界第三居住区の子供たちへ。
青、赤、紫、その間で回る金色の歯車が、門の向こうへ運ばれた。
その日の人の通行が始まると、レンは紅界の旧研究区画を訪ねた。
倒れた支柱に刻まれた自分の名。その下の七本の線を、指でたどる。
「八本目は、いらないな」
「当たり前でしょ」
蒼界の慰霊碑を見て戻ったアカリが、隣へ立つ。
「私の名前も、あった。十歳のままだった」
「消してもらうか」
「ううん。花を置いてくれた人がいるから。隣に、書き足してもらう」
アカリは赤い半歯車を握った。
「生きてます、って」
その日、ノア・ギアへ未来から通信が届いた。
ミラの背後で、人々が瓦礫を運んでいる。意見がぶつかり、手が止まり、誰かが呼ぶとまた動く。
未来の二人も画面へ入った。
『世界の新しい名前、まだ決まらないんだよ』
『候補が四千を超えた』
「そんなに。二人は、どれにしたいの?」
『別々なんだ。それも』
未来のレンが答え、隣のアカリが肩を小さくぶつけた。
ミラは二人を見てから、現在の四人へ向く。
「終界とは、もう呼びません。名前が決まるまで、この世界を未来と呼びます」
通信の終わりに、未来のレンが言った。
『預けた一秒、返す』
「次の誰かへ預けてくれ」
彼は少し考え、頷いた。
その夜。青と赤の間に、透明な光が現れた。
ニルの青い右目と赤い左目へ、白銀の人型機の設計像が映る。二本の腕と二本の脚。胸に、色のない歯車。
造られた機体なのか、造られなかった可能性なのか。残った名称だけでは、まだ分からない。
起点管理核ゼロ。プロトタイプ・インフィナイト。
発信時刻は、七年前。世界が分裂する、一秒前だった。
雑音の向こうで、聞き覚えのない女の声が呼ぶ。
『こちらは、まだ一つだ』
『蒼羽レン、緋月アカリ。次は、始まりを助けてくれ』
光が途切れた。
ニルは伸ばしかけた手を引かず、その場所を見つめていた。
四人で囲んだ卓も、今日届いた絵も、ここに残っている。
その先から、まだ会っていない誰かが呼んでいる。
「……新しい、選択」
ニルは声を忘れないように、もう一度、二人の名前を口の中で繰り返した。
第1期を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
七年と少し遅れた約束は、四人で囲む食卓になりました。
青い空も赤い空も残ったまま、次は小さな門が二つの世界をつなぎます。
次回、幕間「共界門の初荷」。
三十日後のその日、最初に運ばれた一枚の絵を追います。