アンカレラの都近辺の森――雲に擬態した飛行船が、ゆったりと飛び立つ。
徐々に高度をあげる船の中、二人の乗員――トキハとムァンは無言で窓からの景色を見ていた。
二人の頭に過るのは、博士からの言葉、そして――
――ポイントアースで観測された魔力反応――
それが何を示すのかは分からない。けれど、何かがある、と二人は直感していた。
何かが分かるかもしれないと言う期待。それと同時に、『何か』が分かってしまうという不安。
ただ、希望と不安を抱えたままの二人を乗せて、船はアマツシマへと向かった。
◆◆◆
島は、いつもと変わらずに二人を迎えてくれた。
穏やかな波に、にぎやかな街並み。ただ青い空と海は、二人の不安ごと包み込むように広がっていた。
日々は穏やかなもので、何も変わらずに過ぎていく。
ムァンの一日は変わらない。
朝、ナナミと一緒にトレーニングをする。十分に鍛えた後は神社へとおもむき、仕事をする。
時折訪れる人々の声を聞き、鳥居の外に広がる街を歩く。
夕方、ナナミと一緒にトキハを迎えて、今日、起きたこと、体験したこと、思ったことを語らって眠る。
トキハもまた、普段と変わらない。
基地へと赴いて仕事をすることもあれば、気ままに島をドライブしたり、悠々自適に過ごす。
ただ、決まって食事だけはムァンと一緒にとる。
それが自然で、ずっと何年も前から続いているようにも見えた。
アンゲルスの襲来もない。穏やかな風の吹き抜ける日々――
――けれど、その中で、ムァンは居心地の悪さも覚えていた。
(……何かをしないといけない……)
漠然とした不安がある。
特異体の出現、ヴェスキュリアスの目覚め。そして、自分の中にあるエテニアの記憶。
何かが起こっていることは確かで、その渦中に自分も居る。それが分かっている。探る手掛かりもある。けれど、ただ日常へと埋没していく。
◆◆◆
――昼下がりのナナミ神社。
掃除を終えたムァンは、境内に置かれたベンチの上で休憩をしていた。
箒を脇におき、脚を延ばしてぼーっと空を見る。
空は青く、雲が流れているだけで異常はない。
鳥居の先から聞こえてくる子供の声。山林から響く鳥のさえずりは、平和そのものであった。
(……平穏)
本当に、何もない、穏やかな時間が過ぎていく。
誰もが穏やかである――
――けれど、それは少し違った。
(こうしていいのか……)
ムァンの胸には疑問があった。だが、それを口にすることはなかった。
そう、悩むムァンに、足音が近づいてくる。
「よっす」
気さくに声をかけてくれる人が居た。
何度も聞いた声に、すぐにムァンは正体に気がつく。
「ナナミ……」
買い物袋を提げたナナミが立っていた。
彼女は無言でムァンの隣に座ると、ムァンの顔を覗き込む。
「何か考え事してる顔っすね」
「……わかりました」
「そりゃそうっすよ。食事の時もずーっと、何か引っかかった顔をしていたっすから」
心穏やかでないことは、彼女の周囲の人間には看過されていた。
「……そうですね」
「トキハ様には相談をしたんですか?」
「ええ、もちろんです」
相談したからこそ、お互いに秘密を抱えている。
どうすればいいか、お互いに答を出せずにいる。
ナナミはただ、静かにトキハの言葉を待っていた。
「ナナミは……」
自然と、言葉を口にしていた。
「自分が分からなくなる時がありますか?」
――自分自身が、どういう存在であるか。
ムァンは、この世界で生まれた少女。両親に愛されて育ち、運命に翻弄されてアマツシマにやってきた。
――では、何故、ムァンがエテニアとしての記憶を持っているのか。
――何故、小さな少女がヴェスキュリアスを動かし、戦うことが出来るのか。
現象は現象として観測される。
けれど、そこに理由はある。
その理由は、何なのか。何を背負っているのか、ムァンには分からなかった。
「自分がなにか、っすか」
ナナミは、大きく手を伸ばして空を見る。
「いっぱいあるっすよ。自分が何者か、自分に何が出来るか、たぶん、みんな分かってない」
そう言うと、カラカラと笑った。
「若いから、とか言う人は言うっすけど。たぶん、人間なんて一生『本物の自分』なんてものは分からないんじゃないっすか」
そして、自分の胸を叩く。
「分からないなりに、自分になろうとするだけだと思うっす」
――分からない。分からないけれど。なりたいものはある。
「……うん、そうですね」
ムァンは頷く。
そして、空を見上げた。
青い空は遠くまで続いている。小さな少女を包み込むように、広がっていた。
「そのためには、知らないといけない」
◆◆◆
その日の夜、ムァンはトキハに一つの『お願い』をする。
「ヴェスキュリアスを使わせて欲しい」
トキハは表情を変えない。待っていたかというように、言葉を告げる。
「まったく……これだけは答えて」
真剣な顔で、ムァンに問いかける。
「命を捨てにいくのじゃないのね」
ムァンは視線を外さない。銀色の瞳でトキハを見据えると、はっきりと言った。
「ええ、せっかく答えを得ても、死んでしまっては意味がないですから」
それを聞くと、トキハは満足げに笑う。
「ヴェスキュリアスは気にしないで。どうせアンタにしか扱えないんだから。それなら、格納庫で埃をかぶってるよりは、どこかに飛んでいった方がマシよ」
そして、拳を握って言葉をおくる。
「行ってきなさい、ムァン」
選び、歩くことを選んだ少女の背中を押した。