旅立ちの朝は、普段と変わらなかった。
朝、普段と同じ時間に起きて、ナナミの用意した朝食を食べる。
トキハもナナミも、普段と変わらない様子で談笑をして、朝の支度をする。
――さすがに今日のトレーニングはキャンセルっすね――
その言葉を聞いたムァンは、ようやく自分が普段とは違うことをすると認識出来た程だった。
いつもの白い白衣を翻らせ、赤いオープンカーにトキハはまたがる。
今日はムァンも一緒なことだけが違った。
「いってらっしゃ~い」
「うん、夕飯よろしくね~」
ナナミの言葉に、いつものようにトキハは答える。
助手席に座ったムァンは、手を振り返して。
「はい、行ってきます」
ずっと、遠くなるまでナナミを見ていた。
◆◆◆
朝風の吹き抜ける島を、オープンカーに乗ったトキハが駆け抜けていく。
海鳥の声を聞きながら道路を行き、島の裏側へ。基地に辿り着くと、格納庫へ。
重い扉が自動的に開き、格納庫が開放される。
その最奥、ヴェスキュリアスは聳え立っていた。
「それじゃあ、あとは分かってるわね」
「……」
そこで、ムァンはじっとトキハの顔を見る。
「何かあるの?」
「何というか、あっさりしてますね」
すると、呆れたように頭をかくと、トキハは少女に言う。
「あのねえ……戻って来るって約束したのなら、それで十分よ」
最後は、口の端を持ち上げて、笑顔をつくっていた。
「……そうですね」
だから、ムァンも同じように作り笑顔を浮かべる。
それが強がりでも、普段通りに振る舞うのだ。
「では、行ってきます」
この先、普段通りに旅立って、普段通りに帰って来る、そのために。
◆◆◆
ムァンがセスキュリアスのコクピットに乗り込むと、低い軌道音が聞こえてくる。
待ちかねていたかのように、ヴェスキュリアスに光が宿る。
少女がシートに座り、コンソールを操作する。ステータスは全てグリーンで、今すぐにでも飛び立てる状態であった。
「お待たせしました、ヴェスキュリアス」
旅立ちの相棒を前に、少女は操縦桿をゆっくりと撫でる。
「今日は私の我儘を聞いてもらいますよ」
ヴェスキュリアスのAIは何も答えない。ただ、機械は駆動し続け、今か今かと飛翔を待っていた。
コンソールに情報が送られてくる。デッキが開放され、スタッフの退避も完了した。
ムァンは操縦桿を握る。機体とのリンクは即座に連結され、小さな少女の肉体と、鋼の巨人が繋がった。
一歩、踏み出す。巨人が歩き、開放されたデッキへと進む。
空が見える。どこまでも青い空に、障害はない。
「ヴェスキュリアス、出ますっ!」
背面ユニットの最下部――三層目が銀色の光を帯びると、浮遊感がコクピットに伝わってくる。
重力の楔を断ち切るように、ヴェスキュリアスが飛翔をした。
見る見るうちに海が遠くなり、島が小さくなっていく。
コンソールが切り替わる。周辺の海域と、針路。そして『目的地、アースポイント』と記されたナビゲート。
(ナビが入っている……用意してくれてたのですね)
急に入れたものではない。トキハが用意してくれたナビに従って、ムァンは飛翔する。
目的地は、アースポイント――グソウ博士が異常を感じ取った地点へと向かった。
◆◆◆
人目を避け、海の上をヴェスキュリアスは飛翔する。
目的地となるアースポイントは、アマツシマより遥かに南であった。
(確か、南の方面にはまだ人類の文化は及んでいない筈)
この大地の人類の文化件は、ムァンが住んでいた東の大陸に集中していた。
南の地方は未開の地であり、人を軽々と踏み潰せる巨獣や伝染病の蔓延る地――と、伝え聞いてはいた。
事実、南へと向かう海上には船は一つもない。
海へと繰り出せるだけの文明は、少なくとも存在していなかった。
やがて、南の先に陸地が見えてくる。
海岸を少し進むと、そこは密度の高い森林が広がっていた。
森の隙間を縫うように流れる川と、緑の大地の隙間にぽつぽつと見える山以外は何もない土地――その遥か先に、クレーターのように円形に広がる山が見える。
「……アースポイント」
ヴェスキュリアスは徐々に高度を下げる。
モニターには、地上の様子が鮮明に映し出されていく。
(人が建てたような施設はない。道も無ければ痕跡もない。まさしく、未踏の地……)
ヒトの気配、と呼べるようなものはなかった。
グソウ博士が調査に来た、というのも俄かには信じがたい。それほどまでに隔絶されていた土地であった。
木々の隙間から、猿人のような巨獣がヴェスキュリアスを眺めていた。敵意はなく、ただ、突然の来訪者に興味があるだけ。
5メートルを超す巨鳥が姿を見せる。分厚い緑のじゅうたんの下には、それらに匹敵する生物がうごめいている――そう、ムァンは推測した。
(刺激をしないように……)
間違って接触しないように、慎重にヴェスキュリアスは飛ぶ。
密林を跳び越え、山を越え――そして、円形の山の中心にある、湖が見えた。
「ここが、ポイントアース」
ムァンは操縦桿を離すと、ゆっくりとヴェスキュリアスを着地させる。
異変を感じとり、鳥たちが一斉に鳴き、飛び立つ。
色とりどりの羽が舞うなか、白金の巨人は大地へと降りた。
「……困った」
そこで、ムァンは呟いた。
(……確証はないけれど、『何か』があると分かる)
――胸が、頭がざわついて来る。
――何かが、ここにある。
――ムァンは、本能的に感じ取っていた。
その予感は、すぐに現実になる。
『……来ました、ね』
言葉という形をもって、ムァンへと接触をした。
「……誰!?」
ムァンの言葉に、声は答える。
成熟した女性の、落ち着いた声が聞こえてくる。
『初めまして、この大地に生まれ落ちた子にして、我が姉妹の最期を見届けた命よ』
まるで、子を迎える親のように、親愛の言葉を続ける。
『我が姉妹――そなたが地球と呼んだ大地の、最期の願いを叶えるため、しばし我の言葉に耳を傾けてはくれませんか?』