地母神と名乗った存在の姿は見えない。声と、『存在している』という漠然な気配だけしかムァンには感じ取れない。
しかし、仮に人間であるのならば、他人への誠意を忘れない存在であるとムァンは感じ取った。
『よく応えてくれました。心からの感謝を……いえ、ありがとうございます』
その一言を言う時、優し気な女性が頭を下げる姿を想像していた。
「いえ、気にしないでください。行くべきだと、思っただけです」
それはムァンの本心である。
だが、彼女がここに来た目的は、それだけではない。
「それと、気に病むのでしたら一つご質問をいいですか」
『はい、かまいません』
「アンゲルスの活動が活発になっているようです。何か心当たりはないでしょうか」
アンゲルス特異体の出現とヴェスキュリアスの起動、それに連動した異常な魔力反応の観測。その手掛かりが僅かでもないかと微かな希望をもってこの地を訪れた。
正直に言えば、ここで対話が可能な存在と接触出来たことは僥倖であると言えた。
『すみません、世界の外側のことになると、我にも見渡せないので……ただ……』
「ただ?」
『あなた達が特異体と呼ぶ存在は、地球からやってきました。それだけは確かです。黒い穴が空を侵食する、それは、世界が食われているのです』
ムァンは眉を顰める。
質問に対して反応はあった。だが、実質的に謎はまったく解決していない。それどころか、『地球』の存在が関わっている可能性まで出てきた。
(博士、あなたの忠告はやはり正しかった)
感情的には受け容れ難いものの、ムァンは表情に出さずに胸のうちにしまい込む。
尚更、地球へと行く理由が増えた。
「わかりました。ありがとうございます」
一先ず話を区切ると、お礼を告げる。
『それと、旅立つ前に、これを』
地母神の声が響くと、コクピットに虹色の光が浮かび上がる。
ムァンの頭上に七色の光が集まると、光の雫のような宝石になったゆっくりと降りてくる。
「この、虹色の欠片は」
ムァンは宝石を手に取る。
僅かに熱が残っている宝石は、内側から七色に輝いていた。
『我の力の結晶です。帰るべき時が来たのなら、そこに願ってください』
「承知しました」
ムァンはコクピットシート横にあるダッシュボードに欠片をしまい込んだ。
『では、よろしく頼みます』
そう告げた時、周囲から音が消えた。
アースポイントの中央、クレーターの湖から水柱が立ち上る。
「っ!?」
ムァンは回避しようと操縦桿を握るが、なぜかヴェスキュリアスは動かない。
そのまま、ヴェスキュリアスに水が降りそそぐ――その中に、虹が浮かぶ。
「視界が……」
モニターの情報が消えていく。
アースポイントの景色が消えると、虹だけが浮かぶ。
その光もやがて消える――
そして、見えてきたのは星の海。
周囲が宇宙の青に染まると同時に、シートから浮かび上がる浮遊感がムァンを襲った。
◆◆◆
モニターの情報が更新されていく。同時に、コンソールにアラートが表示された。
――周辺環境変動、宇宙、無重力――
すでにコクピット内のムァンも異常を感じ取っていた。
焦りを抑えて情報を確認する。
「生命維持装置問題なし……少なくとも、ヴェスキュリアスの中なら生存は保証されている……」
コンソールから顔を上げモニターを見る。
360度、全方向に広がっているのは宇宙の映像。
「……ここは」
俄かには信じられないことだが、地上から突然宇宙空間に転移していた。
モニターの映像が間違っている可能性も考えられたが、それを確認する方法もない。仮に外に出ようにも、宇宙空間に生身で飛び出すことはできない。
なにより、周囲の映像がエテニアの記憶と一致していた。
「間違いがない、あの宇宙ステーション……」
すでに崩壊した宇宙ステーションが背後にある。
生命の気配は既に残っておらず、残された金属の一部がその姿を辛うじてとどめているだけ。
「……地球が」
そして、地球は大きく様変わりしていた。
青い海も大気もない。岩塊と化した球体に、深く穴が穿たれている。
それを地球と思いたくはないが、わずかに残った大陸の跡が記憶の中の姿と同じだった。
(……アンゲルスは出現していない……)
周囲に敵の気配はない。それどころか、命の気配はない。
『……来て……』
だが、声が聞こえた。
「ええ、行きましょう」
それが、地母神の言っていた、地球の残滓であると、ムァンは感じ取った。