回避行動は間に合わなかった。
辛うじてバリアを張ることはできた。だが、それもアンゲルスも前では僅かな抵抗でしかなかった。
黒い腕が――アンゲルスを構成する情報粒子そのものがヴェスジュリアスに襲い掛かる。
黒い粒子がバリアごとヴェスキュリアスを圧迫する。粒子は質量を無視するかのように肥大化すると、無限の拳のごとく伸びていく。
コンソールにアラートが表示される。だが、ヴェスキュリアスも、ムァンも、バリア越しに衝撃に耐えることしかできなかった。
(このままだと……)
腕が伸びる。加速的に質量が増していく。
黒い粒子がバリアをゆがませる。ムァンはとっさにスラスターとビーム砲のエネルギーをバリアに回し、強度を上げる――だが、それがミスであった。
スラスターによる制御を失ったヴェスキュリアスは、一気にアンゲルスに押し切られた。
ヴェスキュリアスの推力を超えた力がかかり、コクピットにまで加速の衝撃が伝わってくる。
黒い腕が伸びる。
宇宙空間を切り裂き、そのまま月に突き刺さる。
月の表面が砕けた。岩塊が吹き飛び、巨大なクレーターが生まれた。
その中央に、ヴェスキュリアスが叩きつけられていた。
「がっ……はっ……」
コクピットの中で、小さな少女が痛みに悶えていた。
バリアとヴェスキュリアス自身の頑強さに守られいなければ間違いなく粉々になっていた。五体満足であるのはその堅牢さを物語るが、それでも人間にとっては重大なダメージ――仮に乗っていたのが屈強な大人であっても、動くことすらままならなかっただろう。
(戦わ……ないと)
それでも、ムァンは手を伸ばす。離してしまった操縦桿を握るために手を伸ばす。
だが、その手から力が抜けた――
◆◆◆
黒く塗りつぶされた意識の中、何かがムァンに呼びかけてきた。
それは波。声というにはあまりにも弱い情報の波紋であった。
『ムァン、ムァン、聞こえていますか?』
――これは、地母神のもの?
『地球の遺志が途絶えました……その代わりに、大きな力が我に迫っています』
――それは――
『ムァン、無事であるのなら、帰ってきてください。我に何かあれば、あなたを我の世界に呼び戻すことが出来なくなります』
――それは――困ります――
◆◆◆
まぶたを開くと、コクピットが目に飛び込んでくる。
未だに衝撃が残る頭を抱えて、ムァンは起き上がった。
「くっ……状況の、確認を……」
モニターは停止している。コンソールに触って再起動をすると、ノイズ交じりの映像が浮かび上がる。
ヴェスキュリアスの周囲には、月の地表が広がっている。岩だらけの荒野の景色。その上空には地球があった宙域。
すでにアンゲルスとなり消え去った地球。そして、そのアンゲルスすらどこにも存在していなかった。
(あいつは……いない……)
その時、自然と安どの声が漏れていた。
(なんで安心をしているのか……)
無意識の自分の行動に、市坪が混ざっていた。
「……逃げてはいけないのに……」
逃がしてしまった。倒すべき相手を逃がしてしまった。それだというのに、なぜ自分は安心しているのか。
理由は分かっていた。
戦わないで済む理由になるからだ。少なくとも、先延ばしにする理由にはなる。
(もし戦って……勝てるのか……あの大きな存在に、私とヴェスキュリアスが立ち向かえるのか……)
その答えは、聡明なムァンにはすでに出ていた。
あらゆる武装が通じない。それどころか、一撃で倒されてしまう。
(いや、立ち向かわないといけない)
それが分かっている。戦えば負けると分かっている。それでも、戦わないといけないと言っている。
「死にたくない……死んでほしくない……」
絶望的な戦いに挑む少女の言葉を思い出す。
絶対的な敗北を味わった今、その重みをかみしめる。
(もし負けたら……)
その時は、どうなるか。
思い出す。炎に包まれた街。
形を失い、黒い塊になっていった地球を――
「……ああ、それは嫌ですね」
そうやって、自分に言い聞かせる。
今も恐れはある。けれど、腕の震えはおさまっていく。
「ここに来て分かりました」
かつて、同じように震えながらも操縦桿を握り続けた少女の姿を思い出す。
(このまま戦っても負けるのは分かっています……でも、戦わないといけない理由はあります)
たとえ絶望的な戦いであっても、戦わなければ未来はない。
それが、他者からみてどれだけ無謀であっても、挑まないといけない。
「あ、そうか」
だから、そこで気が付いた。
「私が求めていたのは理屈ではなくて、理由だったのですね」
なぜ、自分がエテニアの記憶を引き継いだのか。ムァンであると自任しても、戦い続けたのか。
なぜ、トキハの力になりたいと思ったのか。
「なんでこんな弱い肉体に押し込めてまで生を歩ませたのか……何故無力さを味わわせてまで生きているのか」
操縦桿を強く握りしめる。
同時に、ヴェスキュリアスの瞳に光が宿る。
「エテニアがその意思を私に託した理由は……トキハを、一人にさせないため」
その声に、ヴェスキュリアスが答えた。
『ええ、そうですとも、お姉さま!』
場違いで、明るい、童女のような声だった。