Angel Beats Children Dissolved   作:セリカ イツミ

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Angel Beats Children Dissolved 16

「遅いな……何してるんだ?あいつ」

 午前四時。寄宿舎一階の休憩所。

 集合時間は事前にそう決めていたのだが、衣織が来る気配は一向にない。

 もう約束の時間から、二十分も過ぎていた。

「香住。聞こえるか?衣織は、どうしている?」

 咽喉マイクの向こうにいる香住に話しかける。手に何も持たずに通話出来る分、はたから見れば独り言をぼやく変人に見えるのが難点だ。

「ふあぁー。聞こえてますよ。おはようございます。先程から呼びかけてはいるんですが、反応が無いですね。イヤホンを外して寝てしまって、そのままなんだと思います」

「分かった。部屋に様子を見に行く」

 もしや事故だろうか?それとも戦線に見つかったのか……?どちらにせよ芳しくない異常事態だ。急いで衣織のいる部屋に向かう事にする。

「遅いぞ……。何してんだ?」

 早朝の時間帯。あまり大声を出して戦線の連中を起こすわけにはいかない。試しに扉を二回ほどノックしても中から反応はなかった。

 扉は施錠されてなかった。本当に誰かに侵入された可能性がある。

「悪いが、入るぞ?」

 もちろん返事はない。静かに戸を開けて中にはいる。

 俺の部屋と違って、狭いところだが一人部屋だった。ゆりが気を利かせて女性用にしてくれたのか、比較的綺麗な部屋だ。

 ベットに目を向けると、掛け布団がめくれたままの状態でそこには誰も居なかった。手で触れると、まだ暖かい。ついさっきまでここに居たようだ。

「やばいぞ……。緊急事態だ!衣織がいない。何かあったかもしれない」

「本当ですか?なにか手がかりが無いか少し部屋を探してみてください」

「わかった」

 装飾品もクローゼットも無く、ナイトテーブルが一つあるだけで人が隠れる場所など考えられなかった。探索に持っていくハズだったリュックサックが一つ残されているだけだった。

「かくれんぼにしては、タチが悪すぎるな」

 自嘲気味にこぼす。

 迂闊だった。寝込みを襲うやつが居るとは……。

 俺の部屋には無かった小さな扉を見つけ、最後の希望を託し勢いよく開ける。

「あ……」

 信じられない光景に言葉を失った。

 水を弾くような肌は、文字通り水滴が肩から滴り落ち、豊かなバストが作り出す谷間へと吸い込まれていく。バスタオルに覆われてはいるが、はっきりとわかる引き締まった腰回り。普段の戦線の制服より、あらわになった肉付きのいい太腿。

「セ、セーフだったな……」

「ちょっ、変態ッ……!」

 静かに叫ばれる。戦線の人間を起こしてはマズイのでこっちは助かった。

「えーからっっ!!出てって!」

 遠心力で頭がふっ飛びそうな勢いで、回れ右した後、衣織の部屋から一目散に出て行った。

「玲次さんッ!どうかされたんですかッ?応答してください!」

「ああ……ちょっとした事故だ……。とりあえず衣織は無事だ。また後で連絡する」

 とぼとぼ休憩所に戻ることにした。なぜか負けた気分だった。

 それにしても……すごいものを見てしまった。何故か勝っている気分にもなれた。

 

 

 しばらくすると、戦線のセーラー服に着替えて衣織が出て来た。捜索用の小さなリュックを持ち、首に咽頭マイクを巻いている。髪は生乾きのままなのか、いつもより量が多く感じた。

 暇つぶしに読んでいた、戦線の広報冊子を机に置いて話しかける。

「ふう……。あやうく消えるとこだったぞ」

 胸倉をつかまれ、拳で殴られる。避けようが無かった。徹底的だった。

「……何か言うことがあるんちゃう?」

「待てよ、落ち着け!確かに俺も悪かった。謝るよ」

「大体こんなことで消えられたら、こっちもかなわないわ」

「もっと、いいことがあるのか?」

「そ、それは……」

 明らかに顔が紅潮し、うつむいた後黙り込んだ。じゃあ最初から言わなきゃいいんだ。

「もう知らん。あんたなんかキライ……」

「忘れるって!すぐ後ろ向いたし、何もみてないから。な?」

「どうせ無理やろ……?」

「かんばるよ……。だいたい、お前だって遅えんだ!四時にここに集合だぞ?これっぽっちも間に合ってない」

「あんたがアホだから、四時起床と間違えたんでしょ!」

「おい香住。聞いてたか?どっちだ?」

「マゴちゃん、しーらないっ!」

「逃げやがった……汚いな。それより衣織。頭がボサボサだぞ?」

「うるさいわ……。どうせ今からもっとボサボサになるからええの」

「ここから、どれぐらいかかる?正面ゲートのロックはどうするんだ?」

「心配せんでも別ルートだから関係ないねん。30分くらいで着くわ」

「急ごうか、戦線のやつが起きて来る。リュックは俺が持とう」

 強引に話をそらし、寄宿舎を出て行く。

 まだ寝静まっているギルドの中を進んでいく。見張りの人間も少なく、見つからないように目的地に向かう。

「もう一回言うとくけど、ものごっつい縦穴で底があるのかも分かっとらんから」

「それでも、誰か一人くらい中に入ったんじゃないのか?」

「あたしみたいに、内緒で入り口を見に行った人がおるかもしれんけどね」

「解析データの中に、内部の記録に関するものは見つかりませんでした」

「少なくとも記録上は、穴の下に向かう通路を下ったやつはいないってことか。記録がないということは、そういうことなんだろうな……」

 復元したデータを残した人物を推定する限り、50年以上は経っているはず。これだけの戦線の規模と時間経過を考えるとゼロ人という事は、まずあり得ないだろう。

「とは言っても、ハイテク関連の技術が向上する前の話やからね」

「でも今は生徒会とドンパチやってるから行けなくなったわけか。皮肉なもんだ」

 しばらく歩くと、昨日の採石場までやって来る。

「ここが入り口やね」

 衣織が人ひとり分通れる高さの狭いトンネルを指差す。

 中は暗く出口が見えない。

「ただの穴みたいだな。今までと違って補強とかされてないのか?」

「アホみたいに適当に掘ってたときに、たまたま別の道に当たったらしいわ。その先に、例のトンネルを発見。侵入禁止にしてるから、補強なんて必要あられん。誰も通らんからね」

「それにしても危ないな。生き埋めは勘弁して欲しいな」

「安心して下さい。ゲストハウスで座標を確認してますので、万が一の時は捜索に向かえます」

「息したまま埋葬なんて、考えたくもないな」

「言っとくけど、何があっても助けへんで」

「置いて行ったら、激しく恨むからな。じゃあ行くぞ」

リュックに入れた懐中電灯の一つを渡し、暗闇へと進んだ。

 

 

 暗く……いつ崩れ落ちても不思議じゃない道をしばらく歩く。

 足場は悪く、柔らかい土に足跡を残す。最深部へのギルドの道とは違い、人の往来を感じない悪路が続いく。

 何より気になるのは激しい湿気だ。先程から、汗か水か分からない水滴が全身を覆っていて、息をするだけでも水を飲んでいるような感覚に陥る。近くに水脈でも通っているのだろうか……?

 天井も全く補強されておらず、頭を少し擦るとパラパラと土が落ちてくる。天井が崩れないよう中腰の姿勢を維持しながら歩くのは楽ではなかった。

 十分ほど歩くと、やっと人が通れるような通路に出る。

 後ろを振り返って自分達が歩いてきた道を見ると、元からあった通路の壁を無理矢理破ったようだ。通路に穴が空いているといった感じがする。

 正面には車二台分が通れるような幅の通路が左右に続ていた。

 見たこともないような材質の白い壁と床。気味が悪く、雰囲気はガレージというより深夜の病院に似ている。

 殺風景で、何もない。

 床も気になるのは埃くらいで、ゴミは落ちていない。今は誰も人が来ないにもかかわらず平坦で、異様なほど清潔だ。電気は来ていないようで、あい変わらず視界は暗いままだ。

 左右に伸びている通路を衣織が左手へと進んでいく。

 懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

「ここは……どこなんだ?」

「あたしが知ってるわけないやん」

「その通路の出入口は見つかっていません。大きさから推測するに、何かを運んでいたかもしれないのですが、搬入口や地上施設は見つかってません」

 イヤホン越しに香住が質問に答える。香住と通信できると言うことは、ゲストハウスから30km圏内ではあるようだ。

「どう考えても観光地では、なさそうだな」

「呑気やねぇ。あんたは一回くらい死ぬかもな」

「いや、衣織のほうが先だな。俺のカンはよく当たる。楽しみにしてるぜ」

 死んだこの場所ならではの冗談を飛ばす。もっとも、そんな事態は願い下げだ。

 懐中電灯の明かりを頼りに、通路を歩き続ける。

 スロープを下ることはあったが、階段も梯子もない。何かが運搬されていたかもしれないという香住の話も頷ける。

 通路の途中で、足元がコンクリートから土に戻ると衣織が突然立ち止まる。

「お疲れ様。ここが目的地やで」

 立ち止まり懐中電灯を振り回すが、壁は見えない。

 天上も無くなり灯りを頭上に向けるが、かなりの高さがあるせいか何も見えなかった。

「それで?穴はどこにあるんだ?」

 二、三歩前へ歩くが……。

「待ってッ!危ないッ!」

 突然、衣織が叫ぶ。

 懐中電灯を少し前に向けると、天井と判別がつかないほどの暗闇が広がっている。

 もう二歩分踏み出していれば、永遠に落ちていたかもしれない……。

「危ねえな……こういうことは先に言ってくれよ……」

「よー見えもしないのに、フラフラ歩くヤツなんて初めてみたわッ!しっかりして!ホンマに死ぬで!」

「……確かに。今のは俺の不注意だった。悪かった。気をつける……」

 到着早々、衣織からの一喝。

 恥ずかしながら、まだ遠足気分が抜け切っていなかったようだ。

「こんな視界で進めるのか?どう考えても懐中電灯だけじゃ無理だろう」

「香住。聞こえる?今の時間教えて」

「現在時刻は0543です。ちょうど、そろそろ日の出の時間だと思います」

「じゃあ、少しかかるのか?」

「こちらでは昇り始めましたけど、そちらはどうですか?」

「こっちは変わらないな。来るのが、はや……」

 続く声を失い、目の前の光景に圧倒される。

 黒色に塗り潰された視界の中、ゆっくりと……ほんの少しづつ光が差していく。

 遥か頭上から、五本の閃光が洞穴の中心に差込み、足下に広がる洞穴の輪郭が徐々に露わになる。

 同時に円形の隧道の壁面が明らかになり始める。

 土色の材質で補強してあり、コンクリートのようでもあるが表面が鏡面のように磨き上げられている。

 陽光に照らされ、全身を覆っていた湿気も少しマシになった。

 閃光が差し込む事によって、洞穴の内部も見え始めた。雲のような霧が幾つか立ち込め、水分が蒸発し始めている。

 何より驚いたのは天井だ。

 五枚の巨大なレンズが羽のように重なって、それが天球儀のように静かに回転し始めた。

 その動きに合わせて五本の閃光も静かに動き始める。

 五本の光束が洞穴の内部を強く照らす。それでも中心は暗く、これほど光を入れているにも関わらず洞穴の底は、はっきりとしない。

「……ここが……66番隧道…………」

「戦線の調査データでは、直径が151.236m。通路の幅が約50m中心は巨大な吹き抜けになっているようで、直径は約100mということになります。2階層ほどは調査したようですが、底部が目視で確認出来ないので調査を凍結したようです」

「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせて帰ろうか!今から降りるから!」

「少し待って下さい。先に衣織さんとも通信できるようにしておきます。玲次さん、何でもいいんで喋って下さい」

「マイクテスト。衣織聞こえるか?」

「聞こえてる。こっちの声は聞こえてる?」

「大丈夫だ。異常なし」

「こちらでも確認しました。問題ありません」

「それで、どこに下に降りる通路があるんだ?」

「こっちよ」

 衣織が崖に沿って円状に歩く。しばらく歩くと、何も無いところで急に立ち止まった。

「で?一体どこなんだよ」

「よく見とって」

 リュックサックから空き缶を取り出すと、穴に向かって投げた。

「こんな所で環境破壊か?何してんだよ……」

 底に向けて真っ直ぐに落下すると思われた空き缶は、空中で音も無く数回バウンドした後、転がって止まった。

「そのあたりの地面をかがんでよー見て」

 言われたとおり指差された空中を見ると、かすかに水滴と水蒸気によって白く濁っている部分がある。拳でノックすると確かにはっきりとは見えない床がある。だが音は全くしなかった。ゴムを叩いたように硬くもなく柔らかくもない。

「なんだこれは?どうなってんだ?」

「見たことのない、限り無く透明に近い材質の床。一部は水蒸気で白くにごってるから、このまだら模様になってる床の上を進んでいくの」

「なんの試練だ?冗談みたいな場所だな。全く笑えない」

「今やったら、この霧を頼りに進める。ほな行こっか」

「待て衣織。廃墟に行った事はあるか?」

「あるわけないやろ。それがどうかしたん?」

「足場が不安定かもしれない状況での歩き方ってのがあるんだ。踏み残す足に重心を残しつつ、歩く方法だ。知ってるか?」

「知るわけないでしょう」

「分かった。ここからは俺が先行しよう。半周後について来てくれ。さっきの空き缶も借りるぞ。蹴りながら進む。何の頼りも無いよりマシだ」

「暇潰しになるかと、思って持って来てんけど正解だったね。きっと空き缶さんも役に立って喜んでるわ」

「じゃあ……行くぞ!」

 一歩目を踏み出す。

 音も無く、もう一度強めに踏み込むが全く音も振動もない。未知の強度の床に乗るのは、胃が締め付けらるほど気分が悪い。

 二、三歩踏み出すと、元の崖から完全に離れた。

「どうだ……?」

「どうって……?」

「そこから見ると、俺は……」

「空中に浮いてる」

「これじゃあ、俺が造物主だな」

「直径150m限定やけどね」

「あたしがみんなに嘘つきだって言いふらします」

「バカ。そんなつまらない事するか……」

 衣織もすぐ隣まで歩いて来て、両足を透明の床に乗せた。

「ビビってへんからね」

「何も言ってないからな……。じゃあ先にいくぞ」

 空き缶を蹴り飛ばし、霧でまだら模様に見える通路を進む事にした。

 

 

 

 平坦な土壁がどこまでも続き、壁面は型を使ってくり抜いたように整えられている。

 霧と透明材で作られた、まだら模様の床をひたすら歩き続ける。

 念のため、空き缶も蹴り続けた。

 一見すると雲のようにも見える床の材質は、足音がしないほど吸音効果は高い。

 最初は踏みしめる感触がなく、消しゴムの上を歩いているようで吐き気がした。止まっているエスカレーターを歩き続けているような気分の悪さだ。軽い頭痛もしたが、一時間ほど歩くと次第に慣れてきた。

 通路は思ったより明るい。

 レンズで収束された閃光が交差し、中心を照らし続けることによって、ここから見える範囲は明かりが通っている。それでも底は確認できず、遥か向こうは暗い。

 閃光は太陽光を利用しているせいか、ここにいても汗が出るほど暑い。中心の光を遮らないようにするためか、中央には霧と透明材で出来た高い壁がある。

 地下特有のジメジメした匂いは、トンネルの中でも変わらず続いていた。

「僕らは〜何も恐れはしない!不安よ!ここから立ち去れっ!僕らは決して歩みを止めはしない!ヘイっ!」

 対岸から衣織の声が聞こえてくる。

 見えない壁は衣織の声は遮音しないようだ。その声は僅かなタイムラグの後イヤホンからも聞こえてきて、こっちはいい迷惑だ。延々と続く廊下に飽きてしまったんだろう、声音からは怒りが感じられる。

「うるさい黙れ!さっきから、一体なんの歌なんだソレは?」

 しばらく無視し続けていたが、マイク越しに話しかける。

「交響曲第十五番、大穴のブルース。今、作った。」

「バッハが殺しに来るぞ……」

「こんな所ただ歩いてるだけで、何が楽しいのん?気が狂いそうやわ!」

「ピクニックに来てんじゃないだからな。お前のご機嫌ソングで、変な装置が作動したらどうするんだ?」

「あたしの歌声で、そんな災害起きるわけあらへん!」

「おめでたいヤツだ。それにしても、結構歩いたな……。香住、今は何時くらいだ?」

「0835です。6時にスタートしたので、2時間35分ですね。何か見つかりましたか?」

「見つかってりゃあ、もうちょっと気分がいいんだがな……。さっきから土壁ばっかりで何にもない」

「ちなみに、今は何週目くらいなん?」

「計算した所によると……だいたい21周目ですね」

「……計算?どうやって求めたんだ?」

「座標を確認したのですが、1周まわると30m降りてます。スタート地点から642m降りてますから、割り算で簡単に求められます。あと……実は、少し嬉しい話があります」

「なに!なんなんっ!何でもいいから聞かせて!」

「東京スカイツリーご存知ですよね。ちょうど同じくらいの高さを下りました……」

「ウンザリ!もうウンザリやっ!!どうかしとるわっ!」

「三平方の定理を利用して、傾斜角度も分かったんですけど……」

「もうええ!聞きたくないわ!言ったら香住の事キライになるからっ!」

「5.710度ダヨ!!やや緩やかダネっ!」

「マゴちゃんかよ……」

「もう許さへんっ!帰ったら、バラバラにして雑巾にしたるっ!!」

「ホントやかましい女だな……。静かにお願いできないのか?」

「うるさいねんっ!何か喋らんと、やってられんわ!」

「そういえば、二階で寝ていたステラが起きて来たんです。せっかくなんで、かわりますね」

 少し雑音がした後、ステラの声が聞こえ始める。

「あー。おはよう……どう?調子は?」

「人が朝早くから頑張ってるのに、優雅なもんやなっ!?こっちは、ずっと歩き続けてるのにっ!」

「あ、そ。私、朝ごはん食べるから。じゃあね」

「さっすがエゲレス生まれは違うな!覚えときや!」

「叫ぶなよ……こっちもイヤホンいれてるんだからな……」

 イライラしても仕方ない。

 根気良く、冷静に下り続ける事にした。

 

 

「モクモクモクモク!けむりの中には、竜宮城での楽しかった生活が映りました。『ああ、竜宮城に戻ってきたんだ』でも太郎は、髪の毛が白くなり、白いおヒゲのはえたお爺さんになってしまいました。おしまい!」

 あまりにも退屈すぎるので、香住の朗読会が始まっていた。

 桃太郎。金太郎。浦島太郎。

 太郎縛りの昔話は、どれもよく知っている話で、結局退屈なままだった。

 衣織の提案で、香住の現在位置の報告もなくなってしまった。気が滅入るという理由らしいが、逆効果なのは明らかだった。

 衣織は、疲れ果てて足を引きずるように歩き、顔を下に向けて見えない終着点を探し続けてる。

 遂には上を見ても下を見ても景色は、全く変わらなくなった。

 永遠に続く廊下。

 罠も障害もない道は、安全で快適ではあったが苦痛には違いなかった。

 変化もなく、動きもない。

 そんな状況で、嫌でも自分と向き合う事となる。

 自分は誇れる人間か?他者を尊び、憂い、真摯に向きあっているか?

 こんな想像を超えた場所で、改めて自覚させられる……ここは死んだ後の場所なのだと。 そして、神と言われるような何かによって秤にかけられる。

 生まれ変わり、輪廻、復活。

「駄目だ!衣織!なんでもいい!話をしてくれ。」

 昏い気分で埋め尽くされる寸前……思わず叫んでしまった。

「そんなん、いきなり言われても……」

「なんでもいい。好きな食べ物の話でもいい。今なら大サービスで、恋の相談にものってやるぞ?」

「マゴちゃんも聞きたいなっ!」

「そんな人おらへんから……」

「気になるヤツくらいなら、いるだろう?」

「いるだろう〜言っちゃいたまへ!言っちゃいたまへ!」

「しつこいわね……いないってば……そういう香住はどうなんよ?」

「マゴちゃんし〜らないっ!」

「そらマゴちゃんは知らないでしょ?香住よ、かっすっみっ!どうなのよ?」

「わーすれ、まーしたっ!」

「とぼける所が怪しいわ。実は玲次やったりして……」

「ちーがうもんっ!衣織さんが、実はそうなんじゃないですかっ?」

「イヤ、こいつはないわ……」

「ひでえ待遇だ。ババ抜きのジョーカーみたいな扱いだ……」

「でも皆には、お付き合いしてるって言ってるんじゃないですか?」

「あれはそういう流れになったから、仕方なしにそう言ってるだけやから。もうすぐコンビ解散やから」

「マゴちゃんわかったよ!」

「なにが、どう分かったんですか?」

「衣織ちゃん、ステラが好きなんダ!女の子の方が好きなんダ!ヒュー、ヒュー!」

「そうなのかよ。じゃあ勝ち目は無いな」

「ちょお待ち!どうして、そないな話になるん!」

「だって、この場所に来てからステラとずっと一緒だったじゃないですか!」

「他に知り合いがおらんかっただけや……悪かったね……」

「じゃあ、あたしにも話しかけてくれたら、よかったじゃないですか!うわーん。」

 でた、女の嘘泣き……。

 しかも、ワザとらしいにも程がある。

「しゃあないやろ?この戦線の服着ているだけで、生徒会の人に追い回される事もあんねんから!」

「それ、あたしじゃないですもん……。ひどいです!」

 どこかで本音なのかもしれない。今まで生徒会の人間ばかりで、戦線の人間からは覚えも無いのに敵視されていたのだ。

 香住が、スネるのも仕方がないのかもしれない。

「まぁ、まぁ。これからは仲良くするから泣かんとって」

「本当ですかっ?」

「ゲストハウス限定やけどね」

「うわ〜っ!」

「衣織のバカっ!香住をイジメるなぁっ!マゴちゃんの大群が攻めてくるぞ!」

「仕方がないやろ。戦時中なんやから」

「今の時間は1210ダヨっ!1680m。56周目ダ!」

「イッッやぁーーッッ!!」

「マゴちゃんの逆襲だ……こいつは強烈だな」

「もう世界一の建物よりも深い所にいるよ!みんなが歩いた距離は、地下鉄だと25.2km丸の内線のほとんど。御堂筋線だと、もうとっくに歩き終わってるね!」

「マジかよ……これは破壊力抜群だな」

「やめてぇ……。ごめんなさい……」

 あまりのショックのせいか、衣織が両手で耳を押さえて座り込む。

「おい……大丈夫かよ」

 さすがに心配になって、半周分戻り衣織の元に駆けよった。

「もう、あたしの事は、ほっといて……」

「そんな事出来るかよ。こんな薄気味悪い所に一人でいる方がキツイぞ?」

 体育座りで頭を抱えて、いじけだした。

「ごめんなさい……冗談のつもりだったんですが……」

「気にするな。どっちにしろ状況が気になっていたところだ。報告してくれて助かる。ほら、まだ時間があるんだ。もう少し頑張ろうぜ?」

 頭を膝に埋めたまま僅かに頷くと、片手で俺の腕を絡めるように掴んで立ち上がった。

「重いな……お前」

「失礼なヤツ!やっぱ、あんたと組んだんは間違いやったわ!」

 衣織が眉間にしわをよせて、不機嫌な表情を返すと、その後ろに空中に浮いている黄色と黒の縦縞の箱がチラッと見えた。

「おい、アレ……」

「なに?次はお芝居か?もう、やめてや……」

「違うって!見てみろ!なんだあれ?」

 箱を指差すと、衣織が仕方がなさそうに振り向く。

「なにあれ……やっと何か見つけたんっ!?」

 言い終わる前に、衣織は駆け出していた!

 少し遅れて、後を追う。

「どうかしたんですかっ!?」

「箱のような物を下の階層に見つけた!今から近くに向かう!」

「分かりました!気をつけてください!」

 念のため、空き缶も回収しておくことにした。

「これ、何なん?」

 衣織が箱の前に立ち、呆然と見つめるている。

 箱の大きさは、縦が大股三歩分。横が一歩分くらい。高さは胸くらい。

 黒と黄色の奇抜な色合いの箱だ。

 拳でノックしてみるが、これもプラスチックでもなくゴムとも違う微妙な感触。トロッコのようにも見えるが、レールも見当たらない。しかし鉄道のような小さな車輪が四つ付いている。

 内部には、前と後に2人分のベンチがある。前の座席には、原付き二輪そっくりのハンドル。キーも差したままだ。

「乗り物みたいだな。少し待ってくれ」

 前の椅子に座り、キーを回す。

「どうですか?動きそうですか!?」

「ちょっと待ってくれ!」

 祈るような気持ちでスイッチを押すと、少し箱全体が振動する。そのままスロットルをそっと回すと、ゆっくりと前に動き出した。

「やるやん!でも、なんでそんな事知ってるん?」

「原付きと要領は同じだ。ただ、こいつは見えないレールの上を走るようで小さいトロッコみたいなもんらしい。安全かどうかは分からないが、乗った方が楽できるな!」

「こんなとこにおる時点で、もう安全じゃないわ!」

 そういうと、衣織が後ろのベンチに飛び乗った。

「いくぞっ!」

 スロットルをゆっくり回すと、トロッコが音もなく加速し始めた。じょじょに加速し始めるが、回せる量が少なくそれ以上は加速しなくなった。

「全速力だ……」

「思ったより、ノンビリやな」

「今計算すると、こちらでは半周を30秒ほどで走ってますので大体時速45kmですね。それでも今までと比べると、かなりのハイペースです!」

「ハイペースなのはいいとしても、法定速度かよ……」

「案外ショボイなぁ」

「それでも今までとは、比べものにならないほど速いですよ!」

「でも結局は……」

「このまま、座りっぱなしってことやんっ!」

「何も無いよりマシだ。黙ってじっとしていろ」

「もう、イヤやーーッッ!!」

 

 

 高校の卒業式の日だった。

 いつものように、朝起きて制服に着替える。

 何の変哲もない一日の始まりで、最後の日だと言われてもありがたみも感じない普通の日。唯一違うと言えば、夕方から担任先生も含めてクラスの奴と飯を食いに行くくらいで、今から実感することなど出来なかった。

 家族に挨拶をして家を出る。

 いつもの待ち合わせ場所には、二人が俺を待っていて、声をかけられる。

「おき……!起きてッ!玲次!」

「は……?何のこと……」

 次の瞬間、平手打ちが頬を襲う!

 座席の後ろからの奇襲に、全く対応できなった。

「いてぇよっ!誰だよ!」

「あたしよ!衣織ッ!いい加減起きて下見てみ」

 聞きなれない名前に一瞬混乱してしまったが、すぐに状況を理解する。

「わりぃ。寝落ちしてた……」

「謝るのは後でええから、早くコレ止めて!」

「やかましいな。何があるってんだよ……」

 正面をみると、乗り始めた時と変わらない風景が続ている。何をそんなに焦っているのか不思議で仕方ない。

「どこ見てんの?下よ!下!!」

 頭を両手でつかまれ強制的に下を向かされる。あまりの勢いに首の筋を痛めたかもしれない……。

 しかし、次の瞬間にそんな事はどうでも良くなった。

「冗談だろッ!何だあれは!?」

 それまで延々と続いていた通路が無くなり。深い青色の床が広がっている。青黒い壁のようでもあり、天井から続いている光が差し込み、水晶のようにも見える。

「終着点か!?」

「わからんけど!!ええから止めてッ!」

 次は両肩を持ち、前後に揺さぶられる。寝起きのボケた頭には相当こたえた。

「やめろ!頭が痛い!揺らすなッ!」

 慌ててブレーキのレバーを引くが、減速せず代わりにライトが点滅するだけだった。

「マズイ!ブレーキが効かない!」

「嘘やろっ!?」

「見てみろッ!無理だ!」

「なんとか、して――」

「ダメだッ!!突っ込む!」

 水を裂く轟音ッ!

 激しく飛沫を立て、水を巻き上げる!

 磔にされたように座席から動けず、飛び出す前にトロッコごと水に突っ込んでいった!

 凄まじい衝撃!急激な水圧!

 口と鼻の中に嫌というほど大量の水を押し込まれ、思ったほど息が持たない!

 トロッコと共にどんどん潜水させられ、ようやく止まった……。

 衣織の手を引っ張り、急いで水を蹴り上へ上へと目指す。

 ようやく水面にあがり、大きく酸素を吸った。

「……大丈夫か?」

 声をかけるが、反応はない。

 元気に水面まで、あがって来た所をみると心配などなさそうだ。

 白く濁る床を見つけると泳いで近寄り。硬い床に乗り上げた。

「どーして、こんな事になってんのっ!」

「知るかよ……」

「何時間も下り続けて何にもなし!知り合ったばかりの男にノゾかれて、2人っきりにされた後こんな穴ぐらに放り込まれて!やってられへんわっ!」

「香住聞こえるか?応答してくれ。香住聞こえるか?」

「聞いてるん!?玲次っ!」

「聞いてない!あとにしてくれ!」

「こちら香住です!どうされたんですか!?」

 慌てた様子で、香住が答える。どうやら通信は生きているようだ。

「穴の底に水が張っていて、トロッコで突っ込んだ。今の時間と深度を教えてくれ」

「少し待ってください!」

「大体どういう神経やったら、こんな所で居眠り運転できんの!?」

「お前が先にスヤスヤ寝てたんだろうが!」

「あたしは、運転手やないんだから、ちょっと位寝てもええやんか!だいたいブレーキくらい見ときや!」

「減速する機会なんかなかっただろ!?原付きそっくりだから、ブレーキも同じだと思ったんだよ!」

「深度11236mです……」

 口喧嘩の声が止まった。

 香住の言葉にお互い愕然とする。

 先ほどまでの1000mと違い、桁違いな数字だ……。正直にいうと、タチの悪い冗談だとおもった。上を見ても想像がつかない。

「間違いとかじゃ……ないんだな……?」

「そうですね……お話しする前に、計算して確認したんですが、トロッコの速度と経過時間から考えると、不思議じゃありません……」

「ちなみに、今は何時なんだ?」

「1528ですね……」

 三時間走って、単純計算で135km……。十分あり得るな。

「そちらの様子はどうですか?」

「水が張って進めないだけで、特に変わりは無い。明かりも大丈夫だ。レンズの光がここまで届いている」

「気温はどうです?」

「これといって変化はないな」

「玲次さん…………大変申し上げにくいのですが……」

 深刻な様子で一言添えると、続く言葉を詰まらせた。

「どうしたんだ?」

「今回は、ここで中断した方がいいです……」

「ここまで来といて、何もせんと帰るん!?」

 衣織が不服そうに大声を挙げた。

 気持ちは分かる。俺だって同じだ。

 ここまで来て収穫なしなのだ。手ぶらで帰るなんて考えられなかった。

「落ち着け衣織!香住。悪いが理由を聞かせてくれ」

「地球環境を基準に考えた場合、その深さで地表と同じ気温だとは考えにくいです。おそらくレンズで増幅した光がヒーターの役割をはたして、トンネル全体を温めている可能性があります」

「ヒーター?この明かりがか?」

「そうです。虫メガネを使い黒い画用紙に穴を開ける実験を覚えてますか?」

「ああアレか。一応な」

「自然状態での画用紙の発火点は450度ほどで、焦点、及び光線は相当の熱量を持っています。現在常温なのは、その原理を利用してトンネルを暖めているんだと思います。あくまで憶測ですが、日が沈んでヒーターも明かりも失えば、温度が急激に下がり明かりも懐中電灯だけになって、帰還が遥かに困難になります。ちょうど、今からなら日没にギリギリ間に合うはずです」

「待って!トロッコは水中に潜ったままやで!間に合わへん……!」

「ここで待ってろ!見てくる!」

 急いで水に飛び込み床を蹴り、トロッコの真上まで泳ぐ。

「待ちや!どうやってバックすんの?」

「元々ランプのスイッチがある所をいじってみる!」

 大きく息を吸い、薄暗い水に潜る!

 トロッコの位置は何とか確認できた……。

 目立つ色なのが幸いだ。だが素潜りで行くには、ギリギリギリの距離だ。

 足をバタつかせ近寄った後、ハンドルを握り浮力に逆らう。水中で逆立ちになり、ランプのスイッチを押してみるが、反応は無い。

 息がつらくなり、一旦急いで浮上する。

「どうなの?」

「ランプのスイッチを押したが、ダメだッ!」

「待ってみ、あたしも見てみるわ」

 こちらまで泳いで来た後、衣織が潜る。

 戻ってくるまでの時間が、もどかしい……。

 水は冷たく、泳いでないと凍えて震えそうになる。

 目を瞑って無事に帰れる事を祈ると、後ろで轟音が響く!

「ビンゴーーッッ!!」

 空気を目一杯吸う音がした後、衣織の叫び声が響いた!

 トロッコは後ろで向きで、坂を登って来ていた。

「やるな!!どうやった!?」

「あんたのスイッチで、リバースになったんやろ!ハンドル回しただけや!」

「流石だ!手土産なしで格好つかないが出直すぞ!!」

 後部座席に飛び乗ると、すぐに発進した!

「現在1532!日没予定は1830ですッ!位置は常時モニターします!急いで下さい!」

「分かったッ!!」

「うーさぶ……。焼きたてのパンとあったかいスープが飲みたいわ……」


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