昼過ぎの空のもと時刻にすると13時すぎくらいだろうか、バイオリンを手に病院の屋上で佇む一人の男がいた。紅音也である。恭介に演奏を聞かせようと待っていたのだが一向に来ないため一人の時間をすごしていた。
「やっぱり来ないか。こうなりゃ無理やりにでも連れてくるしかないな。」
そう決意した音也は早速恭介のいる病室へと足を運ぶのであった。
(そういえば、あいつの病室ってどこだ?ま、そこら辺の看護師に聞けばいいか)
早々に問題が発生したがなんとかなるだろうとどこから湧き上がってくるのかわからない自信を体に巡らせ楽観的に足を動かすのだった。
「もう聴きたくなんかないんだよ!自分で弾けもしない曲をただ聴いているだけなんて...!」
恭介の怒号が部屋に響き渡る。
「僕は、僕は...。」
何かが壊れる音がした。
「きょ、恭介!?」
「こんなもの、もういらない!」
「や、やめてッ」
「こんな手、もうどうなったっていい!!」
ひとしきり怒りを当たり散らす。
「やめてッ恭介!やめて、やめてッーーーーーー!!」
青髪の少女が叫ぶ。
そのとき、病室の扉が勢いよく開かれる。
「ようやく見つけたぞ恭介。お前の病室を見つけるのにだいぶ時間がかかってしまった、さっさと行くぞ。というかお前、約束の時間に遅刻すると女の子に嫌われるぞ。覚えておくんだな」
恭介はギョッとした。こんなときに一番会いたくない人が来るとは思ってもいなかったからだ。出会ったのは昨日だが確信したことがある。それは絶対に一緒にいると疲れるだろうということだ。それもこんな幼馴染に半ば八つ当たりのようなことをした直後では余計に会いたくない。しかしそんなもの関係ないと言わんばかりに音也は恭介へと近づいてくる。
どうするか考えているとき、青髪の少女さやかが恭介を守るように音也の前に立ちふさがる。
「あなた一体何なんですかいきなり入ってきてずけずけと!今恭介は大変なんですよ!お引き取りください」
「お前...こいつの彼女さんか。すまないが彼氏さんを少し借りてくぞ、こいつには用があるんでな」
「か、彼女だなんて...えっと...その...」
「なんだ彼女じゃないのか。じゃあなんだ俺に告白しに来たのか。すまないが俺は子供に興味はないんだ。もう少し成長したら受け付けてやる」
「そ、そうじゃなくて!今、恭介は」
「まぁ落ち着け、とりあえずこいつは借りていく。話があるなら用が済んだら聞いてやるさ。早く準備しろ恭介」
そう言われると諦めた恭介は渋々といった感じにベッドから身を起こし地に立つ。ふらふらと歩き始めるとさやかが制止する。
「駄目だよ恭介!こんな怪しい人についていくなんて!絶対だめだよ、ベッドで安静にしないと!」
「いいんださやか。この人なんか諦めてくれなさそうだし、それにこの人の演奏に興味が湧いてきたんだ。だからおとなしくついていくことにするよ...」
「いい判断だ。それじゃさっさと行くぞ」
「あ、ちょっとぉ!!」
こうして恭介は音也に強引に連れていかれてしまい病室にはさやか一人だけが残っていた。
場所は変わって屋上。珍しく人は一人もおらず恭介と音也の二人きりである。
「さっきは興味が湧いたと言いましたけどやっぱり演奏なんて聞く気はありません。お願いですから一人にさせてください...!」
「だから遠慮するなと言っているだろう。それに俺の演奏を聞けばそんなナイーブな気分なんて吹き飛んであの子にいい恰好ができるようになるさ」
「はぁ...もういいです。好きにやってください」
恭介は疲れていた。ただでさえ治らない腕によって常に気分が沈んでいるのにそのうえさやかに酷いことを言ってしまったことでさらに沈んでいた。そこにこの男の強引な誘いによって肉体的にも精神的にも完全に疲弊していた。
「もしこれで下手な演奏したら帰らせてもらいますからね」
「俺がそんな演奏するわけないだろう。この音也様を見くびってもらっては困るな」
最大限自信たっぷりに宣言する音也とますます不安になってくる恭介。
そして音也がバイオリンを構え、演奏を始めた。
(こ、これはッ!)
恭介は今までにないくらいの衝撃を受けた。音也の演奏が今まで聞いたことがないほどにきれいな音色を奏でていた。繊細さがありつつどこか大胆さもこもっている。まるで奏でている音色そのものが躍動し生きているかのようだった。また演奏している音也自身もメロディとなって音楽と一体化しているように見えた。まさにメロディと一心同体、パーフェクトハーモニーとでも表現すればいいのだろうか。どんな言葉でもこの演奏を表現することはできないだろう。そして恭介は確信した。
(ケガする前の僕よりもいい音色を奏でているッ!なんて、なんて心地よい演奏なんだ...)
この人の言葉は断じて嘘なんかではない。そして同時に音也の実力を認めるしかないと実感した。
(悔しいけど、僕にここまでの演奏はできない...仮に復帰してもここまでの演奏ができるわけない...すごいな、音也さんは)
そうこう聞き入ってるうちに演奏は終わってしまった。体感時間でいえば一瞬、長い時間演奏していたかもしれないが恭介にはまだまだ聞き足りないものであった。
「もう、終わってしまったんですか」
「あぁ、演奏は終わりだ。どうだった」
真剣な目をして感想を聞いてくる。いつもの飄々とした目ではなくいつになく真剣な眼差し。思わず息をのむ。
「最高の演奏でした!今までに聞いたことがないくらい素晴らしい演奏でしたよ!なんというか、ダメだ言葉が出てこない!とにかくほんっとにすごかったです!!」
「そうか、そんなに良かったか」
「はい!!!それはもう!!」
興奮冷めやらぬといった感じで恭介は答えた。久しくこんなに音楽で盛り上がること出来た恭介であった。しばらくすると興奮も収まったのか平静を取り戻し改めて音也と向き合う。
「良かった、どうやら俺の勘違いだったらしい」
「勘違い?」
「俺はてっきり音楽への情熱が無くなったかと思っていたがこの様子を見るにまだ健在のようだ。やっぱりそのくらい情熱が無いとな」
「情熱ですか...そんなものもう無いですよ」
自嘲気味に話す恭介。そしてさらに続ける。
「今日言われたんです、もう腕は治らないって。もうバイオリンを弾くことは出来ないんです。僕の全てが無くなったんです。情熱の根元が...僕を構成するすべてが...。だからもういいんです。でも最後にこの素晴らしい演奏を聞けて良かったと思っています」
「そうか勿体ないな」
「勿体ないってなんでですか?」
「昨日も言ったがお前には才能がある。この音也様が太鼓判を押すんだ間違いない。そんな才能を持ったやつがそう簡単に諦めるなんて勿体ない以外にあるか」
「でも僕はもう...」
「弾けないからなんだ、音楽ってのはそれだけじゃないだろう」
「え...」
恭介は目を見開く。
「聞くが、音楽において一番大事なものなんだと思う」
「一番大事なもの?......努力...ですか?」
「それも大事だ。だがもっと大事なものが存在する」
「もっと大事なもの?」
"もっと大事なもの"と言われ今日までの記憶を手繰り寄せる。今となっては憎たらしい全盛の記憶も引っ張りだしてくるが今一つそれらしいものが思い浮かばない。
「わからないか。こういうのは自分の力で気づくのが一番だが今の状態じゃ永遠に気づきそうにないから特別に教えてやる」
「......」
「心だ」
「心?」
「そう、どこまでも音楽を愛する心だ。音楽ってのは心で奏でるもんだ。どんなに技術があっても、どんなに努力しても、心がこもっていなければ一流の音楽とは言えない。心が一番大事なものなんだ。昔のお前もそういう音楽を奏でていたんじゃないのか」
まるで諭すように恭介と向き合う音也。音也の雰囲気に耐えられなくなり咄嗟に顔をそらす。確かに音楽は心から大好きだった。バイオリンこそが自分のすべてバイオリンがあったからこそ生きていくことができたといっても過言ではない。バイオリンが出す音色があの時はただただ心地よかった、演奏しているときはただただすべてを忘れて一つに集中できた。しかしこう振り返ってみると一つの疑念がよぎってしまった。
(もしかして...僕は音楽が好きなのではなくバイオリンを弾く自分が好きなだけだったんじゃ...?)
あまりにもネガティブで馬鹿げた疑念である。彼のケガがそう考えさせたのか、はたまた先ほどのさやかとの問答のせいなのかはわからない。自分の奏でる音色が好きだったのは事実ではあるが音楽そのものが好きだったかどうかは今の恭介には答えは出せない。ただただ自分に酔いしれているだけだったのかそうじゃないのか迷っていると音也が語りだす。
「人の心は音楽を奏でている、どんな人間もいいか悪いかはさておきその人間にしか出すことのできない音楽がある。それこそお前の今までの歩みも、お前自身が経験し演奏してきたことも一つの音楽だ。さぞかしきれいな音色を奏でていたことだろう」
「腕が動かないからなんだ、その情熱があればまたお前の音楽を奏でられる。なんなら今だってお前の音楽は続いている、音色はきれいとは言えんがな」
"音楽は続いている"言葉が恭介の中を反芻する。
「僕の音楽はまだ...まだ、続いているんですか?」
「あぁ、お前が生きている限りずっと続いているさ」
もう事故以来なにもかも無くなったと思っていた。しかしそれは無くなったと思い込んでいただけだったのかもしれない。そして恭介は初めて希望というものを見た気がした。いや、目の前の現実から目を背けその先の見えていたはずの希望を見逃していただけかもしれない。それでも恭介にとっては音也の言葉でどこか救われたようなきがした。
「でも、僕はもうバイオリンを弾けませんし...音楽なんて奏でることはできませんよ...」
それでも諦めが宿ってしまう。
「何を言っているんだ、音楽の道なんて一つじゃない。バイオリン以外の道だってたくさんあるだろう。重要なのはそこに心があるかどうかだけだ。腕なんか使わずとも演奏できるものもあるかもしれないだろう。俺より若いのにそう簡単に諦めてどうする」
「で、でもぉ...」
「ああぁもう男がそんな女々しくてどうする!そんなんじゃあの青髪に振り向いてもらえないぞ。堂々としろ堂々と」
「今さやかは関係ないでしょッ!」
やんややんやと音也と騒がしい会話するうちに恭介はどこか吹っ切れたような気がした。確かにもう動かない腕でうじうじと悩んでいるのも馬鹿らしい。ならばとっとと別の道を探して自分の音楽を表現できるようにすればいい。しかし今まで自分を構成していたものをそう簡単に捨てろと言われてもなかなかできないという人のほうが多いだろう。恭介も例にもれず簡単には決断できそうにない。
「確かに音楽の道はたくさんあると思いますがやっぱり僕はバイオリンを捨てたくないです。バイオリンは今までを支えてきた大事なもう一つの僕です。簡単に手放すことなんてできません」
「そうか。それでも良いんじゃないのか」
「なのでこれから道を探していこうとおもいます。新しい道が見つかるまでは腕を使わずともバイオリンを弾いて自分のメロディを奏でていきます」
音也に向かって堂々と言い放つ。その姿はまるで音也のようである。いつの間にか悲しみと過去に囚われていた
姿は完全に消え、自信と決意を体に巡らせた別人のような恭介の姿が存在していた。今の彼には腕が動かないことは何の障害にもならないほどに生まれ変わっていた。
「いい顔をするようになったな。昨日のお前とは大違いだ。その気持ちをいつまでも忘れるんじゃないぞ」
「はい!」
「そして...そこに隠れているやつも出てきたらどうだ」
「え!?」
色々と雑すぎるぜ。そして終わりませんでしたすいません。次回で絶対に終わるはずです。イクササイズしてお待ちいただけると幸いです。