蜘蛛もどき、あるいは毒蜘蛛 作:ヒーローは最後に立ち上がるから安心できる
オーケー、それじゃあもう一度だけ説明するよ。
私の名前はアビゲイル・ブロック。
スパイダーマンがいなくなってから一か月、この世界でたった一人のスパイダーマン。
あとは知ってるでしょ?
「ねえヴァルチャー!いい加減免許返納したら!?」
「儂は生涯現役じゃ!」
……ごめん、今の冗談。知ってるわけないよね。
とりあえず、私が背中に羽生やしてるおじいちゃんと話してることだけ覚えておいて。
ついでに壁に引っ付いてることも。
「今日こそは世界記録の壁を破れそうなのじゃ。邪魔はさせん!」
「うおっと!」
下らないことを考えていると、ヴァルチャーの巨大な鉄の翼が迫ってくる。
体を反らし、ギリギリで回避するけど、目の前を通り過ぎた羽がビルの壁を引き裂いていくのを見てゾッとする。
一秒でも遅ければ、私の体だって。
けど、だからって臆していられない。
大丈夫、だって私はスパイダーマンだ。
スーパーヒーロー。この街の親愛なる隣人。アメイジングなスパイディ。
よし、気合い入れ完了。
手首から黒いウェブを出して体勢を整え、もう一度ヴァルチャーと相対する。
「その壁、この前アイアンマンが更新したよね。なんだっけ、最高高度と航続距離、3㎞と5㎞の最高速度と」
「最大積載量と世界一周の飛行時間もな」
改めて考えるとヤバいね、アイアンマン。
自伝読んだけど、確か洞窟でアークリアクター作ったんだっけ。
その後にハイテクスーツ作って、テロリストを蹴散らして、中東からアメリカまでひとっ飛びして、数年後にはエイリアンとニューヨークで大乱闘?
コミックみたい。
「じゃが、それも昨日の記録じゃ」
言うや否や、ヴァルチャーは姿勢を整え、翼が轟音を鳴らし始める。
まずい!
「みんな離れて!」
私の言葉も待たず、ヴァルチャーはエンジンを最大出力で回し始める。
その余波と熱で車は吹っ飛び、人はビルの壁にたたきつけられた。
「さあ、儂の名が刻まれる第一歩じゃ!」
ヴァルチャー。
老人ホームで楽しくゲートボールをしていそうな年齢のヴィランだ。
大きな翼を持ったフライトスーツを着ている。
スパイダーマンとも何度も敵対した彼の目的は一つ。
速さだ。
これだけならレースチームのメカニックとしてトロフィーを追い求めればいいんだろうけど、彼は一味違う。
あらゆる場所からパーツの強奪を繰り返し、フライトスーツを開発。
明らかに無茶のある設計と限界を知らない目標設定の下で、だ。
それがまともに機能するはずもなく、街と一緒に吹き飛ぶか、街を吹っ飛ばして捕まるかの二択だ。
エイリアンの残骸を掃除をする仕事の方が100倍世のためになる。
「その一歩、アイアンマンにとっては小さいらしいけど!」
「今にわかる。これが大きな飛躍だとな」
そのままの勢いでヴァルチャーはホバリングをやめ、ストリートを飛び始めた。
ストリートにはエンジンの排気ガスが巻き散らかされ、あたり一面が真っ黒になった。
同時に、ありえないほどの熱と炎も。
……まずい。
そう思ったときには、手遅れだった。
私の第六感は鋭くないし、瞬時に判断する経験もない。
意味のない反省をしている間もなく。
炎が襲ってきた。
骨が燃えているような錯覚を覚えて。
同時に、私のスーツも波打ち始める。
「最悪、最悪、最悪!」
痛みとスーツの不調のダブルパンチはかなり効く。
なんて軽口も言う間もなく、壁に貼り付けなくなり。
ずるりと、道に崩れ落ちる。
「GAAAAAAA!!」
スーツが揺らぎ、私は獣のように叫ぶ。
『痛い』『苦しい』と叫ぶ声が頭の中に響く。
あのスピードホリックは環境に全く配慮しないエンジンを搭載しており、積んでいる燃料と吐き出される熱もジェットエンジンの比ではない。
炎は私のスーツの天敵その一だ。
ヴァルチャーのエンジンはこれにクリティカルヒット。この子も痛みを訴えてくる。
「お願いだから、ちょっとだけ我慢して……!」
スーツを軽く撫で、必死に深呼吸する。
とにかく落ち着くんだ。
「かかか!エイリアンの金属は素晴らしいな!」
頼むから落ち着いてくれ。
頼む。
お願い。
じゃ無いと私はピーターに。
「……ふー」
なんとか一息ついた。
ベッタリとまとわりついてるスーツの不快感を押し殺し、ヴァルチャーの進行方向を見てみる。
どうやらだいぶ速いらしく、大きすぎる翼で通りすがりにビルを壊しながら、点に見えるほどに離れていた。
「いや速すぎでしょ!?」
さっきまで目の前にいたのに、もうこんなに距離が?
あのおじいちゃん、法定速度って知らないのかな。
「やばい早く追いつかないと」
おそらく今の飛行は肩慣らしだ。
マジのヴァルチャーは大量に燃料を抱え、欲張ってエンジンも2倍積む。
翼を振るう余裕もなくなるし、熱だってスーツ越しに全身火傷するレベルになる。
ついさっきその熱で苦しんだ身としては恐ろしい話だけど、おかげで一つわかることがある。
あいつはどこかでピットインする。
そこで装備を整え、今度こそ記録樹立に動くはずだ。
街のあちこちを壊しながらね。
じゃあどうやって先回りするかって?
燃料やらエンジンが駅のコインロッカーに入るとは思えない。
ある程度の広さがあって、かつ落とし物として発見されない場所にピットを用意しているはずだ。
それをヴァルチャーの進行方向から割り出せばいい。
私はポケットからスマホを取り出した。
「よし、タイムラインを更新……。これはただのチキン。こっちはBBQ。おなか減ってきちゃう。これはヴァルチャーの……そっちの方か」
ありがとうInstagr〇m。ありがとうメ〇社。
本当は私だってドローンでも飛ばして後を追いたいけど、ティーンのお小遣い事情はけっこう厳しい。
こうやってSNSでの情報収集をするので精一杯だ。
ピーターはウェブもお小遣いから出してたんだからすごいや。
「よし、スパイダーマン出動!」
THWIP!
手首からウェブーいや、細い触手を出す。
そのまま壁にひっつけ、一気に上昇する。
あとは単純な繰り返し。
出して、ひっこめて、出して、ひっこめる!
まだ慣れないスイングだけど、コツはつかめてきた。
正直、振り子運動がどうとかはフィーリングに近いけど。
「こっちの方面でピットに使えそうな場所……」
地下鉄の廃駅、建設現場、アベンジャーズタワー、etc。
……駄目だ、ニューヨーク広すぎる。
もっと条件を絞ろう。
まず前提条件として、広くて人目につかない。
準備をしていて怪しまれなかったのも追加だ。
……待って。
ピットは発着場にも使うはずだ。
なら邪魔な天井がある地下は除外できる。
できるだけ空に近い方が便利だ。
もう一つ閃き。
廃駅のような場所でも、突然大量に物が増えたら目立つ。
なら、資材が増えても自然なのも追加。
広くて。
人目につかなくて。
空に近くて。
資材が増えても自然。
「……建設中のビルか!」
それも、ある程度の高さのビル。
スイングをしながらあたりを見回し、めぼしいビルを探す。
「ビル、ビル、ビル」
そして。
「ビンゴ」
あった。
屋上にデカいブルーシートがあって、周辺の建物より頭一つ高い。
ご丁寧に建設中の看板までセットだ。
ダメ押しで目を凝らせば。
見える。
風ではためいた隙間から、金属の光沢とドラム缶の錆が。
近くの様子から見て、まだ誰もいないようだ。
なら今のうちに破壊しておけば。
……あれ。
あれだけ速いヴァルチャーよりも先に着いた?
いくら先回りしたからって限度があるはず。
ヴァルチャーの速度を考えれば、今いるのって。
「かかか!テストフライトも順調、順調!」
ピットイン間近の距離!
最悪、こっち来てる!?
「っ!」
最低限、燃料は蹴り飛ばしておく!
そんでもって、ウェブを張り巡らせて蜘蛛の巣トラップ!
「ヴァルチャー号の遊覧飛行はここで終わりだよ!」
「ここはスタッフ以外立ち入り禁止じゃ!」
やばい突っ込んでくる!
ヴァルチャーは目の前の黒い蜘蛛の巣にも臆さず、そのまま全速力で飛んでくる。
ただで体当たりされるわけにはいかない。
踏ん張って糸を引き絞って、あとは手で抑え込む!
「……っ!」
痛い痛い痛い!
スーツで強化されているのに押し負けそうだ。
指がきしんでいるし、足首もねじ曲がりそうになる。
でも、こんなところで止めるわけには……!
「さっき、ピットクルーの募集チラシ見てさ……!」
「お生憎、ここは儂のワンマンチームじゃ」
蜘蛛の巣が少しは作用しているのか、段々と減速している。
この痛いのもあとちょっとで終わるはず。
「迷惑ファンには倍プッシュじゃ!」
「は!?」
何を言ったのか飲み込むよりも速く。
ヴァルチャーの背中が、より低くうなり始めた。
「過激なファンサービスをありがとう……!」
明らかに馬力が増した。
指がさっきよりも傷んで、骨にまで衝撃が響いてくる。
空気が震えて、ビルまで揺れ始める。
「……っ!」
限界まで引っ張られた糸が一本、ちぎれた。
それを合図に一本、また一本と連鎖していく。
このままだと糸がなくなって押し負ける。
どうにかして打破しないと。
そのときだった。
――ドンッ!
「……っ!?」
突然、ビル全体が揺れた。
屋上の床が大きく震え、足元がわずかに浮く。
鉄骨が軋み、周囲の建材が音を立てて崩れた。
反射的に視線を下へ向ける。
……まさか。
次の瞬間。
――ゴォォォン!!
今度は、もっと下から爆発音が響いた。
遅れて、熱風が屋上まで吹き上がってくる。
「燃料……!」
さっき蹴り飛ばしたやつが、下の階か、そのさらに下で何かに引火したんだ。
完全に計算外だ。
でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。
目の前を見る。
ヴァルチャーの体勢が崩れている。
巨大な翼が爆風に煽られ、ほんの一瞬だけバランスを失っていた。
「……なら!」
張り巡らせていた糸に、さらに黒い触手を纏わせる。
一本じゃ足りない。
二本でも。
三本。
四本。
もっと。
もっともっともっと!
黒い触手が腕へ絡みつき、筋肉を補強するように密集させていく。
痛みはある。
でも、構わない。
ここを逃せば、負ける。
「……っ!」
足に力を込める。
ヴァルチャーが体勢を戻すより早く、蜘蛛の巣を一気に引く。
そして。
「――っ!」
腕を振り抜いた。
黒い触手が、ヴァルチャーの体を捉える。
その巨体が、宙で大きく傾いた。
「そこ!」
そのまま地面へ叩きつける。
――ドゴォン!!
屋上のコンクリートが大きくひび割れた。
止められた。
同時に、足元から嫌な音がした。
「……?」
視線を落とす。
叩きつけたヴァルチャーを中心としたひび割れ。
その亀裂が、私の足元へ向かって伸びていた。
まずい。
そう思う間もなく、亀裂は広がっていった。
バキバキバキバキッ!!
「……!」
屋上の床が、一気に崩れた。
体が落ちる。
何かをつかもうと何度も手を伸ばそうとする。
けれど、指先を掠めるのは空気だけ。
足場がない。
壁も遠い。
上を見る。
さっきまで立っていた屋上が、もう遠ざかっている。
そして。
下。
何階ある?
考えたくもない。
「まずい……!」
落下速度が上がる。
風が顔を叩く。
建設途中の階層が、次々と視界を通り過ぎていく。
一階。
また一階。
止まらない。
床を破って、壊して、崩していって。
ドオオン!
私は何階か下のコンクリートに叩きつけられた。
「痛っ……」
背中にもろに当たった。
震える手で腰をさすりながらゆっくりと立ち上がる。
背中から伸びた黒い触手も腰をさすってくれた。
「ありがとう」
ヴァルチャーも今のでかなりダメージを負ったはずだ。
ピットもめちゃくちゃ。
次のフライトは継続できないはず。
「無敵のスパイディ、今日も……なんとか勝利」
体を引きずり、柱に背中を預けながらこぶしを突き上げる。
駄目だな、勝ててもボロボロだ。
スパイダーマンになるならもっと軽口叩きながら勝たないと。
そもそも壊しすぎだ。
ビルは開放的な吹き抜けができたし、さっきの爆発で上半分がなくなった。
課題は山積みだ。
「とりあえず帰らない、と……?」
嫌な音がする。
甲高く響きながら何かが落下する音。
上から何かが。
上を向いた時には、鉄パイプが何本も目の前にあった。
重なり合って響き合い。
床に落ちた。
キィィィィン!
「GAAAA!!」
何本も落ちてくる。
何本も。
何回も。
「GAAAAAAA!!!」
苦しくて床にうずくまる。
頭をグルグルと音が駆け巡る。
いつまでも重なり合って。
「AAAAAAAAAAAAA!!!!」
ふと、鉄パイプの合唱の中で低くうごめく音が聞こえてくる。
不格好に這いずりながら視線を動かす。
「かかか」
ヴァルチャーだ。
だが、自慢の翼はへし折れている。
左のものに至っては背中のジェットパックにまで傷が。
「AAAAA……!」
「お主のスーツ、もしや生命体か」
早く、復帰しないと。
こいつを、倒さないと。
スパイダーマンとして、ヴィランを。
「有機か。次のフライトのヒントにはなる」
「AAA……」
ヴァルチャーは一歩ずつ近づいてくる。
へし折れたとはいえど、翼は一枚残っている。
今のままじゃ抵抗できない。
早く、復帰を……!
「お主、やはりスパイダーマンではないな」
は?
「色が変わったとは聞いておったが、別物じゃ」
……黙って。
「スーツもやつのオーダーメイドとは違う。糸もな」
黙れ。
「やつの物真似じゃな」
「黙れ!」
やつに近づき、首をつかむ。
勢いあまって床にたたきつけるが、知ったことじゃない。
そのままやつを掴み、何度も叩きつける。
「私は、スパイダーマンだ!」
不思議と力が湧いてくる。
スーツは怒りに呼応するように大きくなっていく。
腕もドンドン太くなる。
一撃も重くなっていく。
「お前が、決める、ことじゃ、ない!」
やつを殴る。
殴る。
何度も。
何度だって殴ってやる。
「私は、スパイダーマン、だ!」
『いいぞ!そのまま殺せ!』
ふと、頭の中の声が聞こえる。
ハッとしてヴァルチャーを見る。
白目をむいていて、スーツも破損していた。
ひどい痣が浮かび上がるほどの怪我も。
「まずいまずいまずい」
スーツを引っ込め、後ずさる。
服が汚れるけど、そんなこと気にしてられない。
呼吸が乱れる。
視界がブレる。
ピーターはこんなことしない。
ヴィランにだって優しい。
なのに、こんな怪我。
『落ち着け!』
「だって、こんなのスパイダーマンじゃ」
『いいから落ち着け!』
荒い呼吸を抑えようとする。
深呼吸。
深く、息を吸って。
「ヴェノム、スマホって」
『ポケット!』
震える手でポケットに手を伸ばし、画面を開く。
指を不格好に這わせる。
なんとか救急に連絡した後、ヴェノムを纏ってすぐに離れる。
スイングして、逃げるように。
必死に離れて。
逃げて。
逃げて。
逃げて。
気づいた時には、エンパイアステートビルのてっぺんにいた。
「……また失敗した」
スーツを引っ込め、エンパイアステートビルの景色に思いを馳せながら反省する。
『悪者をぶっ潰した!良いことだ!』
「やり方っていうのがあるんだよ。前にも言ったでしょ、スパイダーマンは」
『殺さない?まどろっこしい』
この同居人は。
スパイダーマンについて散々語ったのにこれだ。
ふと、ガラス窓に映る自分の姿を見る。
金色にはためく、肩まで伸びた髪。
何も映そうとしない、灰色の瞳。
心なしか、傷一つついていない顔の疲れが目立っている気がした。
老けた気になって嫌になる。
気持ちを逸らすためにもスマホを見よう。
「……あ、アーロンから連絡来てる」
卵買ってきて、か。
スイングすればすぐに終わるな。
「ヴェノム、追加の仕事。行くよ」
『了解』
スパイダーマンが死んでから一か月。
私が、彼の代わり。
私が、スパイダーマンだ。