蜘蛛もどき、あるいは毒蜘蛛 作:ヒーローは最後に立ち上がるから安心できる
『親愛なるニューヨークの善良な市民の諸君!J・ジョナ・ジェイムソンのファクト・ニュースだ。今日もあの黒ウェブヘッドがやらかしたぞ!建設中のビルをぶっ壊し、イカれた老人を病院送りにしたそうだ。あのレーサー崩れが捕まったのは素晴らしいニュースだが、同時にあの蜘蛛もどきが調子に乗っているという最悪のニュースもセットだ』
『なんだジャレット?あれはスパイダーマン?お前の目は潰れたのか!?あれは偽物だ!』
『……いい機会だ。私があの蜘蛛男のアンチだということはリスナーの諸君も周知の事実だろうが、ここで今一度言わせてもらおう』
『あれは、偽物だ!』
『私は今も本物のスパイダーマンを認めてはいない。これは未来永劫変わらん。だがな、少なくともやつはあんな破壊活動は行っていなかった!』
『あの黒いスパイダーマンもどきは最悪のスパイダーマンに最悪の要素をブレンドした最悪中の最悪だ!』
『犯罪者は皆病院送り、建物は半壊が当たり前!』
『リスナーの中には営業再開に半年かかると知らされた果物屋の店主までいる!』
『半年もだぞ!』
『犯罪者が刑務所に行く前に病院に行くのが新しい常識だと!?市民の暮らしをなんだと思っているんだ!』
『赤いのと入れ違いで出て来たから勘違いするやつも多いが、あれは全くの別物だ!』
『縄張り争いに負けたのかどうかは知らないが、スパイダーマンは覆面の化け物の仲間として、すぐにあの偽物を引き取れ!』
『最近は病院送りの数が減っているだと?感覚で数字を語るなジャレット!』
『私が言いたいことは一つだ。やはり覆面の怪しいやつ信用ならん!』
『今すぐに黒スパイダーマンはこの街から』
THWIP!
帰宅早々にジョナの元気な声が聞こえたので、
なんでアーロンはこんなの聞いてるんだ。
『ファンなんじゃねぇか』
「だとしたら最悪」
スパイダーマンファンとして、ジョナは苦手だ。
いやまあ、十年も一貫した批判を続けられるのは敵ながら見事だけどさ。
それとこれは話が別というか。
これ以上考えるのはやめよう。
私は繊細な女の子なんだ。
「……アビー?いつ帰ってきたんだ」
廊下から声が聞こえ、慌ててヴェノムを引っ込ませる。
「えっと、ついさっき」
「ドアの音がしなかったぞ」
壁から窓をくぐったからだなんて言えない。
どうにもスパイダーマンを始めてから床と天井と壁の区別がつきにくくなってる。
窓とドアの区別も。
ちなみにアビーというのは私のニックネーム。
ピーターのピートみたいなもの。
名字も含めて言うと、アビー・ブロックになるね。
「そ、それよりもさ!ほら、卵!卵買ってきた」
「あ、ああ……。ありがとう」
いぶかしんでいるアーロンに無理やり卵を渡して誤魔化す。
……誤魔化せたよね?
アーロンは少し不思議そうだったが、首を振ってキッチンの方に向かった。
危なかったがセーフだ。
アーロン・デイヴィス。
私の保護者だ。
名字が違うことからもわかるが、私の実の親ではない。
そもそも黒人のアーロンと白人の私じゃ見た目から違う。
両親は十年以上前に死んだ。
その時に両親の友達だったアーロンが私を引き取った。
……らしい。
詳しい話は私もよくわかっていない。
両親との思い出は少ししか覚えていないし、物心ついてからはずっとアーロンと暮らしてる。
アーロンとの暮らしは、まあ不自由では無い。
金銭面ではある程度恵まれている方だし、アーロンは不器用だけど優しい。
まあ、若干の家族トラブルはある。
これも詳しいことは知らないけど、彼は自分の兄と拗れているらしい。
その兄……私からすれば叔父?なのか?
とにかく、彼は基本的にアーロンと連絡を取らない。
けれど唯一、私関連の話題は頻繁に連絡を取ってる。
私がディナーに誘われる時なんかは、彼が兄と食事できる貴重な時間だ。
このことに関しては仲直りのタイミングを逃しているだけだという説が私とマイルスの中では濃厚。
あ、マイルスはアーロンの兄の息子で……なんかややこしいな。
つまりはアーロンの甥だ。
彼は叔父であるアーロンの元にたびたび遊びに来る。
その縁で私も彼とよく遊んでいる。
アーロンも甥が可愛いのか、兄に内緒でよく遊ぶ仲だ。
……まあ、なんというか。
複雑ではある。
不満があるわけじゃない。
アーロンは男手一つで私を育ててくれた。
慣れないことを一生懸命してくれた。
私はアーロンを家族として愛しているって言える。
「オーガニックのやつ買ってきたのか?安いのでいいって言っただろ」
「自分が食べるものって気になるじゃん」
「食えば全部同じだろ」
「アーロン、意識低いよ」
「お前のそういうところ、
「……そう、なんだ」
でも、こういう時にズレを感じる。
名字が違うのもアーロンの意向だ。
曰く、
『必要ないだろ』
だそうだ。
……わかってる。きっとそういう意味じゃない。
アーロンが不器用なのはこれまでの十年でよくわかってる。
でも、なんていうか。
こういう積み重ねが、今の食卓の沈黙を作ってるんだと思う。
「……」
「……」
こういうのね。
「……最近、学校はどうなんだ?」
「学校がどうって……絶好調だよ」
「そうじゃなくて……もっと細かいことというか」
「細かいことって。先生から聞いてるでしょ」
「……」
再びの沈黙。
気まずさを紛らわせるようにミートソースを掻き込む。
「……その先生から連絡があってな」
「私が科学の成績トップになったって話?」
「授業をサボりがちだっていう話もな」
「それについては、まあ……」
何も言えない。
おそらくは、というか十中八九ヒーロー業のせいだ。
私には学生としての生活があるけど、悪党にはない。
登校中とか授業中とか、そういうの関係なく過ごしている。
ひったくりを捕まえてたら始業のチャイムが鳴ってたなんてよくあることだ。
「しかも最近増えてるって聞いたぞ」
「別に、アーロンには関係ないじゃん」
「関係大有りだ。いいか、俺はお前の」
突然、アーロンのスマホが鳴った。
「……すまん」
アーロンは少し躊躇した後、スマホを取って席を離れた。
「もしもしマイルス?何の用だ?」
……マイルス。
「……やっぱり何でもない?変なことを言うな」
ちょっとだけ、モヤっとする。
「一か月前にも似たようなこと言ってなかったか?……わかった、今度ウチに遊びに来い」
そりゃ、緊急の用なのかもしれない。今すぐに伝えないといけないことなのかもしれない。
けれど。
アーロンは今の私より、マイルスを優先したんだ。
「すまん。話の続きなんだが」
「気になるならマイルスに聞けばいいじゃん」
「俺はお前に聞いてるんだ」
モヤモヤも。
それが理由で八つ当たりする私も、嫌いだ。
『最初からサボればいいだろ』
「最低限は出席してるよ。単位の計算もしてるし」
「そういう問題じゃない」
『そもそもこんな奴の言うこと聞く必要はない!』
あるよヴェノム。
だって、この人は私の保護者だよ?
「ちゃんと話を聞いてくれ」
『それより腹が減った!チョコを食わせろ!』
ヴェノム、うるさい。
そう念じるが、ヴェノムには届かない。
ヴェノムの声は頭に響くのに、こちらの声は届かない一方通行なのだ。
カスタマーサポートに連絡したい。
「俺も昔はワルだった。でも今はまともに仕事してる」
「オズコープの警備員ね。実際すごいよ」
「そういう話をしてるんじゃない」
『フェネチルアミンを寄越せ!』
ヴェノム、本当に黙って。
「お前には俺みたいな苦労をしてほしくないんだ」
『俺はチョコが欲しいんだ!』
「とりあえずチョコ食べていい?」
「待てよアビー」
ヴェノムがいい加減うるさいので戸棚に向かう。
この子と暮らすようになってから、チョコは必ずストックするようにしている。
じゃないとコントロールできないから。
「なあ。俺はお前が心配なんだ」
「……わかってるよ」
「なら、ちゃんと授業に出ろ」
出来ないよ。
スパイダーマンはもういない。
アベンジャーズは街より宇宙の方にかかりっきり。
私しかいないんだ。
「四六時中勉強しろっていってるわけじゃないんだ」
「ならいつ勉強しても私の勝手じゃん」
「屁理屈こねるな」
わかってる。
私が悪い。
アーロンに余計な心配かけてる。
でも、これを疎かにしたら私は。
「比べるわけじゃないけど、マイルスを見習え」
……マイルス。
アーロンの、甥。
実の、家族。
『こいつうるさい!この前こっそりチョコ食べたし嫌いだ!』
「そりゃ、あいつも不真面目だけど、やることはちゃんとやってて」
『犯罪者も嫌いだ!チョコを食う時間が減る!』
「お前もあいつみたいに」
あいつって。
私じゃなくて?
「真面目に授業を受けてだな」
『ニュースのやつもだ!うるさくて嫌いになりそうだ!』
「私はあんたが嫌いになりそう!」
「……そう、か」
「……あ」
言ってから、言っちゃダメだったと気づく。
アーロンの顔を見なくても、傷ついているのは自明だった。
「ご、ごめん今のは」
「……いや、俺も悪かった」
慌てて振り返って、やっぱりなって。
こういう時、アーロンは決まって同じ顔をしてる。
傷ついているのに、平気そうに顔をしかめる。
「とにかく。授業にはちゃんと出ろ。いいな」
「……はい」
「……今日はもう寝る。おやすみ」
「おやすみ、アーロン」
アーロンは少し疲れた様子で寝室に向かっていった。
私もちょっとネガティブになって、チョコだけ取って逃げるように部屋に入った。
部屋にこもっても、じわじわと重い何かが胸を圧迫してくる。
何も考えたくなくて枕に顔をうずめる。
でも、いくら思い出したくなくてもアーロンの顔が浮かんで。
ネガティブな感情が増していくだけだった。
「はぁ……」
時々、アーロンの言うことが信じられなくなる。
もちろん、アーロンはいい保護者だ。
バスの送り迎えはしてくれたし、友達とショッピングに行く時はお小遣いをくれた。
でも、実の家族じゃない。
嫌なことを考える時がある。
私は、彼と兄の仲直りの道具なんじゃないかって。
私より、マイルスといる方が楽しいんじゃないかって。
もちろん、そんな考えは浮かぶたびに打ち消す。
でも、ちょっとずつ消すよりも早く浮かんでくるから、いつの間にか頭がそれでいっぱいになってる。
こんなことを疑う自分も、聞く勇気もない自分も嫌いだ。
『……さっきはすまん』
「別にいいよ。怒鳴ったの私だし」
私の背中から文字通り顔を出してきたヴェノム。
その顔を撫でてあげる。
彼なりに思うところがあったのか。
もしくは励ましてくれてるのだろうか。
化け物みたいな見た目をしているが、私より気遣いが上手なのかもしれない。
この子との共生も二か月になる。
なんでも宇宙から来た地球外生命体の
この時点で情報もりもりだが、おまけにスーパーパワー付き。
この子がいなければ私はスパイダーマンとして活動できなかっただろう。
「ほらチョコ。食べな」
『よっしゃ!』
私が放り投げたチョコを顎で器用にキャッチ。
そのまま咀嚼し始めた。
ここだけ見れば可愛い小動物なんだけどね。
ちなみに、チョコを食べさせているのは世話の一環だ。
シンビオートは宿主の存在に加えて、とある成分の摂取が不可欠。
それがフェネチルアミン。
生き物の脳みそとチョコにある物質だ。
一時期は脳みそを食べようと人を襲っていたが、頑張って交渉した。
今は代わりのチョコで満足してくれている。
そう考えると交渉を成功させた私偉くない?
「……なんて、誰も褒めてくれないけど」
『何の話だ?』
「んー、なんでも」
ふう、と一息ついてべッドに転がる。
もう今日は寝よう。
目を閉じて、羊を数えて。
……駄目だ。
やっぱり浮かんでくる。
さっきのアーロンの顔。
傷ついているのに、何でもないふりをしていた顔。
「あーー……」
『アビー、うるさい』
この子は気遣いができるのかできないのかどっちなんだ。
もうしょうがない。
何か別のことを考えよう。
映画でも、ゲームでも、この際宿題でもいい。
気がまぎれるなら何でも。
『……警戒中の全ユニットへ。強盗事件発生。容疑者は三名、武装している可能性あり。現在、容疑者たちは……』
……まあ及第点かな。
「ヴェノム。お仕事だよ」
『はあ?昼にやったばっかだろ!?』
「残業。タイムカードは切らないよ」
『
「口わっる」
どこでそんな言葉覚えたのさ。
見せる絵本間違えたか。
「帰ったらスパイダーマンコミック読み直すよ」
『嫌だ!』
「あのコミックには人生の全てが詰まってるのに?」
『その全てを7回も読んだ!うんざりだ!』
布教は失敗か。
くだらないことを考えながら、ヴェノムを纏う。
姿は出来る限りスパイダーマンに似せる。
蜘蛛のマーク、シュッとしたデザイン。チャーミーな目。
『窮屈だ!』
「文句言わないの」
なんでも、やろうと思えば大男みたいになれるそうだ。
それを無理やりコンパクトにしているから、お気に召さないらしい。
人間で例えると……犬用の玄関から入ろうとしてる姿勢?
「とにかく行くよ」
『お仕置きタイムだ!』
それ違う大男。
窓を開け、向かいのビルに
そして、そのまま一気に飛ぶ!
「Fooooo!」
スイングは慣れると楽しい。
移動手段ではあるけど、高揚感とスリルで最高にテンションが上がる。
夜のニューヨークを駆けていく。
心地いい暗闇と、細々としたライトが照らす夜景が次々と移り変わっていく。
「おい、あれスパイダーマンじゃないか?」
「ほんとだ!」
「はーい、スパイディ!」
「スパイダーマーン!」
ついでに、スパイダーマンを愛するみんなの声も。
「ニューヨークのみんな、こんばんは!夜更かしはしないで、良い子は早く寝てね!」
『ならアビーは悪い子だ!』
……そうだね。
きっと私は悪い子だ。
だって、秘密を抱えてスイングしてる。
街のみんなは知らない。
一ヶ月前に本物のスパイダーマンは死んでて。
私が成り変わってるって。
あの日。
私のせいで、スパイダーマンは死んだって。