蜘蛛もどき、あるいは毒蜘蛛 作:ヒーローは最後に立ち上がるから安心できる
せっかくなので、ここでスパイダーマンについて軽く説明しよう。
スパイダーマン。
親愛なる隣人の愛称を持つスーパーヒーロー。
特徴なのは赤と青のスーツ、ウェブを用いた軽快なアクション、そして親しみを忘れない軽口だ。
活動を開始したのは10年前。
それまでは細々と人助けをしていたのだが、グリーンゴブリンというスーパーヴィランとの戦闘で広く世に知られるようになった。
タイムズスクエアでの激闘は伝説として語り継がれ、今もマニアの間で語り草となっている。
その後もグリーンゴブリンを始めとしたスーパーヴィランとの戦闘を幾度も繰り返し、ニューヨークの人々を守ってきた。
この前のヴァルチャーもその一人だったりする。
やっぱりスパイダーマンってすごいや。
さらに、アベンジャーズの一員でもある。
アベンジャーズの説明は……。まあいらないよね。
アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソーたちを中心として結成された地球最強のヒーロー集団。
ニューヨークで勃発した宇宙人との戦闘は、アベンジャーズがいなければアメリカが再起不能に追い込まれていただろう。
スパイダーマンはアベンジャーズが世の中に広く知れ渡ってから少ししてから加入した。
が、彼は活動の規模をニューヨークから大きく外れることだけはしなかった。
無論、世界規模のケースが起きた場時には宇宙にまで出張したこともあったが、それだけ。
彼の活動はいつだって人助けが第一。
宇宙人と戦った次の日には猫を木から下ろしていた。
私はそんな、人々に寄り添い続ける彼が好きだった。
アベンジャーズに加入してからも彼が『親愛なる隣人』の愛称で呼ばれ続けたのことこそが何よりの証拠だろう。
そんな彼はコミックになり、シリアルやクリスマスアルバムを出した。
コミックは最高だ。
彼の活躍を中心に構築されているのだが、彼の内面に深く注目するエピソードが多く込められている。
私が特に好きなのが―。
「アビー、そろそろ起きて」
「んー……あと5分……」
「もうオズコープに着いたわよ」
リズの一言で私はガバッと顔を上げた。
寝ぼけた頭を起こしながら窓の外を見る。
そこには、ガラス張りの巨大なビルがそびえ立っていた。
建物の側面には、見慣れたオズコープのロゴ。
朝の光を受けたガラスが眩しく輝いていて、思わず目を細める。
ただ、勢いよく顔を上げた私のことをバスを降りているみんなが少し驚いたように見てたので、私は顔を赤くしながら曖昧に笑った。
そう、私は今社会見学に来ている。
色々考えたが、やはりオズコープへの訪問を外すことは可愛い一人の女の子アビーとしてはとてもじゃないができなかった。
学校行事だが、これも授業の一環だ。
先生からの印象をこれ以上悪くしないためにも、最低限は出ないと。
それにしても、オズコープ。
テレビやニュースで見ることはあっても、実際に目の前にするとやっぱり大きい。
入口の前には、関係者らしき人や社員が行き交っている。
スーツ姿の人。
白衣を着た人。
タブレットを片手に早足で歩く人。
その中を、お揃いの制服を着た私たち学生の集団がぞろぞろと進んでいく。
なんだか少しだけ場違いな感じがする。
でも、そんなことはどうでもよかった。
自動ドアを抜けた先に広がっていたのは、広々としたロビーだった。
天井は高く、床は綺麗に磨かれている。
正面には受付があり、その奥にはオズコープの巨大なロゴが掲げられていた。
壁際には企業の歴史を紹介するパネルや、いくつかの研究成果を紹介する展示が置かれている。
その中に、透明なケースに収められた大きな機械があった。
あれは!
「見て見てリズ! あれ展示用の粒子加速器だよ! すっこく大きい!」
「テンション高いわね」
思わず声が大きくなる。
ロビーにいる生徒たちの何人かがこちらを振り返った。
でも、そんなことを気にしていられない。
オズコープのロビーに粒子加速器が展示されている。
それだけで十分すごい。
展示の横には簡単な解説パネルが置かれていて、研究に使われていた年代や用途が説明されている。
私はそこに書かれた文章を上から下まで読み始めた。
「嘘だろ。おいマイルス、アビー、見ろよあれ!初期型のグライダーだ!ロビーなのにあんなものまであんのかよ!?」
「ほんとだ!姿勢制御用のウィング、でっかい!」
「すっごい、あの旧式バッテリーまだ残ってたんだ!?」
「3人とも。ちょっと声大きいよ」
少し離れた場所には、古いグライダーが展示されていた。
最新型と比べればずいぶん無骨なデザインだが、それがかえって格好いい。
ガンケが展示ケースの前に張り付くようにして、機体の細部を眺めている。
私も負けじと隣から覗き込む。
昔の技術で、どうやってこの形を飛ばしたんだろう。
バッテリーの容量は?
推進機構は?
制御系統は?
疑問が次々と浮かんでくる。
『うるせぇ……』
やばい、今すごく楽しい。
ヴェノムにやり返せてるのも込みですっごい楽しい。
いつもだったら、こういう公の場だと私がヴェノムに振り回される形になる。
唐突にチョコを欲しがったり、暴れたくなったり。
でも、今は私が振り回せてる。
別にそれが主目的じゃないけど、人が多い場所だとヴェノムも大人しくするしかないし、どれだけ嫌に思っても我慢するしかない。
悪いけど、今回は少しくらいは我慢してもらおう。
「はい、これから見学用のIDを配るので順番に受け取ってくださいね!」
先生が声を張ってみんなを誘導する。
そうしなければ聞こえないくらい、みんなが興奮して騒いでいるからだ。
もちろん、節度のある範囲でね。
ロビーには生徒たちの話し声が響いている。
無理もない。
ここは天下のオズコープだ。
アメリカにはスターク・インダストリーズのような大企業が他にもいくつかあるが、オズコープ社はそれに劣らない、むしろ抜きん出たところすらある企業だ。
最新の科学設備をいくつも備えており、優秀な科学者を何人も抱えている。
科学オタクなら名前は知っていて当然の場所だ。
中でも生物学についてはスターク・インダストリーズをも超える成果を出している。
その成果によって医療にもたらした恩恵は計り知れない。
不治の病がオズコープのおかげで薬一つで治るようになった、なんてのは誇張ではない。実際にあった話だ。
壁に並んだパネルにも、そうした研究成果がいくつも紹介されている。
難しそうな専門用語が並んでいるけれど、こういうものを見るのは嫌いじゃない。
むしろ、ずっと見ていたいくらいだ。
ちなみに、オズコープにはいくつかの都市伝説や黒い噂がある。
まあ、大企業あるあるのやつ。
その噂の一つは、行きすぎた実験の副産物で緑の妖精やトカゲ人間、電気人間が生まれたっていうもの。
いや、最初のはグリーンゴブリンだし、その後のもリザードとエレクトロじゃん。
どれもスパイダーマンと敵対したスーパーヴィランだ。
けど接点が何もないし、二人ほど正体も消息も不明だ。
グリーンゴブリンは2年前を境に全く活動しなくなったし、リザードに至っては最初の目撃以降音沙汰がない。
いずれにせよ、信憑性はない。
よくある陰謀論の一種だろう。
そもそも、オズコープという一つの企業からそんなにヴィランが生まれるわけも無い。
リザードの説で私が一番好きなのは、恐竜と人間のハーフが現代まで眠っていたって説だ。
少なくともオズコープで生まれたっていうのよりも説得力がある。
『オズコープは偉大な科学者、ノーマン・オズボーンによって創業されました。一代でオズコープをニューヨークを代表する大企業に成長させたノーマンでしたが、2年前、突然の病によってこの世を去ります。そこでオズコープを継いだのがノーマンの優秀な息子、ハリー・オズボーンでした。彼は医療の研究をより拡充させ、ニューヨークに寄り添う企業という新しい形での……』
IDを受け取るのを待っている間、私は目をキョロキョロとさせながらロビーで流れているアナウンスを聞いていた。
正面の大型モニターには、オズコープの歴史をまとめた映像が流れている。
創業者であるノーマン・オズボーンの写真。
研究施設の映像。
そして、現在のオズコープを率いるハリー・オズボーンの姿。
ノーマン・オズボーンの論文は一度見たことがあったが、今見ても色褪せない革新性と丁寧さが共存している素晴らしいものだった。
それだけに、急死してしまったことが悔やまれる。
……天下のオズコープですら治せなかった病、か。
ハリー・オズボーンはどんな思いだったのだろうか。
『さらにハリーは……』
『こちら18号車。ピザ店前で口論』
『18号車、内容は?』
『……ピザのトッピングについて揉めてる』
『……了解。応援に向かう』
『……のような分野についても積極的な支援を』
おっと、今のは違うアナウンスだ。
警察の無線だ。よく傍受している。
今回はイヤホンが目立つので、ヴェノムを介して傍受している無線を耳に流している。
これならいざという時に即座に対処しに行ける、という寸法だ。
『大人しく無視すりゃいいだろ』
ダメ。
何があろうと、私がスパイダーマンの代わりなのは揺るがないんだから。
街中の小さなトラブルくらいなら、いつもは飛んで行くけど、今日は見逃しさせて欲しい。
けど、重大な事件が起こったら私は見学を抜ける。
ヴェノムの長所は事前準備がなくても戦闘の用意が瞬時にできることだ。
最大限活かしていかないと。
「……マイルス? どうしたの?」
ふと、そんなことを考えているとリズがマイルスに声をかけた。
それに釣られてマイルスの顔を見てみると、なんだか顔が青ざめていた。
目をまん丸にさせて、ロビーの真ん中をじっと見つめて口を押さえている。
さっきまでガンケと一緒に展示を眺めていたはずなのに、いつの間にか一人だけ取り残されたような顔をしていた。
「……えっと、ここの社長の名前ってなんだっけ」
「? そりゃハリー・オズボーンでしょ」
「急に変なこと聞いてどうしたんだよ」
「ハリー、オズボーン……ハリー……」
それっきり、マイルスはブツブツとハリーさんの名前を呟き始めた。
その視線は、さっきまで流れていた企業紹介の映像に向けられている。
そこにはハリー・オズボーンの名前と顔が映っている。
どうしてそんなものを気にしているのか、私にはよく分からなかった。
「なんか一ヶ月前もこんな感じだったよね」
「一ヶ月前?」
リズの言葉に首を傾げる。
なんかあったっけ。
「覚えてねぇの? マイルスが大遅刻かましてから数日こんな感じだっただろ」
「あー……そうだったような」
やばい、全然覚えていない。
あの頃はスパイダーマンを真似るのに必死で、学校のこととかけっこう疎かにしていた記憶がある。
薄情な話だが、マイルスの細かい様子に気を使っていられるほど余裕はなかった。
「私の記憶通りなら、アビーの遅刻癖もその辺からだけど」
「返す言葉もありません……」
「反省してるなら治しなさい」
ごめんなさい。
『親に叱られてるみたいだな!』
リズは私の親じゃなくて親友なんだけど。
私の親は……。
『名字を一緒に? 必要ないだろ』
……。
そういえば、今日はアーロンと会ったりするのだろうか。
警備員だし、可能性はないわけではない。
……出来れば、見学では行かないような奥の方で働いてて欲しい。
今会ったらなんて言えばいいかわからない。
「はい、皆さんIDは受け取りましたね?」
先生の声が聞こえ、考えるのを一度やめる。
受け取ったIDカードを首から下げる。
透明なケースの中で、写真と名前が印刷されたカードが胸元で小さく揺れた。
「それでは、今日皆さんを案内してくださる研究員の方を紹介します」
先生がそう言うと、後ろの方から白衣を着た男の人が出て来た。
くすんだ金髪、眼鏡の奥には翡翠に似た緑色の瞳。
白衣の下にはシャツとネクタイを着ていて、胸元にはオズコープのIDカードがぶら下がっている。
細身の体つきで、年齢は三十代半ばくらいだろうか。
白衣の右袖が根元のあたりから折りたたまれているのが、目についた。
研究員らしい落ち着いた雰囲気をまとっている一方で、少しだけ疲れているようにも見えた。
そして、その疲れを感じさせない理知的な光を瞳から感じる。
でも、それ以上に気になったのは、その顔だった。
なんだろうか。
特徴的と言うほどの顔ではないのだが、既視感がある。
つい最近、どこかで見たのだろうか。
アビーとしての知り合いなら思い出せるはず。
つまりはヒーロー業で……。
「ヴィジョンズの皆さん、こんにちは。ここの研究所で働いているカート・コナーズです」
あ、この人。
先週に書類渡した人だ。
……ビミョーに気まずいな。
◇
『潜入に成功しました』
『もちろんですよ。不要なリスクは不必要です。発見されるわけがありません』
『かしこまりました。では当初のスケジュールプランのまま進行します』
『ええ、承知しております。追加契約の件ですよね』
『ご心配なく。ご要望の通りにハンドリングしておきます』
『このスコーピオン、自信を持って結果をコミットしますよ』
◇
『あー、ボス。会社の地下にいるんだが、今から上に行っていいか?』
『おいおい、昼飯くらい食っていいだろ』
『姿を見られたらまずいのはそうだけどよ……』
『あ?今学校の見学が来てる?聞いてねぇぞ』
『……娘とは、最近折り合いが悪くてな』
『わかった!今度ちゃんと時間を作る!』
『……あんたにこんなこと言わせて、すまん』
『仕事はちゃんとやるさ。これが俺の生き方だ』
『プラウラー了解。昼飯食ったら仕事を再開する』
◇
『『黒いスパイダーマンを、捕まえる』』