そう、ちょうど、私も家賃を払えなくて困っていた時に、SMSに募集メッセージが来たのです。
内容を見る限り、手を出すのはいけない、ということは感じていました。
案の定、面倒なことになりました。
匿名設定です。
この小説には犯罪を増長する目的はありません。
夜、寝付けにくい方は読まないよう、よろしくお願いします。
【急募】夜間見守りスタッフ 午前0時〜午前5時/日給100,000円/即日払い 未経験・年齢・性別不問 ※詳細は現地にて。応募後の辞退は不可。本人確認のため、身分証を手持ちすること。【柏木邸】
【注意事項】
・指示に従うこと
・対象者に声をかけないこと
・部屋を覗かないこと
・名前を呼ばれても返事をしないこと
・決して姿を見せないこと
なお、午前5時以降については注意事項は全てなく、自由にして良い。
ただし、最後に高齢者から封筒を受け取ること。
ーーー
俺、斉藤ハジメはSMSで流れてきた、ろくでもないホワイト案件を食い入るように見ていた。
「絶対ヤバいやつに違いない」
悪さをしたわけではないが、半年前、人員整理の対象になり仕事をクビになった。潰しのきく技能や資格は無く、今年で40歳の俺にはあまりにも世知辛い出来事だった。
運が良かったのかはわからないが、俺に妻子がなかったことが唯一の救いだろう。知り合いの同僚は一家離散していた。
しかし、他人の心配をしている場合ではない。
もう、家賃の滞納は二ヶ月目で、とうに貯金も底をついた。消したはずの画面をもう一度つけ直し、求人募集を見る。
俺の指が勝手に動き出す。頭ではわかっていた。
でも、10万円という家賃に直結する正義には勝てなかった。
ーーー
指定された住所は、県庁のあるB市の駅から歩いて二十分の場所だった。
携帯電話の地図アプリを見ながらトボトボと歩く。
ザワザワと揺れる街路樹。もうすぐ0時になる深夜帯では、不審者丸出しの俺も、少し薄気味悪かった。
心のどこかでお巡りさんに止められて、目的地に辿り着けない方が良かったんじゃないかなとすら思った。
坂の上の古い一軒家。
庭の広く、よく手入れのされた松やいちいの木のある日本庭園だった。表札は連絡のあった通り、柏木。
玄関に貼られた付箋には、こうあった。
『鍵は開いています。物音を立てないように静かに。身分証は靴棚の上の盆へ。玄関から右奥の和室へ行ってください』
字は、少しカクカクしていて、定規で書いたような感じだった。
誰かに見られているような気がして振り返るが誰もいなかった。
玄関の引き戸を開けると、古い家特有の匂いがした。
木材の匂いのような何か。
埃っぽいでもなく、タバコの染みついた匂いでもなく、線香の焚かれた匂いのような匂い。
靴棚の上に置かれた盆の上に身分証を置き、靴を脱いで揃え、静かに廊下を歩く。
廊下の突き当たり、そっと右側の和室に入る。そこには一人用の布団が用意されていた。その上には甚平が置かれていた。
枕の上に、
『着替えて、ここで寝てください。誰かが来たら毛布を頭に被って返事はしないこと。対象は襖の奥。襖の奥を覗かないこと』
と付箋が貼られていた。定規で引かれたような字で。
このまま、このとおりにしていいものか、迷った。
しかし、言われた通りにしなければ10万円はもらえない。
これをもらえなければ、数日後にはアパートから追い出されるだろう。
いや、そもそもその通りにしてお金どころか、俺は命が危ないような気がしてきたのだ。
なんとも言えない、気持ち悪さが漂う。
ふと、襖から気配を感じた。
布がずれた音。そして、呼吸の音。
襖の向こうに、誰かいる。
『襖の奥を覗かないこと』
付箋の字が目につく。
襖の奥にいるのは誰なのか。それとも、何なのか。
嫌な想像しか頭に浮かばない。
俺は音を立てないように、急いで服を着替える。
甚平のサイズは少し小さい。
しかし、指示に従わないとどうなるかわからない。
その時、ぴらりとメモ紙が目の前に落ちる。
『ジンベイ ノ スボン ハ ハカナクテモ ヨイ』
定規で、書かれたような字だった。
少し頭が上に向こうとする。
向けばろくなことがない、そう言い聞かせて、上がりかけた顎を下に向けた。
心臓が今にも弾けそうな速度で動いている。
俺は何も知らない、何もわからない、と心に言い聞かせて、ズボンを脱いで、布団の横に置き、布団の中に潜る。
潜って頭を天井に向けたら、天井からメモ紙落としたやつ見るじゃないか
俺は急いで毛布を頭に被った。
柱時計の音が2回鳴る。
午前2時だ。
まだ、午前2時か。
後、3時間。
俺には長すぎる。
「……ハジメ」
俺の背中が冷たく、固まった。
「……ハジメや、そこにいるのかい」
高齢の女性の声だ。
対象者か?
なんで俺の名前を知っている?
盆の上の身分証でも見たのか?
じゃあ依頼者か?
ふと、俺は
『名前を呼ばれても返事をしないこと』
の注意事項を思い出す。
きっと、これから自分の両親の声などで名前を呼ばれるのだろう。
息を呑む。
ゴクリという音が妙に大きく感じた。
襖が開いたような音が、スゥーと静かな夜の和室に響く。
ノシリ
ノシリ
と俺の被っている毛布の側まで何者かが寄ってくる。
もし、毛布が剥ぎ取られたら、目を瞑るしかない。
目を無理やり開けられたら……。
「……いるのね。よかった」
足音が遠ざかり、静かに襖が閉まった。
緊張感が急に解け、俺は急に現れた眠気に勝てずに意識を失った。
時計の音が鳴る。ハッとして目が覚める。
何度鳴ったかわからなかった。
隣の襖が開き、何かが足元を、ミシリ、ミシリと畳を踏みながら歩いていき、廊下へ出て行った。
時間を確認しようと携帯電話を探すが、ズボンに入れたままだった。
取り出そうと思うが、
本当に、何かは廊下に出たのか?
天井にいる何かは、毛布から顔を出すのを待っているんじゃないか?
と考えて、毛布から顔を出してまで携帯電話を探す勇気はなかった。
しばらく、時間が経つと、何やらいい匂いが漂ってきた。
昔、生きていた母親が作ってくれた朝ごはんの匂いだ。
味噌汁と、焼き魚の匂い。
懐かしいな、味噌汁なんてしばらく飲んでもいない。
油断して感傷に浸ると、また、足音が聞こえてきた。足音は俺の布団の前で止まる。
「ハジメ、今日は早いんでしょ? もう起きなさい」
毛布を被った体をゆすられた。
『名前を呼ばれても返事をしないこと』
注意を思い出す。
「ハジメ、いい加減に起きなさい」
ゆする力は次第に強くなり、毛布の端を掴まれ、引っ張られる。俺は握る力を強める。
「ハジメ、寝ぼけてないで起きなさい!」
次第に毛布を引っ張る力が強くなる。
高齢者の力とは思えない。少しずつ取られていく。
柱時計の音が無情にも響く。
ポーン、ポーン、ポーン、ポーン
「ハジメ、いい加減にしなさい!」
毛布が剥がされた瞬間、柱時計の音が響く。
ポーン
「寝坊助さんね、ハジメ。早くご飯食べなさいな」
朝日を背中ににっこりと笑う、割烹着姿の80代くらいの細身のお婆さんが毛布を持ってそう言った。
ーーー
柏木志津江さんの作った朝餉(あさげ)は、美味しかった。
ほかほかのごはんに、鯖の塩焼き、卵焼きと麩とわかめの味噌汁。
誰も文句を言えない、品のある味だった。同じ材料をスーパーで買って作っても、同じような料理を作れないなと思う。
湯呑みが、やけに大きく感じた。前髪が邪魔で、何度も払った。志津江さんは、一方的に話し続けた。勉強はどうだとか、寮の暮らしはどうだとか、困ったらいつでも帰ってきなさいとか。俺は頷いて誤魔化すしかなかった。
「あらあら、今日はやけに静かね」
準備しないと遅刻してしまうわ、と食事を終えた俺に服を渡した。明らかに合わないだろうと思ったのに、サイズはあっていた。
渡された鞄に昨日の服を詰め込み、靴を履こうとして、気づいた。揃えておいていたはずの俺の靴がない。
「やあーね、この子ったら、靴の場所もわからないのかしら」
真新しいスニーカーを靴棚から出された。
まあ、ボロボロの俺の靴よりもいいものだし、いいかと履く。小さいはずなのに、足はすっと収まった。
志津江さんが見送りに出てくる。
玄関の前の門のところまで一緒に歩く。
「あなたはうっかりしているから気をつけるのよ」
そう言って、志津江さんはポケットから封筒を取り出した。
「うっかりしていたでしょ。寮費」
その封筒を預かる。
これもらっていいものか、と迷うが、確かに
『ただし、最後に高齢者から封筒を受け取ること』
と依頼文には書かれていた。
だからこれでいいのだろう。
「早く行きなさい」
急かされて、俺は門を離れた。何度か振り返ると、志津江さんはずっと笑顔で手を振っていた。
靴を回収しないと。志津江さんの見えないところまで来て、俺は引き返した。
すると、志津江さんは数人に囲まれていた。
「やっぱりここにいたのね!」
「良かったあー、見つかって」
「志津江さん、みんな心配しているよ。みんなのいるところに帰ろうね」
志津江さんは抵抗した。
「ハジメがここに帰ってくるから、そちらには行けないわ」
「ハジメさんって?」
「ほら、施設の所長から聞いてないの? 志津江さんの娘さんで、13歳で亡くなった……」
「志津江さん、私たちからもハジメさんにはこちらに顔を見せるように伝えておきますから」
そう志津江さんを説得して、車に乗せた。車には、老人ホームやすらぎ、とペイントされていた。
車が離れていくのを見届けて、志津江さんの家を見る。
もう一度見直した志津江さんの家は今にも朽ち果てそうな廃屋敷だった。
門には錆びた柵があり、鍵がかけられていて開けられそうもない。
門には付箋が一枚貼り付けられていた。
『お勤めありがとうございました。
お給料は封筒の柏木志津江から渡された封筒の中身と、靴の代替として渡された衣類及び靴をお使いください』
定規で引かれたような線の文字。
ふと、封筒の中身を確認する。
旧札の一万円札が10枚入っていた。
ーーー
電車に乗り込み、家に帰る。
ふと、周りが妙に大きくなったような、変な感じがある。多分、ほぼ徹夜だったし、気が抜けたからだろう。
もう、二度とあんなエセホワイト案件には応募しないと心に決める。
チラチラと視線が俺の方に向けられた。
そんな目立つような服装だったかなと思い、電車の窓に映る自分の姿を見つめる。
声すら出ない。
自分の姿がない。
その代わりに、中学生くらいの女の子の姿が映っていた。
髪は日本人らしくない銀色のロングヘア、透き通るような青色の瞳。肌も滑らかな白色。誰が見ても整った顔立ちだ。
前々からこんな容姿だった、そんな気が一瞬したが、そんなわけがない。俺は今年40歳の男だ。
きっと、俺は疲れているんだ。
もしくは、志津江さんの料理に薬物が入っていて、その幻覚によるものだ。それしか考えられない。
家に帰り、とりあえず、寝よう。
寝たら治るはずだ、と自分に言い聞かせて、電車を降りた。
周囲の視線は切れることがなかった。
ーーー
三日経った。
お金はそのまま家賃の支払いに使い、どうにか滞納を免れた。
しかし、容姿は一切変わらなかった。
声も高いままだ。
原因となった柏木邸に赴き、調べる他、手がかりはなさそうだった。
柏木邸にたどり着く。
外観は前に見た通り、廃屋敷だ。幽霊の類に襲われても、おかしくはない。
門の鍵は開けられていて、まるで俺がやってくるのを見透かしていたようだ。
鍵の開けられた玄関に入る。
古臭い家の香りと、湿ったカビの匂いが漂っていた。
靴を脱いで入ろうか迷うが、床は、妙に綺麗だった。
そういえば靴、と思い、靴棚の中を見る。
俺の靴はあったが、妙なことに、他にも男用の革靴や安全靴なんかが、置かれていて、一足だけ、サイズの小さいスニーカーがあった。
「盆においた身分証……」
そこで俺が置き忘れた身分証を見つめる。
顔写真が、銀髪、碧眼の女の子に代わっていた。
一枚手に取ると、その下にも何枚か身分証がある。他も銀髪碧眼の中学生……俺の顔とほぼ同じ。でも、名前は違う。
「自分の身分証、受け取ってね。……いらっしゃい。待ってたわ」
目線を上げる。
そこには俺と瓜二つの少女がいた。
さっきまで、その場所には誰もいなかったはずだ。
俺は一歩、二歩と後ずさる。
「驚くのも無理ないわ、代役さん」
少女は俺のことを代役と呼んだ。どういうことだ?
「私が柏木ハジメ。正確には柏木ハジメ役」
柏木ハジメ役と名乗った少女はにこやかに、どうぞと俺を家の中を案内した。
リビングには、たくさんの写真が飾られていた。
白黒写真からカラー写真。それらは全部柏木ハジメだった。
よく見ると、顔が少しずつ違う気がする。
それなのに笑顔が全く同じだった。
「白黒の方は本物の柏木ハジメさんね。カラーは私達」
そう言って、俺の方を振り返る。
「ハジメは昔、事故で亡くなった。志津江さんは認知症になって施設に入ると、たびたび抜け出して、この家に来るの。ハジメが帰ってくるはずだ、って」
少女はサイドテーブルに置かれた写真立てを手に持つ。写真は白黒。自分によく似た少女を指で撫でる。
「この家はね、志津江さんが大好きなの。
だから、志津江さんが寂しくならないように、柏木ハジメを誰かに演じさせるようになった。
元の人の体を根本から作り変えて……。
そして、その成れの果てが私」
写真立てを戻して、少女は俺の方へ向き直る。
「でもね、時々用事があってね、そのタイミングで志津江さんが来ちゃうことがあるの。その時は代役を立てないといけないと、家は考えるの。
あなたに送ったホワイト案件。あれはこの家が出したの」
まさかと思い、送られたSMSの電話番号を確認する。
この地域の市外局番が打ち込まれていた。
「流石に認知症とはいえ志津江さんだって知らない男か柏木ハジメかはわかるわ。
だから、完璧な代役になってもらうために0時から5時までの間に、体を作り替えます。そして、朝に志津江さんの相手をしてもらう。見られないようにしろというのは、変わっている最中の体を見られても気がつくから」
「もし見られたら?」
「家がなんとかしちゃうみたい。失敗した代役には私は会ったことないからわからないわ」
ぞくりと背中が固まる。
「顔や姿は元に戻らないのか?」
「家次第じゃないかしら。でも、家の基準は志津江さんの幸せを最優先だから、せっかく作り上げた私の代役を手放すなんてあり得ないわ」
「それにここにいれば、少しずつ、私と同じように心が変わって、志津江さんのために尽くしてあげたいと思うようになるわ。光栄でしょ」
耳元に瓜二つの顔が近づく。
「ハヤク ニゲロ」
顔を見合わせる。その顔は沢山ある柏木ハジメの写真のような笑顔ではない。誰か、別の顔だった。
その顔はまた、柏木ハジメの完璧な笑顔になる。
「光栄でしょ。……今日も志津江さん、脱走してこちらに向かっているみたい。代わりに対応してくれるなら報酬を出すわ。また、旧札だけど」
「き、今日は私……いや俺は予定がある。無理だ」
柏木ハジメ役は残念そうにため息を出す。
「今は働き方改革まっしぐらな世の中だから、無理はさせられないわ。でも、代役の募集をする時はあなたに最初に連絡するわ」
俺は何事もなく、柏木邸を出る。
しばらくして、俺はそこから走り出す。
今までに出したことない速さで駆け抜ける。
顔の変わってしまった身分証を握りしめて。
SMSの通知音が鳴る。
恐る恐る画面を見る。
ーーー
【急募】夜間見守りスタッフ 午前0時〜午前5時/日給100,000円/即日払い 未経験・年齢・性別不問 ※詳細は現地にて。【柏木邸】
ご連絡なき場合は別の方に回します。
ーーー