朝食の食器を片付けようとしているところへ、リュエールさんがやってきた。
「クラルス、修繕作業を手伝ってもらえないかしら」
クラルスの表情がこわばる。
視線が僕へ向けられ、迷っているように見えた。
「リュエールさん。私はリア様の護衛です。お傍を離れるわけには……」
「わかっているわ。でも、動ける男性が必要なの。あなたの力をかしてほしい」
クラルスは唇を引き結ぶ。
昨夜、彼は僕へ忠誠を誓ってくれたばかりだ。離れろと言うのは
しかし僕たちは今、
「クラルス。僕は大丈夫だから、みんなを助けてほしいな」
「リア様……」
クラルスの表情がわずかに和らいだ。
リュエールさんも言葉を添える。
「私がリアの傍にいることを約束するわ。何かあればすぐクラルスを呼ぶ。それでいいかしら?」
クラルスは深く息をつくと、僕の目を見つめた。
「リア様。くれぐれもご注意ください」
「わかっているよ」
彼はしぶしぶ頷いた。
どこかで見ていたのか、話がついたと同時にスレウドさんが現れる。
「クラルス、手伝ってくれるのか。頼もしいぜ! 修繕する家屋は山ほどあるからな!」
肩を抱かれて半ば強制的にクラルスが連れていかれる。
時折こちらを見る目が気になった。
「さて、リアは私と一緒に少しお散歩しましょうか」
「お散歩ですか?」
「この周辺の地理を詳しく把握しないとね。万が一逃げるときに指示できないでしょ?」
たしかにそうだ。
実戦を何も経験していない僕にとって、リュエールさんから学べることは多い。
リュエールさんの隣を歩きながら村の入り口や公会堂の裏を確認していく。
「以前、少し調査したのだけど、いいところね。入り口以外はほとんど森に囲まれて、偵察の目から隠してくれるわ」
「こんなに自然がたくさんあるところは初めてで、新鮮です」
「そうよね。ずっとお城にいたのでしょ」
これまでは年に一度あるかないかで、ほとんど城で過ごしていた。
ずっと窓から眺めていた外の世界が身近に感じられる。
小さな旅をしているみたいだ。
東の森を抜けると、川が流れている。対岸にはまた森が広がっていた。
「逃走経路は東と南に分散できそうね」
「川を渡る分、こちらへ逃げる人たちは早めに動いたほうがいいかもしれません」
「リアもわかってるわね」
リュエールさんは河原で野菜を洗っている女性たちに声をかけると、女性たちはあっというまに彼女を囲んだ。
彼女が僕のことを紹介すると、みんな困惑した様子で頭を下げる。
「じゃあ、みんなよろしくね。お昼楽しみにしているわ」
僕は女性たちに会釈をしてリュエールさんのあとをついていく。
慕われる統率者。母上、父上、リュエールさんは僕の目指す姿。
今はすごく遠くに感じられた。
廃屋を見ながら森沿いを南へ歩いているとリュエールさんの足が止まる。
「ねぇ、リア。聞いてもいい?」
「はい、何でしょうか?」
「……戦える?」
言葉が出ない。セノパーズでミステイルの兵士と対峙したとき、剣を握る手に力が入らなかった。
「……わか、りません。僕、あの夜、初めて人を
「そう……つらかったわよね。その反応は当たり前よ。極限状態で大変だったもの、リアもクラルスも……」
「え……あっ……」
リュエールさんの言葉で気づかされた。クラルスもあの夜、初めて人を殺めた。
僕は、自分のことばかりで、クラルスのことを何も気に掛けてあげられなかった。
僕よりもたくさんの兵士と対峙していたのに。
「クラルスもきっと、人を殺めたことですごくつらかったのに。クラルスを支えてあげられなくて……」
「気づけたのはいいことよ。クラルスにも護衛としての
「僕、一番近くにいたのに……」
「リアだって傷ついていたのでしょ? 仕方のないことよ。これからクラルスを支えればいいじゃない」
リュエールさんは前向きでうらやましい。いや、違う。
きっと彼女も何かあったはず。そうでなければ
「リア、あなたならきっと克服して戦えるようになるわ。でもね、戦争は待ってくれない。時が来たら行かなくてはいけないの」
「……はい、必ず戦場で戦います」
「無理はしなくていいのよ。リアの心理状態を見て配置を考えるから。ただ、戦場には出てもらうわ」
団長として話すリュエールさんの言葉がのしかかる。
いつ、ガルツが攻めてくるのかまだわからない。それまでには。
僕は拳を強く握りしめた。
村を一周したあと、リュエールさんは家屋を修繕しているところに歩みを進める。
その中に、汗を拭いながらスレウドさんとルフトさんと話しているクラルスの姿があった。
「おつかれさま、進捗はどうかしら?」
「リュエ、見てのとおりだ。そのまま住める家屋は皆無。使える木材の選別からやってる。しばらくは公会堂で雑魚寝だな」
ルフトさんは肩をすくめた。
クラルスに視線を移すといつもどおり。今も無理しているのかと考えてしまう。
そのとき、白銀の瞳と視線が交わった。
「リア様。お姿が見えませんでしたが、どちらへ行かれていたのですか?」
「リュエールさんと一緒に退避経路の確認をしていたんだ」
「有意義なお時間でしたね」
クラルスはほんの少し眉を下げると、休憩に誘ってくれた。
リュエールさんに断りを入れて、少し離れた廃屋の裏へ腰を下ろす。
「リア様。リュエールさんから何か言われたのですか?」
表情に出ていたのだろうか。僕は隠し事が下手だなとつくづく思う。
「……戦えるかって問われたよ。今は、まだわからない。でも、僕はみんなと一緒に戦いたい。だから少しでも前に進みたいんだ」
「焦りは禁物です。リュエールさんは無理強いする人ではないでしょう」
「あの、クラルス……」
僕は意を決して口を開く。
「僕、自分のことで精一杯で、クラルスのことを全然見ていなかった。君も、あの夜初めて人を殺めたんだよね。それなのに……」
「……リア様、そんなことを気にしていらしたのですか」
まるで自分自身のことには興味なさそうな口ぶりだ。
「私は護衛として当然のことをしたまでです」
「君の本心を聞かせてほしい」
思わず言葉をかぶせるとクラルスは目を丸くした。
少しの沈黙のあと、言葉が紡がれる。
「平気だった、といえば嘘になります。しかし、私はリア様を守れた。リア様が無事だった。それが救いでした。あなたの存在が私の支えなのです」
そよ風が吹き抜けて、僕たちの髪を揺らす。
結局、僕のほうがクラルスの言葉に助けられてしまった。
僕は、クラルス一人にすべて背負わせたくない。一緒に背負う。
「……クラルス。僕は前に進みたい。だから……時間があるときに稽古をつけてほしい。できないかもしれないけど、それでも一人だけ安全な場所から見ていたくないんだ」
「……リュエールさんにお話をして稽古の時間を頂きましょう」
「うん、ありがとう、クラルス」
僕たちは立ち上がり、リュエールさんのもとへ足を進めた。