ミステイル王国軍が攻めてくるまであと数日。
今日はクラルスと朝から稽古をしている。
「リア様。ご無理だけはなさらないでください」
「……わかった。お願い」
迫りくる木剣を受けた。
まだ手に余計な力が入ったり、身体が少しこわばったりしている。
それでも、なんとか意識的に受けられるようになってきた。
「以前より良くなっていますよ」
「ちょっとまだぎこちないけどね」
深呼吸をして、剣を握り直す。
クラルスが距離をとり、再び剣を構えた。
「では、今度はリア様が攻めてきてください」
「え、僕が……」
一瞬、クラルスとあの夜の兵士の姿が重なる。
鼓動が速くなり、視界が揺らいだ。
自分から、剣を振るう。それが。
「……リア様?」
木剣の落ちた音で我に返る。自分の手から滑り落ちたことに気づかなかった。
「ご……ごめん。ちょっと……」
木剣を拾い上げようと伸ばした手が拒絶するように震えている。
自分から剣を振るうことが怖い。
また、命を奪う。あの光景が目の前に。
「リア様。本日は受ける稽古に徹しましょう。ご無理をなさる必要はございません」
「うん……。そうするよ」
「リア様は確実に前に進んでいますよ。自信を持ってください」
首を縦に振る。
リュエールさんの「戦争は待ってくれない」という言葉を全身で感じていた。
僕は、本当に戦えるのだろうか。
二日後、戦いの日がやってきた。
クラルスとともに泉の前まで来る。爽やかな風が頬をなで、さらさらと葉のこすれる音が心地いい。
少しでも心を落ち着かせようと深呼吸をする。
泉の水面が僕の気持ちを表すかのように揺らいだ。
「リア様。いよいよですね」
「うん」
作戦は上手くいくのか。これだけの兵力差で勝てるのだろうか。僕は戦場を目の当たりにして立っていられるだろうか。
次々と湧き上がる思いに胸が落ち着かない。
飲み込まれないように、すがるような気持ちで父上からもらった短剣の柄を掴む。
クラルスは今は隣にいてくれる。戦いが終わったときも、隣にいてくれるだろうか。
「……リア様。私はここであなたに忠誠を誓いました。そのときにふたつの覚悟をしました」
「ふたつの覚悟?」
白銀の瞳がまっすぐこちらを見つめる。
「あなたを守り抜く覚悟。そして、ともに生きる覚悟です」
忠誠の言葉をもらった夜を思い出す。胸のあたたかさ。一人じゃないと教えてくれた。
クラルスのために。
そして、僕自身のために。どんな結果になろうと、最後まで戦場にいよう。
「クラルス。ありがとう。僕は、自分のできることを全力でやるよ」
「はい。参りましょう」
心を決めて、クラルスとともに拠点へ向かう。
背中を押すように、優しい風が後ろから吹き抜けた。
公会堂の前には
隊を組んで整列している様子を見て全身に緊張が走る。
後ろのほうで様子を見ていると、スレウドさんが近づいてきた。
「リアたち、どこへ行ってたんだ。もう始まるぞ、こっちへ来い」
スレウドさんの後をついていき整列すると、団員たちと対面。
僕に視線を向けてひそひそと話している人たちが何人もいた。
後ろから落ち着いた足音が近づいてくる。振り返ると、リュエールさんとルフトさんがこちらへ歩いてきていた。
リュエールさんのまとう威厳。
話をしていた団員たちは口を閉じて彼女に視線を送る。
リュエールさんは団員たちを見渡したあと、声を張り上げた。
「みんな、この戦いが国の命運を分けるわ! 亡き女王陛下と騎士団長様のために勝利を捧げる!」
団員たちは自分を奮い立たせるように声を上げた。
手のひらににじむ汗ごと、拳を握り込む。
「リア、あまり戦場の雰囲気に飲まれるなよ」
「は、はい」
上ずった返事を聞いてスレウドさんが苦笑していた。
そこへ、早馬が到着する。ミステイル王国軍が動き出したという知らせだった。
リュエールさんの合図で
荒野に向かう
「リア、気分はどうかしら?」
「だ、大丈夫です」
本当は喉が締めつけられるほど緊張している。
見透かされているのか、リュエールさんは小さく笑った。
「リア、指揮官として大切なことを教えていなかったわね」
「大切なこと……ですか?」
「えぇ。それはね、堂々としていることよ」
「えっ?」
「団長の私が、指示を出すときにおどおどしていたり、戦場で弱気になっていたりしたら、みんな不安になるでしょ? 士気の低下にも繋がってしまうわ」
ふと、母上と父上を思い出す。いつも威厳があって、頼れる存在。立ち居振る舞いのひとつひとつが、女王であり騎士団長だった。
家族のセラや僕にさえ、不安な表情はあまり見せなかった。それだけ自分たちの振る舞いが周りに与える影響の大きさを、理解していたから。
改めて女王と騎士団長の立場、そして自分の立場を考えさせられる。
今はできるのか、なんて自問していられない。やるんだ。
背筋を伸ばしてリュエールさんを見据える。
「はい。僕も、リュエールさんの隣に立って恥ずかしくないようにします」
「ありがとう、リア。それにね、みんなの士気が上がれば私たちも心強いでしょ? お互い様なの。ただ、きっかけが私たちなだけ」
きっかけが僕たち。その一歩を踏み出せるのか。
荒野に布陣を終えたころ、荒野の奥には深い緑と青が混じった波がこちらに迫ってきていた。
ミステイル軍が荒野に陣を敷く。見ただけでわかる圧倒的な兵力差。
ちりちりとした空気が肌を刺した。
お互いの顔が目視できるところまで近づく。
目を凝らしてミステイル軍を見渡すがガルツの姿はない。
やはりリュエールさんの予想どおりだった。
兵士がひとり、白旗を揚げて両陣営の中央にゆっくりと歩いてくる。
使者だ。
「
使者の声が荒野に響いた。
「こちらの目的は大罪人ウィンクリア・ルナーエ、および
ここでもセラの名をいいように使う。震える拳を握りしめた。
リュエールさんは冷たい目で使者を見据えると、スレウドさんへ目配せをする。
彼は頷くと、白旗を担いで前に出た。
「おまえたちこそ逆賊だ! 女王陛下と騎士団長様を手にかけ、ウィンクリア王子殿下に罪を被せた。この国の平和を脅かしたのは貴様らミステイル王国だ! 今すぐ、セラスフィーナ王女殿下を解放し、この地から去れ!」
スレウドさんの言葉を聞いた使者は鼻で笑う。
「愚かな。では、交渉決裂だ。おまえたちは今この瞬間から、ルナーエ国への反逆者として処断される!」
使者は背を向け、自陣へ戻っていく。
スレウドさんも足早に前衛と合流した。
「みんな! 交渉決裂だ! 戦闘準備!」
「戦闘準備! 武器を構えて!」
スレウドさんの声に重ねて、リュエールさんの号令が飛ぶ。剣を鞘走らせる不規則な金属音が響く。
「突撃!」
相手の指揮官の合図で、両軍が土煙を上げて衝突する。
鬨の声が荒野を駆け巡り、空気が震えた。
足元の感覚がなくなり、心臓が早鐘を打つ。これが、戦争なんだ。
肩を叩かれて我に返る。
「リア様。参りますよ」
「リア、私たちから離れないで! 行くわよ!」
「……はい!」
ルフトさんを先頭に、僕たちは手近な丘の上へ登った。
前衛の戦況がよく見える位置。
最前線では乱戦が繰り広げられている。
「スレウド、大丈夫かしら」
「あいつは殺しても死なないだろう。リュエの予想どおり、魔法封印は使ってこなかったな」
魔法を戦場で使っている様子はないが、ルフトさんにはわかるようだ。
スレウドさんはどこで戦っているかわからないが、無事でいてほしい。
見渡すと、ミステイル軍の歩兵の壁が厚いことがわかる。
後ろには騎馬兵も控えていた。
「さて、後退してきたところで……。みんな、準備を!」
リュエールさんの指示で、大きな岩が台車に載せられて運ばれてくる。
荒く削られた丸い岩。大小さまざまなものがあった。
「指示を出すわ!」
彼女は手のひらに雷を帯びた球体を作り出した。
頭上へ投げると、しばらくして強い光と高い破裂音。
それを合図に
「今だ! 落石開始!」
ルフトさんが叫ぶと、団員たちが台車を傾けて岩を落としていく。
恐ろしい勢いで岩がミステイル軍へ突っ込んでいった。
密集しているがゆえに、逃げ場を失った敵兵は岩になぎ倒されていく。
「かなり動揺しているな。リュエ、俺は指定位置に移動する」
「えぇ。ルフトに女神アイテイル様のご加護がありますように」
「アイテイル様に頼らなくても、俺は生きて帰ってくる。おまえこそ気をつけろよ」
ルフトさんは剣を抜いて丘を下りていく。それに続いて、台車を押していた団員も戦場へ身を投じる。
リュエールさんは彼の背中を見送ったあと、細身の剣を抜き放ち、僕たちのほうを向く。
「リア。私は作戦のために行くわ。二人とも無茶だけはしないでね。女神アイテイル様のご加護がありますように」
「はい。リュエールさん、ご武運を……」