彼女は身を翻して、戦場へ消えていった。
戦場には怒声と悲鳴が渦巻いている。血で血を洗う最前線。
たくさんの兵士が地に伏している。
右の後衛から雷の球体がふたつ打ち上がった。それを合図に森に隠れていた弓兵が敵の歩兵の後衛に矢の雨を降らせる。
しかし、すぐに楯が展開され、防がれてしまう。
損害は与えたものの、勢いはまだミステイル軍にあった。
そのとき、鼓膜の奥まで届きそうな二つの雷鳴が轟く。
騎馬隊の馬は雷鳴に驚き、混乱状態になっている。
それでも、不利なのは変わらない。次々に倒れていく団員たち。
僕は、こんなところにいていいのだろうか。
みんなが血を流して、命をかけて戦っているのに。
震える手で剣の柄を握る。
「……リア様」
「僕は……後悔したくない。戦わずに後悔したくないんだ……」
剣を抜いて、僕は足を前に踏み出す。
クラルスも剣を構え、ともに戦場へ降り立った。
血の臭いが風に運ばれてくる。
あの夜の光景を振り払うように、首を振った。
落ち着け。落ち着くんだ。
「あの銀髪の子どもが王子だ!」
「生きていれば何しても構わん!」
いつのまにか後衛にまでミステイル兵士が来ていた。
罵詈雑言を吐きながら僕とクラルスを囲む。
クラルスは僕を守るように前に出た。
彼の剣が閃くたびに、兵士が倒れていく。
しかし、数が多い。
横から、兵士がひとり斬りかかってくる。
反射的に剣を動かして、受ける。
勢い任せに弾いて、距離を取った。
手に力が入っている。でも、守ることはできた。
応戦している間に、一人、二人とミステイルの兵士が増えていく。
不意に背後から兵士に襲われる。反応が遅れ、無理な体勢で剣を受けてしまった。
なんとか剣を弾き飛ばされずには済んだが、身体がぐらりと傾く。
立て直そうとしたとき、影が覆い被さる。
「ガキが、大人しくしていろ!」
急所だけは死守しようと片腕で剣を受ける覚悟で姿勢をとった。
しかし、聞こえてきたのは兵士の短いうめき声。
剣が胸を貫いている。
兵士の背後には殺気を帯びたクラルスが立っており、蹴り倒すように兵士から剣を引き抜いた。
「リア様。お下がりください」
静かに響く低い声。
敵兵は増える一方だ。僕だけ下がるわけにいかない。
剣の柄を強く握りしめ、構えた。
受ける、弾く。それだけに集中する。背後に回られないように細心の注意を払った。
味方が来てくれる様子はない。みんな自分のことで精一杯の状態だ。
横目でクラルスを見ると、気づけば兵士が殺到している。
「あ……クラルス!」
クラルスの背後に回った兵士が剣を振り上げている。
彼はつばぜり合いを強いられていて動けない。
クラルスが、死ぬ。嫌だ。
その思いが全身を駆け抜けた瞬間。絡みついている恐怖の糸がちぎれた。
僕に襲いかかってきた剣を弾いて走り出す。
身体が勝手に動いていた。
「クラルスから! 離れろっ!」
迷いはなかった。
剣を振り上げているミステイルの兵士に背中から斬りかかる。
短い断末魔。周りに鮮血が飛び散った。
次の兵士が襲いかかってくる。
身体が、今までの稽古を思い出すかのように動いた。
思考がすべて目の前の戦闘に注がれる。
何度も剣を弾いた。何度も剣を受けた。何度も剣で斬った。
地面にはうめき声を上げる兵士たちが伏している。
あとから来たミステイル兵が遠巻きに僕たちを見ているが襲ってこない。
一歩近づくと、逃げるように近くの雑木林に姿を消した。
「……クラ、ルス」
短く息をはいたとき、轟音とともに前線のほうから火柱が上がった。
炎の勢いは凄まじく、火の粉がこちらまで飛んでくる。
「こざかしい反乱分子どもが! 直々に粛清してやる!」
火球が降り注ぎ、団員たちが右往左往している。
その間から見えた左手をかざしている男。服装からおそらく指揮官だろう。
「みんな落ち着いて! 被害を抑えるために散開するのよ!」
リュエールさんが声を上げているが、轟音にかき消されてしまう。
その間にもミステイル軍の前線が迫ってきていた。
このままでは
「動揺が激しいですね。リア様、魔法が止むまで退却を……」
指揮官の魔法を止めなければ。みんなの士気を取り戻さないと。
どうやって。
考えるより先に、足が丘へ向かっていた。
丘の上へ登り、剣を掲げる。
「ミステイル軍! 僕はここだ!」
注意を引くように声を張り上げた。僕に気がついた指揮官が攻撃の手を止める。
戦場が凪いだ。
「
そのとき、指揮官が左手を掲げる。増幅した炎の渦が放たれた。
「やはり、おまえは生かしておけん!」
避けられない。
できるかわからないが月石の魔法を使わないと。
この場にいる人たちに月石が露見してしまうが、今はやるしかない。
左手を前に出そうとしたとき、優しく手を押さえられる。
振り返ると、気づけばクラルスが後ろに立っていた。
「リア様。そのまま堂々としていてください」
彼は隣に立ち、剣を炎の渦へ向ける。剣先が触れた瞬間、炎が結晶と化した。
破裂音とともに紅色の結晶が砕け散り、破片が戦場へと降り注いだ。
そこに凛とした声が響いた。
「ミステイル軍とともに戦っているルナーエ国の誇り高き騎士たち! 王子殿下の反逆だとしたら、なぜミステイルの者が指揮を執っている! 王女殿下から直々の命だったのか! 心にある疑念と向かい合えば自ずと答えは出るはずだ!」
リュエールさんの問いにルナーエ国の騎士たちが明らかに動揺している。
騎士たちは一人、また一人と剣を下げた。
そして、中衛にいた一部の騎士たちが戦線を離脱し始める。
その動揺がミステイルの兵士にまで伝染していた。
「皆! 今が好機! 攻めるわよ!」
リュエールさんの指示で、散開していた団員たちが集まってくる。
僕もクラルスとともに再び丘を駆け下りる。
白兵戦のなか、無我夢中で剣を振り続けた。何も考えられない。
「おし! 退路を断つぞ!」
「みんな最後まで立ち向かえ!」
左右からルフトさんとスレウドさんの声が聞こえてくる。
「指揮官を捕らえよ!」
リュエールさんの号令で、ますます喊声が大きくなった。
「ぐっ! 退却だ! 退路が断たれる前に北へ!」
退却という言葉を聞いた瞬間、ミステイルの兵士は弾かれるように逃げていく。
「みんな、戦意のない兵士には攻撃しないで!」
緑の小さな波が引いていく。
僕たちが、
歓声を上げ始める
肩で息をしながら呼吸を整えていると、吐き気がこみ上げてくる。
何人斬った。何人殺した。
切り裂くような胸の痛み。全身に重い影がのしかかり、膝をつく。
「リア様!?」
張り詰めていたものがほどける。
「だ……大丈夫。クラルス……無事?」
「えぇ。リア様もご無事で……なによりです」
互いに視線を交わすと、肩の力が抜ける。
クラルスのまぶたがゆっくりと閉じた。それと同時に僕のほうへ身体が傾く。
抱き留めたが、支えきれずに地面に倒れ込む。
「クラルス! どうしたの!?」
彼を仰向けにして呼吸を確認するとかすかに胸が上下している。
気絶しているだけのようだが、一体なぜ。
「クラルス、どうした!?」
いつのまにかスレウドさんが近くにいた。彼の
「あ……あの、スレウドさん。クラルスが急に倒れて……」
スレウドさんはクラルスをまじまじと観察したあと手を打った。