城の階下から悲鳴や
そんなことより、セラは、母上は、父上は。
母上たちの寝室は東棟の二階。セラの寝室は東棟の三階。僕は西棟の三階。
きっとセラにはルシオラがついているはず。僕よりセラのほうが母上たちに近いので、先に合流しているかもしれない。
僕は腰にさげている短剣の柄を握りしめた。
階下へ下りようとしたとき、三人の兵士が現れる。自国の騎士ではない。あれは、ミステイル王国。
援護に来てくれたのだろうか。
「王子を見つけたぞ! 始末しろ!」
兵士の言葉ですぐに理解した。夜襲を仕掛けたのはミステイル王国。
どうして同盟国が。
そのとき不穏な言葉が脳裏をよぎる。
“同盟などただの書面上の約束事。相手国のさじ加減でいつでも
あのときすでに夜襲を仕掛けることが決まっていたのだろうか。
クラルスは抜剣をし、襲ってくる兵士を一太刀で斬り伏せる。
あたりに血しぶきが飛び散り、彼の剣を赤く染めた。
兵士の悲鳴と怒声が廊下に響き渡る。
「リア様! 下がっていてください!」
「クラルス……! 君、一人じゃ……!」
背後からの気配を感じた。
振り返るとミステイル兵士がひとり。
鈍く光る銀色の剣身。
戦わなければ。
思考している間に、すでに手は長剣の柄を握りしめていた。
こすれる金属音が耳の奥まで響く。
相手の剣を弾き飛ばし、そのまま振り下ろした。
短い叫び声のあと、敵兵は首を押さえながら床へ崩れ落ちる。
倒れた兵士の首からどくどくと血があふれていた。
兵士から目が離せなかった。動きが、止まるまで。
自分の荒い息が耳に響いた。
「リア様! ご無事ですか!?」
クラルスが駆け寄ってくる。
握っていた剣が手から滑り落ち、高い音を立てた。
「クラルス……僕……僕は……」
肉を切る感触、耳にこびりついた叫び声、流れ出る血。
見慣れた長剣には一筋の鮮血。
これを、僕が。
吐き気が喉を這い上がる。
何が起きたのか、これは現実なのか。
「リア様、今はまだ安全ではありません。お気を強く持って……」
クラルスの横に自分が殺めた兵士が転がっている。
首からあふれた血の海に浸っており、光を失った目は天井を見ていた。
思わず一歩後ずさる。
鉄錆の臭いが鼻を突いた。心臓が早鐘を打ち続けて、他の音がかき消される。
視界の端がぼやけて、目の前の光景がゆらゆらと揺れていた。
死んだ兵士の顔が妙にはっきりと見える。まるで僕を責めているみたいに。
「……あぁ……っ……!」
「リア様! しっかりしてください!」
クラルスに両肩を掴まれて、現実に引き戻された。
「リア様……。リア様は間違ったことはなさっていません。ただ、ご自身をお守りになっただけです」
クラルスは長剣を拾い上げると、僕に柄を握らせた。
「必ずお守りします。リア様は、万が一のときは、ご自身を守ることだけを考えてください」
「クラルス……僕は……」
不意に、騒がしい足音が複数聞こえてくる。階下から兵士が五人現れ、僕とクラルスを囲んだ。
クラルスは剣を構え、僕を庇うように壁へ押しやる。
「ミステイル王国のために死んでもらう!」
僕も戦わないと。クラルスが五人を相手にするのは無理だ。それなのに。
剣の柄を握っている感覚がない。全身が思うように動かずこわばっていた。
兵士たちはじりじりと距離を詰めてくる。
そのとき、夜気を切り裂く風音。
一人の兵士が突然倒れる。背中には一本の矢が刺さっており、心臓を貫いていた。
兵士が動揺している間にも矢が次々と襲いかかる。兵士たちがひるんだ隙をついて、クラルスが斬りかかった。
すべての兵士が床に伏したあと、暗闇から足音が聞こえてくる。
「殿下! ご無事ですか!?」
「リヴ! 無事だったんだね!」
月明かりに照らされたリヴの姿を見て顔がこわばった。彼女の
リヴは安心させるように、いつもの笑顔を向けた。
「殿下、私に怪我はありません。これは返り血です」
「よ……よかった」
普段の彼女とかけ離れた姿。悪い夢であってほしい。
そう願わずにはいられなかった。
「リヴ様。加勢、感謝いたします」
「クラルス。殿下をよく守りましたね」
「リヴ様。こちらへ来る間に、魔法の使い手を見かけませんでしたか?」
「えっ……。そうね、誰も……」
クラルスは少しの間を置いて、静かに口を開く。
「私は、宝石を宿していないので何も感じませんが、おかしいと思いませんか? 魔法を使ったような痕跡や音がまったくないのです」
「……そういえば」
父上は火属性のルビーを宿している。有事なので城内で魔法を使用していてもおかしくない。
通常なら、父上は敵兵を一掃できるほどの炎魔法が使えるはずだ。
しかし、それらしい爆発音や火災もなく、ミステイルの兵士にも、魔法を使用している者は見当たらなかった。
魔法という概念そのものが消えてしまったかのように。
「城内で魔法が使用できない術でもかけているのでしょう。純粋な物量戦を仕掛けてきたのかもしれません」
「でも……そんな技術が存在するの?」
「城全体を覆う魔法封印なんて聞いたことないわよ」
おそらく、父上の魔法を抑えることが最大の目的だ。
魔法の高等技術を保有しているのは、北の大国フィンエンドしか思い浮かばない。
それともミステイル王国が独自に開発したのだろうか。
「技術の出所はわかりかねますが……。何が起きてもおかしくありません。注意をするに越したことはありません」
「そうね。ミステイルの兵士に見つかる前にここを離れて、二階へ行きましょう」
「リヴ様、現在の陛下たちの居場所をご存じなのですか?」
「先ほど、陛下が二階の謁見室にいるとミステイルの兵士たちが騒いでいました。他の星永《せいえい》騎士や騎士団長様もご一緒でしょう」
謁見室。階段を下りて南中央の部屋。
母上と父上の所在はわかったが、セラはどこにいるのだろう。
「リヴ! セラは?」
「王女様は陛下たちと同じ棟なので、すでに陛下たちとご一緒かもしれません」
セラのもとにはきっと一番にルシオラが駆けつけているはず。もう謁見室にいるかもしれない。
僕も早くみんなと合流しなければ。
足を速めて、謁見室を目指した。
階下へ下りてすぐ、先導していたリヴが立ち止まり、手で僕たちを制した。
廊下をのぞくとミステイルの兵士が十人ほど巡回している。
見つからずに迂回するのは不可能な位置だ。
三人で勝てるのだろうか。先ほど自分が殺めた兵士の顔が脳裏をよぎる。
震える手を押さえながら、長剣の柄を握った。
覚悟を決めろ。
「……クラルス。私が兵士たちを引きつけて離れたら、殿下とともに謁見室へ行きなさい」
「リヴ様! それでは……!」
「あえて言います。あなたは専属護衛です。殿下のお傍にいて守り抜きなさい。……意味はわかりますね」
クラルスは一度目を伏せてからリヴを見据える。
「はい……。リヴ様、ご武運を……」
一人で十人を相手にするのは無謀だ。
リヴが飛び出そうとした瞬間、外衣を強く掴む。
「で……殿下!?」
「だめ! だめだよ、リヴ! 僕も……僕も戦うから三人で行こう!」
リヴは静かに笑って、外衣を掴んでいる僕の手を握った。
「殿下。私たち
「リヴ……」
「私はここで死ぬわけではありません。殿下とクラルスに教える弓術がまだまだたくさんありますからね」
いつものリヴの顔だ。彼女は僕の掴んでいた手をそっと外衣から離す。
細い指が手を包んだ。
「殿下。私は……あのとき……」
「……あの……とき?」
リヴは諦めたような顔をすると、首を横に振る。
「……いいえ。何でもありません。殿下に女神アイテイル様のご加護がありますように……」
リヴの手のぬくもりが遠ざかっていく。彼女は弓を構えて廊下に出ると、矢を放った。
クラルスは僕の手を引いて踊り場まで後退する。
「ま……待って! リヴ!」
走り出そうとしたとき、クラルスに腕を掴まれる。
「リア様! いけません!」
「クラルス離して! リヴが……! リヴが!」
「リヴ様を止められるものなら、私が止めています! リア様どうか……。リヴ様の行動を無駄にしないでください」
クラルスは僕を強く抱きしめた。
どうして、僕はこんなにも無力なんだろう。
奥の廊下から大勢の荒い足音と怒声が聞こえてくる。
「まだ生き残りがいるぞ! 追え!」
次第に足音は遠くなり、静寂が訪れる。
クラルスは腕を解く。
「リア様……。参りましょう」
「……うん」
リヴの無事を祈りながら僕たちは謁見室へ足を進めた。